第九動

「三等空尉石動麗奈」

 航空自衛隊の一般勤務服をきた石動は、松葉杖をついたまま敬礼した。少しバランスを崩しそうになったが、なんとか直立不動となる。

「君の二尉昇進が確定した。しかしもうパイロットはあきらめたまえ」

 教育責任者である三等空佐は、温厚そうな人物だった。民間のパイロットから航空自衛隊に転じていたため、年齢は高い。心底、気の毒そうだった。

「おって正式に通告する。しばらく病院で休養することだ」

 と特別病室から出て行こうとする。

「お待ちください。あの………。

 宝辺一尉はどうなりました。殉職されたのですか」

「……そうだ。脱出が遅れて機体ごと海につっこんだ。遺体は回収されていない。

 彼のことは忘れろ。元々正規の教官ですらない、君に本物の飛行を味あわせたかったんだ」

「忘れろ……。あの光のことは忘れろ、口外するなと情報本部から迫られました。

 しかし宝辺一尉のことまでタブーなんですか」

「彼は二階級特進、二等空佐として遺族に年金が支払われる。

 あれは不幸な事故だ。残された家族のためにも、君は一切を忘れたまえ。

 わたしも詳しくは知らないし、知りたいとは思わない。あくまで、練習機の故障とイトイ・ポイントの乱気流が原因だ。……上のほうは密かに大騒ぎだがな」

 それだけ言うと、三佐は病室のドアをしめた。


 自衛隊に入って来る者の多くがそうであるように、石動麗奈の家庭も決して裕福とは言えなかった。元は日本橋の呉服屋であったらしいが、祖父の代に家屋敷を手放し没落した。

 彼女は防衛大学校から支払われる給金の一部を、老いた父母に送っていた。そして彼女が極めて優秀な成績で卒業する頃、運命は好転した。

 父の兄で生涯独身を通した人物が、北海道で事業をしていた。そこそこ成功していたが急死し、その財産は遺言によりたった一人の弟にわたったのである。

 その後両親はその大金のおかげで、南総館山の眺めのいい老人施設に居ることとなる。希望通り航空自衛隊に入った須藤に期待されたものは、一種のアイドルであり、頭脳明晰で美貌の女性将校としてマスコミに登場することだった。

 当時すでに防衛族中堅議員だった、日本改進党の上田議員が、彼女をPR素材としてマスコミ各社に売り込んでいた。

 最初は嫌だったが、断れる身分ではない。

 不本意ながら須藤は、広報関係者に従った。美しいが近寄りがたい雰囲気のある彼女ゆえ、言い寄る男はほとんどいなかった。天空の美処女などと、マスコミははやし立てた。

 カメラに写る麗奈は、確かに「商品価値」があった。タレントになれという誘いや、大物大臣嫡男の嫁にと言う声もあった。

 彼女は怒るでもなく丁重に断り、自分の能力を磨いた。

 一度自分が決めた道である。頂点を極められずとも、可能な限り昇りたかった。冷静でいかなる時も動揺しない彼女の密かなあだなは、横須賀時代以降「鋼鉄の処女」だった。

 何年か不本意な制服アイドル的生活をおくったあと、念願のパイロットになった。これも男女平等をアピールしたい上層部の意向が強く働いていたらしい。石動は気にもせず、熱心に訓練にあけくれた。

 また上田の政策参謀だった、田巻初喜郎しょきろうと言う私大准教授にもかわいがられた。その長子たる己士郎は、まだ京都の学生だった。

 彼女は話題の美人幹部として、窮屈だが順調な武官人生を歩みつつあった。

 それが隊の為と信じようとした。しかしあの悲劇によって、その運命が大きくかわった。

 石動麗奈は退院後三ヶ月の特別保護ののち、情報本部の広報セクションにうつった。さらに一年以内に異例の一等空尉へ再昇進していた。

 その後は情報本部で暫く務めたのち、三佐で退官した。密かに監視され続けることに、嫌気がしたのである。

 しかし統合自衛部隊発足にさいし、初代情報統監部長となった服部に乞われて、二佐の身分で現役復帰した。情報コミュニティーの法王の顔を、潰したくなかった。


「石動将帥!」

 若い通信士官がふりむいて声を張り上げたので、思い出にひたっていた女性情報統監部長は吾にかえった。まだ三十前後らしい細身の男である。

「地下三層からの映像です。木下特曹が決死の覚悟で、ファイバースコープをもぐらせました」

「………出して」

 来島たち三人は地下三階に停止していた大型カーゴの防護扉を上下に半開きにした状態で、とどまっていた。

 部下たちを地下二階やカーゴの天井に退避させた特務曹長は、爆弾処理などに使う長いファイバースコープを、地下一階に待機していた部下に下ろさせた。

 それを半開きになった防護扉のむこうに、出したのである。

 風と光の圧力で細長いスコープが揺れる。

「全面スクリーン、安定しません」

 石動たち特殊幹部の目の前に、乱れた画像があらわれた。ほとんど色はとんでいる。

「あれは……」

 みんな息をのんだ。光が渦巻き、金属の柱などが断続的にスパークしている。天井から垂れ下がった照明は風のなかでくるくると回っている。

 画面中央には大型カンオケのような保護キャニスターの下半分が鎮座し、その上に人のかたちをした光塊が佇んでいる。

 周囲の空間が歪んで見えるのは、映像の乱ればかりではない。恐ろしくも神々しい風景だったが、数秒で終わった。画面は白いノイズで満たされる。

 ファイバースコープの小型カメラが火花を発してはじけとんだのである。

「なんだったのあれ。宝辺一尉?」

「観測部より報告。かなりの中性子を観測。

 おそらくは……一種の核融合反応がおきつつあります」

「か、核融合? そんな馬鹿な」


 夜明けが近い。旧信州深山郷での人類史を塗り替えかねない「信州某重大」事件は、まだマスコミなどに発覚していない。

 しかし首都をつつむ静かな緊張は自然に伝わっている。

 哲人首相、白瀬総理は急遽米大使との朝食会を開くことになった。おきている事件を非公式に同盟国に伝えるためである。

 白瀬靖を陰で操る国防大臣上田哲哉は一度シャワーを浴びて衣服を着替え、夜明け前には国防省地下の緊急指揮所に戻っていた。

 軍令本部地下部に連絡している。

 そして旧知の服部軍令本部総長の進言に従い、内閣緊急事態対応令発令を朝一番で首相に出させる手はずを整えつつあった。関係書類への署名が残っている。

 破棄資材暫定集積所を中心とした半径三キロ圏は早くから封鎖されている。くわえて緊急事態隠蔽作戦「ほむら三号」を発令、周辺にわずかに残る住民を退避させるのである。

 情報統監部も第十一課の現地進出を決めていた。課長元木二佐は事態の推移を知らされないまま、複座のVTOL偵察機で深山みやま郷へむかいつつあった。

 元木は名誉挽回のチャンスと考え、石動に何度も現地指揮を申し出ていた。

 こんな男が行けば帰って混乱すると考えていた石動だが、上田からの現地責任者派遣要請を受けて、彼を使うしかなかった。

 関係者は極力少なくしなくてはならない。しかし元木は現場の想像を絶した現状を、まったく理解していない。


「………突入するしかない」

 上下に五十センチほど開いた防護扉からのぞいていた来島は、強風に耐えつつ言った。斑鳩小夜が珍しく反論する。

「無謀ですっ! あんな怪物相手にどうしようってんです」

 戦闘に望んでは妙に度胸の据わる小夜だが、この場合は冷静な意見と言えた。

「わたし……あの、やってみたい」

 少し惚けたように、夢見が言い出した。小夜は驚く。

「ちょっと夢見、本気? あなただって……」

 夢見は青ざめ、生唾を飲み込んだ。少し冷や汗をかいていた。

「あの……あれが危険なのは判ってます。でも敵意を感じない。

 不思議なんですけど、なんて言うか……なにかを必死で訴えている気がします。それが聞き届けられないもどかしさを感じるんです」

「例の殺せ殺せって言う声でしょ。絶対によしなよ」

 日頃温厚な小夜の剣幕に、来島もどうしていいか迷っている。しかし日頃自分の意見をあまり主張しない大神夢見の意志は固い。

「でも、あの……わたしにしか接触できない。やらせて下さい」

 来島くるしま郎女は一度目を閉じ、深呼吸すると切れ長の目を見開いた。

「斑鳩一曹、遊部あそべ三曹とともにこの場で心理援護を頼む。

 わたしは大神二曹とともに極力奴に近づく。あとはどうするか、な」

「し、しかし隊長……」

 そのとき、天井のメンテナンスハッチから真由良が顔をだした。風圧に顔を歪ませる。

「挺進部隊長、元木第十一課長がこちらへ向かっているそうです」

「なんだとぉ。また厄介な奴が。いったいなんの為に」

「現地指導とか。いざと言う時に我が挺身部隊の責任者がいないと、政治的にまずいとか」

「こんな事態でも官僚的辻褄あわせか。もう時間がないのに。

 遊部三曹、降りてきてくれ」


 元木二佐から「まもなく封鎖領域侵入」との連絡を受けた。石動はこんな男のことよりも、スガル部隊がどうなっているか気がかりだった。

 地下一階以上を護っているボブ木下によると、スガルの四「魔女」が地下三階にとどまって、さらに変異しつつある宝辺元一尉への接触を試みていると言う。

 石動はそれをとめることもできたが、したくなかった。

 どうしていいか判らず悩んでいる石動に、田巻が連絡して来た。身分は統監部情報参謀佐官待遇一等尉官、一応石動の部下と言うことになる。

 寝不足で疲れた田巻は、京都式アクセントの標準語で東光寺との経緯を報告した。興奮すると早口になり、聞き取りにくい。

「……そう。やはり彼らの考えそうなことね。そしてあれの恐ろしさを理解していない」

「すでに統合警務隊がアジトの洋館を包囲しつつあります。朝一番で裁判所の許可もろて、逮捕するつもりですが、先に警務隊を動かしてはどないでしょう。

 どっかの裁判所の許可はいりません。国防大臣の裁可だけです」

「……今はそれでころではない。いまのことを加川二佐に報告して。

 もう東亜黎明協会でもどうすることも出来ない。ヤツラを動かしている先進国極秘連合だろうが、その背後にいるとされる世界的な賢人連合でもね」

「………ほ、ほう、黒幕に気付いてはったんですか。さすがや。

 しかし、あっちでは一体どうなってるんですか。状況は」

「君のクリアランスレベルでは話せない。君のことだから凡そ知ってはいると思うが。ともかくご苦労、少し休みたまえ」

 と将帥は連絡を終えた。大きくため息をつく暇もなく、集積所の木下から連絡が入った。負傷した佐伯梓三尉の意識が戻ったと言うのだ。


「よし、意識を集中していて。いくよ」

 来島も夢見も、突撃銃などはカーゴに置いた。つかえない通信機などの電子機器も外し、軽量堅牢な三三新鉄帽もパンツァーヘムトもとった。二つとも五・五六粍弾では貫通出来ない。

 しかし所詮あの相手には無意味だった。なるべく身軽なほうがいい。

 あちこちでなにかがスパークし、不思議な光が渦巻いている。風が吹きぬけてはぶつかって戻っていく地下洞は、一種幻想的ですらあった。

 上下に開いた五十センチほどの隙間から、まず来島が出た。風と光に顔が歪む。来島は、十メートルほどむこうに佇む光の塊が自分を見つめているような気がした。背筋が凍りつく。その姿は、神々しいとも言えた。

「さ、行こう」

 夢見も防護扉の外へ出た。頭が痛む。

「この場でいい。奴に接触を試みられるか」

「あの……やって見ます」

 夢見は目を閉じた。来島はおもわず夢見の右手を握り締めた。

「さ、わたしたちも援護するよ」

 と小夜に言われても、真由良にはどうしていいか判らない。

「でも、いったいどうすればいいんですか」

「意識を集中して念じるの。夢見の心の後押しって言うか。PSNの原動力は想像力だから、彼女を励ましている自分を想像してごらん。あんたの憧れのライバルを。うまく同調すれば彼女の精神の体験が見えてくる」

「やってみます」

 真由良は閉じかかった防護扉に両手をつき、やや項垂れて目を閉じた。

 夢見はごくゆっくりと呼吸し、意識を鎮めていく。来島は風除けになり、風圧に耐えて続けている。


 新潟の衛戍病院から派遣された医療ヘリに、佐伯三尉は収容されていた。旧式とは言え改造「あまこま」ヘリには手術室もついて、遠隔操作で医師が治療できる。しかし佐伯は麻酔をこばんだ。

「あれを、外に出してはだめ。東光寺一佐に……早く特殊爆薬を。

 ふきとばさないと、あれを」

 ボブ木下の部下は、ただちに現状を市ヶ谷地下の石動に報告した。


 その頃、佐伯梓が信奉する東光寺正光はいらだっていた。一晩かかって有力者を説得するはずだった同志たちからは、何も連絡がこない。

 次々と検束されているのだろうか。それどころか肝腎の上田の所在が判らない。またキャニスターを確保しているはずの影山との連絡も、まったくとれない。すでに各種データは処分し、書類も暖炉で焼きつつある。

 逮捕されることも死ぬこともおそれていない。しかし理想が実現不可能に陥りつつある現実を認めるのが、悔しかった。

 もう無血クーデターどころの騒ぎではない。信州北端でなにかとてつもないことが起きつつあるのは、否定できなかった。

 その元凶がほかならぬ、俊英高級将校達なのである。


「爆薬が、あるのですね」

 石動麗奈は、小型モニターにうつったギブ木下のふてぶてしい顔が強張っているのを見つめていた。歴戦の勇士が、命知らずのモサクレが心底怯えていた。

「はい。佐伯三尉によると奴らが密かに設置したようです。うちの部下が見つけていましたが、そんな高性能爆薬とは思わなかった。備蓄爆薬か何かかと」

「……本土決戦秘密堡塁の地下窖室に、いざと言うときのために大量の藤村式超高性能特殊爆薬を持ち込んでいたのか。

 準備周到、所長浦木の協力がなければ不可能ね」

 「藤村式」は開発した化学者の名をとった通称で、正しくは「新型爆砕強力火薬」と言い、TNTの五倍程度の威力があるとされている。

 景山たちもまだ地下三階の光の嵐の中だろうが、生きているはずもなかった。

「なぜ、それを使わなかったのかしら」

「パニクってて使えなかったか、起爆装置が作動しなかったか」

「ともかく位置と量、起爆システムを確認して報告してください。

 それと元木二佐が到着ししだい、わたしに連絡させて」

「エラいさんがいくら来ても、下の化け物には立ちうち出来ません。彼女たちも早く撤退させて、ここを高性能爆薬で吹き飛ばすことを進言します」

「しかし、藤村式高性能爆薬でも、始末できるかどうか。相手は……」

「……ならどうするんです」

 その為にフロギストン爆弾の準備をはじめている。そのことは言わなかった。

「ともかくスガル部隊の報告を待ちます。

 木下特曹、あの来島挺進隊長は危機に望んで、ちょっと吾を忘れて猪突猛進するところがあります。

 危ないと思ったら上官でもかまいません、ひっばりだしてください」

 そのとき、乱れがちな画面から轟音が響いてきた。

 情報第十一課長の乗るVTOL偵察機が、着陸態勢にはいったのだった。


 来島は奇怪な風圧に耐え、目を見開いていた。

「なんだ……あれは」

 十メートルむこうに立つ光の塊は、まだ人間の形を保っている。銀色の宇宙服のようなスーツはこげ、ぼろぼろになっている。

 しかしまぶしさに耐えて見つめると、まだ人間らしい目鼻などが確認できる。中から溢れる力によって、変形しているようにも見える。

「人間なのか、それとも」

 来島の背中では、目を固く閉じて項垂れた夢見が歯をくいしばり震えている。

「なにこれ……この感覚。なにを求めているの」

 大型カーゴの中では小夜と真由良も震えだしていた。なにも見えないし感じない。しかし心の奥底から、得体の知れない焦燥感がこみあげてくれ。

 夢見だけは声を聞いていた。頭の中で声が響く。

「殺……せ……早く……殺して………くれ………危険……だ」

 光る風は強くなったり弱まったりする。まるで脈を打っているかのように。地下壕内のベトンの粉や粉塵をまきあげ、視界を奪う。

 光り輝く蛇が中空でのたうつたように走り回っている。小さな放電現象らしい。それが梁など金属にあたると、スパークする。

「だ、だめだ」

 来島郎女は、自分の精神がなにかに侵食されていくのに耐えかねていた。

「限界だ、このままでは精神が破壊されるっ!」

 よろめきつつ降り返ると、夢見が震えている。

「さ、いくぞ。もういい。地上に戻って市ヶ谷の指示を仰ぐ」

 ふらついていた来島は、防護扉に倒れ掛かりつかまった。小夜と真由良があわてて手をのばし、鍛えあげられた筋肉の塊を支えカーゴの中へと引き込んだ。

「すまない。大丈夫だ。さ、急いで報告して………!」

 顔をあげた来島郎女は、唖然とした。噴き出す眩い光にむかって夢見がよろめきつつ近づいていくではないか。

「お、大神二曹っ!」

 来島は連れ戻そうとして飛び出したが、足がもつれて倒れてしまう。

「自分がっ!」

 と遊部真由良がカーゴから飛び出そうとした。そのとき、吹き荒れていた風が急に強まり、大柄な肉体が飛ばされてしまう。

 真由良はカーゴの壁面に背中からぶつかった。

「夢見っ!」

 小夜も飛び出そうとしたが、起きかけていた来島が太目の足をつかんだ。

「あ……危ない」


 木下の部下の一人が、本土決戦隠蔽永久策源地下二階の側防窖室をチェックしていた。通常爆薬の五倍の威力はある特殊火薬が、八百トンはあった。浦木だけで運べる量ではない。

 通常のTNT換算では四キロトンに相当する。広島に落ちた原爆「リトルボーイ」の核出力が十五キロトンと言われている。相当な爆発がおきるはずだ。

 報告を受けた元木二佐は驚きつつ、市ヶ谷地下の石動に報告した。

「そんなに大量に。東黎協会、まして浦木一人にできる芸当じゃないわ。かなりの資金も要る。組織的、計画的に誰かが用意したのね、しかも非公式に」

「その、大量の爆薬を使用されるのですか」

「多分それしかないでしょう。フロギストン爆裂弾を落とすよりはいい。使えば政治問題になるわ。

 元木二佐、あなたは現地指揮官として、全面撤収を至急準備してください。重要データの転送、搬送も必要です。しかし無理はしないこと」

「は、はい……。しかし地下にスガル挺進隊がまだ」

 特殊爆薬でも「処理」出来なければ、いよいよ純粋核融合爆弾を使うしかなかった。

「進展がないようならただちに撤退させて!」


 木下はラッタルを伝って広いエレベーターシャフトを降りていく。風が吹き出し、底は不気味に輝いている。

 やっと大型カーゴの屋根に達した。自分の部下たちはすでに引き上げさせている。木下はメンテナンスハッチから顔をだした。

「なにぐすぐすしてんです。ここを吹き飛ばしますぜ」

 来島は見上げた。

「部下が奥にいる!」

「なにやってんだっ!」

 驚いて天井から飛びおりた。

「お姫さんたち、こんなヤバいところに留まって死ぬつもりか。

 おたくの課長さんが来てエラそうに取り仕切ってますぜ、総員撤退だとよ」

 木下も光の源を見つめて驚いた。長身の乙女が、神々しく輝く存在の前に佇んでいる。

「な……気でも違ったかっ! なんで助けないんだ」

「……夢見が、望んでない」

 小夜が消え入りそうな声で言う。

「馬鹿野郎っ! 銃をとれ。援護しなっ!」

「特曹、待て! わたしの部下だ!」

「時間がないんですよ。援護しろ」

 と隔壁の隙間から叫びつつ飛び出した木下に、また風が吹きつける。ヘルメットが飛ばされそうな風にくわえ、手にしていた突撃銃がスパークした。

「な、なんだいったい」

 歴戦の勇士が、恐怖につつまれだした。来島はかえって落ち着いている。

「あれには近づけない。大神二曹以外は」

「……この上に小型核爆弾なみの爆薬があるんですぜ。あの化け物ごと吹き飛ばそうってんだ。ぐずぐずしていると、俺たちもいっしょ粉々だ」

「なんですって……無理にでも大神二曹を連れ戻すしかないね」

 来島は小夜たちにも銃を構えさせた。

「一斉に銃撃すれば、風は君たちを襲う。しかし耐えてくれ。わたしが二曹を取り戻す」

 小夜はなんとか夢見の心にアクセスしようとしている。

「でも夢見は、接触をはじめてます」

「命令だ。時間がないっ!」

 木下と小夜、真由良は防護扉をたてにして突撃銃を構えた。

「よし、行くぞっ!」

 上下に半メートルほどひらいた間隙から、来島郎女が飛び出した。

「撃て!」

 木下が叫ぶと、三つの二十二口径の銃口から完全被甲弾が連射された。夢見に当たらないよう、光る人物の頭部を狙う。

 しかし弾丸は中空でスパークしてはじける。カーゴめがけて風がぶつかるが、三人は顔をゆがめつつ耐えた。

「ふんばれっ! 弾道を安定させねえと、ベッピンにあたるぜっっ!」

 来島をも電荷を帯びた風が襲う。しかし斜めになりつつも来島は一歩づつ近づく。頭上では弾丸が光となってはじけ、ときおり流れ弾となって来島をかすめる。夢見は半分になったキャニスターの数メートル前に茫然と佇んでいる。足元では、暗緑色のパイロットスーツが湯気をたてている。

「大神!」

 後に迫った来島が風圧と全身を走る痛みに耐えつつ叫んでも、夢身は放心状態である。

「いかん、とりこまれている!」

 来島は身を低くし顔をゆがめ、両足でベトンの床を思い切り蹴り、夢見の背中に飛びついた。ひきしまった二本の腕で夢見のくびれた腰をだきしめたとたん、強烈な風が斜め上から吹き降ろした。全身を弱い電流がつつむ。

 とたんに夢見を抱きしめたまま後に転がった。

「撃ち方やめっ!」

 と叫んだときに、木下はカーゴから飛び出していた。床に転がったまま夢見を抱きしめていた来島のしっかりした肩をつかんで、引きずり出したのである。

「手伝えっっっ!」

 吾にかえった小夜と真由良も間隙から飛び出した。こうして夢見もなんとかカーゴに回収された。

 立ち上がった来島は、目を見開いたままの夢見をゆさぶった。

「大神二曹、判るか? どうした!」

 放心と言うより、魂が抜けたようになっている。

「ともかくここを脱出しましょうや。先にあがって姫様ひきあげるから三人で持ち上げてくれ」

 小夜は防護扉のむこうを見つめた。あいかわらず風が渦巻き無数の小さな稲妻が走り回っている。そしてやや大きくなったかも知れない光の塊が佇んでいた。


 人呼んで「謀略参謀」こと田巻己士郎先任一等尉官は、軍令本部地下一階の情報統監部参謀詰所横にある、個人通信ボックスにいた。連続震災前まではまだ残っていた「電話ボックス」の現代版だが、特殊スクランブラーがかけられる。 ユニ・コムなど無線通信は傍受される危険性がある。

「内閣緊急事態対応令発令? 首相がですか。えらいこっちゃ」

 相手は市ヶ谷要塞の国防省棟地下に戻っていた、上田国防大臣である。石動の要請を受けて、こんな時間にもかかわらず大臣室で緊急事態に備えていた。

 服部総長も総長室にいる。

「朝九時に首相に要請する。しかし検討の内閣の意思統一に午前一杯はかかるだろう。それまでになんとしても、事態は収束してほしいもんだが。いざと言う時は仕方ない」

 数年前、我が国が極秘に開発成功した純粋核融合爆弾を使うのである。内閣の責任確認と首相の命令、そして議会とマスコミへの「言い訳」が必要だった。

「もう、事態はそこまで進んでんのか……」

 田巻は青褪めた。





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