第69話
一歩、また一歩と、明里達がいた場所からベルアは少しずつ距離を取っていく。
その道の後には胸や口から流れる血痕が残っており、何処から逃げ出したかを示しているようだった。
「はぁ……はぁ……クソッ……イライラさせやがる……!」
莫大な魔力を裏付けるかのような強靭な生命力によって、ベルアは心臓を貫かれ焼かれても生命活動を止めることなく、むしろその先にやりたい事を考える余裕すら出来ていた。
しかし、魔力を生み出す源の一つである心臓の一部が焼かれた事により、魔力が供給される効率が今までよりも格段に落ちている。その為に、いくら逃げ仰せても、未だにふらふらな状態を脱する事が出来ずにいた。
「どこか……身を潜めて……しばらく、やり過ごすしか……ねえか……チッ、なんで俺がこんな……雑魚みてえな真似を……」
口を開けば血と愚痴が垂れる有り様で、自分でも腹立たしいと思っているベルア。そして沸々と、自分が反撃された事に底無しの怒りを覚え始める。
そしてそんな事になったのは誰のせいだと考えようとしたその時、前方にいくつもの人影のような物を視認する。
「な、なんだ……ありゃ……」
魔力が枯渇したせいで、お得意の生命探知すら使えなくなった為に、普通の五感で確かめるしか無くなったことに多大なストレスを感じつつも、ベルアは目の前の何かをなんとか判別しようとする。
「人影……やっぱり人か。だが、なんであんな人数が……」
少しずつ近づいてくるそれは、最初に判断した通り人の姿だった。
しかしその数は多く、少なく見積もっても二十人以上はいた。モンスター達に捕らえられた奴隷以来にそんなに集まった人間を見たベルアは、何が起こっているかの見当も付かず、ただボーッと見続けた。
そして、その人影が少しずつはっきりとし始める。
一番先頭を歩くのは、鉄製のバケツを持った金髪の若者で、その他には年齢や性別がバラバラな玉石混交の集団であることがわかった。
「あ……? 一体なんなんだよ」
ベルアは再び理解が追い付かなくなる。
さらに距離が縮まると、その集団の表情には非常に強い憤怒が溢れている事がわかった。
「なんなんだあいつら……」
疑問の声しか上げることのできないベルア。いくら考えても、正解だと納得できるであろう答えにはたどり着かない。
そして、その集団がはっきりとベルアを認識したその時、一気に歩みを進めて近づいて来る。
ベルアの目の前に止まった集団は、消えない憤怒の表情で見下ろす。
「な、なんだよテメェら……俺に何か……」
訳もわからず、つい喋ろうとした瞬間、その口を黙らせるかのように、金髪の若者がバケツをひっくり返した。
その中には液体が注がれており、その液体をベルアは頭からぶっかけられた。
「がああああああああああああああああああああ!!!!!」
ベルアが頭からかけられたのは、熱せられた大量の調理用油だった。
最も弱っている状態でそれをかけられたとなると、悪魔でもひとたまりなく、ベルアは今まで虐げてきた者達の怨嗟が乗り移ったかような叫び声を上げた。
「は……ぁ゛……な、なにしやがんだ……てめぇ……」
「それはこっちの台詞なんだよ糞野郎」
圧し殺すように冷たい声と共に、若者は空になった鉄製のバケツで、喋る口を黙らせるが如く叩きつける。
「今さっき、俺達が住むこの街を無茶苦茶にしやがったクズがこっちに来るって聞いたんだよ。そいつは胸から血を流して、明らかにここの人達とは違う見た目をしてるってな」
「な、なんだと……」
ベルアは考えた。誰がこの人間達にそんな事を伝えたのかと。
そしてその答えはすぐにわかった。あの状況で、そこまで詳細な情報を真っ先に伝えられる人物が誰か、藤堂クランだった。
「あァのアマぁぁぁぁぁぁ!!」
ベルアは深い憎しみと激憤の怒号を放つが、再びバケツの一撃によって遮られる。
「お前はとっくにボロボロでもういいだろと思ってるかもしれねえけどよ、こっちはやり足りないんだよ」
「あんたのせいで……あんたのせいで……!」
「母さんの仇を……」
「今度はお前の番だ」
つっかえ棒や箒、鉄パイプ等、即席にでも殴打が行える道具をそれぞれに従え、一歩一歩とその集団は重くベルアに近づいていく。
「や、やめろ……くるんじゃねえ!! 近寄るな!! ふざけんな!! クソ共があああああああああああああああああああああああああ!!!!」
* * *
「ん、うう……うっ!」
それから何時間か経ち、気を失った明里は目を覚ました。
視界に最初に入ったのは白い天井で、とうとう死んでしまったのかなと思った矢先に、右半身に強い痛みを覚えた。
「おっ、あんまり動かない方がいいッスよー。絶対安静らしいんで。みんなー! 明里っちが目を覚ましたッスよー!」
一番最初に視界の中に入ってきた人物は孝太郎だった。
なぜこんなところにいるのかと疑問にも思ったが、誰かに起きた事を伝えているのを見て、明里は周囲を首が動く範囲で見渡す。
明里は、今自分がいる場所が研究所の床であることに気づいた。スペースを確保するためか、一通りの家具が端へ寄せられている。そして、酷く傷つけられた右腕が、包帯でぐるぐる巻きにされて、ギプスに固定されている様子もわかった。
他にも、明里の方を見て安堵の声を漏らしたり、嬉しそうな表情を見せる人がいた。
そして、左隣には自分と同じように仰向けになっているクラリスがいた。
「気がついたか、明里」
クラリスは嬉しそうな声で、明里に微笑みを向ける。その目には小さな涙の雫が見えた。
「クラりんに感謝したほうがいいッスよ~。ついさっきまでずっと手を握って心配してたんスから」
「なっっ……!! い、言うんじゃない!!」
クラリスは顔を赤くして、慌てて遮ろうとする。
「ははは、いやービックリしたッスよ。いきなり明里っちから連絡来たと思ったらクランさんでさー。それからいきなり頼み事されるし、あんな事言われたらそりゃ焚き付けられるっしょ」
クラリスとの間を割り込むように、孝太郎が話を始める。ほんのちょっとだけもやもやとしたが、クランが何かけしかけたらしいと聞いて、耳を傾ける。
「あの人……何か言ったんですか?」
「ああ確か……『君達の日常を壊し尽くした全ての元凶がそっちに行く』とかだったような」
「ああ……」
「それで、そいつをボコボコにしてもいいから生け捕りにしろとか捕まえてこいとか無茶言い出すし……たまったもんじゃないッスよ」
笑いながら思い出話のように語る孝太郎。もう一度軽く周りを見渡してみると、少し離れた場所に置かれた鉄製のバケツに、血痕がついているのが見えた。
「それで……結局どうしたんですか?」
「言われた通り、着いてきたみんなとボコボコにして生け捕りッスよ。そんでちょっと血が上って変なことしたせいで素手じゃ掴めなかったから、一応持ってきた大量のゴミ袋とビニールの紐で包んで縛って連れてきたってわけで」
「へぇ……それで、その後はどうしたんですか?」
「クランさんが目を輝かせて自分の部屋に持っていったッス」
「ああやっぱり……」
クランのリアクションが事細かに想像出来るような一部始終に、明里は苦笑いを漏らす。
「そういえば、他のみんなは……」
「協力してなんとか運び出したッス。いやー、みんなボロボロな状態のロボットにビックリしながらなんとかやってくれたッスよ。明里っちの腕は、医者がいたからその人がやってくれたんス」
「そうだったんですか……あれ? 孝太郎さんって、クラリスさん達がロボットって知ってたんですか!?」
「あー、前に来たときに既に聞いてたッスよ。それを聞いたからあのスペースを作ってもらったって訳で」
思わぬ事実に、明里とクラリスは目を丸くした。
「こ、孝太郎殿、私達のこんな状態を見て何か……変に思わないのか?」
酷く機械を露出した状態を明里やクラン以外に見られるのは初めてで、ましてや自我が目覚めて既に機械生命体のようになっているクラリスは、ロボットだと知って何か変に思わないかとちょっとだけ不安になった。
「別に? 何も変じゃないっしょ。話せる相手ならみんなダチッスよ」
孝太郎の軽くも強いその言葉に、クラリスはホッと胸を撫で下ろした。
「まあ、あの中で人間が一番少ないってのはちょっとビックリしたッスけどね……他の皆はクランさんの部屋に運んで、クロロンはしばらく食い物平らげてぐたっとしてたけど、さっき起きてからは皆を手伝ってるッス」
明里は、気を失っている間に起きた出来事を一通り孝太郎から聞き、みんな無事だった事にこれ以上無い程の安堵に包まれた。
誰も欠ける事なく、全てを終える事が出来たことに、強く神様に、そして両親に感謝した。
「さて、それじゃちょっと俺も手伝ってくるッスよ。明里っちの無事も確認できたし、今日は豪勢に、な!」
親指をグッと突き出し、孝太郎は世話しなく動く皆の元へと向かっていった。
孝太郎がいなくなり、明里とクラリス、二人だけのような世界となる。
「……終わったんですね」
「……ああ、終わったんだな」
首だけを動かし、互いの顔をじっと見つめて話し始める。
「さっき、ずっと手を握ってたって言ってましたよね」
「そ、それは……その……」
「ありがとうございます。心配してくれて」
屈託の無い真っ白な笑顔を、クラリスへと振り撒く。
「あ、ああ……と、当然だ。私は明里を護る騎士だからな」
「あれ、クランさんを守る騎士じゃないんですか?」
「……それとこれとは話が別だ」
恥ずかしそうに、しかし満更でもない様子で、クラリスは口を歪めながらお礼に応える。
明里の減らず口にも照れくさそうに返事を返すが、そんな口がきけるくらいには回復したことに、クラリスは心の底から安堵した。
「クラリスさん」
「ん?」
「……これから何があるかはわかりませんけど、皆と一緒に、これからもよろしくお願いしますねっ」
明里はそう言うと、今度はそっと自分から、クラリスの手を握る。
「……もちろんだ。これからも一緒に行こう」
クラリスはそれに応え、その手を握り返した。
機械と人間では、その握るパワーに大差があるが、今この時、ボロボロの右手の力と今の明里の左手の力は対等だった。
二人は憑物が落ちたようなとてもすっきりとした笑顔で、その大きな戦いの終わりをそっと祝った。
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