第九話 眠る魔法少女
「どうしてこうなった……」
私は湯船に肩まで浸かりながら、深い溜め息をついた。
それも……なぜか優愛ちゃんの家のお風呂の中で。
「……勇輝の馬鹿! アホ! 変態! スケベ!」
ヒカリが私の頭をポコポコと叩き、罵倒する。
「し、しかないじゃん!? 目を瞑ったままじゃ、お風呂に入れないんだし……」
「それはそうだけど~……。うぅ~……」
……そもそもだ。
なぜ私が優愛ちゃんの家のお風呂に入っているのかというと、それは……。
『────だから沙希さん……。今日は私の家に泊まってくれませんか?』
電車の中で、優愛ちゃんが私にこう言ってきた事が発端だった。
どうやら、優愛ちゃんは私が三ヶ月でどう強くなったのか聞きたいらしい。
それも明日ではなく、今すぐに。
すごいやる気だ。
出来るなら、優愛ちゃんのこの熱意には応えてあげたい。
けど、私の正体は男だ──たとえ今は女の子の体だとしても、優愛ちゃんの家に泊まるのはよろしくない。
だから、最初は家に泊まるのは断るつもりだった。
話をするのはまた別の日に会ってするか、電話でいいだろうと思っていた。
だけど……
『お願いします! 沙希さん! 私……どうしても強くなりたいんです!』
優愛ちゃんは、ものすごく一生懸命だった。
『優愛ちゃん……』
ずっと、小さな声で喋っていたのに……。
この時の優愛ちゃんは精一杯大きな声を出していた。
そんな風に頼まれたら、もう断る気にはなれなかった。
『分かった……』
《分かった!? ちょっと~!?》
だから、私は反対するヒカリの声を無視して、優愛ちゃんの家に泊まる事を決めた。
優愛ちゃんの家には、優愛ちゃんのご両親の姿もあった。
『まあ! 優愛が凛々花ちゃん以外に友達を連れて来るなんて……さあ、上がって、上がって!』
『娘と仲良くしてくれて、ありがとう。日向ちゃん、遠慮せず泊まって行って。あ、でも家の人にはちゃんと連絡を入れるんだよ?』
『アッハイ。お邪魔します……』
二人は突然泊まる事になった私を快く迎え入れてくれたばかりか、夕飯までご一緒させてくれた。
なにせ優愛ちゃんのご両親からすると、私は娘と同姓の先輩だ。
私は二人に疑われるどころか、すっかり安心した様子で「これからも娘と仲良くやってほしい」とお願いまでされてしまった。
『はい……』
ものすごい罪悪感だ……。
だって私は性別を偽り、二人を騙している。
本当は男だと知られたら「娘を騙したのか!」と怒られても仕方がない。
いや、それどころか通報されるかも……。
そう思うと、勧められたお風呂を断るなんて、怖くて出来なかった。
これから人の家に泊まるのにお風呂に入らないのは不自然だし、それが原因で万が一にも性別が男だとバレたら……。
だから仕方なく……。
本当に仕方なく、私はこうして優愛ちゃんの家の湯船に浸かっている。
そういうわけだった────
「はぁ〜? なにが『そういうわけだった』なの? あんなに自分の身体をゴシゴシ洗ってさ~……勇輝の変態!」
「おま……また、人の心を……。とにかくあれだよ。身体をしっかり体を洗わずに、人の家の湯船に浸かるわけにはいかないし、仕方ないだろ」
そう、これは礼儀の問題だ。
銭湯でもそうだけど、お風呂に入る前は体をしっかりと洗わなければならない。
だから、服を脱いだ時に自分の下着や裸をほんの一瞬見てしまうのも、身体を洗う時に「スベスベとした肌だなぁ……」とか、ちょっと思ってしまうのも、全て不可抗力なのだ。
決して、やましい気持ちはない。
「大体、
「そ、それは~」
私がそう言うと、ヒカリは図星を突かれたような顔をして唸った。
「うぅ~……優愛ちゃんにもえっちな事するつもりなんでしょ~? 最低だよ~……」
そして、とんでもない事を言いだした。
「し、しないよ!」
ヒカリが心配するような事には、絶対にならない!
なぜなら、今の
だから、後で風呂上がりの優愛ちゃんを見ても、絶対にドキドキしたりはしない。
なぜなら、私は女の子だからだ。
「女の子だ、女の子だ、女の子だ、女の────」
よし……自己暗示完了!
ヒカリがドン引きしてるけど、これでもう大丈夫──……
「沙希さん。パジャマのサイズ合ってましたか? 私のだと少し小さいから、お母さんから借りてきたんですけど……」
「アッハイ。合ってます。大丈夫です、ハイ」
……ではなかった。
風呂上がりの優愛ちゃんのパジャマ姿は、あまりにも刺激が強すぎた。
返事もつい片言になってしまうぐらいに、私は動揺してしまった。
なにせ優愛ちゃんの肩まで伸びた髪は風呂上がりで艶があるし、頬もお風呂で温もったせいかほのかに赤く染まっている。
私の方が身長が高いから、こうしてベッドの上で並んで座っていると優愛ちゃんのパジャマの胸元がちらちらと見えてしまっているのもまずい。
さっきちらっと見えたのは、下に着ているキャミソール? とかいうやつなんだろうか?
胸は意外と大きいように見える────……って、何を考えているんだ私は!
女の子、女の子、女の子──私は女の子だ。
誰がなんと言おうと、私は女の子だ。
私は必死に何度も心の中で唱えた。
「あの……今日は私のわがままを聞いてくれて、ありがとうございました」
「ア、ドウイタシマシテ」
だが効果はゼロだった。
かろうじてお礼を言われてると分かる程度で、言葉が頭にちゃんと入って来ない。
隣に座る優愛ちゃんの息遣いさえも、何だか艶めかしく感じて、私は────……
《勇輝~?》
《はっ!?》
……て、いけない、いけない!
危うく優愛ちゃんの色気に負けてしまう所だった。
《優愛ちゃんをえっちな目で見てたでしょ~?》
《うっ……それは……。はい、ごめんなさい》
全て事実なので、なんの言い訳も出来なかった。
「あの? 沙希さん? 急にぼんやりしてどうしました? もしかして湯あたりしちゃいました? 顔も赤いですし……」
ふと気がつくと、優愛ちゃんが心配そうな顔で黙り込んだ私を見つめていた。
「え!? ああ、そうかもね! ハハ……ごめんね。えっと、それで強くなる方法を聞きたいんだっけ?」
私はしどろもどろになりながら誤魔化し、無理矢理本題へと入った。
「はい、そうです。私はどうしても知りたいんです」
優愛ちゃんは背筋をピンと伸ばし、私に改めて頭を下げた。
「沙希さんが……たった三ヶ月でマギメモにも特集が組まれるほど強くなれたのかを」
「優愛ちゃん……」
顔を上げた優愛ちゃんの目は、電車の中の時と同じくとても真剣だった。
これは……私もいつまでもドキドキしてる場合じゃない。
私も真剣に答えてあげないと。
「……今朝も言ったと思うけど、最初の二ヶ月はそんなに活躍出来てなかったんだよね」
「たしかに……マギメモに特集が組まれ始めたのも、ここ一ヶ月ぐらいですよね?」
「うん。私のギフトがカードに封印した魔獣を使役したり力を借りる能力なのは、ももう聞いてるよね?」
「はい。そのギフトで私達を助けてくれたんですよね。凄いギフトだと思います」
たしかに優愛ちゃんの言う通り、この『封印』のギフトは凄い。
魔獣のカードが増えれば、出来る事もどんどん増えていく。
けれど、魔法少女になったばかりの頃だと、実はそこに大きな落とし穴がある。
「そう、たしかに色々出来る強いギフトなんだけどね……。けど、このギフトって
私がそこまで言うと、優愛ちゃんはハッとした顔をして、
「……あ! じゃあ、最初は自力で魔獣を封印しないといけないんですか?」
「そうなんだよ……。しかも、今日みたいにある程度魔獣を弱らせないと封印が出来ない。最初の魔獣をどうしてもギフト無しで倒さなきゃいけない」
だから魔獣カードが一枚も無い頃の私は、魔法少女としての基本能力だけで戦っていた。
そのせいで最初に出会った魔獣にはすごく苦戦したし、その後もしばらくは苦戦続きだった。
「そ、それは大変ですね……。でも他の魔法少女に協力して貰って魔獣を封印すれば……」
「いや、魔獣との戦いは命がけだ。封印をするまでギフトが無いような足手まといとは、きっと誰も一緒には戦ってくれないよ」
「そんな……」
「いや、それでも探せば一緒に戦ってくれる魔法少女もいたかもしれない。けど、私はちょっと人見知りでね。ギフトが使えないんで助けてください、なんて言うのが恥ずかしかったんだよ」
嘘だ──本当は正体が男だとバレたくなかったから、一人で戦い続けていただけだ。
ただの自己保身でしかない。
「沙希さん……」
だけど本当の事情を知らない優愛ちゃんは、私に尊敬の眼差しを向けてくる。
凛々花ちゃんの時と同じで、とても心苦しかった。
……なんだか魔法少女になってから、いろんな人に嘘をついてばかりな気がする。
「と、とにかく、なんとか弱い魔獣を一人で倒す事が出来ても、弱い魔獣だから大した能力も無いようなのがほとんどだったんだよ」
私はそんな罪悪感を誤魔化すように、話しを続けた。
「え!? それじゃあ、どうやってステラさんは強い魔獣を封印出来るようになったんですか? ステラさんのジャックフロストの魔獣は、ノクスが召喚した魔獣にも負けない強さだったって
「それはもうひたすら特訓だよ」
「特訓?」
そう、特訓だ。
魔法少女にはギフトが無くても、魔力を使った基本的な戦闘能力がある。
身体能力の強化、杖や剣などの武器の生成、そして魔力をビームのように放出する攻撃や、
私はそれらの基礎能力をヒカリの指導の元、二ヶ月間徹底して鍛え上げた。
「たしかにギフトは各々の魔法少女が持つ強力な固有能力だよ。けど魔獣によっては相性が不利だったり、使えない状況もある。そんな時、必要となってくるのが魔法少女としての基礎能力なんだ」
「魔法少女としての基礎能力……」
「うん。たとえばノクスに襲われたあの時。優愛ちゃん──コスモスはとっさにローズを庇って気絶していたよね? だけどもしあの時、庇いながら瞬時に
別に、ローズとコスモスが訓練を怠っていると言いたいわけじゃない。
きっとあの連携をするために、かなりの訓練を積んだんだろう。
だけど、いまの二人はギフトによる連携にばかり重点を置いていて、基礎能力がやや不足しているように見える。
とくに活発で行動的な凛々花ちゃんと違って、優愛ちゃん攻撃に入るタイミングがやや遅い。
本調子だったミノタウロスとの戦いの時も、毎回攻撃に躊躇が見られた。
「鍛え上げた魔法少女としての基礎能力……。それが沙希さんの……マジカル・ステラの強さ……」
優愛ちゃんはふむふむと俯いて、また黙り込んだ。
きっと私のアドバイスを活かすために、自分を鍛えようかと悩んでいるのだろう。
《頑張り屋さんだね~》
《ああ》
真面目で勉強熱心な凛々花ちゃんの態度に、私は感心した。
となれば……乗りかかった船だ。
こうなったら、最後まで面倒を見る事にしよう。
「ねえ。優愛ちゃんさえよければ、明日の休みは私と特訓をしてみない?」
「沙希さんと特訓? いいんですか!?」
「うん……一日でいきなり強くはなれないけど、効率よく鍛える方法を私とヒカリで指導するよ」
「ヒカリ先生がビシビシ鍛えてあげるよ~」
「ありがとうございます!」
優愛ちゃんはパッと顔を輝かせ、私たちにお礼を言った。
とても嬉しそうで、今にも跳ね上がりそうな勢いだ。
こんないい顔をさせれたら手は抜けない。責任重大だ。
明日は本気で鍛えてあげないと。
「沙希さん、ヒカリちゃん……。本当にありがとうございます! 私、頑張ります!」
「うん。明日はよろしくね。じゃあ、とりあえず今日の所はもう寝ようか」
「はい!」
私達はそれぞれ寝床に移動し、電気を消した。
ちなみに優愛ちゃんは一緒のベッドで寝ようと言ってきたのだが、さすがに断った。
さすがに正体を隠したまま、女子と同じベッドで寝るのは駄目だ……人として。
《同じ部屋で寝る時点で、もう駄目な気もするけど~……?》
《それを言うなよ、ヒカリ……》
一緒の布団で寝てないなら、ギリギリセーフだ。
そう自分に言い聞かせながら、私は床に敷いた布団の上で目をぎゅっと瞑った。
けれど……。
「んっ……ぅ」
隣のベッドの上──そこから聞こえてくる優愛ちゃんの寝息に眠り妨げられ、私はなかなか眠れなかった。
寝息がうるさいわけじゃない。
むしろ、優愛ちゃんらしい静かな寝息だった。
私のほうが勝手に、同じ屋根の下で一つ年下の女の子が寝ているという事実を強く意識してしまっているだけの話だった。
「眠れない……」
女の子の部屋で一緒に眠るなんて経験は当然、私にはない。
だから眠るどころか、どんどん目が冴えていき、結局その夜は緊張でほとんど眠る事が出来なかった……。
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