第2話

 その夜。

 ロマンスとその彼氏一家の家に結界を張った天狗は、その内側に身を潜め合う彼らに、天狗の知人の工事業者に口を利いて、昼間の内に庭の窓から搬入させた現場用簡易トイレを指し示しながら、説明をした。

「一晩出てはならぬ。トイレもこちらに簡易トイレを用意した。

 ロマンスとその彼氏よ、そして未来の彼らの義理の両親よ、それについては、お前達も一人の大人であり、またこれから人を一人育て上げようとする者になろうというのならば、

『広い意味で相互理解を深める形になった』

という事でスルーすべし。

 他には、えー……忘れた。特になし。以下略。

 では、皆の衆、吉報を待つが良い」

 苦い表情を作ってそう告げると、とても何か言いたげな彼らをそのままに、家を後にするのだった。




 ロマンスから伝え聞いた、彼女らに害を成す連中とその家人、上は祖父母から下は生まれて数ヶ月の赤子に至るまでの血肉から魂までを一片余さず用いて作ったのは忌まわしき封印の人形だった。大きさは小学校低学年くらいの子供程度。それを抱え、天狗と弟子は、化物が最も多く目撃される進行地点の一角である草原に、自分達の結界を張った。

 丁度丑三つ時。太いろうそくの火に囲まれながら道具を前にし、天狗は祝詞を紡ぐ。


 結界を取り巻く様にして強風が吹き、砂塵が舞い散るのを尻目に、弟子は物理的な介入を阻むべくその外の木陰にいたが、早速複数の不審者が現れた。鍬やつるはし、猟銃を手にしている者も見受けられる。

 弟子がその指先を少しだけ動かすと、彼の手から伸びていると見て取れる、月の明かりに照らされた所のみが銀色に輝いている幾条かの線―弟子はそれを『霧雨』と呼んでいた―が彼らを捕え、ぎりぎりと縛り上げる。

 第二波の気配より先に、短く何かを搾り出した様な音が弟子の耳に届くそれよりも早く、何とか彼は草葉の陰に身を隠した。身の丈を越える高さに生い茂ったそれは、弟子にとって格好のカモフラージュであり、風にそよぐそれに合わせて足音を殺すのは息をするより容易かった。

 そして相手の気配は訓練されていない者のそれ。暗視装置の類を装着しているかを足音から探る。……全員ではないが装備している。先ほどの風切音は恐らくはサブレッサーを付けたハンドガンだ。方角も、弟子が伏せた時に後ろ髪を掠めた弾丸のおかげでおおよそは知れた。

 闇の中で相手の呼吸を探りながら、ふと弟子は考えた。汗の匂い。どれほど姿勢を低くしても元の身長は隠せない。折り畳んでいる身体が掻き分ける草の音。その範囲が弟子の肌に、脳に、相手の情報を叩き込む。

 それらの結論からして、かなりの上背があった。恐らくは全員が男。

(……)

 連中が刺客であるなら話は早いのだが、そうでない場合の保険をかけておきたい。

『リーダー格と思われる奴くらいは残しておけ』

との天狗からの指示もあるので、それを割り出し、他は敵方の術式の生贄としたかった。リーダー格と思われる人物とて、後で死のうと、せいぜいそれまで口がきければ良い。

 後発隊である彼らは四から五人ほど、と彼の耳が察知した。霧雨で己の親指の先を少し切ると、そのまま霧雨に血を沁み込ませ、幾ばくかの距離を置きながら、虚空に幾つもの長方形を描いた。真紅の鎖が次々に一枚の鏡へと変わって行く。そこに反射する様に、弟子は自分の姿を映した。

 発砲音。破砕した鏡に合わせる様に虚空が、生い茂った草むらが砕け散り、巻き添えを食った何名かが上半身を、肩口から先を食い千切られ、のた打ち回って悲鳴を上げる。

 そこへ被さる、むせ返る様な獣の臭い。

(かかった!)


 ぐるるごぉうるるる。


 弟子の視界の先、他の者など目に入らぬ様子で、巨大な排水溝が水を飲み込む様な唸り声がし、大気が揺れ、波打つ黒い影が犠牲となった彼らに食らい付き、竹を割る様な音と水溜りを転がる様な音を交錯させて響かせた。連中のものと思われるえづく様な声は、その音にかき消される。

 シルエットを見るにロマンスの言っていた相手に間違いはなさそうだ。四方八方から人のそれと思しき四肢が無造作に伸びて、規則性などなしに蠢動している。

 弟子の耳にその時、師のそれではない、呪文を一心不乱に唱える声が聞こえた。術式を思わぬ方向へ反らされたのか、制御しようとしている雰囲気が感じ取れる。黒い影の唸り声に更に足音をかき消させながら、弟子は低い姿勢で足早に声の方へと向かった。

 草をかき分ける前に霧雨を飛ばす。手元に戻ったそれが巻き付いていたのは一枚の呪術的な文言が記された札であった。それが必死な声で呪文を唱えているのだ。

 変わり身。昔話で聞いた事のある例が実在した事を彼は知った。

 背後の気配が、弟子の敷いていた霧雨を踏み付けたと同時に数発の銃声を響かせながら、それぞれの背後で手足と頭の先を連結させる様に束縛され、彼らはギリギリ背骨が耐え得る角度まで大きく弓なりに反り返りつつ、地べたを這う羽目になった。みぎちぎち、と関節に悪そうな音がかすかに聞こえる。

 目出し帽を被った数人の男。ひとまずは、恐らくこれで全員だ。

「……!」

「あれをどうにかしてもらおうか」

 親指で黒い影を指し示しながら弟子が呼びかけると、一人が仲間へ視線を飛ばした。途端にその男の頭が爆ぜ、首から下が激しく痙攣し始める。見られた一人から憤怒の気配が漏れたのを弟子は察知した。

「口封じなら遅い」


 ぐるるごぉうるるる。ぐるるごぉうるるる。

 ぐるるごぉうるるるるるるるるるるるる……。


 草いきれを押し潰しながらの黒い影の接近を肌が感じ取る。

 視線を飛ばされた男へ歩み寄ると、弟子はもう一度言った。

「あれをどうにかしろ」

「わが……っだ。ごれ、ばずじで」

「そうしないと無理なのか」

「ぞう」

「手だけ緩めるからそれでどうにかしろ」

「あやぐ!」

 弟子が緩めると、男の手にあった銃口が躊躇いなく自身のこめかみに向かったので、やむなく弟子は霧雨を男の腕に錐の様に貫通させ、筋肉と腱を縛って阻止した。更に頬も貫通させ、舌へ幾重にも霧雨を巻き付ける。噛み切らせない為の処置だ。

 ちみっちゃい手が、苦もなく男から銃を奪い取る。

「誰も死んでいいとは言っておらぬ。早くやれ」

 手段を奪われた男は観念したのか、黙り込む。事態が良くなる気配は微塵もなかった。


 ぐるるごぉうるるる。


「ちっ!」

 絶叫と共に殺到して来た黒い影を飛び退いてかわしつつ、弟子は僅かな指の動きで霧雨を駆使して男達を傍らの木々の高みに叩き付ける様に改めて拘束した。四肢が折れたり、木々の枝が彼らを貫いているかもしれないが知った事ではない。

 転がりながら着地した弟子の手からどす、と地を貫いて霧雨が潜り込み、黒い影の足元からその一端が突き出して絡み付こうとしたが、食い込みはすれど突進の勢いは止まない。更に横に転がり木々の間を介して霧雨を食い込ませ動きを静止させようとしたが、逆に激しく身をよじる黒い影の質量によって、木々の方が地面から捻り切られ、地響きを立てて砂塵の中に転がる始末だった。どうにかその中に捕獲した連中がいない事だけは察知した。

 弟子は霧雨を新たに、無造作に積み重なった木々に絡めて重石としながら黒い影へ到達させ、束縛する。ムカデの様に身体を捻り、束縛から逃れようとするが、こちらも女性の髪を幾条も細く細くより合わせ、特製の獣の油を沁み込ませた特注品だ。代々改良を加えられて来たそれと、弟子に至るまで数多の者が使い込んだ技術としての年数、帯びている情念の度合いでは、天にも地にも敗れる相手が見つからぬ。

 そこで影の動きが、雷でも浴びたかの様に一度大きくびくりと震え、凝固した。天狗の用いた人形がその効果の程を示し始めたらしい。唸り声は苦しげで沈痛な響きへと打って変わった。

 風に乗って師の声が届く。

「手間をかけたな。弟子よ、そのままそいつを捕らえていてくれやい」

「心得ました。末端は切り飛ばしても?」

「文章や数式の端が消える様なものだ。自壊したらそれはそれよ」

「はっ」

 弟子の指がまた僅かに動き、影をぎりぎりと霧雨が絞り上げる。唸り声はうめき声となった。それによる影響はないか、自身の体調を確認する。これといった所はない。

 怨嗟の生み出したもの故、少し肝を冷やしたが、師のくれた札に記された祝詞の効き目は覿面であった様だ。

「別の術者や式神などの気配は感じぬ。捕らえた連中の顔を拝めるか?」

「見てみましょう」

 霧雨を所謂、自動拘束状態にして手を離すと、弟子はぎりぎり回避して倒れ込んだだけの木々の先端に彼らを見つけた。紅葉の様な手からは伺えぬ力で目出し帽を剥ぎ取っていくと、その中の一人に見知った顔があった。

 苦い表情で、弟子は新たな霧雨の一端を師の結界の傍へと飛ばし、打ち立て、呟いた。

「……師よ、ロマンス殿の彼氏がおられます」




 ややあって。結界からは変わらず師の祝詞を紡ぐ声が響いていたが、天狗が額の汗をつい、と手ぬぐいで拭き取りながら、すたすたと歩み寄って来た。

「師よ、あれを?」

 変わり身についてあえてぼかして問うと、天狗は頷いた。なるほど、こちらに転がっている術者に出来て天狗が出来ぬ訳がない。

「予想はしていた……が、まさかここまで予想通りとは思わなんだ」

「村八分にしている側からそそのかされたか、ロマンス殿への情が失せた、という所でしょうか」

「両方かも知れぬ。閉じた土地よ。それでもいささかもおかしくはない」

 弟子の顔に嫌悪の色が漂う。

「後は朝方、わしの術でどうなるか、関わった術者の沙汰を見るだけじゃ。

 こ奴らは……分かる所へ連れて行くか」




 連中を弟子が改めて亀甲縛りにして転がしている間、天狗が携帯で呼び出した相手は、どこにでもありそうな電気店の白いバンと黒塗りの高そうな車でやって来た。

 独特の雰囲気を放つスーツの初老の男が、その黒塗りの車から降りて来る。

「師よ、ご無沙汰をしております」

「まさか裏社会に入るとは思わなんだが、お前に頼み事が出来たのでな。見れば分かろうが、一人は術師じゃ。して、ちょっときゃつらの正体と依頼主を吐かせてくれやい」

「お任せ下さい。師は如何なされますか?」

「聞きたい事がまだある。わしらも向かおうぞ」

「はっ」

 後部席に載せられた天狗と弟子は、拘束した男達が白いバンに押し込まれるのを眺めていたが、さほど間もなく、二人の車が先に走り出した。




 不審者達が連れて行かれた先は、打ち捨てられた廃工場である。『進入禁止』の立て札が示す通りに封鎖され、入り口の鉄柵には有刺鉄線が巻かれて久しいと見え、錆び付いていた。近くに病院も公衆電話もない。うかつに触れて傷でも付ければ、破傷風は免れなさそうだった。携帯の電波も通じるかどうか。

 天狗が初老の男に訊ねる。

「微かにだが、気配がある。気配の断ち方も並々ならぬもの。これはなかなかの手練よな。

 吐かせる為の専門家を飼っておるのか」

「分業制でして、餅は餅屋と申しましょうか。

 有能な下請けです。時間と注文に合わせた依頼をこなしてくれます」

「任せよう。わしらの立場からは見えぬ人間関係が分かれば良い」

「心得ました。しばしお車の方でお待ち頂ければ」

「ふむ……ん?」

 天狗は横にいる弟子の様子が穏やかでないのを察した。弟子が口を開く。

「師よ、私はその様子を見て来ても良いでしょうか」

「気がかりな事でもあるのかな?」

「人違いならいいのですが、この気配に覚えがありまして」

「師よ、如何すれば」

 初老の男が問う。天狗は彼に訊ねた。

「様子は外部からでも分かるのであろう?」

「左様でございまする。映像も音声も記録しております」

 弟子が初老の男を振り仰いだ。見下ろす初老の男のそれは穏やかな笑みのままだが、それでも漂う得体の知れぬ凄みは、天狗修行で得たものだけではないだろう。ふくろうのそれに酷似した造り、それでいて深い紫色の瞳を向けながら、弟子が訊ねる。

「兄弟子に当たる方となりますな。その専門家と話をさせて頂けますまいか。して、その部分の記録はカットをお願いしとうござりまする」

「ほほぅ。何故?」

「私の心当たりの者ならば、これまた並々ならぬ悲願を胸中に抱いておるはずだからで。そしてそれが兄弟子であるあなたの仕事に差し支える事はまずないと考えるからでござる」

「ふむ……師よ、この者の言葉、どれほどに信用出来る者でしょうか?」

「わしが弟子にした。その基準、わしから免許皆伝を授かった一人であるお前ならば、言わずとも身に沁みて良く知っておろう」

 得心が行った、とばかりに、初老の男はふふ、と笑った。

「愚問でございました。師よ、今の問いかけはお忘れ下さい」

「うむ。代わりと言っては何じゃ、吐かせる男の口にした事、一言一句違わずこの弟子が伝えれば、お主の面目も保たれよう?」

「その通りでございます」

「そういう事じゃ。弟子よ、如何なる関係かは問わぬが、くれぐれもヘマのない様にな」

「師よ、そして兄弟子よ、ありがたきしわよせ」

 深々とこうべを垂れる弟子に、初老の男と天狗の顔に哀愁の影が漂う。

「間違ってはおらぬが、なかなかにお主の物言いもストレートよな」

 初老の男がこぼす。かくして、弟子が検分役という事で中で審判をする事と相成った。




「やはりお前か」

 廃工場の中で、闇をも見透かす瞳で察知し、声をかける。初の出会いから別離まで、それからまた幾星霜、弟子は思わぬ再会をした。敵と言えば敵でもあり、その原因さえなければ、もしかしたら立場を同じくしていたかもしれない、奇妙な関係である。

 弟子としては、相手がどうやってこの時代に来たのかが気がかりであった。

 弟子が霧雨と呼び、彼が海女髪と呼んで使うその黒縄で、ロマンスの彼氏を瞬く間に天井の梁を用いて吊るし上げると、影は口を開いた。

「姿の変わり様に驚いたが、まさしくあの時、相戦った貴様の様だ。

 久々だな、き……」

 その先を、弟子が手をかざしてさえぎった。

「おっと、互いに名を明かすのはやめておこう。俺の仇がお前の境遇を利用するかも分からぬ」

「そんな奴は俺が直々に引き裂いてくれる。俺の身体の事は貴様が良く知っているはず」

「確かに。しかし、お主にある優しさと仲間への思いやりをも、そ奴は利用しかねぬ。その上で、お主を裏切るであろう事も想像には難くない」

 影は驚愕した様子だった。以前対峙した時には、弟子は彼の注意を最大限自分に引き付けるべく、あえて彼を挑発し、激突したのだから、無理もない。

「どうした、身の丈が縮んだら、肝っ玉もその分縮んだか?」

「そうやも知れぬ……俺の師匠もかつて、そ奴に嬲り殺しにされておる。俺が子供の頃に」

「ほう」

「そ奴は女を嬲り殺しにするのが何よりも好きでな。お主に新しい出会いがあったとして、それをも嗅ぎ付けかねぬ」

 氷塊を直に肌に当てられているかの様な冷たさを感じさせる、警戒する気配が、弟子に伝わって来た。

「なるほど……確かに俺は一度は踊らされた。愛した女もそれで失った。

 しかし、二度目はない」

 影の言葉は弟子の預かり知らぬ所であったが、それでも言葉を失わせるだけの衝撃を与えるには十分だった。彼の愛した女と、彼は遂に添い遂げられなかったのだ。

 その後の長い苦悩の末に、自分の中で折り合いをつけた。そんな様子が、彼の落ち着いた口調から感じられた。弟子の知る彼は、もっと激情を露わにする男だったからだ。

 弟子は大きく息をつくと、告げた。

「何から何まで、俺とそっくりよな、お主は」

「貴様のは師匠だろう。まるで違う」

「師匠はくノ一であった。早くに父と母を亡くした俺にとっては母親も同じであった。

 そして、あの頃のお前とそう変わらぬ年の頃に、俺は里を飛び出し、その先で、弟子として迎えた娘を亡くしておる。お前達と相見えたのとは別の連れが、その前にいたのよ。

 俺が言っておるのはそこだ」

「……つまり、お前はあの時、立場と信念の間で板挟みであった、とも言えると?」

「信じるかどうかはお主に任せるが、はっきり言わせてもらう。あの時とて、俺にはどちらも、容易に放り出せるものではなかった」

「ぬぅ……」

 義理と人情の板挟みは、影にも心当たりがある様子だった。弟子はその相手を知っている。その相手も、彼と、彼の愛した女の事をずっと気にかけていると告げていた。

 影と戦ったその直後にその人物とも弟子は対峙し、短くではあったが、話をした。そして互いに譲れぬ事を知り、対決した。紙一重でどうにか打ち倒した。たまたまどうにかなっただけだと、弟子は思っている。その証拠に、弟子は一度命を落としたのだから。

 それを察したかの様に、影は問うた。

「名を挙げずとも分かるな? あれと戦って、貴様は死んだはずだ。俺がそれを見届けた。

 貴様は俺とは違う。どうやって現世に舞い戻った?」

「今は雇われの身の上でな。その主殿が、俺と、先ほど言った連れの娘を蘇らせてくれたという訳よ」

「蘇らせた……? そ奴、俺達の様な忍法者なのか?」

「いや。その秘術も俺とその娘で打ち止めの様子であった。

 つまりは俺やお主の様にその身に体得しておるのではなく、単なる伝来の技術であったという事よ。何せ当人ですら、たまたま先祖の伝言をかなえただけと言っていたからな」

「ちっ」

「お主の考えておる事は分かる。俺とて、それがもしもかなうなら、師匠を蘇らせて欲しかった」

「経験の差という奴か……貴様に言われると、余計に腹立たしい」

「だろうな。俺としてはお主にまた会えて、どういう訳か、ほっとしておる」

「ふん。貴様なりに俺達の行く末を見届けたかった、とでも?」

「ああ、俺なりにな」

「恐らくは、あの流れではそれはきっとかなわなかっただろうよ。かなったならば、俺達は血を流さずに済んだはずだ」

「それもご尤も」

「やれやれだ、互いに譲れぬものがあった訳か。まだ全てに納得した訳ではない。しかし、毒気を抜かれたわ。

 俺は務めを果たさせてもらう」

「よろしく頼もう」

「言われるまでもない。黙って見ていろ」

「心得た」

 そこでやっと、双方の間に張り詰めていた緊迫感が解けた。その間に置かれていたロマンスの彼氏は、見れば、二人の雰囲気にあてられたのか、失禁していたのだけれども。

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