第二十三話 天使と魔法少女
現実の映画館内の景色が歪み、魔獣結界へと作り変えられていく。
まるでパレットに何種類もの色をぐちゃぐちゃに塗りたくり、それを筆で全部混ぜている最中のような……そんな不安定さだ。
《今日は一体どんな魔物なんだろうね~》
「さあ……。この結界の感じだと、もしかしたら今日のは元になった伝承を持たない魔獣かも?」
────魔獣には『ヘル・ハウンド』や『ケルベロス』のように元になった伝承が存在する魔獣と、元になった伝承を持たない無名の魔獣の二種類が存在する。
前者の魔獣──元になった伝承が存在する魔獣は、存在が定着しやすいためか強力な個体が多い。
だが、元になった伝承に弱点がある場合は、そのまま魔獣にもその弱点が引き継がれる事が多い。
例えばギリシャ神話の怪物であるケルベロスは、伝承にある通り甘いお菓子やパンなどを用意すれば無力化する事ができる可能性が高い。
後者の魔獣──元になった伝承を持たない魔獣は、核となる伝承がないせいで存在がなかなか定着せず弱い魔獣が多い。
元になった伝承がないために、前者の魔獣のようにわかりやすい弱点も存在しないが、そもそも魔獣としての力そのものが弱い事が多い。
そして、今回の魔獣結界は発生してしばらく経っても形が定まっていない。
元になった伝承を持っている魔獣なら、とっくに結界の形が定まっているはずなのに。
だから、今回は伝承を持たない魔獣なのかもしれない。
もしそうだとすれば、あまり強力な魔獣じゃない可能性が高いけど……。
《ステラ~? 油断は禁物だよ~》
「ああ、分かってる」
釘を刺すヒカリに、私は深くうなずいて返事をする。
たしかに油断は禁物だ。
最近は魔獣の数も増えてきていて、夜だけでなく今日のように昼でもお構いなしに出現している。
だから、今日のこの結界を作った魔獣も、今までの例に当てはまらない新種の可能性も十分にある。
気を引き締めていかないと──私は緊張感を保ちつつ進む。
そうして、しばらく走り続けていると、
《あ! あれってノクスじゃないかな~》
ヒカリがノクスらしき背中を視界に捉え、私に教えてくれた。
「ほんとだ。……おーい! ノクス!」
私は走りながら、ノクスの背中に向かって声をかけた。
「────っ」
すると、ノクスは体をビクっと震わせ、立ち止まった。
そしてこちらを振り返り、私を見て驚いたように目を見開くと、
「……ステラ!」
ノクスは手に
「うわっ! 待った待った!」
まさか、いきなり攻撃されそうになるなんて!
私は慌ててさっと両手を上げた。
「待った! 今日は君と争いに来たんじゃない。映画を見ていたらこの結界に巻き込まれたんだ。君もそうなんじゃないのか?」
両手を上げたまま、私は敵意が無い事を伝える。
「あなたも映画を? そう……」
するとノクスは納得したのか、
そして、私からぷいっと顔を背け、再び魔獣結界の最深部へと走り出していく。
「ちょっと!?」
私は慌ててノクスのあとを追いかけながら、再びその背中に話しかける。
「待って! 今日の所は一緒に戦おう!」
「……勝手にすればいい」
ノクスは振り返らず、走りながら私に返事をした。
「…………」
相変わらずツンツンしてるなぁ……。
ステラの同人誌や写真にはあんなに必死なのに、当の本人には何だか冷たい。
……
だとしたら、ちょっと自惚れてたみたいで恥ずかしいな……。
《映画が台無しになったのは残念だけど、一緒に魔獣と戦って仲良くなれたらいいね~》
《ああ、そうだね。まあ、ノクスは強いからこの結界の魔獣も一人で瞬殺するかもしれないけど》
もしそうなったら、彼女と共闘する機会は失われる。
けど、それよりも人々を少しでも早くこの結界から出してあげる事の方が重要だ。
そうなったら共闘はまたの機会にする事にして、今日は映画を美月と見直す事にしよう。
────と、考えながらノクスと走り続けて数分。
「近い」
ノクスがぼそりと呟いた。
そう、私達はとうとう結界最奥部付近にまでやってきた。
後は結界最奥部にいる魔獣を倒すだけだ。
だけど、私とノクスはここに来て、強い違和感を覚えていた。
なにかが引っかかる。違和感の正体──それは……
「……今回の魔獣結界は何かがおかしい。伝承を持たない、人々の噂や不安が実体化した程度の魔獣にしては、結界の最深部に満ちるマナが濃すぎる」
そう。ノクスの言う通りだった。
彼女の言う通り、ここに満ちるマナは異常に濃かった。
通常の魔獣結界の倍、いやそれ以上に。
────ところでマナとは、簡単に言うと大気中に含まれる魔力のようなものだ。
通常は魔獣結界にしかないもので、このマナが濃ければ濃いほど結界は強固になり魔獣そのものも強い。
だから、もしかすると今回の魔獣はかなり強敵なのかもしれない。
だとしたら油断は出来ない──私は気を引き締め直し、警戒を強めながら結界最奥部へと走り出し、
「ここが結界最奥……って、え!?」
そこで結界にあふれるマナよりも異質なものを目撃し、驚いて声を上げた。
「卵……?」
巨大な『卵』──そうとしか言いようのないものが今、私とノクスの目の前にあった。
「なんだ、これ……」
まさか、結界の奥にこんなものがあるなんて……。
卵は私達の背丈よりも大きく、少し発光している。
耳を済ますと卵はわずかに胎動している様子だ。
もしかして中に何かがいるのだろうか。
《これなんだろうね~? あ、もしかして魔獣の卵なのかな~? 》
ヒカリが思いついた事を念話で口にした。
《そんな馬鹿な……》
魔獣が卵から生まれるなんて聞いた事がない。
《じゃあ、何だと思うの~?》
《それは……》
……そう聞かれたらここが魔獣結界の中である以上、これはたしかにヒカリの言うように魔獣の卵かも、としか私にも言えない。
そうして、私は目の前の卵を困惑しながら見つめていると、
「これは……
ノクスが冷や汗を流しながら、そんな言葉を口にした。
「世界卵?」
それはたしか、巴が教えてくれた魔法少女と魔獣を生み出したという卵の名前のはず。
だけど、欠片だって? それが何でこんなところに……。
「ノクス、君は一体何を知って────」
浮かんだ疑問の答えを教えて貰おうと、私はノクスに話しかけようとした。
「────っ」
だけどその時、身体──いや、
「今の感覚は……?」
私はノクスが世界卵の欠片と呼ぶ、巨大な卵に視線を向けた。
今の振動が、目の前の巨大な卵が起こしたものだという実感があったからだ。
すると、
「これは……卵が!」
卵が激しく発光して、どくん、どくんと大きな音を立て始めた。
胎動の音は次第に大きく、間隔も短くなっていく。
そして────
「────な!?」
突然、卵の殻が割れて、中からまばゆい光が溢れ出した。
「うっ!」
眩しくてよく見えない。
けれど、卵の中か光と共に何が出てきたのを感じる。
────まさかヒカリの言う通り、本当に卵から魔獣が生まれてしまったのか?
私はそんな危機感を抱きながら、光が収まったのをまぶた越しに感じて、目を開けた。
すると、そこには……
「これは……」
無数の羽根が舞い散らしながら佇む、白い魔獣の姿があった。
「────」
私は魔獣の姿を見て思わず、息を呑んだ。
魔獣は三メートルほどの人型をしていて、背中には真っ白な大きな翼、同じく白い腰布に顔には仮面、そして頭の上の光輪を携えていた。
その光り輝く神々しい姿は、魔獣というよりはまるで────
「────天使?」
そう、天使だ。
目の前にいる魔獣は、とても人々を襲う邪悪な怪物には見えなかった。
それどころか、魔獣から感じる嫌な気配も、魔力すらも感じない。
ほんとに敵……なんだろうか?
そんな疑問が私の頭を過った。
「そんな……早すぎる!? なんでこいつがもう!?」
一方、ノクスの反応は私とは正反対だ。
ノクスは天使の姿を見て驚愕して、冷や汗を流している。
あの驚き方──やっぱり、ノクスは何かを知っているのか?
《ステラ! 見て! 結界が!》
ヒカリが念話で叫んだ。
「結界?」
私は辺りを見渡した。
そして、形の定まっていなかった結界が、いつの間にか変化を終えていた事に気づいた。
ついさっきまで無数の絵の具を混ぜたような不気味な空は雲ひとつない青空へと変わり、辺りの景色も水没した廃墟のようなものへと変わっている。
これは……退廃的って言うんだろうか?
少し寂しい感じはするけど、ある意味で美しいとも言える光景だと、私は思った。
《なんだか分からないけど……すごく……すごく嫌な感じがするよ……》
だけど、ヒカリは私とは違い、この廃墟のような結界に嫌悪感を示し、怯えていた。
《嫌な感じ? 一体、どういう事なんだ?》
《わからない……けど、嫌な感じなの! この結界も、あの天使も!》
そう言われても……。
改めて魔力を感じ取ろうとしても、やっぱり天使からは何も感じないし、結界も形が変わった後、周囲に満ちていたマナも消えてしまっていた。
「ん?」
待てよ。魔獣結界は魔獣の魔力とマナによって維持されているはず。
だとしたらこの結界は今、一体どんなエネルギーによって維持されているんだ?
「……ステラ! 油断しないで!」
ノクスが
いつものすました顔じゃない。今のノクスは切羽詰まった表情で天使を睨みつけている。
あの様子はただごとじゃない──私も
「ノクス。あれは……魔獣なのか?」
「もっとタチが悪い。魔獣が人間の負の情報の塊だとするなら、あれは正の情報の塊。けど、人間の味方というわけじゃない。あれは
人間を罰する存在?
よく分からないけど、敵である事は間違いないという事だろうか。
私はノクスの言った言葉の意味がよくわからないまま、
すると突然、
「────っ!」
強い敵意のようなものが、私達に突き刺さった。
「うっ……くっ!」
その敵意は、目の前の天使によるものだった。
相変わらず魔力は一切、感じないのに──ビリビリと私の全身を震わせる程のプレッシャーを感じる!
《来るよ! ステラ!》
ヒカリが警告すると同時に、天使が動き出した。
天使は翼を広げて飛翔──したかと思うと、一瞬で私とノクスの眼前へと迫ってきた。
「────なっ!? 早い!」
しっかりと見ていたはずなのに!
天使の動きが早すぎて、反応するのが一瞬遅れてしまった。
接近した天使は手を突き出し、その手のひらから何かの光を放出しようとしている。
「────っ!」
光から魔力は感じない──だけどあれは危険だ! まともに受けるのは多分、まずい!
そんな予感がして、私は咄嗟に
「……これは」
そして、天使の手の光が放たた直後、私はようやくその光の正体を直感的に理解した。
目の前の天使には魔力とは別の聖なる力とでも呼ぶべきような何かがあって、奴はその力を光に変えて放出しようとしているのだと。
しかも……その力はおそらく、私とノクス──
直感的に感じた私は、展開した
だけど……
「────ぐ、ああああああ!」
天使の手から放たれた光弾は、私の
「……っ!」
そして、
しかもその勢いは凄まじく、いくつもの廃墟の壁を突き破って、それでも止まらない。
「うっ……あああっ!」
私はそのままどんどん遠くまで弾き飛ばされていく。
「ぐっ……!」
ようやく勢いが衰えたのは、距離にして約百メートル程は吹き飛ばされた後のことだった。
何十個目かの廃墟の壁を突き抜けた私は水面に激しく衝突し、そのまま水中に少し沈み込んだ。
「……ぷはっ。げほっ……うっ」
私はすぐに水中から顔を出した。
そして、天使が放った光弾──あれが
《ステラ! 大丈夫!?》
当然、そんな事はヒカリにも伝わってしまっている。
妖精はパートナーの魔法少女が受けたダメージを感じ取る事もできるからだ。
「大丈夫……。少しヒヤリとしたけど、
私はヒカリを安心させるためにそう強がりながら、近くの瓦礫の上によじ登った。
「それに次からはあの光弾に気をつけて、まともに受けないようにすれば……」
そして、私はそうヒカリに言い訳をしながら、天使がいた方角へと向き直る。
だけど、その見つめた先には────
「……掴まって! ステラ!!」
必死の形相でこちらへと飛んでくるワイバーンに跨ったノクスと、両手を広げて
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