第五十三話 怯える魔法少女

「シルフィ!!」


 夜の森にノクスの怒声が響き渡った。


 ノクスの端正な顔は怒りで歪み、全身からは膨大な魔力が溢れ出している

 魔力は魔法少女の感情──情報エネルギーによって増減することがあるが、おそらく私への激しい怒りによって、元々多かったノクスの魔力がさらに増しているのだろう。

 今のノクスが怒りによって膨れ上がらせた魔力は。並の魔獣ならたとえ素手でも一撃で倒せそうな程だ。


 その魔力が今──強い敵意と共に私にビリビリと突き刺さっている。


「絶対に許さない!」


 ノクスは膨大な魔力を魔法杖オーヴァム・ロッドを変化させた黒い大剣に込め、そのまま勢いよく私に向かって駆け出した。その迫る勢いは凄まじく、彼女が踏みしめた大地は膨大な魔力によって爆発し、抉れてしまっている。 


「ステラを……あの子達を裏切ったあなたに! もう魔法少女を名乗る資格はない! 今度こそ、その力を奪ってやる!!」


 ────速い! さっき戦ったステラと同じか、それ以上に速い!


 あっという間に私の眼前へと迫ってきたノクスは、黒い大剣を大きく振りかぶった。

 この黒い大剣──おそらく、まともに受ければ私の剣や魔力障壁バリアでは受けきれない。

 ノクスの黒い大剣から感じる魔力と怒りはそれほどまでに凄まじく、絶対に私をここで倒すという強い意思を感じる。


「くっ……!」


 けど、私もまた絶対にここで引くわけにはいかない。

 なんとしても私はステラを取り返し、カラザに連れて帰る。


 目的の為──なら、ステラを犠牲にする事も私は厭わない!


「……ハァッ!」


 ノクスが振りかぶった黒い大剣を、私の顔に向かって振り下ろした。

 私は自分の翠緑色の剣に魔力とギフトの『風』を纏わせ、剣の強度が補強してから彼女の黒い大剣を受け止めた。


「……っ!」


 ノクスは私の『風』を見て一瞬だけ顔を顰めたが、結局は私の工夫ごと押しつぶす事に決めたようだ。

 黒い大剣を強引に押し込め、纏わせた『風』ごと私の剣を叩き斬ろうとしている。


「……この!」


 だが、ノクスの黒い大剣は私までもう少しという所で『風』によって軌道を逸らされ、やはり勢いよく地面へと激突する。

 ここまではヴェノム達がいた場所から離れる前の攻防と同じだ。だが、膨大な魔力を籠めた渾身の一撃だったせいで、ノクスはすぐに剣を構え直す事が出来ずにいる。私の目の前に無防備な背中を晒してしまっていて、隙だらだけだ。


 しかし、私はそのノクスの隙を突く事が出来なかった。


「────な!?」


 軌道を逸したノクスの黒い大剣が地面に激突した瞬間、籠められていた魔力を爆発させてしまったからだ。


「くっ……!」


 私は咄嗟に魔力障壁バリアを展開して爆発から身を守った──が、爆風は私の体を魔力障壁バリアごと遠くへと吹き飛ばしてしまった。


「なんて、デタラメ……!」


 まさか直撃を避けても、あれほどの威力があるなんて……!


 私は吹き飛ばされた衝撃を『風』のギフトで和らげ、なんとか地面に着地した。

 爆発が起こった場所に目を向けると、そこに出来ていた直径十メートル程のクレーター出来ていた。

 まるでミサイルか何かがここに落ちてきたのかと、そう錯覚してしまいそうになる程の破壊力だ。

 もし直撃していれば、私の概念体は叩き斬られるどころか、跡形もなく消し飛んでいたのは想像に難くない。


 危険すぎる……! ノクスの凄まじい破壊の跡に戦慄した私は、一旦距離を取る事に決め、『風』を発生させて自分の体を浮遊させた。


「逃がさない!」

「また……!」


 だが、距離を取ろうとしている私を、ノクスが再び膨大な魔力を黒い大剣に込めながら、凄まじい追ってくる。きっと私を倒すまで、何度でも私を追い回してくるつもりだ。

 このままではまた同じことの繰り返し──いや、戦闘が長引けば、魔力量で私を大きく上回るノクスの方に分がある。

 召喚したデーモンを呼び寄せて私の援護をさせたいが、『風』が運んできた音から察するにそれも難しい。デーモンはノクスの魔獣達の相手をするので精一杯だ。


 このままではまずい──けど、いまの状況を打開する術が今は思いつかない。

 私はノクスに『風』をぶつけながら、後退して距離を取り続ける。けれど、やはり逃げ切れない。

 飛んでいる私よりも、魔力をジェットエンジンのように噴射しながら迫ってくるノクスの方が圧倒的に速い!


「…………っ! ぁ……!」


 私の息が疲労で乱れ始めている。

 バレットにステラ、そして今はノクス──ホテルから連戦が続いているせいだ。

 精神的な疲労は魔力の不足にも繋がる。このまま戦いが続けば、先に魔力が尽きるのは私の方だ。

  

「あっちの戦いは……」


 私はほんの一瞬、ヴェノムがクローラとバレットを倒し、こちらに合流してくれる事を思わず期待してしまった。

 けど、すぐにその可能性はほぼない事に気づく。人質がいるとはいえ、クローラとバレットはヴェノムが一人で簡単に勝てる相手ではないからだ。

  

 私はそんな淡い期待を振り払い、再びノクスとの戦いに集中しようとする。


 だが、


「どこを見ているの?」

「────っ!?」


 ……しまった!

 私がヴェノム達の様子を気にした一瞬の間に、いつの間にかノクスが距離を詰めてきていた!

 そして、ノクスは再び黒い大剣を振りかぶり、それを私に勢いよく叩きつけてくる──もう避けるのは間に合わない!

 

 私は慌てて『風』を纏わせたままの翠緑の剣を構えて、ノクスの黒い大剣を受け止めた。


「ぁ……ぐっ!」


 そして、重い衝撃が剣を通じて私を襲った。

 さっきと同じように剣には『風』を纏わせているはずなのに……ノクスの黒い大剣の軌道を上手く逸らす事ができない。私とノクスの剣は鍔迫り合いの形になったまま動かない。

 私の反応が遅れて、しかもノクスの魔力が怒りによってさらに増大しているせいだ。


 もう風を纏った程度では軌道逸らせないほどに、いまのノクスの黒い大剣の魔力は膨大で、重い!


「……潰れろ!」

「ぐぅ……ああぁ!!」  


 私の足元の地面がひび割れて陥没していく。

 このままだと私は、本当に受け止めている剣ごと、ノクスの黒い大剣と地面の間に押しつぶされてしまいそうだ。

 陥没した地面はクレーターのようになっていて、地面のヒビがメキメキと音を立てて広がっていく。

 まるで地殻変動か何かでも起きているかのような異様な音だ。


 その音を聞いた森の動物達が我先にとどこかへと逃げ去っている音を、私の『風』のギフトが拾っている。


「……っ! が、あああ!!」


 苦しい! ……出来る事なら、私も周囲の動物達のように逃げ出してしまいたい。


 けど、それは出来ない。おそらく私が逃げ出せば、ノクスは逃げる私を放置して、魔獣『バティン』の能力でクローラ達の元に一瞬で移動してしまうに違いない。

 もしそんな事になれば、ヴェノムはノクスとクローラ、バレットの三人の相手にする事になってしまい、確実に負ける。

 いや、負けるだけならまだいい。それよりも……事のほうが危険だ!


 やはり、ここでノクスを足止めして時間を稼がないと──結局、今の私には先程の攻防を繰り返すしか手は残っていなかった。

 たとえこのままでは勝ち目がないと分かっていても……。

 

「……ぐっ!」

 

 私は奥歯を噛み締めながら、必死にノクスの黒い大剣の圧に耐え続ける。

 このままノクスの黒い大剣に押しつぶされるのが先か、絶望に押しつぶされて心が折れるのが先か……。


「はああああ!!!」


 ノクスがダメ押しと言わんばかりに、さらに圧を強めてきた。

 その圧は凄まじく、私の翠緑の剣にはとうとうヒビが入り始めていて、もう今にも砕け散ってしまいそうだ。


「あ────」


 そして、とうとう限界は訪れた。

 私の翠緑の剣がガラスのように砕け散ってしまった。ノクスの黒い大剣は、そのまま止まることなく私の顔に向かって振り下ろされていく。


 ────やられる!

 

 私の脳裏に、一秒先の未来──自分の体がノクスの黒い大剣に粉々に吹き飛ばされる姿が浮かんだ。

 私は無駄だと分かっているのに、両腕を交差させて顔を守り、思わず瞼を固く閉じてしまった。

 ああ、もうこれで私は……。 


「────え?」


 だが、私の体はそれから数秒が経過しても粉々になる事はなかった。

 なんだ……何が起こった? 恐る恐る目を開けると、剣は私に触れる寸前にピタリと止まっていた。


「…………」


 ノクスは目の前の私には目もくれず、私の背後──ヴェノム達がいる方角を見て目を見開いて驚いている。

 一体、ノクスが何に驚いているのかは不明だが、これは好機だ。


 私は折れた剣に纏わせていた『風』を開放し、をれをノクスにぶつけた。


「……うっ!」


 完全に不意を突かれたノクスは、私の風にあっけなく吹き飛ばれていく。


「くっ……シルフィ!」


 私の風に吹き飛ばされたノクスは、十五メートルほど離れた位置でようやく着地した。

 ノクスは私を睨みながらも、やはり私の背後を気にするような素振りを見せている。


 私の背後──その方向はヴェノム達がいる。


「……まさか!」


 ヴェノムかステラ達に何かあったのか!?

 その考えに思い至った私は、ようやくある違和感に気づいた。

 暗い夜の森が、いつの間にか少し明るくなっている──それもやはりヴェノム達がいる方角で!


「ヴェノム!」


 私は目の前に敵であるノクスがいる事も構わず、慌てて背後を振り返った。


「あの光……!」


 ヴェノム達がいる方角──そこでは何かが激しく発光していた。

 あの光……あれには見覚えがある。あれはの光だ!


 でも、どうして? なぜ、世界卵の欠片がヴェノム達のいる場所で光っている!?

 まさか、ステラの持つ世界卵の欠片のカードが覚醒したのか!?

 いや、|の《・────


 と、その時──光の正体について考えいてた私は突然、ノクスの方から膨大な魔力を感じとった。


「な!? ノクス!?」


 私が再び振り返ると、 いつの間にかノクスが魔獣カード『バティン』の空間移動の能力を開放していた。

 ノクスは私を放置して、先にクローラ達の元へと戻るつもりだ!


「……シルフィ。あなたは後で必ず潰す」


 ノクスが捨て台詞を吐きながら、バティンの能力によって作り出された『孔』の中へと足を踏み入れていく。

 まずい……今ここでノクスをヴェノム達の元に行かせたら、ここで足止めをしていた意味がない!


「行かせない!」


 私は魔力で作り上げた『鎖』を作り上げ、それを孔の中に入ろうとしているノクスに投げ放った。


「なっ!?」


 背後から鎖に引っ張られて驚くノクス。

 鎖はノクスの左手首にガッチリと絡みつき、動きを止める事に成功した。

 私はノクスを行かせないために、鎖を固く握りしてめて、自分の手元に引き寄せる。


「この……! 今はあなたを相手にしている暇は……無い!」


 だが、ノクスはそんな妨害を物ともせず、逆に鎖を私ごと引きずりながら孔の中に飛び込んでしまった。ノクスを飲み込みんだ孔は、徐々に小さくなって消えていく。


「くっ! 逃がすか!」


 私はノクスに引っ張られた勢いを利用し、風で加速した。

 そして、そのまま孔に中に飛び込んだ。私が孔を通れたのはおそらく鎖がノクスと繋がっていたおかげだ。そうでなければ、異物である私は孔を通る事が出来ずなかったはず。


 私はノクスに便乗する形でヴェノム達の元へと戻る事に成功した。


「これは、一体……?」


 孔を通り抜けると、そこには人質の優愛ちゃんを抱えてうずくまるヴェノムと、宙に浮く光の卵──世界卵の欠片の前で立ち尽くすクローラ達、それに座り込んでいる泣いている血まみれになった凛々花ちゃんの姿があった。


 滅茶苦茶だ……一体、何があったんだ!?


「凛々花!? その血……怪我をしたの!?」


 先に移動していたノクスは凛々花ちゃんに駆け寄り、しゃがみこんで呼びかけていた。

 だが、返事はない。凛々花ちゃんは肩を震わせ、しゃくりあげながら泣いていている。


「大丈夫だ……その血はそいつのじゃない……」


 凛々花ちゃんに怪我が無いかを確認しているノクスに、バレットが言う。

 凛々花ちゃんの血ではない──では、一体誰の?


「まさか……!?」

 

 凛々花ちゃんの全身を汚している血と、何故かこの場にいないステラ。

 あの血がステラのものだとしたら──その事に思い至った瞬間、私の全身から血の気がさあっと引いていく感覚がした。

   

「一体、何があったの!? どうして世界卵の欠片が!? ……ステラはどこ!?」


 きっと、私と同じような事を考えていたのだろう。

 ノクスが今にも泣き出しそうな顔でバレットの肩をつかみ、激しく前後に揺らしている。


「せん……ぱい、は……」

「クローラ!? どうなったの!? ステラは!?」


 今度はクローラに激しく詰め寄るノクス。

 クローラは虚ろな表情で卵を見つめながら、今の状況をポツポツと語り始めた。


「先輩が……ヴェノムの針に刺されて、それで────あぁ……!」

「刺された!? 」


 凛々花ちゃんが浴びている血を見て予想はしていたものの、それでも私はクローラの言葉に驚いて耳を疑った。

 だって、私とヴェノムの任務は『ステラを生きたまま連れ帰る事』だったはず。

 それなのに……ヴェノムがステラを刺した!? 一体、どうして!?


「刺された!? それで、ステラはどうなったの!? 今、どこにいるの!? クローラ!……巴! ちゃんと答えて!」


 ノクスがクローラに詰め寄って、バレットの時と同じように激しく肩を揺らして続きを話すように促している。

 私も詳しい状況を聞きたい。だけど、クローラは話の途中で泣き出してしまい、それきり何も喋れなくなってしまった。

 こんなに弱りきったクローラは初めて見た……普段の飄々とした態度はもはや見る影もない。


「ねえってば!」


 切羽詰まったノクスは、尚もクローラを問い詰める。


「あの卵だ……」

「────え?」


 喋れないクローラの代わりに、バレットがポツリと何かを語り始めた。


「……どういうこと?」


 ノクスはクローラの肩から手を離し、バレットの方へと振り返って聞き返した。


「そのままの意味だ。ヴェノムに刺されて瀕死の重傷を負ったステラ──沙希の体から突然、あの光る卵が出てきて、あいつはその中に吸い込まれちまったんだよ……」


 バレットの説明を聞いても、全然意味がわからない……それどころか、余計に混乱してきた。

 カードというのが、天使を倒した後に残った卵を封印したもので、光る卵というのが世界卵の欠片の事を言っているのは分かる。

 けど、その世界卵の欠片の中にステラが吸い込まれた?

 なんだそれは……世界卵の欠片のそんな現象は、カラザはもちろん、あの博士からも聞いたことがない。


「はあ!? 何を言ってるの!? わけがわからない……卵って、世界卵の欠片の事!? その世界卵の欠片にステラが吸い込まれた!? 瀕死の重傷!? ……なんでそんな事になったの!?」

「知るか! こっちだって説明してほしいぐらいだよ!」


 孔を通って一緒にやってきた私には誰も目もくれず、ノクスとバレットは言い争いを続けている。


 ……とりあえず、今のうちに状況を整理してみよう。


 まず、ステラの事だけど……瀕死の重症を負ったというのが本当なら、ステラはもう助からない。

 ヴェノムの毒は魔法少女にも有効で、私が知る限りでは治す術はない。

 だけど、世界卵の欠片に吸い込まれたのなら、ステラはあの中でまだ生きている可能性もある。

 それなら今のうちにあの卵を回収するべきか? 全員が混乱している今なら、不意を付けば卵を回収して逃げる事も出来るかもしれない。


 ……私一人だけだったなら。


「ヴェノム……」


 いま考えた事は全て、私一人だけで逃げるなら可能かもしれないという話だ。

 正気を失ったまま、今も頭をガリガリとかかき続けているヴェノムを放置して……。


 けど、それは出来ない。──ヴェノムを放っておいていくなんて選択肢は絶対にありえない!

 ヴェノムがあの状態という事は、おそらく、ステラを刺した事で任務が失敗したと思って取り乱しているかのどちらか、あるいは両方だ。

 実際、あの状態のステラを──世界卵の欠片を持ち帰った所で、任務は成功とみなされるかどうかも分からない。


 もし、失敗だとみなされたら……私はどうなってもいい。けど、あの薬が無いと生きていけないヴェノムは────




「おやおや、これはまた随分と混迷した状況だなぁ……」



 突然、なんの前触れもなく……誰かの声がした。

 この……聞き終え覚えのある、不愉快な声は────


「やあ!」



 声の方を振り向くと、そこには私にステラを捕まえるように指示を出した、あの博士が姿があった。

 私の『風』の探知にも引っかかる事なく、本当に突然、博士はこの場に出現していた。


「はか……せ……?」


 なんで……ここに博士が?

 そもそも、どうやっていきなりここに?


 博士は私が嫌いなあの不愉快な笑みを浮かべながら、興味深そうに周囲を見渡している。


「────ッ!? 誰だテメエ!」


 突然現れた博士に銃口を向けるバレット。

 ノクスはその横で、心底驚いた表情で博士を見つめて、固まっている。


「うわ、怖いなぁ~……カッツェ」

「はいニャ」


 わざとらしく怯えた仕草をする博士の前に、猫耳をつけた少女──おそらくは魔法少女がまた音もなく現れた。

 こいつもまた、『風』の探知に引っかからなかった。だとすると、突然現れたのはあの魔法少女のギフトによるものなのか?


 カッツェと呼ばれた魔法少女は、博士に銃口を向けるバレットの前に立ちふさがり、ふざけた調子で「シャー!」と口で言いながら臨戦態勢の猫のような仕草を取り始めた。


「テメ……どっこから──」

「ニャ!」


 そのふざけた態度に苛立ったバレットが銃の引き金を引こうとした瞬間、カッツェは目にも留まらぬ速さで移動た。

 そして、猫のような手(といってもチャチな手袋のようなもの)でバレットの銃をはたき落とした。


には指一本触れさせないニャ!」

「パパ!?」


 叫んだのはノクスだ。

 目を大きく見開いていて、より一層驚いた表情をしている。


「くっ……! この、ふざけ────」


 一方、銃をはたき落とされたバレットは、こめかみをピクピクと震わせがら、もう一方の銃を博士へと向けようとしている。


「はいストップ~。まずは話をしよう」


 そんなバレットを、博士は手をパンパンと叩きながら諌めた。

 さも好まない平和主義者です、とでも言いだしそうな博士の済ました顔は、普段なら私をまた少しイラつかせたかもしれない。


「は、博士……これは、その……」


  だが、今の私は怒りよりも恐怖が上回り、声が震えた。


 眼の前でヘラヘラとしている男は、『天使』と『魔獣』をなるべく大勢の人を巻き込んで使えと指示した男だ。

 自分の研究のためなら人の命をなんとも思わない、そういう人間だ。

 だから、この状況を見て私とヴェノムが任務を失敗したたと判断したら、博士はいつものふざけた調子のまま、私達をカラザから切り捨てるかもしれない。

 そうなれば私は逃げ切れても、────


「あ、あの……その……」


 駄目だ……正直に報告をすれば、ヴェノムはどうなるか分からない!


 私は恐怖で何も言えず、しどろもどろになってしまった。

 膝も震えていて、胃酸が逆流してきそうな気持ち悪さまで感じる。


 博士はそんな私を見て少し微笑むと、


「まあまあ、風歌君。落ち着きなよ~。リラックスして? そんなに怯えなくても君達を処分したりなんてしないよ~。いや、ヴェノムを……かな?」


 そう安心させるような事を言って、私の肩をぽんぽんと叩いた。

 だけど、ちっとも気持ちは落ち着かない……次の瞬間には気分が変わり「やっぱり処分しよう」と言い出しかねないのが目の前の男だ。


「は、い……」


 だからと言って私が怯えたままでも、博士の機嫌を損ねかねない。

 私は言われた通りに落ち着くため、深呼吸をして落ちついた素振りを見せようと努力をした。


「おい、テメエら一体、何の話を……」

「ああ、バレット君……だっけ? ごめん、ごめん。そうそう話をしに来たんだよ~。その卵──ステラ君の話と、それと……」


 話をしながら、博士はノクスへと視線を向けた。


「あとはマジカル・ノクス……って名乗っているあの子。美月の顔を見に来たんだよ。やあ、久しぶりだね~。元気だったかな? 美月」


 博士は親しげな様子でノクスに手を振り、彼女の本名を口にした。

 話しかけられたノクスの方はまだ目を見開いたままだ。それから、しばらくの間、パクパクと口を開け締めした後────


「どうして……ここにいるの? パパ!?」


 を「パパ」と呼んだ。

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