第44話

 側にソファーがあるテーブルの上に、明里、クロム、クランの三人分のコンソメスープが置かれる。

 クロムは他の皆が集まる前に既に食べ始めていたが、一連の騒ぎで冷めていたことと、スープよりも具材を優先して食べていたクロムがまだ食べ足りないと駄々をこねた為に、再び用意し直されていた。

 明里は黙々とコンソメスープを早いペースで口の中に入れ、噛んだ具材を飲み込む度に、くしゃくしゃにしたような笑顔とリアクションを見せる。

 よっぽどお腹が空いていたのか、すぐにエステルにスープのおかわりを求めていた。

 クロムは皆の様子を見て微笑ましいと思いながら、ゆっくりとマイペースに食事を進めている。

 クランは先程のやり取りを中断されたことによるものか、はたまた現在のクラリスの状態を考察しているのか、難しい顔をしながら一定のペースで口にスープを運んでいた。

 これまでならば、リリアと同様に食事の様子を見守っているだけだったクラリスだったが、今回はいつもとは全く違う様子が見受けられた。

 美味しそうに幸せそうに食事をしているその光景に、クラリスの中にどこか羨望のような感情が芽生え始めていた。

 その視線に気づいた明里が、口に運ぶ手を止めてクラリスへ話しかける。


「どうしたんですかクラリスさん?」


「……えっ? ああいや、その……なんでもない」


「??」


 おかしいとは思いつつも、その答えがはっきりと出てこなかった明里。

 そこにすかさず、クラリスの様子も視界に入っていたクロムが口を挟む。


「もしかして、クラリス、さんも、スープ、食べたいの?」


 クロムの鋭い一言に、明里ははっとしてクラリスの顔を向き直す。

 まさに図星ど真ん中をストレートに突かれたクラリスは、もじもじと恥ずかしそうに下を向きながら、小さく頷く。


「言っておくが、クラリスに食事する機能は付けてないからな。味覚もついてないし」


 放り投げるような言い方でクランが横槍を入れる。

 今まで食欲その他の感覚を覚えることがなかったクラリス自身も、それは自覚していたことだったが、改めて食事の光景を見た事によって初めて食欲という欲求が生まれ、どうしても食事をしてみたいという気持ちが漏れだし始めていた。

 クランの横槍で少しだけしゅんと小さくなってしまったクラリス。再びコンソメスープが視界に入ると、おもちゃをねだる子供のようにキラキラとした視線でを眺めている。


「クランさん、どうにかなりませんか?」


 羨ましそうなクラリスの様子を見て、どうにも堪えきれなくなった明里は、クランになんとかして食事できないかと頼み込む。


「うーん、元々そんな予定もなかったからな……いや待てよ?」


 食事機能を搭載しようと思えば可能ではあるものの、言葉通り元々そのような予定はなかったクランは、頭を悩ませる。

 今までならばそういう仕様だと受け流すことができる問題だったが、現在はクラリスがはっきりとした自我を確立したために、クラリス自身の精神の問題も考えなければならなくなっていた。

 つい数分前に叩かれたことが響いたのか、下手に今まで通り機械として対応すると、普段の行動にも支障が出てしまう恐れがあると、クランは考えるようになった。

 どうしようかと悩む中で、クランの脳内にある計画が思い浮ぶ。

 食事機能を加えると同時に、今クラリスの内部でどのような変化が起きているのか、はたまたどうして自我が目覚めるに至ったのかを解析出来るのではないかと思案する。


「クラリス、今日は調整室にしばらく籠りっきりになるかもしれないが大丈夫か?」


「そ、それじゃあ!」


「まあ慌てるな明里くん。で、どうするクラリス?」


 提案を行ってから合間を挟まずに、すぐさまクラリスへと意思を訪ねる。

 その言葉を聞き、思わず明里の表情も喜びに満ちて明るくなった。

 当のクラリスは、未だ機械扱いされることに慣れていないこともあって反応が遅れたが、もしかしたら食事することが出来るかもしれないという喜びから、花が開くように歓喜の表情を見せた。

 その表情は、今までに誰も、クランですら見たことがないような表情だった。


「はい! もちろんですご主人!」


 クラリスは生気に満ちた返事を返す。

 その声に呼応し、明里は思わずクラリスに抱きついた。

 対するクラリスも、明里の柔らかい感触を包むように抱き返し、まるで姉妹や家族であるかのような様相を見せていた。

 その様子を、クロムはうんうんと頷きながら一件落着といったような表情で眺めていた。


「ところでクロムくん、もし可能ならば今日は少し手伝ってもらえないか?」


 傍観者のような立ち位置になっていたクロムに、クランが直接手伝いを申し込む。

 自分が何か手伝える事があるのか考えると同時に、クロムの中に一つ聞き出してみたい事柄が浮かび上がった。

 それは以前明里にも話そうとしていた、過去に発生した凄惨な撲殺事件の事だった。

 ネット上にある削除されておらず放置されていた被害者の写真や、その他の証言などの情報から、クロムはおおよそ人間の仕業とは思えずにいた。

 そこでクロムは、もしかしたらこれはモンスター達による者なのではないかと推測し、モンスター達の研究もいくつか行っているクランならば何か知っているのではないかと考えた。


「うん、わかった。でも、なんで、あたしに?」


 クランの頼みを聞き入れるクロム。

 それと共に、なぜ明里やエステルではなく自分に頼んだのかが気になり、続けて質問をする。


「今回の一連の変化は、おそらく君から取り出したアレから起こったものだろうからな。その辺りに詳しい人物に頼むのが最適だろうと思ってな。それに……」


 研究に対する合理的な回答がクランの口から飛び出す。そこからさらに、僅かに口角を上げた状態で回答を続ける。


「君のようなストッパーがいなければ、私は今、クラリスにどこまで踏み込んでしまうかわからん」


 クロムは今のクランの言葉から、どこか好奇心から現れる邪悪さのような、複雑な黒さを垣間見た。

 震えているようにも見えるクランの腕を見つつ、クロムは言葉通りストッパーにならなければと考えながら、溜まったもやもやを溜め息と共に吐き出した。


* * *


 一通りの朝の行事を終えた明里達は、今では日常の一つともなった外の見回りへと繰り出す。

 今回はクラリスの点検、そしてクランの助手を行うため、クラリスとクロムの二人は待機となり、エステルとリリアの二人が明里と共に行動することとなった。

 明里は大きく背伸びをして、満点の青空から降り注ぐ日光をその身体に浴びる。

 夜に降っていた雨が止んだ後には、雨の後の地面の臭い、大小様々な大きさの水溜まり、どこかジメっとした空気、雨の後を象徴するような光景が点在していた。


「うーーん……やっぱり昨日の疲れが残ってるのかな? ちょっとだけ身体が重いや」


 前日の夜、いつもなら既に寝付いている時間帯に無数のモンスターとの戦闘、そしてある程度動けるとはいえ、機械であるクラリスの肩を持って移動していた疲れは簡単には取れていなかった。


「何が起こっていたのかまでは存じませんが、あんな夜遅くにクラリス様を連れ戻しに行っていたとなっては……」


「ゴ心配ナサラズ、仮二戦闘行為ガ発生シタ場合、リリアト共二明里サンを護衛致シマス」


 明里を心配するような二人の言葉は、明里の中に強固な安心感をもたらした。


「うん、もし危なそうだったら遠慮なく言うね。一度ちょっと無理しちゃって怒られたこともあったし……」


「オ任セクダサイ」


「いつでも私達を頼ってくださいね明里様」


 クラリスと違い、二人には自我というものは発現してはいない。にも関わらず、前日のクラリスを見た明里には、かたや人間らしく見えるがどこか機械的な面も見え隠れするリリアと、かたやロボットとしか言いようがないエステルにも、実はほんの少しでも自我が芽生えているのではないかと、そんな錯覚すら覚えていた。


「……ありがとう二人共。さ、それじゃ行きましょ!」


 ほんの些細な会話から、数分前よりもちょっとだけ結束が強まった三人は、改めて荒れ寂れた街へと繰り出した。

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