第三十八話 着替える魔法少女

《もう充分謝っただろ……いい加減、機嫌を直してよヒカリ……》

《知らな~い。もう勇輝とは口聞かないもん》


 私が沙希のままトイレをし終えた後も、ヒカリの機嫌は悪いままだ。

 でも、しょうがないじゃないか……漏れそうだったんだし。

 文句はトイレで話しかけてきた美月に言って欲しいのだが、そんな言い訳はヒカリに通用しなかった。


 私はヒカリに念話でなじられながら、トボトボと女子トイレの出口へと向かう。 

 その途中、


「おい、アンタ」


 私は後ろから誰かに呼び止めらた。


「え?」


 振り向くとそこには、左側で纏めた長い金髪のサイドテールと青い瞳が印象的な少女が立っていた。

 年齢は私と同じぐらいだろうか? 外見からすると多分外国人だが、流暢で自然な日本語だったから声だけだと分からなかった。 


「ハンカチ落としてるぜ。ほら、このハンカチはアンタのだろ?」


 そう言って、少女が差し出してきたハンカチ受け取って確認すると、たしかに私のもので間違いなかった。

 どうやら手を拭いた後、いつのまにかハンカチを落としていたらしい。


「あ、ほんとだ…。拾ってくれて、ありがとうございます」

「いいって事よ。それじゃあな」


 私がお礼を言うと少女は微笑み、こちらに背を向けて立ち去っていった。

 そして、背を向けたまま片手を上げて、私に手を振っている。

 どことなく男っぽい仕草で、それがなぜか少女の雰囲気に合っていた。

 喋り方が男っぽい喋り方だろうか? なかなか様になっている。

 

「沙希ちゃーん! そろそろバスに戻るよー!」


 トイレの出口で立ち去っていく少女の後ろ姿を見ていた私に、風歌さんが呼び掛けた。

 みんなも風歌さんの近くに集まっていて、どうやら私以外はみんなサービスエリアでの買い物や手洗いなどは終えていたようだ。


「……はーい! いま、行きます!」


 なんとなく先ほどの少女のことが気になりつつも、私は返事をして風歌さん達に合流し、再びバスに乗り込んだ。




 ────そして、サービスエリアを出て一時間ほど経った頃。

 私達は風歌さんの叔父さんが経営しているというホテルにようやく到着した。


「うわぁ……すごく立派なホテルじゃないですか」


 私は到着したホテルを見上げながら、風歌さんにそう言った。


 正直、夏休みなのにお客さんがあんまり泊まっていないホテルだと聞いていたので、失礼ながら私はもっとボロボロのホテルを想像していた。

 だが、実際のホテルは一二階もある温泉付きで、ロビーの天井は吹き抜けでとても広々としていた。

 ビリヤードや卓球場、ゲームセンターなどの娯楽施設に大きなプールまで完備してあって、外の広い駐車場には何台も車が止まっている。

 ボロボロどころか、普通に泊まろうとするとかなり高くなりそうなとても立派なホテルだ。

 風歌さんが言っていたような、お客さんがあんまり泊まっていないホテルのようには全然見えない。


「ほ、ほんとに私達タダで泊まっちゃっていいんですか?」


 優愛ちゃんがかなり困惑気味に風歌さんにそう聞いているが、無理もない。

 私だって正直、困惑しているしタダでいいのかと思ってしまう。


「うーん、いいんじゃない? 叔父さんが大丈夫だって言ってたしー?」


 風歌さんは唇に手を当て、首を傾げながらそう答えた。

 あまり気にしていない様子だが、私達は滅茶苦茶気になる。

 もしかして風歌さんの叔父さんは、私達が遠慮しないようにお客さんがあんまりいないなんて言ってくれたのかな?

 真意はわからないけど、今更断るわけにもいかないし、ここは素直に風歌さんの叔父さんの好意に甘える事にしよう。


「それじゃあ、後でねー」


 私達はホテルのロビーで部屋の鍵を受け取り、エレベーターに乗って宿泊する部屋へと移動した。

 部屋はそれぞれ、私と巴、凛々花ちゃんと優愛ちゃん、そして美月と風歌さんの2人ずつに分かれる事にした。

 一度は襲われてるわけだし、風歌さんは美月と同じ部屋なのは気まずいかもと思うのだが、それでも巴しか私の正体を知らない以上、私が他の子と同じ部屋に泊まるわけにはいかない。

 幸い、風歌さんは美月と一緒の部屋になってもとくに気にした様子がなく「むしろ仲良くしたいと思ってたからさー。ちょうどいいよー」と言ってくれた。



「じゃあ、私はこっちのベッドを使うから……」

「はい……」


 部屋に入った私達は互いに使うベッドを決めて、荷物を置いた。


 使うベッドは分かれているとはいえ、やっぱり女の子と同じ部屋に泊まるのは緊張する。

 密着取材の時は私が外で瞑想してる間、巴は山小屋で寝泊まりをしていた。

 けど、今回は正真正銘同じ部屋での寝泊まりだ。優愛ちゃんの家に泊まった時と同じか、それ以上にドキドキする。

 意識するなというのが無理な話だが……巴の方はなんとも思ってないのだろうか?

 私はちらりと横目で巴の様子を窺うが、顔は無表情で何を考えているのかが読み取れない。

 いつもなら「先輩またえっちな事考えてます? 考えてますよね~?」とか言ってからかってくるのに、暗い顔をして黙ったままだ。

 前は段々と巴の事がわかってきたような気がしていたのに……今は巴の気持ちが、全く分からない。

 分からないし、巴の気持ちを理解するのが正直、怖い。

 

 ────私の母さんのことを……巴はどう思ってるんだろう。

 その事を確かめる勇気がない。


 ああ、駄目だ。これからみんなで海で遊ぶというのに、こんなに暗い事ばかり考えるなんて。

 ……よし! もう、うじうじと考えるのはやめよう!

 とりあえずシャワー室で一旦服を脱いで、ワンピースの下に水着を着る事にしよう。

 これならとりあえず海に入る前はみんなと一緒に着替えずに済む。

 海に入った後の着替えの事は……まあ、その時に考えよう。


 私は着替えを持って巴の脇を通り抜け、シャワー室へ向かった。

 そして、シャワー室で服を脱ごうとするのだが……


「ちょっと~! なに脱ごうとしてるの~?」

「え?」


 なぜか実体化したヒカリが、私のワンピースの裾を掴んで妨害してきた。


「なにって……水着着るために服を脱がないと……」

「駄目だよ~!」

「ええ!?」


 わけがわからない……。

 海に行くのも水着を着るのもしぶしぶ了承していたのに、今更になって何で駄目だと言い出すんだ?

 無理矢理脱ごうとしても、ヒカリはぐいぐいとスカートの裾を引っ張って手を離そうとしない。


「だって、水着を着るって事は服だけじゃなくて下着も脱ぐんでしょ~! 裸になるなんて絶対駄目だからね~!」

「そ、それはそうだけど仕方ないじゃん! それに優愛ちゃんの家に泊まった時も風歌さんと水着を試着したときも裸になっ──」

「あ~! 言わないで! 思い出さないで! ……大体、勇輝は恥ずかしくないの~? ほんとは男の子の癖に女の子の水着を着るなんて!」

「うっ……」


 たしかに……。ヒカリの言う事も一理あるかも。

 最近は沙希女の子の体でいる事が増えたせいか、だんだん気恥ずかしさが無くなってきた気がするし。

 沙希の姿のままの着替えにお風呂、それにとうとうトイレまで経験してしまった……。


「一旦、男の子の体に戻って水着を着てから沙希に変身すればいいじゃない。それなら沙希の姿で裸にならなくて済むし~」

「誰がそんな事するか! そんなの変態みたいじゃないか!」

「もう十分変態だよ! 沙希の姿を借りてても、勇輝は本当は男の子なのを忘れてるんじゃないかな〜?」

「そ、それは……」


 また、痛いところをついてくるな……。

 でも、そうか。結局は姿を借りてるだけだから、どっちの姿で水着を着ても同じ事か。

 それなら、まあ────


「……ってそんなわけあるか! 男の体で女性水着なんて来たら本物の変態だよ! そんな事できるわけがないだろ!」

「そんな事言って、沙希の裸を見たいだけでしょ~!? さっきもトイレをしながら顔を赤くして、はぁはぁしてたじゃない! いやらしい!」

「なっ!?」


 何を言い出すんだ、こいつ!

 ヒカリに心底軽蔑したような目で変態だなんて罵られ私は、怒りと恥ずかしさで顔がかぁっと熱くなった。

 

「しししし、してないし! あ、あれは我慢してたから緊張とか色々、こう……とにかくヒカリが想像してるような理由じゃないから! 大体、人のことを変態とか言ってるけど、いちいちそういう事に結びつけるヒカリの方こそ変態じゃないか!」

「はぁ〜!? なにそれ〜! 勇輝の方が変態だよ!」


 焦って舌をかみまくりながら私が反論すると、ヒカリも「何を言ってるんだこいつは」と言いたげな顔で睨みながら言い返してきた。

 私はその顔と言い方が頭にきて、さらに反論──というにはちょっと程度の低い言葉で言い返す。


「いいや! ヒカリの方が変態だね! むっつりなんだよヒカリは! ヒカリの変態! 変態!」

「何言ってるの!? ヒカリはむっつりじゃないもん! 変態って言うほうが変態なんです〜! 勇輝の変態! 変態!」

「子供か!」


 お互い引くことを知らず、言い争いはどんどん熱を帯びていった。

 そして、使う言葉はどんどん幼稚でしょうもうないものへとレベルが下がっていく。

 結局、私とヒカリは集合時間ギリギリまで言い争いを続け、最終的に目を瞑ったまま水着を着るという事で、沙希の姿で着替える事をヒカリには納得してもらった。


「はぁ……。海に入る前なのに疲れた……」


 何をやっているんだ私は。我ながら馬鹿な事に無駄な時間と体力を使ってしまった……。

 とにかく、これで私の準備は終わった。後は巴の準備が終わっていれば、ロビーに移動してみんなと合流出来る。


「おまたせ、巴。こっちは準備できたよ。そろそろ集合場所のロビーに移動にしようか」


 私はシャワー室を出て、ベッドの上でノートパソコンを操作していた巴に話しかけた。


「……はい。そうですね」


 巴は私の言葉に頷き、ノートパソコンを閉じて立ち上がった。

 しかし……ノートパソコンで一体、何をしていたのだろう?

 マギメモのサイトを更新していたのか? それとも何か調べ物をしていたのだろうか?

 ノートパソコンを見ていた巴が、ずいぶんと深刻そうな表情をしていたのが少し気になった。

 

「あの、先輩。……この間は、その……すみませんでした。私……」


 立ち上がった巴が私の方を振り向き、消え入りそうな声で謝罪をしてきた。

 ああそうか、今の深刻そうな表情はあの日の事で悩んでいたからか……。 

 どうやら風歌さんが言ってたように、悩んでいたのは私だけじゃなかったようだ。


「あ、いや……私の方こそ。誤解があるようだけど別に怒ってるわけじゃないんだ……」

「はい……」

「前の母さんの事は私の中でもまだうまく受け止められていないんだ。だからあの日、巴に前の母さんの事を聞かれて頭が真っ白になっちゃって……。とにかく、そういうわけでホントに怒ってるわけじゃないから」


 私は何とか誤解を解こうと必死に弁明をしたが、


「はい……」


 巴からは気のない返事しか返ってこない。

 なんのかんの言いつつも、前の母の事についてはっきりと答えようとはしない──そんな私の煮え切らない態度が彼女の表情を曇らせてしまっているのだろうか。

 このままじゃ今朝と同じだ。会話が続かないまま、気まずい空気が続いてしまうだけになってしまう。

 せっかくこれからみんなで海で遊ぶというのに……。


 だったら──よし! もう逃げるのはやめよう!


「巴」


 私は巴の肩に手を置き、目をしっかりと見ながら名前を呼び掛けた。

 すると巴はビクっと肩を震わせた後、ゆっくりと顔を上げて、私と目と目があった。


「────っ」


 顔を上げた巴はとても怯えていて、今にも泣き出しそうな目をしていた。


 こんな……私はこんな表情を巴にさせてしまっていたのか?

 巴の表情に、私は覚悟を決めたはずなのにまた少したじろいでしまった。

 こんなにも悲しんでいる巴に対して、本当に彼女が望むような答えを言う事が出来るのか? と不安が私の頭をよぎる。

 正直、まだ自信は全然無いし、またあの夜のようになってしまうかもと思うと怖い。


 けど……怖くても、風歌さんのアドバイス通りきちんと話し合わなければならない。

 ────だって巴には、いつも私をからかう時のような笑顔でいてほしいから。


 私は深呼吸をした後、思い切って言うべき事を一気に口に出した。

 

「巴、ちゃんと聞いてくれ。今日の夜、ちゃんと巴に前の母さんの事を話すよ。だから巴も、ルクスとヒカリの関係について知ってる事を全部話してくれないか?」


 言えた……。

 私が喋り終えた後も巴は黙ったまま下を向いている。けど、とりあえず今言うべき事は言えた……はず。

 夜に話すと言ったのは先延ばしにしたわけじゃなくて、これからみんなと合流するので時間が無いからだ。

 そう心の中で言い訳をしながら、私は巴の反応をじっと待つ。


「先輩……」


 そして一分ほど経って、巴がようやく顔を上げて口を開いた。


「────分かりました。私も先輩に知っている事の全てを話します」


 そう答えてくれた巴の目には、もう怯えの色は無かった。

 私が全てを話す覚悟を決めたように、巴も今の一分の間に覚悟を決めたようだ。


「ありがとう、巴」


 私がお礼を言いながら微笑むと、巴の方も少しだけ微笑んでくれた。

 その笑顔はまだまだぎこちなくて、どことなくまだ壁があるように感じる。

 けど、今はそれでいい。風歌さんのアドバイス通り、私達はこれからたくさん話し合ってお互いの事を理解していくのだから。


「よし、それじゃあ、とりあえず日中は海でみんなと遊ぼう」

「はい。海も楽しみですけど──先輩がどんな水着を選んだのか楽しみですしね♪」

「なっ!?」


 前言撤回、ぎこちない笑顔なんかじゃない。

 今の巴は、いつも通りクスクスと笑いながらポニーテールを揺らし、楽しそうに笑っている。

 

 自分の事をからかわれているのになぜか不愉快には感じない、あの不思議な笑顔だ。

 私は巴のこの笑顔を見るのがわりと……いや、これ以上は言うまい。恥ずかしいから。


「あとでそのワンピースの下に着ている水着を選んだ理由も取材させてくださいね、先輩♪」


 ……まったく。まだまだ空元気という感じはするけど、巴は私をからかう事に関してだけはようやくいつもの調子が戻ってきたようだ。

 これならとりあえず海でみんなと遊ぶ分には、問題はないだろう。


「さあ、行きましょう。先輩」

「ああ」

 

 こうして私と巴はロビーで待っているみんなと合流し、ホテルのすぐ目の前にある海へと向かうのだった。


 夜からは大事な話をしなければならないけど、それまではみんなと海で楽しい夏休みの思い出を作ろう。


 その時の私は、これから待ち受ける苦難をまだ知る由もなく、そんな呑気な事を考えていた────

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