第六動

「内郭の温度が、上昇している………」

 工学と理学の博士号を持つ二等尉官大崎は、銀色の「棺桶」に取り付けた計測機器を見つめて、呟くように言った。

 小柄で引き締まった佐伯三尉も、コーヒーカップをもったまま近づいてきた。

「なんですって?」

 角の丸い棺桶は、顔の部分だけ半透明になっている。しかし凍り付いて、中はよく見えない。上にかけられた航空自衛隊時代のパイロットスーツが、銀色の棺に張り付いている。

「冷却材が足りないの」

 大崎は薄い情報タブレットを、片手で撫でまわして操作している。

「そんなことはない。循環式だ。電力さえ確保したら、温度が変化するわけはない。ひょっとしたら……」

「どうした」

 統合幹部学校は、旧軍で言うと陸海軍の大学校にあたる。そこで生徒監をつとめる景山一尉は、横須賀の統合防衛大学校を主席で卒業し、恩賜の指揮刀をもらった俊英だった。

「内部から、温度があがっています」

「内部からだと? まさか、生きているのか」

「……わかりません。ともかくキャニスターを閉じたほうがいい」

「よし、急げ。それと佐伯三尉は東光寺一佐に報告しておけ」


 二十世紀はじめにできた煉瓦造りの洋館は、郊外田園都市のはずれに立っていた。しっかりとした建物は地震でもほとんど影響がなかった。

 暖炉では小さな火が燃えている。寒くはない。ただ東光寺正光は、薪の燃える臭いが好きで暖炉を愛用している。今では贅沢な暖房である。

 大きなフレンチドアのむこうは木々の茂る庭である。安楽椅子に座り、足を組んで受話器を耳にあてていた。コードレスフォーンは盗聴がしづらいとされているる

「もう暫くそこで頑張ってくれ。いざと言う時に近くに専門家がいたほうがいい。

 確かに大崎は優秀な技師だが、クルクス乙号を見るのは当然はじめてだ。

 あれは……あなたにしか扱えない」

 東光寺は左手で、小さなテーブルにおいたブランディーを注いだ。

「覚醒する可能性? あれはまだ生きているのか。あの極低温の中で。わたしは回収した遺体ときいていたが。なにかの間違いか化学反応じゃないのか?

 ともかく時間を稼いでいる。現在政府の中枢と交渉にはいっている。なにも全世界に公表するつもりはない。言ったように」

 総本山東光寺と言う関東でも屈指の名刹管主の息子である。神童の誉れ高く、大学までは常にトップだった。一般大学から幹部学校へすすみ、トップで卒業した。

「我々の要求は一つ。日本国内のトップレベルの研究機関を動員して、クルクス乙号資材の研究をすすめることだ。わが国の国防、科学技術の躍進のためにな。

 危険は覚悟のうえ、その知識を利用すれば、我が国をとりまくほとんどの問題が解決する。場合によっては超兵器を手にいれられる。人類の想像を絶した力をな。

 ……君はいつも恐れている。まあ間近にいるものとしては仕方ないが」

 胸ポケットの手帳大の携帯端末が小さな発信音をだす。山中でも感度がいい。

「ちょっと待ってくれ。地下から連絡だ。

 ……内郭温度が上昇しつつあるので、外殻をとじて再冷却するそうだ。先生の言うようにあれはまだ生きているのかも知れないが、まういい。

 所詮閉じ込められている。すばらしい生命力だよ。あの航空自衛隊のエースパイロットになにがおきたのか、いまの技術でなら解明は不可能じゃない。当時はとても無理で、凍らせてしまったがね。

 心配はしなくていい。政府との交渉がまとまれば、しかるべきところにお返ししよう。もしもの時は、苦労して君が運んでくれた特殊爆薬もあるじゃないか」

 不敵に微笑んでみせる東光寺だが、内心は焦りはじめていた。


 こんな場合、穏健派の白瀬首相では対処しきれない。元は哲学の准教授だった。

 「万年」国防大臣の上田は、首相官邸地下壕臨時指揮所に陣取っている。泊り込む覚悟で、秘書に下着なども用意させていた。

 肥満体の国防族巨魁は、鼻の下に八の字髭を生やしている。連立与党の「要」とも言うべき人物で、野党からも信頼されていた。

 あだ名はずっと「微笑みの寝業師」である。

 上田は市ヶ谷地下第四層の石動から、キャニスターを隠している旧地下壕を発見、交戦中との連絡を受けていた。

 しかも情報統監部と警務隊からは、かの東亜黎明協会の主力メンバーたる現役武官がかかわっているらしいと聞かされ、悩んでいた。

 そしてまさにその東黎トウレイ協会の主要メンバーが、大臣に面会したいと官邸に乗り付けている。有能な不破秘書は警備の警官に追い返させようとしたが、上田は地上へあがった。

「キャニスター回収は石動君に任せるしかない。わしは奴等の言い分を聞こう」

 こうして上田哲哉は鼻のしたの貧弱な八の字髭をしごき、一階の特別談話室にはいった。トレードマークの赤い蝶ネクタイを締めなおして、唾を飲み込んだ。

 痩せて背の高い小島正和が立ち上がり、一礼した。数年で五十にはなろうが、精悍で若く見える。この男もエリートとしての人生を送り続けていた。

 現在は外務省情報総局第三課主任分析官の肩書きを持つ。上田はこの男が永田町における「同志」「准同志」のまとめ役、と聞かされていた。

 となりの少し肥えた山本聡史は、小島よりは若い。上田は見たことがあった。

「はい。統合防衛大学校教育研究所理事をしております」

 極秘機関である、総力戦研究委員会の会員でもある。経済界にも顔が広い。

 東黎協会は統合自衛部隊ジャストのみならず若手政治家や革新官僚、先端科学者や財界人有力師弟などを集めた、国家を憂い国威の伸張を目指す結社である。

「……それで、君たちの要求はなにかな」

 挨拶もそこそこに言う。穏やかな顔がこわばっている。

 ふたりのエリートはすわりなおして、顔を見合わせた。

「ワシは忙しい。信州でえらいことがおこっとる。そう、君らはよく知っているはずじゃな。さ、早めに話してちょう。要求はなにかね」

 小島が少し微笑んだ。

「……要求は至極簡単です。高度国防防災国家野建設にむけて、与野党協力の挙国一致内閣を作っていただきたい」

「なんじゃと。エラい抽象的で、かつ難しいな」

「現在の政友党と改進党の連立を実現させたのは、『微笑みの寝業師』と呼ばれたあなただ。そして最大野党の国民連合は、もとの改進党の母体でしたね。

 先生が引き継いだ旧島野派の影響が強い。与野党の大同団結はあなたにしか出来ない」

「それと例の宝物とどんな関係がある。わしゃくわしくは知らんが」

「あの異星文明の技術を隠匿し、研究もせずにただ凍らせているだけでは、わが国のなんの利益にもなりません。この激動の時代に生き残れないのです」

 十年ほど前のアジア経済危機と、続く東海・東南海地震による世界経済危機は、ここ数年でなんとか収束していた。しかし、世界の三分の一近い地域が、今も紛争地域に指定されている。

「よくは知らんが、あれは恐ろしいものなんじゃろう。だから凍らせて隠した。

 それしか方法はない。まだわれわれが手を触れてはならない何かだ」

「それがなにか調べもせず、手もつけてはいけない? 

 ならなぜ消滅させず、未来に託すのですかな」

「託すだと」

「そう。隠蔽し続けて、いつか科学があれを解き明かせるようになるまで、凍らせておくつまりなのでしょう。

 さもなければ毎年、かなりの予算をつぎ込むことなどない。

 本当に手を触れてはいけないなら、ロケットで宇宙へ放り出したほうがいい」

「……ワシも、あの施設を作った連中がなにを目論んでいたかは知らん」

「わが国一国では手にあまるなら、環太平洋条約機構各国が手をとりあってもいいはず。アメリカははじめ、あれを自分達にわたすよう求めたと聞いています」

「条約機構でかね。なぜ国際連邦ではないんだ」

「上田先生もご存知でしょう」

 と言ったのは山本理事だった。「クルクス」こと特殊乙号資材の管理に、近い立場にいる。

「クライネキーファー家の肝煎りで作った国際連邦の実態を。また国際連合の二の舞です。わが国は常任理事国にもなれず、負担ばかり増えていく。

 いや、意図的にならなかった。そしてクライネキーファー家でも、あれにはかなり興味を示しているようですね」

「……あれを研究して社会の発展に役立てたいのか。あれをエサにして、なにかタワケたことを企てたいのかね」

 二人は顔を見合わせた。小島は冷たく微笑む。

「その両方です。わが国にあれがある限り、世界的なイニシアチブをとることができます」

 上田は強張った顔で二人を見つめた。髭がかすかに震えている。

「それが、おまえたちの親分の要求かや。君たちのアタマは誰かね」

 小島は山本の顔を見た。山本は軽く頷く。

 小島は大きく息を吸ってから答えた。

「……東光寺一佐です」

「な、なに!」


 夜もふけつつある。信州「あやかしの森」はずれの戦闘など、市ヶ谷地下には想像もできない。し

 かし待機所に戻った夢見だけは、はるか離れて「なにか」を感じていた。

「はあ……待つだけってしんどい。ちょっと夢見、だいじょうぶ?」

 と小夜は顔をのぞきこんだ。

「なにかがまだ続いてます。あの………きっとなにかよくないことが」

 真由良は向かいに座っている。迷彩戦闘服の上にパンツァーヘムトをきこんで、あとは三三式ヘルメットと言う状態で夢見を見つめていた。

「古武士」来島はベンチにすわったまま目を閉じている。球戯場の控え室にも似たこの待機所に、明るい声が響いた、

「みなさん、調子どう」

 スガル部隊の「専門医」となった、医学博士橋元由紀だった。やや肥え気味の若い佐官相当医務正が、小脇に機器をかかえ白衣の下で胸をゆらせつつ挺進隊長に近づいた。来島は立ち上がって敬礼する。

「待ちくたびれましたが、大丈夫です」

「新人さんはどう」

 真由良も立ち上がった。橋元とは頭一つ以上違う。

「特に異常はありません」

 小夜に尋ねたあとは夢見だった。

「多分あなたが一番、辛いかもね。あ、すわってていいわ」

 橋元はペン状の器具を、夢見の額に押し当てた。

「特に異常値はないけど、ただ待つだけって本当につかれるわ」

「あの、その……なにが起こってるんでしょう」

「わからない。けれども北陸の衛戍病院に緊急対応令が出てる。

 犠牲者がでることを予想した、作戦展開中よね」

「……わたしはなにか不安で。こんな気持ちは滅多にない」

「まさかとは思うけど、未来がわかるの」

「そんなまさか。ただ……いえ」

「橋元医務正」

 来島二尉が近寄る。若いが最近医学博士号をとった俊英だった。

「あなたも待機命令が出ているのですね」

「ええ。特務情報挺身隊と行動をともにすべしってね」


 部品をよせあつめた完全自動攻撃装置「ライデン」は、ついに胴体を破壊された。燃料電池が爆発し、全体が炎につつまれる。それでも数歩前進しそのまま倒れた。

 再度爆発がおきて完全に沈黙した。ベテラン曹長が慎重に近づき、完全に停止していることを確認する。投光器の明かりがまぶしい。

「射撃中止、敵無力化」

 現場の部隊長は数名に洞窟内の偵察を命じた。他の兵士は援護に回る。

「待って」

 と連絡したのは市ヶ谷地下の石動だった。

「無人偵察装置を使ったほうがいい」

 やがて四本足で歩く犬ぐらいの大きさの偵察装置二機が、洞窟に入っていく。

「現地指揮官へ。キャニスターに対する発砲は厳禁してください」

 現地部隊は、自分達が探すべき物体の正体を知らされていない。

「おかしいわ、もう反撃して来ない」

 四本の足で偵察装置は奥へとむかう。それは自然洞窟を開鑿し補強した、かなり本格的な地下壕だった。しかし長年放置され、ところどころ崩落している。

 一号偵察装置は強力なサーチライトと各種探知機で、地下壕を探査する。しかし人の気配はしない。二号機も続く。

 現地指揮官三尉は、武装兵三人に地下壕への突入を命じた。

「もう少し待って。なにか怪しい」

 また直接命令権のない情報統監部長将帥は遠い首都からそう「意見具申」した。重装突撃兵の三等尉官はベテランとしての勘からその「すすめ」に従った。

「小隊長!」

 弁当箱台のコントローラーを操作していた下士官がよってきた。

「見てください。一号偵察装置の画像です」

 特別集成捜索部隊の映像は、市ヶ谷でもモニターされている。

 石動の前の大きな二次元モニターにはサーチライトに照らされた、弾丸ケースのような箱がいくつも写っている。

 偵察装置からの人工的な声が響く。

「爆発物の可能性あり。次の行動指示を待つ」

「い、いけない……」

「マル特戦」と呼ばれる実戦経験者三尉も、石動と同じことを言った。

「い、いかん。偵察装置を回収、いや、全員遮蔽物に身を隠せ!」

 偵察のために近づこうとしていた三人も、あわてて退避した。次の瞬間、しかけられていた藤村式高性能爆薬が爆発した。

 偵察装置を粉々に吹き飛ばし、炎と爆風を噴出した。


 その爆音は森に響き渡った。ここ資材集積所の地上施設の指揮所にいた浦木は、顔をあげて立ち上がった。

「あの音は……」


 二つの偵察装置の画像は消えた。かわって市ヶ谷では、捜索部隊が硝煙とふりそそぐ土砂、木片の中で混乱している場面が写った。

 兵士たちがどなりあっている。

「各員損害を報告」「衛生兵、どこだ」「第三班負傷二名!」「落ち着け!」

 爆音が残響にかわっても、濛々たる煙が兵士たちの視界を覆っている。各兵士にとりつけた医学的モニターが、五人の負傷者を報告した。死者はいなかった。

 ただちに上空で待機していたヘリコプター「あまこま」や「あまこまⅡ型改」が降下して、救援活動にはいった。

 市ヶ谷地下四層の発令所で、石動麗奈はやや赤い目で混乱の続く様子を見守っていた。

「タカラベ一尉……」


 大崎は手に持った大きなコントロールパネルを見つめる。声がふる得ていた。

「だめだ、冷却材が足りない」

 リーダーの景山もモニターを見つめた。

「内郭の温度があがっている。電力不足か」

「い、いえ。中からその、蘇ろうとしているのかも」

「……やはりまだ、生きているのね」

「一尉、温度上昇をとめられません。このままでは。

 すぐに退避してここを爆破するしかない」

「馬鹿な! せっかくの人類の宝を。待て、一佐に指示をあおぐ」

 佐伯梓は銀色のキャニスターに、ある意味見とれていた。再び閉じられ冷却材を注入されたが、温度が上昇しつつある。

 表面についた氷はとけ、キャニスター全体が仄かに輝きはじめていた。

「軍機特種資材乙号」、秘匿通称「クルクス」が覚醒しつつあるものの如し。その電文は自動的に暗号化され、首都特別区郊外へとおくられた。

「か、景山一尉」

 佐伯が青ざめ、小さく叫んだ。

「輝いてます。中から」

「なに?」


「なに、この感覚」

 市ヶ谷国家中央永久要塞地下の作戦発動待機所の薄くらがりの中で、居眠りしていた夢見は突如立ち上がった。

 彼女にもたれかかっていた小夜が、ベンチに倒れてしまう。

「ど、どうしたのよ」

「あの感覚です。あれが……」

 来島も真由良も立ち上がる。真由良も微かに感じていた。

「あの………あ………あれが目覚める。でも拒否している……なにこれ」

 夢見は当惑しだした。

「大神二曹があの森で感じたものと同じか」

「はいあの…………多分。でもはるかに、強くなってます」

「信州北部と東京では相当距離があるのに。

 それほど強力な意思とは、やはりPSN保持者のものなのか」

「……判りません。こんな感覚はじめてです」


「こ、こんなことが。冷却材も冷却装置も、もうだめです」

 と言った大崎の持つコントローラーが火花を散らした。景山は銃を構えるが、そんなものでどうしようもないことは判っている。

「佐伯三尉、一佐に緊急連絡だ。暗号化はいい」

「だめです! 通信手段がまったく使えません」

 取り付けた照明器具が次々と破裂していく。黒い叛乱兵士たちが持つ電子照準、探査装置や通信装置も火花を散らして無力化された。

 しかしキャニスターが淡く輝いているために、ほんのりと明るい。

「なんとかして地上に連絡だ。危険すぎる!」

 同じ頃、閉鎖された破棄資材暫定集積所は一個分隊の特別派遣警備隊が厳重に警備していた。しかし半数は特殊キャニスターの捜索に借り出されている。

 さきほどの爆発音に対する説明は、まだ中央からこない。警護隊長はもう一度問い合わせるべきか迷っていた。

 所長の浦木は、中央観測室のモニターを見ながら眉をしかめた。

「なんだこの中性子のあたいは。それに……何がおきてるんだ」

 トイレに行くふりをしてこっそり携帯通信機器を使った。しかし相手は呼び出しに応じない。

「下で、いったい何がおきてるんだ」

 そのとき所内に低く警報が鳴り響いた。居残りの少数の所員と警備兵は、一斉に緊張した。

「し、しまったっ!」

 浦木はあわてて中央観測室に戻った。石動から連絡がはいっているが、浦木はそれどころではなかった。

 各種計測結果を画面に呼び出して、顔面蒼白になった。

「こちに市ヶ谷の石動。なにがあったの。浦木所長」

 浦木はインカムをとりあげた。

「こ、こちら浦木。電気系統の故障と思われます」

「なんですって。異常観測値がこちらにも観測されている。いったいなにが」

「すぐに調べてご報告します」

 浦木は市ヶ谷との連絡を断ってしまう。そして緊急用の受話器を取り上げた。

「こちら地上の浦木。なにがおこっている。電子機器が全部アウトだ。中性子や異常な電磁波とエネルギーを観測している。微かに重力異常も見られる……。

 おい誰か? なんとか返事しろっ!」

 浦木は青ざめつつ脂汗を流した。タバコ箱大の平たい情報端末に、キャニスターに関するデータが送られてきていた。

「な、内郭の温度がこんなに。…………あけたのか、影山たちは何をしたんだ」

「この警報はなんです」

 警備の三等曹長があわてて顔をだした。

「電気系統の故障か、漏水による機器の異常だ。すぐに警報はきる。

 みんな配置にもどってください」

 浦木は個人特殊コードで警報をきった。それどころか、もっとも重要な警報そのものを無力化してしまったのである。

 浦木は警備兵たちがいぶかしみつつも元の配置に戻るのを確認すると、通信装置や自動警備システムまで無力化してしまった。

 そして地下層まで続く、垂直の緊急脱出シャフトへ通じるハッチの封印を外した。ハッチ自体がロッカーに偽装されていて、わからない。

 シャフトに関する図面もうまく処理していた。直系二メートルほどの暗い竪穴に梯子が一本。

 浦木はふるえつつ恐々降りていく。公式には地下一階は倉庫兼機械室。問題の軍機特種乙号資材、通称クルクスは丈夫なシェルターである地下第二層に安置されていた。

 そして地下三階はなかば崩れた古い機械室と倉庫で、もう使われていないはずだった。

「地下三階まで、遠いなあ……」

 訓練もなにもうけていない科学者の浦木に、ラッタルはつらかった。ついに問題の第二層についた。ここからは別の非常口をつかわなくてはならない。自衛隊時代に作られ忘れ去られた「抜け穴」を通り、地下三階まで降りるのである。

 途中、オリーブ色の小型コンテナの並べられた暗い側防窖室を、懐中電灯一つで通らなくてはならなかった。

 足がすくんで全身が震える。窖室の端、古いベトンの床に潜水艦のようなハッチを見つけた。そのさび付いたハンドルは、浦木には厄介な代物だった。

「………いったいなにが起こってるんだ。景山一尉はなにをしたんだっ!」


「集積所との通信を回復させて」

 石動は通信参謀を呼び出していた。しかし集積所の通信システムに重大な障害がでている。

 内部に正体不明の電磁波とエネルギー源が観測されたあと、通信も警備システムも総て無力化されていた。

「……無力化とはなんです。捜索部隊のほうはどう」

 特別捜索隊はけが人をヘリに収容し、態勢をたてなおして捜索をつづれるかどうか思案していた。

 夜の森林捜査は大事である。またどんな罠があるかわからない。

「ロバート木下曹長を呼んで。ヘリで集積所に急行して」 

 石動は自分の職掌を忘れ直接指揮をはじめていた。

「破棄資材暫定集積所の全責任は、わたしにもあります。現場について詳しいわたしが、特例で指揮をとります。よろしいでしょうか」

 石動に言われて、服部軍令本部総長も承認した。

 「マル特戦」といわれるベテラン戦士であるボブ木下特務曹長は帰化した日系人で、米海兵隊の特殊部隊にもいた。いくつもの地獄のような戦場で修羅場を経験している。

 彼はいそいで残存部隊を立て直した。石動は市ヶ谷から指示する。

「いいこと、展開部隊の三分の一を集積所に急行させて。残りはひきつづき包囲網を形成。ただちに増援部隊を送ります」

「集積所とは連絡がとれませんぜ。なにごとです」

「判らない。浦木の言っていた内通者の工作か、包囲網を緩めさせる陽動かも知れない」

 集積所警備部隊の個人通信機とは、電波状態が悪いものの連絡がとれた。

 集積所内の警備システムは無力化され、電気系統にも原因不明の支障が出ている。そして発信者不明の救難信号が所内から出ていて、所長の浦木が行方不明だと言う。なにかとてつもない事態が起きているようだった。


「なにかとてつもない事態がおきているんです」

 青ざめた顔で呟くように夢見が言うと、小夜が顔をのぞきこんだる

「少し顔色が悪いわよ」

「総員起立」

 と来島二尉が女性にしては低い声で鋭く命じた。四人は直立不動で、壁面の平面スクリーンにむかう。

 ほどなく緊張した石動の顔があらわれた。大きな目はやや充血している。

 来島以下は敬礼した。

「長く待機させてごめんなさい。いよいよ機動情報挺身隊の出動よ。即時地下兵站道で厚木へむかってください。そこにVTOL小型輸送機が待機しています。

 その『しらさぎ』に乗って、あの破棄資材暫定集積所へむかってもらいます」

「我々の任務は、救出でしょうか」

「……なにが待ち受けているか判らない。詳細は直接説明します」

 来島は再び敬礼すると、部下に命じた。

「よし作戦発動だ。全員完全武装」


 田巻己士郎先任一等尉官は、その地下第四層をはじめてみた。第三層シェルターにある緊急中央発令所よりは随分小さいが、ロケット発射管制センターに似た立派な施設だった。

 正面の壁面には平面スクリーンがあり、その下は斜めに立てかけたような仮想立体シミュレーターになっている。各係員の座席は五段の雛壇状になり、第三段中央のボックス席には、石動がいた。

 情報統監将帥は立ち上がって、少しおびえたような田巻に答礼した。

「ようこそ、わが国の最高機密の一つに。君の秘密接近許可水準では、立ち入りは厳禁。しかし今はわたしの特例で、入室を許可します」

 石動の傍らでは、第十一課長補佐兼総監部情報参謀の冨野三佐が立っていた。 ほかにも顔見知りの第七課長の加川美麗などが敬礼する。田巻は、あの元木二佐がいないことにほっとした。優秀だが冷酷な官僚は苦手だった。

 一人場違いな若く可愛らしい女性が、田巻の丸顔を見て気まずそうに頭を下げた。国防大臣官房の情報分析技官、阿倍美弥である。

「これが石動将帥の信じる『閣僚』の面々か……」

 田巻はそんなことを思った。田巻は石動のすぐ後ろの席に、阿倍美弥とともにすわった。

 目の前の大型スクリーンには、信州北部「あやかしの森」一帯の夜間衛生映像と、作戦図がかさねて映し出されている。

「もうすぐ移動中の来島くんたちと連絡がとれる。

 そうすれば総てを説明するわ、いまなにがおきているかを」

 打つべき手段を失っているように見えた。

「すべてって、あの宝辺たからべ一尉の事件もですか」

「……さすが田巻君、くわしいな」

 やがて地下道の機動車との通信がつながつた。来島以下四人のインカムに、特殊回線で石動の声が流れる。

 それは決して傍受されることのない、緊急回線だった。

 将帥石動麗奈は冷めてしまったコーヒーで喉を潤し、作戦指揮椅子にすわり、やや前かがみになつて語り始めた。

「…もう二十年ほどにもなる。わたしは当時の防衛大学校、幹部学校をかなりの成績で卒業して、当時のマスコミに注目されつつパイロットを目指していたわ。

 女性の戦闘機のりを。防衛省は格好のPR材料にしたかったの。

 そしてそのときのわたしの臨時指導教官は、航空自衛隊はじまって以来のエースパイロット、一等空尉宝辺利人としひとさん。

 彼から通常のカリキュラム外の、取材用授業を受けたのです」

「聞いたことがあります。あの事故で殉職した方とか。石動三尉事件で」

 陸上自衛隊からそのままジャストにはいった加川二佐は、聞き覚えがあった。

「そして軍機特種希少資材乙号、またはそして最重要危険生命体クルクス」


「こ、これは」

 閉鎖されているはずの地下三階の古い地下壕へおりた浦木理男は足がすくんだ。電気系統はすべて破壊されているが、ぼんやりと明るい。

 そして異様な「力」が、奥から噴出している。

「う、浦木」

 茫然とする所長の両肩を真正面からつかんだのは、影山一尉だった。

「なんとかしてくれ………覚醒する」

「え?」

「キャニスター外殻の冷却が不可能だ。内郭の温度が上昇…制御できない!」

「そ、そんな………それでは奴が目覚める、あの宝辺一尉がっ!」



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