第十動

 日本国統合自衛部隊ジャストは、四つの鎮守府要塞と二つの国家永久要塞を主力として、各地の駐屯基地、衛戍地に分散している。鎮守府要塞は戦力の中心たる四艦隊の基地である。

 大和州播磨郡にある加古川西部永久要塞は、行政首都に「もしものこと」があった場合、全軍を統べる枢機だった。また医療制度は自衛隊時代のものをそのまま引き継ぎ、各地の衛戍病院となっている。

 各病院には、「空飛ぶ手術室」と呼ばれるダブルローター機が配備されている。ヤシマあまこまⅠ型を改造したものである。低騒音で揺れが少ない。

 麻酔を拒否していた佐伯三尉は機上で意識を失った。おかげで機上応急処置もうまく行き、医療ヘリは新潟の日本海衛戍病院へととびたった。

 かわりにのぼりかけた朝日を浴びて着陸したのは、空中給油を受けて戻ってきた、日本ご自慢の垂直離着陸多目的機「あまこまⅡ型改」だった。

 残存部隊の脱出用だが、職員と残存警備兵全員は乗れない。俄仕立ての現地指揮官となった元木二佐は、自分の脱出機と決めていた。乗って来た複座の偵察機はすでに戻っている。

 第十一課長は戦闘服ではなく、青みがかったグレイの一般勤務服だった。さすがに制帽たる「萎え烏帽子」ではなく、つばの大きな略帽をかぶっている。

 格納部には緊急医療装置や援護機関銃、組み立て式の小型ホバークラフト「エアロ・トライク」こと低高度偵察機まで搭載していた。

 そのあと元木はボブ木下の部下に命じ、地下二階の窖室にある大量の藤村式特殊爆薬に起爆装置をつけさせた。

 電纜をつかう原始的なものだが、この場合は一番効果的だろう。元木は賭け事と女で失敗したが、元々優秀な軍政官僚だった。

 国防省施設局破棄資材暫定集積所の中央指揮棟に陣取った彼は、現場での最高位てあり、暫定的な現地司令官であり、集積所責任者たる石動の代理だった。

 精強をもって知られる特殊部隊が青ざめ、早くから脱出しようとしていたことにも驚いたが、ともかく地下でおきているわけの判らない事態に「けり」をつけなくてはならない。


「鳥がいない」

 元木はつぶやいた。山の朝である。山鳥がけたたましく鳴いているのが普通だった。いや鳥だけではない。朝までにこの一帯の総ての動物、一部の昆虫までもが深い森から本能的に退避していたのだ。

 元木は恐ろしかった。できれば来たくなかった。しかし彼自身東黎協会のシンパと見なされている。思想的には近いがメンバーではない。今回の事件と無関係であることを証明するためにも、率先して事態収拾を指揮しなくてはならない。

「報告します。来島二尉以下の情報特務部隊が撤収しました」

 指揮所から出ると、木下たちに肩をかりるなどしてスガルの四戦士がもどっていた。小夜は床に座り込む。真由良は比較的元気だ。

 来島は少しいやそうな顔を見せたが、敬礼した。こんな事態のこんな場所て、こんな人間の命令を受けるのは腹立たしい。

「……いったい下でなにがおこってるんだ」

「すぐに説明するのは、今は困難です」

 この俗物有能官僚と来島では、ものの考え方や生き様が正反対だった。しかし来島もよく理解していた。

 官僚組織に必要なのは来島ではなく、むしろ元木のように人物であることを。

「ともかく、全員生還はなによりだ」

 木下は夢見を下ろし、壁にもたれかけさせた。目を見開き方針状態である。

「……大神二曹はどうしたんだ」

 第十一課課長は、あの長身で童顔の美女の異変に気付いた。

「大神二曹は、どうも精神を取り込まれたようです」

「なんだと。戦争神経症かなにかかね。治療は戻ってからだ。今は退避だ」

「違うのです。精神がまるごとその……変異したタカラベ一尉の精神に同調してしまったのだと思います」

「何を言っているのか判らん。ともかく退避だ。これは石動将帥からの命令だ。我々の退避が完了すれば、ここの地下二階にある大量の爆薬に点火する。

 小型戦術核ほどの威力がある。どんな化け物か知らんがひとたまりもない」

 小夜が驚いて、よろめきながら立ち上がった。少し腰が痛む。

「そんなことをすれば、夢見の精神まで吹き飛ばされます」

「今は議論している暇はない。ここの最高指揮権はわたしにある。

 ただちにスガル特務挺進部隊は撤収する」

 元木は冷たく言い渡すと、踵をかえして去っていく。真由良は彼の背中をにらみつける。小夜は放心状態の夢見の顔を見つめながら、来島に言った。

「隊長、どうします。このままでは夢見は一生……」

 と言われても来島にもどうしようもない。彼女にはPSNもないのだ。

 斑鳩小夜は片足をついて項垂れ、夢見の額に自分のそれを押し付けた。目を閉じてゆっくりと呼吸する。戦闘服に抑え込まれている大きな胸が、上下する。

 彼女の家系に、超常の力を持つ者は記録されていない。彼女の母は女性宇宙飛行士で、小夜自身は二ヶ月の胎児のときに、大気圏外を経験していた。

 そのことが彼女に特殊超常能力を与えたのかもしれない。

「夢見、あなたの心はどこ……答えてねお願い」

 来島も元木も、小夜を見つめている。しかし小夜はやがて、目をあけて大きくため息をついた。両目が少し赤い。

「だめ、心がここにない。やっぱりあそこに置いてきている」

「このまま連れてもどっても、ずっとこのままか」

 真由良も泣き出しそうな顔になった。

「あの光の怪物を消し去れば、二曹殿の魂は復帰出来るのでは」

 小夜は悲しげに、ゆっくりと首を左右に振る。

「そのままいっしょに消し飛ぶ可能性もあるわ。その可能性のほうが大きい。

 隊長、どうしましょう」

「……撤収命令が出ていても、資料その他の搬送に多少時間がかかるな」


 何度か首相はかわったが、上田哲哉は国防大臣を続けている。防衛省時代から、ドンとよばれた巨魁である。そもそも三自衛隊の昇華統合に深くかかわっていた。

 元は愛知県下で高校教師をしていた。担当は化学だった。それが恩人とも言うべき地元政治家の突然死によって、何故か地元から代議士に担ぎたされていた。

 本人は寝耳に水だったが、ライバル候補者の汚職発覚で、まさかの当選となった。以来四半世紀以上、国政にかかわっている。田巻の亡父は、上田の政策参謀だった。

 いっぽうではその調整力から「微笑みの寝業師」とも呼ばれ、野党すら信頼している。その上田が寝不足で赤い目を隠そうともせず、大臣椅子で苦悩に顔をゆがめる。

「やはりフロギストン爆裂弾か。いよいよあれを使うとなると、周辺各国に説明せにゃならん。第一あの慎重派の首相は大反対じゃろう。書類は準備したが、ワシでも自信はない」

 モニターの中の石動の顔は、少し怒っているように見える。

「地下にある四キロトン相当の爆薬で処分できるとは限りません。もしもの時はフロギストンで処理しなくては。それでも大目なら、米軍の協力も必要です。

 政治的な配慮よりも、人類の存亡のほうが重要でしょう」

「……朝一番に白瀬首相に説明して、内閣として決定をと考えておったが。

 むしろ首相は知らなかったことにするか。いざとなるとワシが腹を切ることになるな」

 それぐらいではすまないことも、上田は判っていた。そのつもりもなかった。

「人類を救うことが出来れば、わたしも腹を切ります」

 石動は本気だった。

「よし。すでに試作ふ式特殊爆裂筒は準備出来ちょるな」

「運搬専用の改造大型爆撃機『おおわし』に接続するだけです。最終許可を」

 上田は決断した。時間がなかった。すでにマスコミの一部もかぎ付けている。

「午前一杯かかって根回ししようと作戦練っておったが、無駄になったか」

 上田は鞄の中から、書類をだして妖艶な不破秘書にわたした。

「フロギストン爆弾使用に関する隠蔽作戦?」

「前に実戦使用してしまった後に、田巻くんが作ってくれた。隠蔽と工作は得意だな」

 化粧の濃い知的な秘書は、目を通した。某所で土砂崩れがおき、川が氾濫しかけているとの偽情報を流すのである。

 緊急に自然堤防を爆破する、などと事前に通告しておくと言う。

「……純粋核融合爆発を、そんなものでごまかせますか」

 日本が密かに開発したレーザー式核融合爆弾は、長く「フロギストン爆弾」「ふ号特殊資材」などと呼ばれてきた。平和国家日本に、あってはならない兵器だった。

 無放射能性の強力な爆発力は、TNT換算で数百トン程度。まだ大型のものは開発していない、実験段階の特殊兵器だった。

 核拡散防止条約が事実上反故になって十年近く、核保有国は増えた。一部過激なゲリラ組織も入手していると言われる。

 一方で米露などの核大国では戦略核全廃が進み、戦術核レベルの大幅削減も進んでいる。

 高精度ロボット・ミサイルとレーザー迎撃兵器の発達で、核兵器自身が無力化されているのも大きな理由だった。

「ほかに手はない。適当な場所を探しておいてくれたまえ」

 不破秘書が検索した結果、近くに二戸川第四ダムと言う小ぶりで古いダムを見つけた。通称「ニコヨンダム」と言う。そのあたりが適当だった。


 大神夢見は自分の意識が青空を飛んでいることに気付いた。抜けるような紺碧の天空を意識がのぼって行く。

 突如目の前に光り輝く物体が現れた。驚く間もなくそれは音もなくはじけた。

 また視界が一変する。夢見は奇妙な惑星の上空にいた。地球に似たその星は赤く、無数の光がまたたいている。

 高度な文明をほこる星の周囲を光物体がたくさん飛びまわっている。夢見の視界は突如かなりの速度で宇宙へと飛び出した。二重太陽がとおざかり、星たちが青く輝く。

「そうか、長い旅に出ているんだ」

 そんなことを考えた。やがて視界の先に、青く輝く美しい星が急速に近づく。夢見はその星のことをよく知っていた。

「地球?」

 地球は大きくなった。夢見はすさまじい速さで地球の周りを回ると、速度を落とした。雲のむこうに、独特の形をもつ島国が横たわっている。

 日本である。眼下には能登半島が見えている。つぎの瞬間、夢見は緊張した。ジェット機がせまっている。古いタイプの機体だった。

 イルカに似た特徴的な機体を、統合幼年学校の教科書で見た覚えがあった。むかし航空自衛隊がつかっていた練習機である。

 T4は航空自衛隊が統合されるまで使用していた、国産ジェット練習機だった。プロペラ機での初頭訓練を終えたものが、この練習機で訓練していた。

 全長十三メートル、翌幅十メートル弱のこぶりな亜音速ジェット機だった。

 その機体がぶつかる直前、キャノピーが吹き飛んでなにかが飛び出した。

 人だ。その人物は頭からまっすぐ、夢見にむかってくる。精悍で端正な顔が歪んでいる。

「危ないっ!」

 夢見は思わず目を閉じた。いや意識を閉ざした。闇の中に感覚が漂っている。そして意識にあの声が、響きだした。

「殺せ、殺せ……殺してくれ。早く殺してくれ」

 声は明瞭になる。三十代半ばの男性のやや太い声。焦っている。

 大神夢見は、自分が闇の中にいることに気付いた。迷彩戦闘服を着た自分の肉体が感覚的に存在している。

 しかし知覚はない。目の前には誰かがいる。刈上げた頭に端正な顔立ち、両手で夢見の両肩をつかんで、なにかを訴えかけている。

「頼む、殺してくれ。早く殺してくれっ!」

 くすんだ暗い緑色の古いパイロットスーツを着た人物が、夢見に必死に訴えかけている。

「た、たからべ一尉?」

「ちがう、もう俺じゃない。異星人の意思と融合してしまった化け物だ! 殺してくれ。この俺を復活させると、なにが起きるか判らない。早く俺を殺せ!」

「……殺せって、あなた自身を?」

「そうだ。君は何者か知らないが………俺の声が届いていたな」


「風が収まっています」

 先に大型カーゴにおりた遊部真由良が報告した。

 つづいて来島と小夜も飛び降りる。上下に五十センチほど開いた防護扉からは、あの光り輝く人物がよく見える。その輪郭は脈打つように変化している。

 しかし強風はおさまり、洞内の金属部分がスパークしているだけである。

 小夜は泣き出しそうな顔をする。

「どうしましょう。夢見の意識を取り戻すなんて、やはりわたしには出来ない」

 PSNに関して、小夜は夢見の半分ほどの力しかない。今の真由良はさらに少ない。

「ふたりで力を合わせ、あの化け物の心にアクセスできないか」

「多分出来ます。でも帰ってくる自信がありません」

 と真由良が言いきったので、来島郎女は眉間に皺をよせた。

「……そうか、その可能性も高いか。弱ったな」

「それでもやらせて下さい。このままでは……」

「待って真由良、そんなこと、夢見は絶対に望んでいないよ」

「でもこのままでは……」

 そのとき、広いエレベーターシャフトの上から、よばう声がした。

「お姫さんたち、なにしてんです。撤収命令ですぜ。綺麗な顔、吹き飛ばされたいのか」

 ロバート木下特務曹長だった。口は悪いが部下には信頼されている。

「あんたの親玉が爆破命令をだしましたぜ。早く逃げ出さないとこっぱ微塵だ」

 来島は石動にかけあい、爆破を待ってもらうために交渉するしかなかった。しかし時間を稼いでも、どうしていいか判らない。

「ありがとう。でもわたしたちは残ります。脱出して下さい」

 小夜はそんなことを言ってしまった。来島がひと呼吸置いて、言った。

「いや、斑鳩一曹。石動閣下に現状を報告して猶予をもらう」

 大型エレベーターシャフトのあぶなげな梯子を上って地上階にたどりついた三人を待ち受けていたのは、冷たい表情の課長、元木二等佐官だった。


 朝になり、人々はすでに一日の活動を開始していた。しかし南総館山の海を望む高台に建つ古風な洋館は、都会の喧騒とは無縁だった。

 統合警務隊帝都中央小隊のチームが広い屋敷を包囲したころ、一階居間の大きな窓が明るくなった。つづいて、つるされたカーテンが燃え上がる。

 統合警務隊の田沢法務三尉は、部下に突入を命じた。東光寺が自殺したと思ったのだ。だが中に人はいなかった。ガソリンなどをまかれた屋敷はまたたくまに燃え上がり、警務隊兵士たちにはどうしようもなかった。


 そのころ東光寺一佐は、自ら半ロボット化セダンを運転して、湾岸高速道路を北上していた。

 運転席わきの小型モニターには、やつれて眠そうな田巻の顔がうつっている。彼は一佐のセダンに、市ヶ谷の通信ボックスから直接通信してきたのだ。

 東光寺に一切が終わったことを告げ、投降を促していた。しかし少し考えた一佐は、逆にこの策士にある提案をした。

「……つまり、司法取引と言うやつか。いや、ちょっとちゃうか」

「君は上田大臣の懐刀、いや『草』だ。当然大臣も承知しているわけか。確かにわたしが検束されいろいろ話すと、国防省のみならず現政権にとってもかなり厄介なことになるな。

 すでに景山たちには撤収と投降を命じたが、いっさい返事がない。奥深山郷ではともかくとんでもないことが起きているな。一番恐れていた事態が」

「珍しく失敗を認めるのですか」

「……間違ったことをしたとは考えていない。ただ、キャニスターをあけてしまったのは現地部隊の完全なミスだ。あれほど厳命していたのに、何故。極秘の軍律法廷なら覚悟している。ただ世間への発覚は阻止したい。我が国の為に」

「ことが無事おさまればでんな。それが最優先や。

 我が情報によると、服部閣下はフロギストン爆弾の使用を許可したようです」

「!………なんだと、そこまで。あの存在は極秘中の極秘だろう」

「まあ公然の秘密かもな。前にもこっそりと実験したり、使用したりしてます。凡て弾薬庫の爆発とか、ガス爆発とかでごまかしたけど。放射能出ぇへんのが、ホンマ有難い。

 いや、今はそのフロギストン爆弾でケリがつくかどうかすら、判らへん。

 まったく、大変な災いの種を蒔いてくれはりましたな」


 フロギストン純粋核融合爆弾の準備はすすんでいた。つくば科学都市にあるトリチウム製造所での充填は終わり、爆弾の組み立ても完成しつつある。

 厚木では大型特殊輸送機「おおわし」が待機していた。しかし最高国家機密である兵器の使用は、あくまで最後の手段だった。上田は首相公邸に電話し、非公式に説明した。

 上田の説得にも、白瀬首相は難色を示し続けている。

「すでにアメリカさんにも話はつけてます。ロシアはウクライナ再燃でそれどこじゃない」

 と上田は電話で繰り返すが、日本はその特殊爆弾の存在を、まだ公式には認めていない。そして石動も焦っていた。破棄資材暫定集積所の撤収が滞っている。 スガルの四人が撤収を拒んでいるのだ。明確な命令違反である。あの来島には考えられないことだった。

 石動はスクリーンごしながら、はじめて来島の泣き顔を見た。

「お言葉ですが、このままでは大神二曹の意識は戻りません。

 藤村式特殊爆薬で集積所ごと吹き飛ばしてしまえば、一生植物状態です」

「……わが国、いえたぶん世界最強のPSN戦士。それよりもわたしの部下の一人の意識が戻らないことは、わたしも悲しい。全責任はわたしがとります。

 でも今は、なんとしても宝辺一尉をそこかださないことが最優先です。元木二佐に従って急いで撤収してください。今は、彼の言うほうが正しい」

「でも……」

「地下二階に浦木たちが準備した特殊爆薬で破壊。それでも宝辺一尉が消滅しなかったばあい特殊輸送機『おおおわし』が、そちらにむかう。

 そして爆発規模百キロトンのフロギストン爆弾を、使用します」

「フロギストンを……」

 隠蔽は困難だろう。しかしたとえ国際問題になっても、消滅させなくてはならない。

「かなしいのはわたしも同じです。

 しかし今は、人類を救わなくてはならないのです」


「人類を救うためだ。俺を殺してくれっ! 頼む」

 夢見の目の前にいる宝辺たからべ利人としひと一等空尉のイメージは、懇願し続けていた。

「俺の体は……あきらかに変異している」

「その……宇宙人と、なにがあったのですか?」

「判らない。俺が接近しすぎた探査艇は、はじけとんだ。地球文明に一切干渉しないように、破片すらのこさず燃え尽きた。そういう仕組みだと、『意志』が語っていた。

 あの宇宙探査機を操作していたのは、異世界文明人の意識だったらしい」

「あの……人が、乗っていたのですか」

「人ではない。光の速さでも何十年もかかる距離の調査に、人はつかわないさ。

 なんと言うか、我々にとってのコンピューターみたいなものが調査していたらしいが、それに意思をコピーして移植してあったらしい。

 魂と言ってもいいかな」

「意思のコピーなんて、そんなことが出来るなんて」

「そうとしか考えられない。憑依させたと考えてもいい。

 宇宙探査艇は地球に関していろいろな調査を行った。総ての役目を終えてデータを送信し終えたら、そのまま帰還するようにプログラムされていたんだ。

 しかしなんらかの不具合がおきたんだと思う。

 そこへのこのこ俺が近づいて行って、自爆にまきこまれた。そして彼女まで、巻き込んでしまった。凡て俺のミスだ。俺の中には、意思疎通もできない別の意思がある」

「宇宙人の意思の、コピーね……魂が」

「そうだ。そいつが俺の行動を邪魔している。理性の部分が欠けた、不完全なコピーだ。その意思のおかげで俺の肉体は変化している。人間には戻れないさ。

 どう変化してどうなるかは俺にもわからない。ともかくなにかとてつもない、恐ろしいことになるだろう。そのことは実感できる。

 コピーされた意思は、いわば夢を見ているように不可解で非合理的だ。つまり理性とか超自我と呼ばれるものが、欠けているらしい。それが俺の意思を確実に蝕んでいる。

 だから頼む、殺してくれ、この俺を。俺の精神で奴を押さえることはもう出来ない」

「……あなたの言うことは判りました。でもわたしは、どうやったらここから出られるの」

 宝辺一尉ははっとして、夢身の顔を見つめた。


 旧信州深山みやま郷北部に、警報が響き渡った。元もと人は少ないが、登山客めあての山小屋や林業関係の事務所、自然観測所などがある。離れた処に、統合防空塔もあった。

 旧行政区域では長野県の北部に属する。しかし古来、新潟県側からしか入れない、武陵桃源地だった。特にその南奥地、奥深山は秋田マタギや修験者も近づかぬ。魔界とされた。

 北部日本海側の「口深山くちみやま」は昭和末期の秘湯ブームで、温泉が開発されている。温泉は中津川渓谷上流に集中しているが、そのあたりに支流二戸川が流れ込んでいる。

 昭和の高度経済期から発電と治水用の小規模ダムが建設され続け、もっとも奥の人跡まれな北深山に第四ダムがあった。

 広報無線によると、土砂崩れで二戸川がせき止められも第四ダム上流に天然のダムが出来てしまった。このままでは決壊しておおごととなる。

 その前に土砂を大型爆弾で爆破するので、退避せよと言うのだ。統統合自衛部隊のヘリが各地に降り、今日一日のことだとわずかな人たちを退避させた。

「行くんですか、部隊長」

 ダクテッドファン機「あまこまⅡ型改」の中で、小夜は力なく尋ねた。来島は怒りに満ちた顔で真正面を見据えている。

「……命令だ。そして石動閣下の苦しい心中も理解できる。

 ともかく大神二曹を、最高の治療機関に委ねた方がいい。それしかない」

 夢見は簡易ベッドに横たえられている。目をとじたまま、身動きはしない。そのベルトを確認した真由良は、物言わぬ先輩にささやいた。

「許してください。でもあなたはあたしの憧れです。これからもずっと」


 奇妙なワペッンだった。航空自衛隊の正規のものではない。息子が描いたF15の絵を、刺繍屋でワッペンにしてもらったものだった。

 宝辺利人はそのワッペンをうけとった帰りに、基地近くの模型屋に立ち寄った。ガレージキットや、白ヒゲ親父手作りのフィギュアなども売っている。

「出来てるよ。吾ながらよく出来たよ」

 片手にのるほどの小箱を受け取った宝辺は、中を見て微笑んだ。

「本当によく出来てる。ありがとう、さすが白ヒゲ模型だな」

 決して多くない俸給をためた小遣いで、その代金を支払った。そして基地に戻ると、早速ワッペンを暗緑色のパイロットスーツに縫い付けたのである。

 その光景が、夢見の意識にありありと浮か符。目の前にたたずむ宝辺の記憶、一番楽しかった思い出が、彼女の心にも流れ込んでくる。

「本当は……戻りたいんですね」

「無理だ。俺は日本を、息子の住むこの世界を救いたい。俺の消滅によって」

「……なんとかしてみる。でもあの、どうやって」


 中部州の鬱蒼たる森の奥、二戸川第四無人発電所上流における崩落部爆破についての小さなニュースは、東京などでも配信された。

 しかし誰もさして気にとめなかった。ただ厚木などの統統合自衛部隊基地の周辺、そして地下に広大なシェルターをかかえる市ヶ谷中央永久要塞は、静かな緊張に包まれている。

 すでにつくば科学都市から地下輸送線をつかって、貨車三台分はある長大な円筒が運ばれている。それは変形した「おおわし」の胴体そのものであり、それ一個がフロギストン爆裂筒なのである。

 厚木には「おおわし」の操縦席を改造した小型機体が待機していた。フロギストン爆裂筒に主翼と尾翼を取り付け、特別輸送機は完成する。

「出発はまだじゃ。それでいいかね」

 国防大臣の上田は眠かったが、また熱いシャワーをあび、腰を温めて少し元気になっていた。しかし地下シェルターからは出られない。

 テレヴァイザー通信の相手は、市ヶ谷永久要塞地下四層にこもる情報統監部長将帥の石動麗奈だった。少しやつれていたが、すずやかな目は輝いている。

「こちらもまだ、撤退が完了していません。まずは、地下二階に蓄積した特殊爆薬を遠隔点火します。それが効果なかった時は……」

「……判っとる。首相もやっと納得してくれた。爆裂筒が厚木につけば、二十分で発進だ。しかし、米国はじめ数カ国には事前通告して了解を求めんといかん。

 それにマスコミが嗅ぎつけ出しておって、厚木に人が集まりだしている」

「なんですって。マスコミは第七課が押さえたと」

「東黎協会のはねっかえりを操っている誰かが、リークしているとしか思えん」

「その連中については、この事件が収まったらこっちでゆっくりと調べます。

 周辺地域の撤退は順調でしょうか」

「ああ、服部総長から報告があった。しかしいったいなにが起こっておるのかね。あの宝辺元一尉は、本当に復活したのかね」

「残念ながら、もう元の一尉ではありません。生命体ではないなにかに変異しています。わずかな画像データは転送しております。

 ともかく、あの地下から一尉……あれをだせば世界になにが起きるか」

 石動は大切な部下の一人が「魂を抜かれた」ことを黙っていた。


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