第八動
石動は、田巻己士郎ののっぺりたした顔がうつるモニターから視線をそらせたくなった。この奇妙な小心者とのつきあいも、そこそこ長い。決して望んだわけではなかったが。
石動にとっても恩人である国防大臣を後見人にもつ。亡き父親が上田後援会長だった。さもなくばこんなに協調性のない奇矯な人物が、情報参謀になれるはずもなかった。
「つまり田巻先任一尉は、あの浦木所長が元凶だと言うの」
「いろいろと手ェ回して調べました」
田巻はあくびをかみ殺した。日頃は七時間以上眠り、シエスタまでとる。
「奴は東亜黎明協会の東光寺と親しいんです。いま、統合警務隊が追ってるあの危険な一等佐官から、金銭的なサポートも受けてました」
「賄賂かしら。あの研究馬鹿が」
「いえ、研究費調査費でしょう。もう三年もあんな山ん中で暮らしてて家族も趣味もない。けどいびつな研究意欲と、暗い名誉心だけは旺盛や。
自分は天才やと思うてはる。
それにいろいろ高い本とか資料とか、買い続けてました。あと思想的にも……」
「ああもういい。浦木のことは君の言うとおりでしょう。多少内務監査課から警告されてたわ。しかし、もう遅すぎた」
「は? なにかあったんですか。その」
「浦木は多分、我々の手の届かないところに行ってしまた。
ともかくご苦労でした。以上」
石動はそう言うと一方的に通信を終えた。かたわらでは若く優秀な阿部女史が、仮想ではない古風なキーボードを叩いている。
「石動将帥。集積所との通信が乱れつつあります」
「……いよいよね」
石動は作戦担当参謀を電話で呼び出した。
「いざとなればまたフロギストン爆弾を使うしかないな。集積所の兵士たちを、安全圏まで緊急避難させる作戦を大至急たててください」
驚いた三等佐官が尋ねた。
「フロギストン爆弾投下のシミュレーションもですね」
「そうよ。上田大臣にはわたしから交渉する」
「銃撃の音は続いています」
集積所の所員がレシーバーを耳に報告した。ロバート木下特務曹長は、ため息をついた。
「どうします。やはり昇降機の天井を爆破しても突入するしかない」
来島は決断しかねていた。木下は焦りを顔に漂わせている。
「下ではなにを相手にしているのか、ドンパチがはじまってますぜ」
「地下三階にどんな罠があるかわからない、と言っていたのは、あなたですよ」
階級的には来島が上だった。特務曹長の階級は准尉に等しい。
しかし軍歴、いわゆる「メンコの数」と実戦経験は木下が上である。
「下ではなにかとんでもないことが起きてる。電気系統もいかれてるし、もう自動攻撃兵器も罠もないだろう。多分立て籠もってる連中は、大変なことになってる。
キャニスターがなにか知らないが、取り戻さないとエライいことになるんだろ。 俺の部下は六人になっちまったが、大陸奥地や中近東で戦いぬいた猛者です。
まあ信頼していてくださいよ、ここの警備兵とは格が違う」
緊急展開部隊の木下以下七人は、地下部への突破口を開くべく、まず閉鎖されている垂直昇降機の防護扉をこじあけようとしだした。
残された職員達は不安定な状態で、なんとか各システムを再起動させようとしている。幸いまだ電気系統は残っている。
しかし地下から強い電磁波、その他のエネルギーが発散され、機器に深刻な障害を及ぼしていた。小夜は信頼する挺進隊長に問う。
「どうします。もしもキャニスターが開封されているなら、とても危険です」
「……大神二曹、顔色が悪いが」
「あの……やはり意思が強くなっています。怒りと恐れと悲しみ。
そして、なにかを殺せと言う強い希望。でも、不思議なほど敵意はないんです」
「つまり、すでに覚醒してしまっているわけか」
来島は職員に命じて、不安定な市ヶ谷との連絡を安定させた。
石動は現状を把握しつつ、苦渋の選択を迫られていた。
「そう、強い意志を感じるのか。景山たちのものではない。
あなたたちを派遣してよかった。これで大惨事を未然に防げそう。いよいよとなったらそこから急いで脱出させるから、その手配中よ」
「キノシタ特曹たちはどうします」
「肉眼、または光学探査でキャニスター開封と、特種乙号資材の緊急事態を確認しないと、首相に進言できない。任せるしかないわね」
「白瀬首相に? 何を進言するのでしょうか」
来島は石動の強張った表情に、戦慄した。
夜明けまではまだ時間があった。しかし首都特別区は眠らない。
そしてこの夜は、静かな緊張感の中にあった。復興が成し遂げられた整然とした町並みのあちこちに、首都警察や特別防衛部隊の姿が見える。
そんな首都を護る市ヶ谷永久要塞中央棟地下の情報統監部では、いまどき珍しい眼鏡の奥から、第十一課長二等佐官が胡散臭そうな目で田巻を見つめている。いつもの軍令本部勤務服に参謀「かざりお」を吊るした田巻は、いつかその位置から追い出してやろうとしている相手に、自説を強調していた。彼も眼鏡をやめない。
「東黎協会は、穏健な政策研究会だと認識しておるが」
「革新官僚、青年将校、選良若手財界人や覚醒した知識人などによるいわば国体変革のための秘密結社です。
右派でも左派でもない、敢えて言えば褐色言うやつかな」
元木課長の眼差しに軽蔑の色がくわわる。田巻は噂を聞いていた。この女性問題をおこした実力派の二佐、メンバーではないがあの協会のシンパであることを。
「……それで、わたしにどうしろと言うのかね」
「現在協会の有力メンバーである東光寺一佐を、内務監査課と警務隊特別行動班が必死に探してます。しかし首都警察はまだ動いてへん。
つまり旧長野県北端で起きている異常すぎるなにかは、東亜黎明協会首魁と目される東光寺一佐が、なんかしでかしたことと思います。あの昔やったら恩賜の軍刀つうエリートが。
確か……元木二佐も一佐とお知り合いとか」
「まあ、幹部学校の生徒監だったしな。別にわたしは例の協会の一員ではない」
「東光寺一佐の叔父は、白瀬首相も属している村瀬派の金庫番ですわ。
なんでも
「……なぜわたしが一佐の動向を知っているのかね。万が一わたしが一佐の居所を探し当てたとしたら、わたしまで彼の一味とは思われないかね。
それとも………それが君の狙いなのかな」
「元木二佐。今おきてることはよう判らんがただごとやない。それこそ国家非常事態や。おまけに十一課に管理責任ある、スガル特務挺進部隊まで出動してる。
スガル部隊への援護射撃のためにも、できるだけのことしてあげるべきやないですか」
「わたしは待機せよと命じられている。だから、命令に従うまでだ」
事なかれ主義軍事官僚との交渉は決裂した。退出した田巻は、怒っている暇もなかった。次の手を打たなくてはならない。謀略参謀の意地にかけても後戻りはしたくない。
そのとき個人用携帯端末ユニ・コムの小さなモニターにに文字情報が入った。
払暁、統合警務隊の田沢昭二法務三尉たちが、潜伏中の東光寺の検束にむかうと言う。
「いよいよやな。ほんまに、いったいなにが起きつつあるんや」
「いったい、何がおきつつあるんでしょう」
最後尾の真由良が呟くように言った。すぐ下で、メンテナンス用のラッタルを慎重に降りていた斑鳩小夜が答える。いつもの甘い声が沈んでいた。
「人類史をかえそうな、大変なことよ多分」
車一台は運べる大型昇降機のシャフトは、上からの投光器の灯りで明るい。
来島と夢見は、地下二階部分で待機している。
木下の部下は最下部に停止したままになっているカーゴの天井板上にいて、レーザートーチでカーゴ上部ハッチの一部を溶かしつつあった。
「接合部がとれました。いつでもあけられます」
木下と重武装の部下数人は、カーゴの上に飛び降りた。突撃銃は特製で、グリネードランチャーが取り付けられやや重い。木下はヘルメットをかぶりなおした。坊主頭に白いものが混じる。
「よし、あけてファイバーをつっこむ。カバーしろ」
二人がかりでメンテナンスハッチをあけ、もう一人がステッキのようなものをハッチにつっこんだ。
その先端は曲がり、中の様子を映し出す。部下の一人が言う。
「だめです。なかの扉もしまっている」
厚く頑丈な防護扉のむこうから、銃声と爆発音が響いてくる。
「よし、中へ降りてこじあける。松永から降りろ」
岩盤に覆われた地下基地の底、電波はもう通じない。
地下二階部分から来島が言う。
「中で戦闘が行われているらしい。あがって石動将帥の指示を仰ごう」
「やりたければどうぞ。遠く離れた東京の連中になにが判るんですかね。
こっちゃともかくキャニスターとやらを奪還しろ、不可能ならばその状態を報告しろって言われてるんだ。いちいちお伺い立ててちゃ、日が暮れちまう。
大事な部下の命預かってんだし」
木下は部下の一人を地下二階部分に、もう一人を地上階の部分に待機させ、残った部下四人に防護扉を上下にこじあけさせた。
上下に二枚づつのパーツに分かれている。少しあくと、風と光が吹き込む。
「なんだ……これは。松永、急いであけろ」
「木下特曹、慎重に!」
「た、隊長……この先はあの、いったいなにが」
夢見は青ざめていた。自分をなにかが待っている。そんな気がしてならない。
「防護扉が開けば、木下の部下が突入する。我々にもキャニスターと宝辺一尉を確認しなくてはならない。判るね。いいな、大神二曹。君にかかっている」
「は、はい」
「しかし無理は絶対にするな。我々は情報挺進隊だ。攻撃部隊ではない。まして決死隊でもない。
木下班突入後、わたしから下へ降りる。次は二曹。遊部三曹はここで待機」
「でも……」
「君の射撃の腕前で、我々の撤収を援護してくれ。いいな」
そのとき、メンテナンスハッチから強い風が砂埃とともに吹き出した。
「なんだこれは」「この光はなんだ」「視界が!」などと、木下班のベテラン戦士が口々に叫んでいる。特曹は未知の敵を前にして躊躇わない。
「よし、突撃する。遮蔽物に身をかくせ!」
閉鎖された地下洞を嵐が吹きぬける。身を低くして真っ先に突入した木下は、小さな火花につつまれて立ち尽くす。通信機や観測装置、銃の自動照準などの電子機器が、いっせいにスパークした。
「よし、我々も行こうっ!」
日ごろ冷静で意思堅固な来島は、戦地に立つと興奮し、猪突猛進型になる。木下班の動向などお構いなしに、カーゴの中に飛び込んだ。
部下たちは止めても無駄と判っていた。仕方なく夢見も飛び込むが、けっこう高さがあった。耐ショック効果のあるブーツだが、転んでしまう。
その上にあわてて小夜がふってきた。小夜も転んで夢見の上に重なってしまった。すさまじい風が二人に吹きつける。空気が電荷を帯びているようだ。
「だ、大丈夫ですか。あの、胸どけてくれないと、息が出来ない」
助け合って立ち上がった二人は、目が眩んだ。すぐ前に、がっしりとした女武者の背中があった。あまりのことに来島も立ち尽くしている。
三人の身につけた電子機器が次々とスパークする。
「な……に」
立ち上がった夢見も唖然とする。
トンネルの奥が妙に明るい。そこから風が吹きつけてくる。地下三階を嵐が巡回し、土砂や破片を三人に叩きつける。
「あちあちあち」
発熱していた情報端末プレートを、小夜があわてて捨てた。先に突入した木下の部下たちも、柱や壊れたコンテナの陰で身動きができない。夢見は確かに「意思」を感じ、トンネルの奥を見つめる。
光のリボンのようなものがいくつも流れてくる。それが金属に接すると火花を散らす。
「ゆ、夢見、あれなに?」
小夜が指差す方向に、すでに夢見の視線は集中していた。下半分だけになったキャニスターの中から立ち上がっている光の固まり、それは確かに人間のかたちをとっている。身動き一つしていないが、強烈な意思が感じられた。小夜ですらそれを感じ戦慄している。
「き、木下特曹……」
吾にかえった来島の声に、天井を支える急ごしらえの柱の陰から、ボブ木下が答えた。
「これはなんだ。これがキャニスターとやらか」
来島に判るはずもない。
「誰か来ます!」
木下の大柄な部下が叫んだ。光が渦巻く中から、二つの影がよろめきつつ出てくる。兵士たちは銃の光学照準をつけた。木下特曹が鋭く叫ぶ。
「発砲待てっ!」
ぼろぼろの黒い戦闘服の佐伯梓が、息も絶え絶えに浦木をひきずって出てきた。木下とその部下があわてて彼女をかかえ、夢見たちのいる昇降機まで運んできた。
すでに浦木は息絶えていた。衣服がぼろぼろになっている。何十もの鞭を受けたように。やけどでもなさそうだ。
なにかのエネルギーにさらされたのかも知れない。
「おい、しっかりしろ。なにがあった。いったいあれはなんだ!」
木下の呼びかけに、佐伯梓は薄く目をあけた。
「た、たからべ……一等、空尉」
「空尉? だれだ、それ」
来島は佐伯三尉の顔をのぞきこんだ。
「ほかのひとたちは。影山一尉はどうした?」
「早く……とめて。あれを、外にだしては……世界が」
小夜は軍用ポシェットの緊急医療キットから圧縮注射を取り出し、佐伯の首筋に注射した。全身の痛みが楽になると、佐伯は気をうしなった。顔をあげた小夜は驚いた。夢見がゆっくりと、あの光る何者かに近づきつつある。
「夢見、なにしてるのっ!」
吾にかえって立ちすくんだ夢見は、電荷を帯びた空気の圧力によろめく。
木下は立ち上がって四三式五・五六粍特殊突撃銃を構えた。
「あれが、キャニスターの中身か。化け物めっ!」
「あなたは……誰」
目を見開いた夢見は光る存在に心で語りかけた。恐怖感は不思議なほどない。
「あなたが、ひょっとしたら宝辺一尉なの」
その「光」がふりむいた気がした。
「隊長!」
大型昇降機天井のメンテナンスハッチから、遊部真由良が顔をだしている。
「二階奥に緊急脱出口らしきハッチを発見したそうです。その中には側防窖室らしき空間があり、大量の特殊爆薬が設置されています」
「爆薬? キャニスターごとふきとばすつもりか」
夢見は暴風と光の「圧力」に耐えつつ、声と心で語りかけている。
「あの……あなたは宝辺一尉なの、かつてあの石動三尉の教官だった空のエース。殺せ……誰を殺したいの。おねがい、接触して」
――来るなっ!」
と言う強い意志が頭の中に響いた。夢見はさらに目を見開き、驚いて尻餅をついてしまった。
そのとき強い風圧で炭素繊維の三三式ヘルメットが飛ばされてしまう。
「遊部三曹、引き上げろ!」
来島隊長は気絶している佐伯の胸にロープを回し、カーゴの上から大柄な真由良に引き上げさせた。下からは来島が持ち上げる。こうして唯一であろう生き証人の佐伯三尉を安全な場所へ移すと、真由良に命じた。
「通信手段が途絶している。すぐにラッタルをあがって地上部から市ヶ谷に報告。すでにクルクス乙号資材は覚醒したるもののごとし。命令を乞う」
尻餅をついたままの夢身を助けおこしたのは、ボブ木下だった。
「こんなことろで、何をやってるんだ。あんなものに近づくな、無鉄砲なお嬢ちゃん」
と夢身を後にひっぱって行きつつ、部下に命じた。
「よし、一斉に撃て」
「だ、だめ!」
夢見の小さな叫びは、突撃銃を構えた兵士太刀の脳幹に響いた。しかし命令に本能的に反応し、四人のベテラン戦士たちはトリガーをひきしぼっていた。発射された完全被甲弾は光り輝く人の形に到達直前、火花になって砕け散った。
「な、なに?」
戦士たちは弾倉の弾丸を撃ち尽くしても、トリガーから指を離せなかった。兵士の一人があわてて弾倉をかえようとしたが、木下はとどめた。
「下がれ、グリネードランチャーをつかう」
「あの……無駄ですよ多分、そんなことしても」
「お姫さんは陰に隠れてな、ここは戦場だ」
木下たちも柱などの陰に隠れた。
「夢見、ここは彼らにまかせて」
飛びついた小夜は、よろめきつつ立ち上がりかけていた夢身を、信じられないような力で古いベトンの壁に押し付けた。
直後、木下以下五人が小型だが偵察車輌ぐらいは吹き飛ばす擲弾を連続発射した。次々と爆発がおき、古い地下壕は轟音と硝煙につつまれる。
息をきらせてラッタルをのぼった遊部真由良は、地上部から大きなエレベーターシャフトを今一度覗き込んだ。爆音につづいて、メンテナンスハッチから硝煙が噴出している。
地下二階に退避させた佐伯の様子は判らないが、木下の部下が護っているはずだ。地上階で警戒していた木下の別の部下が、不安げにきいた。
「いったい下でなにが起きてるんだ」
「……自分も知りたいですね、なにが起きているのか」
と走り出した。そのまま中央棟にある指揮所に飛び込むと、市ヶ谷地下の石動情報統監部長に現状を報告した。
「自分はエレベーターカーゴの天井にいましたので、はっきりとは見られませんでした。光を凝集したような人間の形をしたものが立ち上がっていました。
地下一階より下では、電子機器がつかえません」
かつては大本営陸軍部、そして防衛省があった市ヶ谷台は統合自衛部隊発足に際し、首都防衛の拠点として永久要塞化されている。
国防省と統合軍令本部、そして首都防衛本部から為る。
その地下は三層までしかないとされていた。だが密かに第四層が作られ、さらに第五層の建築も進んでいるらしい。
そのありうべからざる第四層地下緊急発令所で、日頃冷静極まりない石動将帥は珍しく苦悩に満ちた表情を青ざめさせていた。
「そう……やはり覚醒してしまったの」
小型モニターにうつる勝気な「新人」の顔には、不安と不思議な闘志が見てとれた。
「君はなにか感じたか。意思を」
「今では大神二曹の半分もPSNがありませんが、確かに不可解な意思は感じました。怒りと言うよりは、その……恐怖心と悲しみに近いような」
「スクランブラーはAMレベルね。
たぶん大神くんたちが感じているのは、変化した宝辺一尉の意思です。一尉は光となってはじける異世界文明機のただなかに、射出された。
そのとき、精神にかなりの異常をきたしたらしい」
「異常?」
「変異と言ったほうがいいかな。つまり、人間ではなくなったの。
もしかしたら異星の探査艇に宿っていた精神に、憑依されたのかもしれない」
「……おっしゃってることがよく判りません。探査艇の精神?」
死者の迷える魂を黄泉へと送る古代術者の末裔にも、探査艇の意志など理解不能だった。
「言ってるわたしもだよ。ともかく当時の関係者はあわてた。しかし唯一の、地球外文明との接触の証拠を抹殺もしたくない。そこで急いで冷凍したらしい」
「ではあの人の形をしたものは、人間ではないのですか」
「もと、宝辺一尉だった肉体。それが急速に変化して、なにかほかのものになった、あるいはなりつつあるのです」
硝煙がおさまっても、その「なにかほかのもの」は輝き佇んでいる。ロバート木下特曹ははじめて青ざめた。
「ば、化け物……。こりゃ手に負えない。
撤退! 一度撤退しろ。もうここを爆破するか封鎖するしかない」
来島もなにをどう命令していいか、判らない。頭の芯に傷みを感じている。
「あんたらがここにいたいなら、とめないぜ。俺は部下の命に責任がある」
木下班は大型カーゴ天井のメンテナンスハッチから脱出しはじめた。
風がややおさまった。しかし夢見も小夜も呆然と立ち尽くしている。
「あ、あれ、攻撃してこないの」
「あの……しようとしている。でも、止めてます……彼が」
「彼って誰が? ほかの意思があるの」
「二つ……感じます。一つは悲しみと殺意のまじった人間臭い……心。もう一つは感情のない……防衛本能? ほんとうに奇妙な」
「我々も大型エレベーターまで下がろう。このままでは取り残される!」
国防省大臣執務室の長椅子で仮眠をとっていた上田は、夜明け前に起こされて眠かった。妖艶な不破秘書が濃いコーヒーを運んでくれたが、飲んでいるうちに味を感じなくなった。
ソファーの横には、目の細い眼鏡の顔が浮かび上がっている。仮想スクリーンだった。
「……やはり東光寺か。やつは元々、亡き本間くんの弟子だった。過激な協会をなだめる形で接触したはずだったが、ミイラとりがなんとやらか」
「先生、あの切れ者一佐とお親しいのですか」
田巻は意外そうに聞いた。穏健派の「微笑みの寝業師」との接点が判らない。
「別に親しくはない、だが評価はしておった。
もっと現実的な人間と信じておったが」
「そうですか……。それとこれもまだ未確定情報ですが、つくばの特殊工場でトリチウムの極秘注入がはじまったとか」
「!……フロギストン爆裂筒か」
「例のクルクス乙号資材に使うつもりですか」
「知らん、今聞いた。確かめてみる。まさかワシの許可もなくそんなことが」
と上田はあわてて立体電話をきった。
統合自衛部隊は四つの機動艦隊を基本とする国防兵力である。Japanese Unified Self-defense Troops=「JUST」ジャストとも称される。
そのジャストはじまって以来の俊英と言われた元作戦課高級参謀東光寺一佐は、さすがに疲れていた。元々体力も相当あり、将校ながら特殊遊撃訓練にも参加していた。
暖炉の炎が目にしみる。朝が近いが、実行部隊からはまったく連絡がこない。 東京の工作班同志は夜通しかけまわって、シンパや有力政治家を説得してまわっている。
夜明け前の首都は静かな準限界態勢にある。マスコミの一部もこの異様な事態に気付きつつあった。国防省回り記者が上田を探し回っている。すべては朝までに片付けなくてはならない。
別にクーデターを起こそうと言うのではない。混沌を極める世界情勢の中でわが国が生き残るために未来から来た技術を活用しようと言う、ごく当然のことを説得しているのだ。大きなあくびが出たが、眠くはなかった。あのキャニスターのことが心配だった。
「おはようさん。少し早いけど」
安楽椅子横の小テーブルに乗せられた平面モニターから、声がした。
東光寺は切れ長の目を見開いた。そこには今時メガネをかけた、鼻の大きなのっぺりとした人物が不気味な微笑を浮かべている。朝から見たくない顔のトップ5には入ろう。
「……誰だ君は。一度どこかで」
制服に、たいそうな銀の飾緒をつっている。しかし肩章は尉官のものだった。
「情報統監部参謀の田巻一尉です。先任で佐官待遇の。前にたしか国防省でお会いしてます」
「そうか、思い出したよ。確かにお会いしたな、有名な謀略参謀殿と。
なにかジャスト上層部にも秘密な、特殊部隊をつくったと聞いたが」
「時間があまりおへん。いきなりで失礼します」
「その前に、どうやってわたしの居所を知ったのかな」
「説明すれば長いので。僕は情報統監部に所属していましてね。
一佐は例の軍機クルクス乙号資材を人質にとり、なにを要求するつもりなんでしょう」
「……さすがだな。君が知ってどうする」
「一佐のことや。政府の実力者になにかを要求したい。たぶん、国防を主眼にした政界再編制かなにか。いわば静かな無血宮廷クーデターかな」
「ふふふ。君もくわわりたいのかな。確か上田大臣が君の後ろ盾だったな」
「一佐は故・本間将帥補のお弟子っさんでしたな。本間閣下は上田先生のポン友やった。
上田先生がなにか重要なポストにつかはるんやったら、考えんでもない。
しかし、あのクルクス資材は危険すぎます。沈着冷静をもって知られる石動閣下が、文字通り青ざめてはる。こりゃおおごとや。あれを取引の材料にするのは、自らを滅ぼすことになりまっせ。ついでに世界も。
どうせ東黎協会のイカれた連中に、まんまと担ぎ上げられたんと違いますか。 むかしやったら天保銭の恩賜の軍刀ちゅう秀才で、戦略家のあなたにしてはエラい粗雑な作戦や」
「………きみは知ってるのかな、あの中身を」
「正直、噂ちゅうか都市伝説程度にしか。宇宙人の死体だとか、宇宙船のカケラやとか。
前世紀の後半からよう語られたような話やけど、あれはほんまもんてすな」
「二十年ほど前に、異世界文明の探査艇と接触し、変化しだしたかつてのタカラベ一等空尉の遺体が極低温保存されている」
「ほう……遺体やったら別に悪させえへん。化けて出たわけですかな」
「遺体ではない。探査宇宙艇の爆発、おそらくは機密保全のための自律自爆にまきこまれた当時のエースパイロットの肉体だ」
「……そんな古い遺体手にいれて、どないしはりますねん」
「明らかに肉体、そして精神に変異がおきていたそうだ。宇宙機の爆発が作用して。当時の科学水準でもある程度はわかった。
ひょっとすると一尉の脳には異星人の情報がインプットされたのかも知れないし、遺伝子にもかなりの影響が出たようだ」
「情報を脳に……言うてはることよう判りまへんな。
死んでるんではないのですか?」
「防衛省から国防省へと受け継がれ、二十年ににわたる極秘研究の結果だ。わたしも報告書を直接呼んだわけではないが、研究に関わっていた同志がいてね。
どうも自爆した宇宙機のコントロール部に、異星人の意思が組み込まれていたらしい。何十光年離れた地球での探査活動を行うべく、ね」
「意志? 探査艇に……その意思が、タカラベはんに乗りうつった? キツネつきやがな」
「肉体的には死んでいた一尉の細胞が変化し、かつ人間のものとは思えない脳波が現れ、観測機器を破壊したそうだ。
冷凍されても、微弱な新陳代謝は継続しているとも言う」
「なんやそれ……。それを、手にいれてどうするつもりなんですか」
「どうもしない。しかし怖れるばかりではなんの進展もない。
異星の知識を我が国の発展のために生かしたいだけだ。研究を再開しろと、政府の奥の院に迫るさ。そのための基礎固めは朝までに終わる」
「二十年前に解き明かせず氷づけにしたものが、今の技術で解明できるんですか。きわめて危険と違いますか」
「危険は覚悟の上だ。いっぺんに総てを解き明かすつもりはない。無理だ。
しかし理解できないものを封じ込め、忘れ去れば進歩を否定する。リスク覚悟で、タカラベの変異体の研究を開始する。
そして我々の想像もしなかった技術を解き明かす。
それしかわが国に未来はない」
「それがトリニタース、いや背後にいるらしい科学者集団の目的かいな」
「………なにぃ。貴様いったい」
「一佐のお考えは上田国防大臣にもお伝えします。しかし統合警務隊は、軍事裁判所からの逮捕命令を朝一番でもらおうと待機してまっせ。多分警察や公安かて動きはじめてます。
警察はともかく、統合警務隊は国防大臣の一存では止められへん。独立機関や。アジトかわるんやったら、今のうちやし。そこは首都から近すぎますなぁ」
田巻は元々細い目をさらに冷たく細めた。
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