第25話

 人間なら機能不全を起こすであろう程に歪んだ左腕、人工皮膚が融解し吹き飛んだ顔の右半分、それに加えて骨格やケーブルにも熱が達して異形となりかけている右腕、鎧に助けられたのか目に見える破損は少ないものの、所々に熱による皮膚の融解が見られる胴体、地面に叩き付けられた衝撃によるものか、数ヵ所に見られる身体の歪み、おおよそ人体では生きていることすら絶望的であろう状態のクラリスを目の前に、明里は最初に手をつけるべき手順を考える。


(クランさんから貰ったのは構造図だけだったよね。こういう時はまずは……皮膚を剥がすとこからかな)


 溶けて張り付いた顔の人工皮膚を軽く剥がし、内側からスペースを作るように手を潜らせて力づくで捲っていく。人工皮膚などという今まで分解してきた機械には一切付いていない未知の部品に、明里は憶測と予測からおおよその筋道を立てて手をつけていった。


「こんな感じで大丈夫なのかな……っと」


 順調に剥がし続け、作り物の肌の下から無機物の集合体である内部構造が露になる。

 人間そっくりの挙動を行うために組まれた緻密な設計の頭部を見た明里は、表には出さなかったものの内心相当な興奮状態に陥っていた。


(これがクラリスさん……!! ダメ、今はちゃんと集中しなきゃ……)


 頬をぱんと叩き、気を取り直して解体作業へと戻った明里。続けてウィッグを取り外す。

 美しく長い金髪の束が頭部から離れ、首から上の人間らしい部分は一つも見当たらなくなっていた。

 取り外した人工皮膚とウィッグは、調整台のスペースを邪魔しないようその横に用意されたキャスター付きの台へと移動させ、作業風景は、明里と反対側の位置で待機しているエステルが、その眼を通して映像データとして保存する。


「よし、このまま他のところも剥がしていこう」


 明里の手は頭部から胴体へと移動し、同じ要領で順調に人工皮膚を剥がしていった。コツを掴んだのか、最初に剥がし始めた時よりもスムーズに手を動かしていく。

 身体全体を覆っているために剥がしづらい部分は、手から僅かに反れた部分から切れ味の良いカッターを、または鋏をそれぞれ使い分けて切断しながら少しずつ剥がしていく。

 その手つきは人体に対して行われている物ではなく、買ってもらった機械を扱うような手つきでてきぱきと進められた。


「いたっ……」


 何の障害も無く、スムーズに作業を進めていた明里だったが、腕にチクッと何かに刺されたような痛みを感じる。

 胴体に滑らせていた手を抜いて痛みの感覚を覚えた部分が見えるように腕を動かすと、その部分からじんわりと血が滲み出ていた。どうやら熱で歪み、偶然にも鋭く尖ってしまった右腕の一部分に、腕が掠ったようだ。


「大丈夫デスカ?」


「ううん、大丈夫。これくらい掠り傷だよ」


 滲む血を舌で舐め、無言でエステルが取り出したガーゼを手にとって傷に重ねる。


「こういうこともあるんだね、気を付けなきゃ」


 明里は気を取り直して人工皮膚の剥がし作業を再開した。

 全身の人工皮膚を剥がし終えると、調整台の上には肌色の部分が焼けてこびりついた部分以外一ヶ所も見当たらない金属の人形が、仰向けの状態でその姿を現していた。

 この機械人形がクラリスであるということは、作業の一部始終を見ていた者や製作者でもなければ分からないほどに見た目のギャップが大きく、起動中のクラリスが見せていた人間らしい要素は人型であるということ以外は何もなかった。


「ふう、この作業だけでも結構大変なんですね」


「オ疲レサマデシタ明里サン。一度休憩ナサイマスカ?」


 額や頬に流れる汗を腕で拭い、無邪気な子供のような笑顔でエステルに言葉を投げる。

 この時内心、明里はこんな作業を短時間で進めていたのであろうクランに、尊敬の念を抱いていた。


「ううん、このまま続けるよ。ここからが一番楽しみにしてたところなんだから途中でやめちゃ勿体無いよ」


「カシコマリマシタ、少々オ待チクダサイ」


 エステルは再び、冷蔵庫へと移動する。

 その間に明里は背伸びをしながら、最初にどこから分解を始めるかをクラリスの身体全体をじっくりねっとりと舐め回すように眺めながら考えていた。


(まず最初はどうしようか……まず頭を外して首から下を先に済ませてしまうか、それとも損傷が激しい両腕を先に外しておこうか……)


「コチラノアイスヲドウゾ」


「へっ? あっ、ありがとうございます」


 背後からエステルが、パックから吸うタイプのバニラアイスを持ってくる。完全に凍ったままでは食することが出来ないタイプのものだが、エステルが運ぶ前にキャップを開け、手の中で温度を上げて温めてくれたこともあり、ある程度軟らかくなっている。

 手渡されたアイスを口に運び、精神的にも物理的にも熱くなった明里の頭と身体を冷やす。


「ふっ……ちょっと落ち着いたかも。それじゃ再開しようかな」


「明里サン、コチラヲドウゾ」


「これは、私の道具?」


 急遽分解することが決まったために、いつも使っている道具を持ち込むことを忘れていた明里。明里が周りが見えなくなるほどに集中していたそのタイミングを計って、エステルが予め持ち出していた。


「……何から何までありがとうございます」


「オ気ニナサラズ」


 軽く会釈をエステルに向け、明里愛用の分解道具を手に取る。

 何十何百と数えきれない程握って感じてきた感触も、一つの大きな目標を目の前にした状況下ではまた新鮮なものとなった。


「……それじゃ始めましょう」


 明里が夢にまで見たクラリスの解体が始まった。

 最初に手をつけたのは左腕だった。破損した箇所を先に取り外しておこうと判断したと共に、作業する上で胴体を分解する際にもどうしても避けることが出来ず、再び怪我をする可能性があるためにその危険性を考慮して手をつけた。

 一本ずつネジを取り外し接続を緩めていくと、次第にグラグラと右肩が今にも外れてしまいそうな挙動を起こす。

 そして最後の一本が外れたとき、クラリスの右肩が胴体から伸びるケーブルを残して離れた。


(あとはこのケーブルを取り外して……っと、その前に)


 腕と胴体を繋ぐケーブルを外すために、二の腕に当たる部分の解体を始めようとした時、横からエステルの声が割って入る。


「明里サン、細部二到ルマデ分解スル必要ハアリマセン。アル程度ノトコロマデ行イ、アトハ自分デヤルトマスターカラノ伝言デス」


「えぇー……」


 最後まで細かく解体しなくてもいいという伝言に、うだつの上がらない表情と一緒に分かりやすく声に不機嫌な調子が乗る明里。

 しかし、まだクラリスを解体するにあたっての予備知識が構造図しか無い点や、これはあくまで手伝いで自分の欲望を満たすための物ではないということを思いだし、納得はせずとも渋々了承する。


「……わかりましたよ」


「アリガトウゴザイマス」


「そうなると、私はどこまで解体すればいいんでしょうか?」


「四肢ノ取リ外シ、上半身ト下半身、ソシテ頭部ト胴体ノ分割ヲ形ヲ残シタ状態デオ願イ致シマス」


「わかりました」


 聞かされていなかった範囲指定をエステルを通して聞き、改めて分解作業に移る。


(……でも、初めてでここまで出来るならそれでも嬉しいかな。)


 最後まで出来ない不満よりも、次第に元来の『クラリスを解体出来る』というプラスの嬉しさが段々と勝っていき、結局最後には元の興奮した状態へと戻った。

 その後、脳内に記憶されたクラリスの構造図と目の前に有る本物のクラリスの中身を照らし合わせて何度も興奮しながら、エステルの伝言通りに四肢、頭部、上半身、下半身を形を残した状態で解体し終えた。




 待ちに待っていたクラリスの分解作業が終わり、明里は調整台から離れた椅子でぐったりと魂が抜けたように身体を預けていた。

 夢の一時の感覚をまだ手の内に残しておきたかったのか、明里の右手には作業道具が落ちないギリギリの強さで握られている。


「オ疲レ様デシタ」


 エステルが労いの言葉を向けつつ、冷えたオレンジジュースのペットボトルを差し出す。

 感情の類いは設定されていない無機質な声色と、予めプログラムされている言葉のはずだが、明里はどこか、そのエステルの言葉に優しさを感じていた。

 差し出されたペットボトルをくたびれた雰囲気が醸し出す動きをする左腕でゆっくりと掴む。




「ありがとうございます……こんなにも疲れたの初めてでした」


「本日研究所マデ走ッタ時モ、非常二疲レテイル様子ガ見ラレマシタガ?」


「ううん、あれとは違うの……うん」


 ぐたっと右腕と同様に左腕も垂れ下げて疲れを垂れ流すように姿勢を崩す明里。

 そんなやり取りをしているうちに、調整室の奥からクランが近づいてくる。

 クランは流すような目でクラリスが乗せられた調整台を覗くと、そこには頭部、両腕、両足、上半身、下半身と、かろうじて人間の身体を模して造られているとわかる機械の塊がバラバラの状態で放置されている。

 すぐそばにある台の上には、取り外した大量のネジや部品の一部、そしてウィッグを含めた人工皮膚の塊が積み上がっていた。


(……これなら上出来だな)


「あっ、クランさん。もうリリアさんのほうは終わったんですか?」


「ああいや、まだ途中だがこっちの様子が気になってね」


「そうですか……今日はこんな機会を設けてくれて本当にありがとうございます」


 だらけた姿勢を正し、それぞれペットボトルと工具を持ったままの両手を膝に乗せて、深々とクランへ一礼する。


「いいんだよ、元々そういう予定で引き込んだんだから……これで早めに二人を修理できそうだ。ありがとう。今日はこの後ゆっくりと休んでくれたまえ」


 右手を頭に乗せ、軽く頭を撫でてエステルと同様に労いの言葉を向けるクラン。

 クラリスの製作者直々のお礼に明里は心が躍り、疲れでどこか緊張した部分を残していた表情が一気に晴れた。


「はい! ありがとうございます!」


 椅子から立ち上がり、笑顔のまま明里は調整室から去っていった。

 その様子をクランとエステルがじっと見続けている。


「私の目に狂いはなかったな。ちゃんと解体してくれている。エステルも伝言を伝えてくれてありがとう」


「緊急ト設定サレタ伝言トハイエ、ヨロシカッタノデショウカ? 」


「ああ、私が細かく伝えてなかったらいきなり全部やり始めるのではと思ったからな。それに、指示通りちゃんとやってくれるんだから本当にいい子だよ」


(それに、昔の私を見返してるようでな……本当にソックリだ)


 明里が去って閉じた扉の向こうを、どこかノスタルジックな気分でじっと見つめ続けるクランの様子に、エステルは僅かに首をかしげて、マスターの様子が理解が出来ないような仕草を見せた。

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