第49話

 クラリスの初めての食事からしばらくして、次の日の午前十時頃、クラン以外の五人は太陽遮る曇り空の下へと出ていた。

 明里が両親と再開するということで、何か引っ掛かる物が残っているクランが、もしもの時の護衛として全員を同行させていた。


「あの、皆さん着いてきてくれるのは嬉しいんですけど、クランさん一人で大丈夫なんでしょうか?」


「心配アリマセン。マスター一人デモ戦闘ヲ行ウコトハ可能デス。私ハアクマデ、マスターノ余計ナ手ヲ煩ワセナイタメニ護衛ヲシテオリマス」


「そ、そうなんだ……」


 明里は以前自分の家にクランがやってきた時に、ドアを破壊して家内へ踏み込んできたことを思い出し、嫌でも納得せざるを得なかった。


「さ、少し雲行きも怪しいことですし、雨が降らないうちに早くご両親とお会いしましょう」


「そうですね、それじゃあ行きましょう」


 リリアからの一言によって仕切り直された明里は、抑えられない期待を声に乗せて、右手を天に突き上げて出発した。

 その様子を、クラリスは優しく穏やかな目で見守っていた。

 そんなクラリスに、クロムは肘で鎧をこつこつと叩いてから話しかける。


「気分は、どう?」


「えっ、ああ、別になんとも……何か?」


「ううん、アレから、なんか、雰囲気、変わった、かも、ってね」


「……そうなのか?」


 クラリス自身には自覚は無いが、一晩開けてからのクラリスは、今までのどこか固かった雰囲気が解れて雰囲気が丸くなったようにも感じられた。

 いつも側にいてクラリスの姿を目に焼き付けていた明里や、女騎士という属性に惹かれながらも、ある種の仲間という目で見ていたクロム、そして創造主であるクランにも、程度の差はあれども、それぞれにはっきりと印象として残っていた。

 それから、晴れる兆しのない曇り空の下を三十分程歩き続けた五人は、それぞれに目的地に着くまでの間を思い思いに過ごしていた。


「魔法だと思っていたものも、実はただ手にそのように見せる機能があっただけだとはな」


「クラリスさん……」


「……だが、最初の頃に比べると、機械の身体も少しは受け入れられるようにはなってきた……のかもしれない。 複雑な気分ではあるが」


 明里とクラリスはお互いをさらにわかりあうようにコミュニケーションを重ね、その様子を、後ろからクロムが成長した近所の子を感慨深く眺めるおじさんのような目線で見守り、同様にリリアもその隣でクラリスに視線を釘付けにしながら歩き、エステルは最後尾から全員の様子を片側の固定した眼球を模したカメラアイで監視し、もう片側の目を個別に動かして周囲への警戒を怠らず護衛を行った。

 エステルの目の動きは数分置きに変動し、さらに十分に一度頭部を360度回転させて後方の警備も怠らず、全方位からの攻撃を警戒した。


「これが海に行った時に一緒に撮った写真で、こっちが……あれ?」


 保存された両親との思い出の写真を見せながらクラリスと話し歩き続けていると、明里は正面の視界の先、五人が歩いている道路の先の横転して道を塞いでいるトラックの前に、二つの細長いシルエットがあることに気づいた。

 距離が遠いため、その詳しい姿までは判別できなかったが、その形が人型であるということはぼんやりと認識できた。


「あれは……人影か?」


 クラリスは人間よりも正確に遠くを綺麗に視認できるそのカメラアイで、明里が見たシルエットをじっと確認する。

 クラリスは即座に、その対象は人間の姿であると判別し、そしてその人物の姿は、先程から明里に見せられていた写真に写っていた人物とそっくりだというところまで無意識に解析した。


「あそこにいるのはもしかしたら……明里殿が言っていた両親ではないか?」


「本当ですか!」


 クラリスの言葉によってずっと両親と再会したかった気持ちを抑えられなくなった明里は、勇む気持ちを足に乗せて、持っていた荷物を全てその場に置いて走り出した。


「ああちょっと明里!」


「無理も、ないよ。ずっと、会い、たかった、親に、会えるん、だもの」


 クロムは優しい溜め息を吐きながら、放置された荷物を拾い上げ、腕に引っ掛けてから底に付いた砂を叩き落とした。

 その時、荷物の傾いた角度が悪かったのか、明里の携帯がこぼれ落ちた。


「あっ、やっちゃった……壊れて、ないと、いいけど」


 クロムはそそくさと携帯を拾い上げ、どこも壊れていないようにと願いながら画面を点けた。

 その画面には、明里の両親と思われる二人の男女の姿があった。

 それはクラリスに見せようとしていたつい最近の写真であり、見せる前に本人達を見つけたためにそのまま画面を放置していたのである。

 男性の方は、ある程度髭を伸ばしたちょっと強面な雰囲気を放ち、髪をオールバックでまとめており、まさに叔父さんという呼称が似合いそうな容姿をしていた。

 女性の方は、おしとやかそうな雰囲気でセミロングの髪の毛、そして目を引く大きな胸が特徴的であった。


「へえ、この、二人が、明里、さんの……お母さん、結構、かわいくて……?」


 クロムは、その写真から醸し出される違和感にすぐさま気づいた。

 虚ろな瞳、汚れた身体、クランと同様にその不審さを頭の中で整理していく。

 そしてクロムは、これまでの経験と知識の中から一つの答えにたどり着いた。


「……もしかして……!」


 クロムにはこのような状態になった人間達に覚えがあった。

 人の皮を文字通り被った人ならざる者。その化け方には千差万別はあるが、人を騙し喰らい糧とするモンスターの存在。

 点が線となり、クロムの脳裏に最悪の事態が過ぎったその時、どうするかを考えるよりも先に一目散に走り出した。


「クロム殿? まさか、何か不味いことが……!」


 クロムに続いて、クラリスも明里の元へ向かおうとした刹那、その後ろから風が起こるほどの速さでエステルが駆け抜けた。


「エステル!」


 その二人を追うような形で、クラリスとリリアは常人よりも速いスピードで走り出した。

 背後で皆が追いかけることに気づかないまま、明里は先程まで人型であるとしか判別できなかった二人の目の前までたどり着いた。

 対象の顔がはっきりと見分けがつく頃には、その二人は間違いなく自分の両親であると確信した。

 明里はその二人の目の前で止まり、目を潤わせて、感動のあまり発せない声をどうにかして形にして振り絞る。


「おかえり……なさい…………おとう……さん、おかあ……さん……!」


 明里の思考が全て目の前の二人へと向き、まるで自分達の世界が壊れる前のような錯覚に陥る。

 荒廃した町並みや背後の倒れたトラック、それらが存在するが存在しない、今の明里にはただお父さんとお母さんに会えて嬉しい以外のモノは何もなかった。

 明里泣きながら、そのまま父親の胸に飛び込もうとした。


「待って!! 明里! 行っちゃ! ダメっ!!」


 今までに出したことのない振り絞るような大声で、クロムは明里の名前を呼んだ。


「えっ?」


 全ての意識が目の前にしか向いていなかった明里の耳に、背後からの声が届く。

 何かあったのかと思い振り向くと、必死の形相で向かってくるクロムと、その後方から遠くからでもわかる程速いスピードで走るエステル、さらにその後方をクラリスとリリアが追いかけていた。


「もしかして、何かあったのかな……?」


 皆が必死に走ってきているということは、何か大変なことが起きているのではないかと考えた。

 だとすれば、ここに留まっているのは危険なのではないかと続けて考え、両親をこの場から早く逃がそうと明里は振り返った。


「お父さん! 今すぐ逃げ……」


 振り返った先にいたのは、父親ではなかった。

 今にも明里に食らいつかんとばかりに、口を開いたグールが目の前にいた。

 明里の体感時間が一気に遅くなり、まるでスローモーションのような感覚に陥る。

 その感覚の中で、明里は今何が起きているのか、何がどうなっているのかを、混乱しモヤがかった頭で考え始めた。

 先程まで目の前にいた父親はどこに行ったのか、どこにも見当たらなかったグールなぜ突然姿を現したのか、父親のいる側から現れたとなると、母親は無事なのか、走馬灯のようにいくつもの思考が駆け巡る。

 そして、その中で明里の視線はグールの首より下へと移動する。

 化け物の首から下は、つい数秒前見た父親の服、体、全てが一致していた。

 それに気づいた明里の心は一瞬のうちに真っ白になった。

 全く動く気配のない明里に対して、これ以上ない捕食のチャンスだと本能で理解したグールは、迷わず頭から食らいつこうとした。


「明里サンヲ保護シマス」


 明里の元へ最初にたどり着いたのは、エステルだった。

 四人の中で一番の俊敏さを持っていたエステルは、スピードを保ったまま二人の横へと回り込み、一瞬止まってから強靭な脚力で弾丸のように飛び込み、その勢いのまま回り蹴りを頭部に叩き込んだ。

 グールはエステルが回り込むまで、明里を食うことに夢中だったために全く気づかず、気づいた時には既に蹴りが命中すると運命付けられていた。

 蹴りを食らったグールは、骨が折れたような音と共に勢い良く吹き飛び、数回程きりもみ回転をしながら地面を打ち付けられた後、明里の母親の目の前で停止した。

 グールは三回ほど痙攣しながらも立ち上がろうとしたが、首に致命傷を負ったためにそれも叶わず、そのまま力を失いぐったりと横たわった。


「明里、さん、大丈夫?」


 後から追い付いたクロムが、明里の安否を確かめに正面に回り、身体に触れて揺り動かす。

 明里は死んだような表情で眼の光を失っており、呼気と心臓の音で一応生きていると確認できる状態だった。

 その眼は明里の母親へと向いており、父親の姿形から現れた醜い化物を視界から外すように母親を見つめていた。

 目の前で起こった現状が信じられない、信じたくない明里は、最悪の予想と恐怖で心を押し潰されそうになりながらも、搾り出した声で母親へ声を投げる。


「お、おかあ……さん……は……だい……じょうぶ……?」


 全身が震えて止まらない。

 恐怖、絶望、悲観、いくつものマイナスの感情に押し潰されそうになる。

 それでも明里は、僅かなうちに起こった悪夢の中でも希望を捨てずに、母親から視線を反らさなかった。

 母親は吹き飛んだグールにも何も反応を示していなかった。

 同じく視線を向けていた母親だったが、突如として人間の感情から外れた反応を見せる。

 死んだような表情のまま小刻みに震え始め、その直後に鳥肌が立つような笑みを浮かべて右目が上下左右に激しく動き始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る