第五十二話 再会する魔法少女

 魔法少女の体は概念体であって、怪我をしても生身の体のように血を流す事はない──そのはずなのに、


「うっ……ぇっ……!」


 ヴェノムの毒針に刺された私は、どういうわけか口から血を大量に吐き出してしまっていた。


 針は私の背中に深く突き刺さっていて、傷口から毒が流し込まれているのを感じる。

 そのせいか刺された背中はもちろん、頭も割れるように痛い。


《ステラ!! あぁ……そんな!》

「ひっ……いや、いやぁ……!」


 吐血した私を見たヒカリとローズが悲鳴を上げている。


 ああ……きっと、刺された今の私はかなり酷い状態なのだろう。

 血も思ったより出てしまっていて、私が覆いかぶさっていたローズの顔も真っ赤になってしまっている。

 自分では見えないけれど、傷口から大量の魔力が光の粒子となって流れ出ていくのも感じる。

 

「うっ……」


 だけど、傷と魔力の流出はともかく……血?

 概念体は血なんて流さないはずなのに? 血が出たのはヴェノムの『毒』のギフトが関係している……のか?

 本当のところはわからない。分かるのは、このままだと私は毒のダメージと背中の傷口から大量の魔力を失っているせいで、もうすぐ変身が解けてしまうという事だけだ。

 

 そして変身が解ければ、私はこの毒の煙の中に生身のまま放り出されてしまう。


「なっ……馬鹿な! 貴様、何をしている!?」


 血を流す私を見たヴェノムは、ローズ達以上に動揺していた。

 私を生きたまま連れて帰りたいヴェノムにとっても、避けたい事態だったのだろう。

 ヴェノムは慌てて自分の尻尾を引っ張り、私の背中から強引に毒針を引き抜いた。


「……ぐぅ!」


 針を荒っぽく引き抜かれたせいで、私の背中にまた鋭い痛みが走った。

 同時に、針が抜けた事で毒の注入も止まる。

 けれど、強引に針が引き抜かれたせいで、私の背中の傷口から流れ出ていた光の粒子の勢いがさらに増してしまった。


 もう時間がない──大量に魔力を失ったせいで概念体も光の粒子に包まれ始めていて、私は今にも生身の姿に戻ってしまいそうだ。


「くそ!」

 

 ヴェノムは悪態をつきながら、今度は私の周りから煙を操作して遠ざけた。

 まだ周囲を壁のように煙は覆っていてはいるけれど、これでもう私もローズも毒の煙を吸い込む事はない。


「……ぁ」


 そして……とうとう限界が訪れた。

 概念体は光の粒子となって消滅し、私の体は元の沙希の姿に戻ってしまった。


「────うっ……あ、あぁ……」


 直後──私の体にどっと精神的な疲労が押し寄せてきて、まるで全身に鉛か何かを乗せれているような怠さを感じた。


 この疲労は概念体でのダメージが生身の体に精神的な疲労として変換されたもので、概念体のダメージが酷いほど、変身が解けた時の疲労は大きくなる。

 いくら沙希の姿が概念体とはいえ、この体が生身の体を模倣している以上、この法則からは逃れられなかった。


「うっ……がはっ……! ごほっ!」


 しかも、もう変身は解けたはずのに……なぜか毒の影響が抜けていない。


 咳も吐き気も止まっていないし、頭も割れるように痛くて体も怠い。

 手足も痺れて上手く動かせず、私はその場に膝をついてしまった。


 そして……

 

「ごほっ……ごほっ……うっ……ぇ!」


「沙希さん」

《ああ、勇輝!》


 激しい咳と共に、私の口からまた血が大量に流れ出てしまった。


《どうして……どうして血が!? 変身が解けたのに! なんで毒の影響が残ってるの!?》

 

 ヒカリが私の血を見て困惑しているけど、本当に一体どうしてなんだろう?

 さっきの痺れといい、変身が解けたのにまだ毒の影響が続いているのか?


「ちが……こんな、これでは……。任務が……あぁ……ああああ!!」


「ヴェノム……?」


 なんだ? ヴェノムの様子がおかしい。


 吐血した私を見たヴェノムが異常なほど取り乱している。

 優愛ちゃんを左手で抱えたままぶつぶつと何かを呟いていて、空いた右手で頭を血が出るほど掻きむしっている。

 なにか取り返しのつかない事をして焦っているようにも見える。


「ああ……」


 そういうことか──ヴェノムの異常な様子を見て、私はようやく自分の体に何が起こっているのかを悟った。




『死ね────』




 あの時──ヴェノムがローズを攻撃する時に言っていた言葉は、変身解除させた後に殺すという意味ではなかったんだ。


 この毒は多分、敵がなんだ。


 きっと、ヴェノムはこの毒を針から注入してローズを殺すつもりだったんだ。

 けど、私がローズの代わりに毒針に刺されてしまい、カラザの命令で生きたまま捕らえなければならなかった私がこのままだと毒で死んでしまうから、ヴェノムは今あんなに取り乱しているんだ。


 という事はつまり……


 けど────


「くっ……まだだ……!」


 そうだ、まだ死ぬわけにはいかない!


 私は痺れる体をまた無理矢理魔力で動かし、なんとか立ち上がった。

 そのせいで痛みはさらに酷くなるけれど、それはどうでもいい事だ。


 ……もうすぐどうせ死ぬのだから。


「さ、沙希さん……アタシ、アタシ……」


 それに私の眼の前には今、同じように痺れて動けないローズがいる。

 毒と恐怖のせいでローズの顔は涙に濡れていて、声も震えている。


 この子を……ローズをここから連れ出すまでは、体が痛いなんて泣き言を言ってる暇はない。

 

「……ローズ」


 私が名前を呼ぶとローズはビクッと体を震わせながら、恐る恐る顔を上げた。

 ああ、そうか。自分のせいで刺されたと思っているから、怒られるとでも思っているのか。


「大丈夫……だよ。君だけは絶対……ここから助け出すから……」


 私は痛みをこらえ、ローズを安心させるために笑顔を作ってみせながらそう言った。

 これで少しはローズの恐怖も和らぐはず──そう思っていたのだが……。


「────え?」


 その声は──私とローズ、どちらが出したものだったのだろう。

 なぜか酷く怯えた顔をしているローズか、そんな顔をされるとは思ってもいなくて驚いた私の声だったのか。


《勇輝……君は……》


 どうしてか、ヒカリも私に対して驚いていて、しかも少し悲しんでいるのが念話を通して伝わってくる。

 けれど、なんで? ローズは何に怯えている? ヒカリはなんでと悲しそうにしているんだ?

 私は二人の視線に耐えきれず、逃げるようにヴェノムへと視線を戻す。


「─────ぃだ……失敗だ、失敗だ、失敗だ、失敗だ」


 幸い、ヴェノムは未だに動揺したままで、私とローズには注意を向けていない。

 まだブツブツと呟きながら、頭を掻きむしり続けている。


 もちろん、人質の優愛ちゃんを抱えたまま────


「優愛……ちゃん……」


 優愛ちゃんの事ももちろん放っておけない。けど、私の限界も近い。

 悔しいけど、今はローズだけでも無事にここから連れ出す事を優先するしかない。

 まだ毒のせいで私もローズもまともに動けないけど、ここから脱出するだけならやりようはいくらでもある。


 ────動けないのなら、外にいるクローラと白い外套の魔法少女に連れ出してもらえばいい。

 もちろん、二人には煙の外にいてもらったまま。


「────ッ!」


 私は奥歯を噛み締めて頭痛を堪えながら、意識を魔宝石オーヴァム・ストーンに集中する。

 イメージするのは、いつも魔獣を捕縛する時に使っている『鎖』だ。

 いつもより少しだけ時間が掛かったが、鎖は私の魔力ですぐに実体化した。


「……鎖よ!」


 私は実体化した鎖を握りしめた。

 そして、また頭痛を堪えながら魔力で筋力を強化して、煙の外に向かって思い切り投げ飛ばした。

 鎖は煙を突き破りながら勢いよく飛んでいき、すぐに軽い振動を私の手に返してきた。

 私の狙い通り、鎖はクローラ達がいる外の地面に突き刺さってくれたみたいだ。


 あとはこれを外の二人が引っ張ってくれるのを待つだけだ。


《この鎖──わかりました! 先輩!》


 さすが、クローラ──私が何も言わずとも、鎖の意図をすぐに理解してくれたみたいだ。

 クローラが念話で私に返事をした後、すぐに鎖がジャラジャラと音を立てて煙の外へと引っ張られていく。

 きっと、白い外套の魔法少女と二人で鎖を外から引っ張ってくれているんだ。


「よし……」


 後はこの鎖に掴まって二人で脱出するだけだ。

 私は鎖を右手でぎゅっと握りしめ、ローズを左腕で抱きかかえた。


「沙希さん! また血が……!」

「大丈夫……だから! しっかり掴まってて!」


 もうあまり時間がない……目も霞んできた。

 口からはローズの言う通り血が流れ続けているけど、あともう少しだけ持ってくれればそれでいい。


「先輩!」

「ローズ!」


 そして、私とローズはしがみついた鎖ごと一気に引きずられ、煙の外に脱出する事に成功した。 

 私とローズは文字通り煙の中から飛び出したが、クローラと白い外套の魔法少女が外で待ち構えてくれていた。


 クローラが私を、白い外套の魔法少女がローズを受け止めてくれた。


「先輩!? 大丈夫ですか!? 先輩!」


 よかった──これでローズは助かった。

 優愛ちゃんの事もきっと二人が……。


「先輩!? 血が──先輩!」


 安心したせいだろうか……体の力が抜けて、意識も遠のいていく────


「やだ、やだやだ……先輩! しっかりして! 先輩!」

「おい、ヤバイぞこれ……血が出てるぞ! 早く魔力で治さねえと!」

「やってますよ! けど、ヴェノムの毒は私じゃどうにも出来ない! 魔力を送って毒の進行を遅らせるのが精一杯で────」


 クローラと白い外套の魔法少女が怒鳴り合っている声が聞こえる──けど、それが遠い。

 とても近くにいるはずなのに、私の手を握っているクローラの感覚さえも少しずつ遠くへと消えていく。


 ああ、ひどく眠い──……


《勇輝! 寝たら駄目だよ!目を覚まして!》


 ヒカリが私の意識を繋ぎ止めようと、必死に呼びかけてくれている。

 けど、やっぱりもう駄目みたいだ……瞼も重くなって、眼の前の景色が徐々に色を失っていくのを感じる。


 暗くて──静かな闇が私に迫ってきている。


《先輩! 先輩! 起きてくださいよ先輩!》


 自分の声が届いてないと気づいたクローラが、今度は念話を使って直接私の頭の中に呼びかけてきた。

 クローラの声にはいつもの飄々とした雰囲気はなくて、とても辛そうで、苦しそうで……悲しんでくれているように聞こえた。


 こんな悲しそうなクローラの声を聞いたのは……そう、あの夜の遊園地の時以来だ。


《先輩……先輩……》


 ぽたぽたと、何かが私の頬に零れ落ちてきた。これは多分……クローラの涙だ。


 クローラが──巴が……傷ついたを見て、泣いている。

 もう二度と、巴にはこんな顔をさせたくはなかったのに……。


《お母さんの話を聞かせてくれるんでしょ! それに私の話も聞いてくださいよ! だから、起きてよ! 先輩!》


 ああ、そうだ──たしか、巴とそんな約束をしていたんだった。

 でも、もうその約束は守れそうにない……巴とヒカリの念話の声も、いよいよ聞こえなくなってきた。


 念話で約束を破った事を巴に謝りたいのに……もう頭の中で返事をする事すら出来そうにない。




『────先輩、笑ってました! 先輩は本当は一人で戦って、みんなを守って死にたいんでしょう!? 』




 視界が完全に闇に覆われる寸前、俺はあの夜の遊園地で巴に言われた言葉を思い出した。

 きっと、泣いている巴の声を聞いたせいだ。

 あの日の巴の叫ぶような声が、俺の頭の中に反響して響いている。


 俺が死にたがっている──たしかに巴の言う通りなのかもしれない……。

 実際、こうして死にかけている今もあまり怖いと感じていない。


 ただ、巴を最後に悲しませてしまった事だけは心残りかもしれない。

 それぐらいしか未練がない。



『先輩……あなたがそんなにも自分を追い詰めるのは……亡くなった前のお母さんの事が関係しているんですか?』



 自分を追い詰めている──というのも正直よく分からない。

 けれど、俺が戦う動機に母さんが関係しているかといえば、多分そうなのだろう。


 そう……きっと俺は償いがしたかったんだ……。


 母さんと、そして助けられなかった人達の命に償うために、俺は今まで戦ってきたのかもしれない。

 誰かを助けて、救って、守って……あの日、見上げた星の輝きに手が届くように俺は────


 



 ああ、時間切れだ……。

 とうとう俺の意識は完全に闇の中に溶けて────……







 ────その直前、何かが目の前で光り輝き始めた。




 視界は相変わらず闇に覆われていて、音も聞こえてこない。

 ただ光る何かだけが、目の前にふわふわと浮いている。


 ────なんだ……何が光っているんだ?


 俺は目を凝らして光を見つめてみる。

 するとその光の正体は天使の『卵』を封印した、あのカードだった。

 あの卵のカードがなぜか俺の目の前で光り輝いている。


「なんであのカードが……っ!?」


 俺は自分が出せた声に驚いて、はっと息を呑んだ。


 どういう事だ……なんで今、俺は頭の中で考えている事を


 闇の中といっても、それは毒に侵されて俺の目の前が真っ暗になっているだけなはず。

 それなのに今、目の前には本当に何も無い空間──闇が広がっている。


「……俺はどうなったんだ?」


 もしかしてここはあの世なのか?

 天国か地獄……そのどっちかが本当にあって、俺はそこに来てしまったのか?


 そんな事を考えながら辺りをもう一度見渡してみる。けど、やっぱり何もない。

 あるのは何もない空間と闇だけだ。


 本当にどうなってしまったんだ……俺は……。


「うっ……!」


 まただ──突然、卵のカードの輝きが激しくなり始めた。

 輝きは闇を消し飛ばし、俺の視界を真っ白にするほどに眩しくなっていく。


 何なんだ一体──この空間も、卵も、突然の光も、なにもかもわけがわからない……。

 卵のカードの輝きは周囲の闇ごと俺を飲み込んでいき──そして、また突然パッと消えてしまった。



「……収まった?」


 瞼越しに光が弱まったのを感じて、俺はおそるおそる目を見開いた。


「え……?」


 すると、そこには信じられない光景が広がっていた。


「これって……あの日の?」


 俺はいつの間にか廃墟に────の瓦礫の上に立っていた。

 夜空を見上げるとそこには星が輝いている──に見たあの日の夜空と星々と全く同じだ。

 

「これは走馬灯のようなもの……なのか?」


 いや……それにしたってリアルすぎる。


 俺は困惑しながら、地面を何回か踏みしめてみる。

 やっぱり本物だ──ヒビ割れたアスファルトの感触も、何かがパチパチと燃えている音と匂いも


 そして、さえも。

 そういった空気感までもが、完全にあの日の渋谷そのものだった。


 とてもただの幻覚とか走馬灯とは思えないほどの現実感がここにはある。

 

「まるで、本当にあの日に戻って……あ!」


 周りの景色に驚いてた俺──いや、は、自分の出した声がとても高くなっている事に今更気づいて驚いた。

 しかも、変わっていたのは声だけじゃない。

 目線だ──僕の目線が声とは逆にとても低くなってしまっている。


 これは……まさか、僕自身も子供に戻ってしまっている?


「でも、なんで……?」


 これもヴェノムの毒のせいなのか?

 あの毒が精神攻撃のような影響を僕に与えていているとか?


 ……駄目だ、考えても分からない。

 こういう時、巴がいてくれればこの状況も『情報』のギフトで詳しく調べてくれたかもしれない。


 けど、残念ながらここにいるのは僕一人だけだ。


「ヒカリ……」


 呼びかけてみたが、返事はなかった。

 どんな状況でも魔法少女と常に一緒にいるはずの、妖精のヒカリでさえここにはいない。

 その事を自覚した途端、僕はとてつもない孤独感に襲われた。

 今まで色んな魔獣と戦ってきたけど、ヒカリすらいないなんて状況は初めてだからだ。

 

「あの……誰か!」


 僕はとても心細くなり、オロオロと周囲を見渡しながら叫んでみるけど、やっぱり返事はない。

 当然だ。ここがあの日の渋谷を完全に再現した空間だとしたら、生きている人間なんているはずがない。

 

「誰か……誰か、いませんか!」


 それでも僕が声を張り上げ、誰か応えてくれる人を探した。

 何度も、何度も──声が枯れるまで叫びながら、僕は探し続けた。


 だけど……いくら探しても、声を張り上げても、誰からも返事はなかった。


 なんで、どうして……絶望した僕はとうとう立ち止まり、


「あ、あぁ────」


 そして、気がついてしまった────


 僕の周りには、返事をする事が出来なくなってしまった人であったなにか──あるいはその一部だけが散らばっている事に。


 きっと僕がいま立っている地面──瓦礫の下にもそれがある。


 ここにはもう──僕が以外、生きている人はいない。

 

「……うっ」


 死んでしまった人達には申し訳ないけれど、死体を見て僕はとても気持ちが悪くなってしまった。


「……げぇ!」


 胸にこみ上げてきたものを抑えきれず、僕は口から勢いよく吐瀉物をぶちまけて地面を汚してしまった。


 そして──吐き気の次は、恐怖が襲ってきた。

 顔や手が無い死体もあるというのに、彼らが僕を責め立てているような妄想が頭をよぎる。


「う、あぁ……!」




 ────どうしてお前だけが生きている……許せない。




 足元の死体がそう訴えかけているような気がして、僕は……


「……あ、ああああぁ!!」


 情けなく悲鳴を上げて、泣きながら全速力で逃げ出した。


 気持ち悪くて、怖くて──僕は一秒でも早くここからいなくなりたくて……。

 僕は周りの死体から目を逸らしなながら必死に瓦礫を踏みしめ、火の煙にむせながら力の限り走った。


「う、うぅ……! けほっ……けほっ」


 走りすぎて肺と喉がズキズキと痛む。

 疲労のせいで足をもつれさせてこけてしまい、膝から血も出てしまっている。

 だけど、それでも僕は立ち上がって走った。


「──ぁ! ……は、……っ!」


 だって……そうじゃないと、追いつかれる! 彼らの視線と声に!

 そんな強迫観念に囚われながら、僕は瓦礫に埋もれた渋谷の中を走り回る。


 走って、走って、走って、走り続けた。



「ひっ……!」


 けれど……どれだけ走っても、視線と声はどこからか僕を責め立てる。

 どこに逃げても、隠れても、目と耳を塞いでも逃げ出せない。

 死体はそこら中にあって、僕をどこにも逃してくれはくれない。


 ────ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!


 逃げても無駄だと悟った僕は蹲って目と耳を塞ぎながら、何度も何度も心の中で謝った。

 罪悪感とかそんなんじゃない。ただただ怖くて怖くて仕方なくて、僕は必死に謝り続けた。


 結局の所──これが僕の本性だ。


 ただ誰かに責められたくなくて謝り続けている──僕はそんな弱い人間だ。

 巴は僕が自分を追い詰めるのは、亡くなった母さんが関係しているのかと言った。

 そして、僕は自分があの日助からなかった人達の命に報いるために戦っているのだと思った。


 けど、それは違う。僕自身がもっともらしい言い訳を自分に言い聞かせていただけだ。


 僕が戦うのはそんな立派な理由からじゃない。

 魔法少女として戦っている間は、僕を責める声が聞こえないからだ。


 日和や父さん、それに。大地と茜、それに学校のみんな。

 誰といて、何をしていも、いつも僕は責められているような気がしていた。


 ────


 なぜかいつもそんな風に責められているような気がして、何をしていても心から笑えなかった。

 

 そんな気分が魔法少女をしている間だけは少し紛れた。

 魔獣から人々を救っていると自分がまるで立派な行いをしているような気がして、僕を責める声も段々聞こえなくなっていた。

 口ではヒカリに『魔法少女なんてなりたくなかった』みたいな事を言っていたけど、実際の所──僕は救われていた。


 今日みたいにみんなで海で遊んでいる時も、巴にからかわれながら一緒に過ごしている時もそうだ。

 魔法少女として戦い始めてから、僕はいつしか本当に心の底から笑う事が出来るようになっていた。

 僕は魔法少女として戦う事で、あの日の罪を──僕だけがズルをして助かってしまった事を許されているような気がしていたからだ。


「あ、ああ……」


 だけど、違った……僕はあの日の記憶に蓋をしていただけで、僕は許されてなんかいなかった!


 僕の中身は三年前から全く変わっていない。ズルくて臆病な、弱い人間なままだ。

 だから僕は許されないし、僕を責める声が止む事はない。



 ああ、けど──それでも……それでも僕はこの声から逃げ出したい。

 



 そして、出来るならもう一度あの声を────




「勇輝……」





 突然、どこからか僕の名前を呼ぶ……優しい女性の声が聞こえてきた。




「────え?」


 それは……もう二度と本人からは聞くことが出来ないと思っていた、もう一度聞きたいと思っていたあの懐かしい声だ。

 その声を聞いた瞬間──僕はどうしてあの日の渋谷に戻っているのかとか、どうして子供に戻ってしまっているのかとか、そんな疑問は全てどこかへと飛んでいってしまった。


 ただ嬉しくて、悲しくて、懐かしくて──涙が溢れて止まらない。




「母さん……?」




 僕は涙を拭い、声が聞こえた方に振り向いて……呼びかけた。

 そして、やっぱりそこには僕の予想通り、三年前に亡くなったはずの母さんが立っていた。

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