八話

 曲楊の診療所。

 女医の春(蘭(しゅんらん)は窘めるように言うと

「楽嘉(がくか)さん、今日は家に戻って安静にしてください」

「すいません、先生。最近、調子が良かったもので……あの薬、もっと多めにもらえませんかね。そうすれば、もっと安心できるんですが」

「ごめんなさい。あの薬は、貴重なのよ」

「そう、ですか」

 ふらついた楽嘉の体を、咲耶が支える。

「大丈夫か?」

「あんたらにも、世話になっちまったな」

 羊たちを小屋に戻さないと、と聞いて

「分かりました。羊は、私が小屋に戻しておきます」

「おう、助かるぜ」

「咲耶は、何でも出来るのね」

 感心した瑤華に

「まあ、色々と……」

 咲耶は苦い顔。

「楽嘉さんは、私が家まで送るわ」

「そんな、瑤華様。私が」

「尚香は、玖楼の診察に付き合ってあげて」

 一人にさせると何かと心配だから、と瑤華。

「別に、平気だって」

 それを聞いた玖楼は、唇を尖らせる。

「確かに、そうですが……」

「大丈夫よ」

 瑤華の後ろ姿を見送り

「瑤華様」

 尚香は溜息をつく。

「ご主人様が居なくて、寂しいとか?」

 からかうように言う玖楼に

「心配なのよ! それより、昨日の怪我の治療でしょう」

 尚香から事情を聴き、春蘭は玖楼の右腕の傷を見る。

「適切に処置がされているわ」

薬草を煎じた薬を塗り、春蘭は包帯を巻いていく。

「さすが、医者。どこかの誰かと違って、優しい」

「それは……玖楼くんが、大人しくしないから」

 眉を寄せる尚香。

「ありがとうございました」

「あの、お代は?」

「……必要ないわ」

 春蘭は不敵な笑みを浮かべ

「だって、貴方たち。帰れないもの」

 その言葉と同時、黒衣の男たちが取り囲む。

「忍者……なぜ、東陽国の」

 袖からナイフを取り出そうとした尚香に

「動くな」

 線の細い小柄な忍者が、クナイを首元に近づける。

「お前ら、燃やすぞ」

 玖楼が出した黒い炎を見て

「と、統領」

 囲んでいた忍者たちが動揺する。

「怯むな。こいつの炎で、人間は燃やせない」

 牧羊犬の誘導で、羊たちが小屋へと向かう。

「よしよし、よくやった」

 咲耶が褒めてやると、犬は尻尾をパタパタと振る。

 口元を舐める犬に

「やめろ。くすぐったい」

 その様子を見ていた瑤華は

「咲耶は、羊飼いに転職しても似合いそうよね」

「姫様、そのようなことは」

 咲耶は苦笑い。

「玖楼にも、もう少し優しくしてあげればいいのに」

「あいつは、犬とは違います」

「まあ、そうなんだけど」

 少しは認めているんでしょう、と瑤華。

「そんなこと、本人に言ったら調子に乗るでしょう」

「素直じゃないわね。楽嘉さん、今は布団で休んでるわ」

 気持ちよさそうに眠ってる、と瑤華。

「発作は心配だけど、春蘭先生の薬があれば大丈夫よね」

「では、尚香たちと合流しましょう」

「二人とも、遅いわよね」

 様子を見に行こう、と瑤華と咲耶は診療所へ向かう。

「来たね」

 忍者の腕に抱えられた尚香を見て

「尚香!」

「姫様、下がって」

 咲耶が刀に手を掛けようとすると

「止まれ」

 彼女の首と胴が離れるぞ、と忍者は警告。

「くっ……」

「賢明だね。彼女は、気を失ってるだけだから」

 そう言って、尚香を地面へと下ろす。

「それと、道士は君たちには同行しない」

 小柄な忍者が踵を返す。

「待って、それってどういう」

 後を追おうとした瑤華を

「いけません」

 咲耶が止める。

「他にも忍者の気配があります。今は、尚香を休ませましょう」

「……分かったわ」

 診療所の地下。

 両手を拘束され、玖楼は石畳の上に放り投げられる。

「おい、尚香は無事だろうな」

「薬で眠らせただけよ」

 温厚だった春蘭の瞳は、氷のように冷たい。

「いい先生の振りは、芝居かよ」

 最低だな、と呟く玖楼。

「どうにかして、竜玉だけは姫さんに返さないと」

 統領と呼ばれた忍者が言った通り

(オレの炎は、人間には効かなかった)

 ふと、応竜の言葉が思い浮かぶ。

「警告、だったのか」

 何か、大事なことを忘れている気がする。

 玖楼が思考を巡らせていると、階段を下りてくる足音。

「約束通り、持って来てくれただろうね」

「はい、こちらに」

 白衣の男から渡された小箱を受け取り

「ああ、これで……」

 春蘭は執着するように、地下室の奥の薬品庫へと向かう。

(この匂い、どこかで……)

 玖楼は、眉を寄せる。

 真っ赤な血で染まった祭壇。

 ゆらぐ水面。そう、この匂いは血だ。

「神瑞様が、攫われた」

「急ぎ、地上に道士を遣わせるのだ」

 そして、地上の異変を探るのだ。

「そうだ、思い出した」

 目が覚めたのは、廃墟の寺院。

「……オレは、神瑞を探して、降りたんだ」

 玖楼は白衣の男を睨む。

「あんたが、神瑞様を……」

 あの血を持っていたことが、動かぬ証拠だ。

 怒りを露わにする玖楼に

「私は、刹那と申します」

 男は丁重に頭を下げる。

「贈り物は、いかがでしたか」

 玖楼の脳裏には、天涼の化け物の姿が思い浮かぶ。

「まさか、あれを作ったのは」

 刹那は頷く。

「合成獣。いい実験になりました」

 玖楼は鼻を鳴らすと

「あんなのは、ただの化け物だ」

 神瑞様をどうするつもりだ、と這いながら距離を詰める玖楼に

「……明莉(あかり)とう名前に、心当たりは?」

「知らない」

 刹那は、失望するように溜息をつく。

「道士、私は神瑞に代わる新たな神を求めています」

「そんなこと、許されるはずがない」

 四主神を統べる全知全能の神は、神瑞のみ。

 それが覆ることはない。

「あの無能が、私は許せないのです」

 刹那は肩を竦めると

「道士を遣わせたことで、蓬莱島は動いたか」

「あんた、この村でも化け物を作るつもりだな」

 一体何をするつもりだ、と玖楼は刹那を睨みつけた。

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