第四動


 信州深山みやま郷「あやかしの森」にはやい夕暮れが訪れた。いつもはねぐらへもどる野鳥、けものたちは、森を包み込む緊張感におびえている。

 ローターで飛び回る索敵ロボットや、無人ジェット偵察機にくわえ、ヘリやVTOL機で次々と武装兵が森へ効果していく。石動は集積所が襲撃されてから二十分以内に、封鎖命令をだしていた。偵察衛星は森の上空に移動し、赤外線カメラなどでの精査を続けている。

 五人の黒い侵入者はどこからか徒歩でやってきた。そして小型車ほどあるクルクス・キャニスターを台車ごと奪ったのである。

 地上部構造物の搬入口は破壊され、非常用重量物搬入エレベーターに使った形跡があった。

 この歩くのも大変な密度の濃い森の中を、どうやってどこへ運んだのかは判らない。石動は市ヶ谷地下にこもったまま、クルクス乙号の回収を見守っている。 目の前の古風なワイアレス電話が鳴った。もっとも傍受されづらい通信システムである。使う人間は限られてくる。

「服部閣下」

 この「和製英国紳士」と言うあだ名をもつ温厚かつ知的な統合軍令本部総長最高将帥は、午後の予定すべてをキャンセルして、永田町首相官邸地下壕の特別司令室にいた。

「はい、捜索はまったくすすんでいません。包囲網は完成し、その中をしらみつぶしにしていますが、手がかりすらありません」

「すでに封鎖線から出てしまった可能性はありませんか」

「それはとても考えられません。台車にのっているとは言え、あれを臂力搬送ひりきはんそうでそうはやく運び出すなんて。

 襲撃前後二十時間。機動個体は観測されていません。

 もっとも可能性が高いのは、森のどこかにまだ知らない本土決戦用の地下壕、隠し倉庫などがあることです。そこに運び込んで、隠れているかもしれません」

「なるほど。集積所自体が、防衛省時代の秘密地下策源を利用して作られていますね。それの補完的昨日をもった陣地も、あるはずです」

「しかし自衛隊時代の極秘ですし、地震で資料も失われましたから。どこにそんなものがあるのか見当もつきません。偵察機で上空から探査させていますが」

「国防大臣にはすでにお伝えしてあります。首相への報告はお任せしています」

「つまり、白瀬首相にあの事件について、説明しなくてはならないのですね」

「ええ、その時がくれば当事者たるあなたの口から」

「……あのことは絶対他言無用といわれました。昇進して航空自衛隊を辞めたあとも、しばらくは警務隊に見張られていましたよ。

 それが今になって。仕方がないことですが」


 連続大震災から十数年、区画整理がすすむ首都郊外の基地でダクテッドファン機「あまこまⅡ型改」から降りた夢見たちは、地下兵站道を通って市ヶ谷にもどった。首都地下には、いざと言う時のための交通網が張り巡らされている。

 戻ったが「第二種待機」と言う命令をもらっただけで、特にやることはなかった。市ヶ谷中央永久要塞北側の将校宿舎に戻った後、下士官クラブなどにも立ち寄った。

 挺進隊長の来島は、まだ書類と格闘しているのだろうか。夢見は市ヶ谷要塞を包み込んでいる緊張感が耐えがたかった。

「ね、飲もうか。おごるよ」

 斑鳩一曹は強引に誘う。正式に軍務についている夢見は確かに、法的には成人だった。小夜は実家に仕送りもせず、俸給は自由につかえる。しかし酔うと厄介なところがあった。

 夢見の唇を奪おうとするのである。またその豊かな胸をおしつけたりもする。他の男性や女性には決してそんな態度は見せないが、夢見には酔ったふりをしてせまる癖があった。

「あの…下士官クラブでならおごってもらおうかな」

 人目もあって、そうそう大胆なことはできないはずだった。特別待遇で将校官舎に住み、将校クラブで食事がとれる。

 しかし日ごろは下士官クラブで過ごすことが多い。ここならば酒もやすいし、気兼ねなく飲める。もっとも二人がそろうと、男どもの視線が煩わしい。

 カウンターの隅で飲みだして小一時間もすると、小夜の愚痴がはじまった。温厚で世話焼き、自己主張をあまりしない小夜だが、酔うと多少厄介ではある。

 しかし醜態を見せる相手は、夢見ぐらいだった。

「だいたいなによあのスケベ課長。人の胸ばかりジロジロと。しまいに見学料とるぞ。タマキの奴でも、もっとこっそりと見るわよ。

 ほんと、デカ過ぎたるは及ばざるごとし……チチよあなたはデカかった…」

「その……小林前課長よりは、とっつきやすいですけど。あれでなかなかの能吏とか、政治力あるとか聞いてます」

「役人根性の塊みたいよ。あんなのがなんで絶対極秘のわが第十一課エルフィンにねぇ。特殊超常能力を誇るスガル部隊の、なんたるかもわかってないわよ」

「ち、ちょっと一曹、こんなところでその名前は。軍事機密ですよ」

「誰も知らないわよ、わたしたちのことなんて。特別種国家公務員ったって役人は役人。ある程度の年月がたてば、それなりのポストにつけないといけない。

 やっこさん優秀だけど部下の女性に対するストーカー行為で、譴責処分。中央の本流においとけなくて、得たいの知れない部門に人事がとばしたそうよ。

 目的は機密費の炙りだし」

 この時間、帰宅できるものは市ヶ谷から出ていた。夜勤の者はこんな時間に酒など飲まない。ただ夜食をとりにきた数人が、驚いて見つめている。

斑鳩いかるが一曹殿、大神おおみわ二曹殿」

 夢見がすわったままふりかえると、カーキ色の陸戦下士官一般勤務服をきた遊部あそべ真由良まゆらだった。制帽である黒いモダンな烏帽子をつけている。変わった黒いベレー帽にも見える。

「夜間待機命令が出ています。

 一般戦闘服で、要塞内作戦待機所にお集まりください」

「あの……二種の次は夜間待機命令? たいへん、一曹の酔いをさまさないと」

「大丈夫よこれぐらい。コワい隊長さんはどうしてんの」

「食事をおわられ、待機所でお待ちと思います」

 夢見につづいて小夜もよろめきつつ立ち上がった。

「このままじゃだめ。シャワーでも浴びさせましょう。しっかりしてください」

 結局小夜はしばらく寝かしておくことになった。要塞地下部の北側にある武器倉庫前室に、小夜の寝息が響いている。なんとか戦闘服に着替えたが、ベンチに横たわっていた。

 個人装甲であるパンツァーヘムトをつけた来島が、いつもの銀色の参謀「かざりお」をつるした田巻とともに入ってきた。彼も珍しくオリーブ色の第三種戦地勤務服だった。夢見たちは体を折って「室内の敬礼をする。

「ああ、そのままでええ。ベッピンさんたち。……ところでそちらさん、どないしたん」

「酔いつぶれて寝ております。当面出動はないと思われますので許可しました」

「さよか。かわいいなあ。いやそんなことより、君らなんで待機命令でてるか判ってるか」

 スガル挺身隊の三人は顔を見回す。

「ユメミン、君ならなんかわかるやろ」

「その、推測にすぎませんけど。あの……麗のあやかしの森で、なにかが起きているのかも。この市ヶ谷の一部に、異様な緊張感が漂ってます」

「ええカンや。いやさすがは特殊超常能力者スペリー」

 来島二尉は田巻の細い目を斜め前から見つめた。

「参謀殿はなにかご存知なのですか」

「君らより多少くわしい程度や。ユメミンの言うてることがほぼ正しいやろうけど、いったいなにがおきてるんかは、僕かて皆目見当がつかん。

 君らも活躍した、監察官搭乗機撃墜が大きく関わっているやろうけど」

「ちょっとお待ちを」

 来島は左腕の多目的コミュニケーター「ユニ・コム」を使った。

「元木課長。挺進部隊長以下四名、新式軽量個人装甲と戦闘ブーツで集合。

 三分以内に完全武装可能です」

 待機場所の棚には、各人の名前の入ったコンテナが並んでいる。小夜は小さな鼾をかいているが、幸い元木にはきこえない。

 来島が一瞥すると、田巻は口に人差し指をあてた。

「待機命令と凡その待機時間をお教えください」

「理由は不明。統監部長命令だ。時間は一応六時間。給食はその場でとれ。

 おって命令あるまで、待機を継続。わたしは中央棟地下の十一課長室にいる」

 通信がおわると、田巻は少し微笑んだ。

「わけもわからんまま夜通し待機か。ご苦労やけど統監命令や、おきばりやす」

「あ、あの……」

 田巻には世話になったが、この男が苦手な夢見が言い出した。

「あの資材集積所には、その、本当になにがあるんでしょうか」

「…さあ、なにかな。僕が一番知りたいわ。ユメミンの能力でも感知できんか」

「その、確かにあそこから、強い意思を感じました」

「そら文官の浦木所長のほか、警備兵とかもいてはるわ」

「いえその……なんと言うか強力で不可解な。殺せ、殺してくれと言うような。

 あの……ほぼ明確な言語に近い形で、頭の中にひらめきました」

「なんや、PSNの持ち主か?」

「いえ違うと思います。あんなの……はじめてです。強烈に殺害を求めている」

「それについては斑鳩一曹も似た証言をしています」

「自分もであります」

 遊部真由良は直立不動で報告した。長身の夢見よりも背丈がある。

「臨時山岳救援隊に加わって暗黒の森をすすんでいる時、突如不可解な不安感に教われました。

 事故以来自分の特殊超常能力は、もうそれほど強くありませんが、確かに強い殺意を森の奥から感じました。多分あの、秘密だらけの資材集積所から」

「……誰も近づかん深山幽谷の中に、ひっそりと破棄資材暫定集積所なんてある。どうやって資材を運び出すつものかしらんがな。そこへ軍令本部派遣の監察官がお忍びでなにかを検閲しようと近づいて、事故を装って撃墜されてしもうた。そこから謎の殺意か」

「あの……あれはやはり、事故ではなかったのですか」

「ユメミン。珍しゅう僕の目ぇ見つめて話してくれたな。

 そや。実証実験中の防空施設フラックトゥルムの、事故であるはずがない。あれはなにものかが監察官を妨害したがったんや。

 二人を集積所に近づけたくなかったわけやね。あの集積所の正体を知られたないもん……いや、あそこでこれから、なにかをしようとしている者かな」

「参謀殿はなにがおきつつあると思われますか」

「それが判れば苦労せん。ただ不測の緊急事態には間違いない。石動閣下は切り札の君らを投入してでもなんとかしたい。

 でもなにを。あそこの正体はなにで、なにがあるんか」

 三人は直立したまま、田巻を見つめる。

「そないに見つめんとって。知らんもんは知らん。

 さ、僕は統監部に戻って残りの仕事をかたづける」

 田巻は小さく敬礼して、少し赤くなった。


「敬礼」                       

 現地警備隊長三等尉官は陸式に敬礼した。

「ごくろうだったわね」

 情報統監石動将帥は、珍しく迷彩戦闘服で破棄資材暫定集積所に降り立った。 お供は、第十一課次長の富野三等佐官、そして第七課長の加川二等佐官ぐらいである。二人とも戦闘迷彩服である。

「これは石動将帥、このたびはまことにとんだ不始末を」

 青白い浦木所長は泣き出しそうな顔で出迎えた。汚れた白衣をだらしなく着ている。彼は国防省所属の優秀な研究者として、隊内では知られていた。

「ともかく現場を確認させて欲しい。すぐに市ヶ谷にひきかえします」

「こちらです。専用エレベーターへどうぞ」

 大きなトーチカ状の建物は、床も壁もベトンを固めた殺風景なものだった。エレベーターは小型トラックが載せられそうな大きさがある。

 一階の搬出口が爆発で破壊されていたが、エレベーター修理は終わっていた。

「地下一階は倉庫兼機械室。地下三階は自衛隊時代の古い機械室でもう使っていません。問題の特別保護施設は、地下二階です。

 上下左右を特殊ベトンと隔壁で固めてあり、搬入はこのエレベーターだけです。非常脱出用の竪穴は、とてもキャニスターはとおりません」

「地下三階は封鎖してあるね」

「わたしが確認しています。元々自衛隊時代の地下部の底、倉庫でした。

 しかも未完成でしたから、ほとんど崩落して人は立ち入ることができません」

 ゆっくりと巨大リフトが停止した。扉が上下にに開いた。そのむこうには、かつての銀行の大金庫のような分厚い扉があった。

 扉の底面が四角く、上はカーブを描いている。何重もの安全装置で封鎖されているはずのそれは、完全に開け放たれていた。中にいた戦闘服の兵士が、銃をたてて敬礼する。

 石動はゆっくりと中にはいった。各種のパイプと配線が壁面を覆う、地下壕のような空間である。予備照明がもちこまれ明るい。

 しかし空間は広く感じられる。そこにあるべきものが見つからない。

「……奴らはパワーローダーでも使ったのかな。半トンはあるのに」

「オートキャリアーごとですから、臂力搬送で外には出せます。しかしあの森の中は、人力補助機械搬送でも難しいと思います」

「……あの事件は、今も続いてるわ」

「関係者も多くは亡くなったと伺っています。いったい誰が」

「最大の関係者はわたし。そして、タカラベ一等空尉」

 いつも沈着冷静でときに冷たいとも言われる石動麗奈は、悲しげにため息をついた。その様子に、加川二等佐官は静かに驚く。

「現在国防大臣と協議しているけど、ことによると極秘緊急態勢を第一種にあげるかもしれない」

「え……そ、それは国家非常事態です。同盟各国への説明が必要です」

「これは人類文明の危機かもしれない。こんなことになるなら、あのときアメリカにでも引き渡しておけばよかったかな。

 ここの統制は、統合国家電脳ブラフマン三世かしら」

「去年やっと国防自律電子脳『たけみかづち』に切り替えました。しかし何者かが接続暗号をやぶって、警備システムを無力化し、記録を消しています」

「周到に準備しているわけね」

「そして必ずや内通者がいます。たぶん、市ヶ谷に」

「……そうね、その可能性も今は否定できない。

 フラックトゥルムを操作できるなんて」

「統監部長、ちょっと上で」

 と耳打ちしたのは、第七課長の加川美麗である。統合自衛部隊発足前からの旧知のあいだがらだった。一行は地上部分にもどった。監督指揮所のすみで、加川二等佐官は報告する。

「警務隊と教育統監部からマークされている危険幹部のうち何人かの、ここ四十八時間の動向がつかめません。

 一人は景山克二一尉、東部軍司令部から現在幹部学校在校。一人は航空総監部兵站一課の大崎二尉、そして軍務局所属の佐伯梓三等尉官です。

 佐伯三尉は病欠、景山一尉らは休暇中ですが、第二種警戒令の緊急所在確認に応じないとのことです」

「その三人に、なにか共通点はあるの」

「第三課情報によると、三人とも東光寺一佐に近い、いや私淑しているとか」

「東光寺? あの東亜黎明協会のかしら」

 その言葉に、離れたモニター前にいた浦木が耳をそばだてた。

「ええ。通称、東黎協会。国粋団体と言うと本人たちはおこるようですが」

「それで、危険な東光寺の消息は」

「いまは普通に軍務についています。予備役間近ですので、広報関係の仕事らしいのですが」

「あの鋭い俊英が。しかしもし東黎協会にかかわる連中がキャニスターを奪ったとしたら、当然その利用方法を考えてのことね」

「または日本政府を脅すか」

「ともかく第三課と七課のみならず十課、場合によっては十一課も使うわ」

「!……わかりました」

「もしクルクス乙号資材を覚醒させるつもりなら……フロギストン爆弾を用意しておくべきね」

 と言ったので加川美麗は凍りついた。石動は待機していた「VTOL小型輸送機しらさぎ」に戻ろうとした。棟から出ようとしたとき、浦木所長がかけつけ、その場に正座した。

「石動閣下。わが罪、万死に値します」

 両の目から涙をながしだした。

「………なんとお詫びしていいか」

「今はいいわ。あなた以外の誰でも、おなじことになる。今は封鎖域のなかでキャニスターを探し出すだけ。

 責任あるとすればこの私です。あの事件の当事者のね。

 必ず包囲線の中にいる。抜け出せるはずがないわ」


 国産VTOL小型輸送機「しらさぎ」は燃費が悪く一機が高価である。我が国に十機しかないが、緊急性の高い場合は使用される。「あまこまⅡ型改」よりもかなり早い。

 加川美麗も無口な富野も乗り込んだ。石動は十一課エルフィン次長富野三佐に、言った。

「元木課長の動向に注意して。確か、政治的には東黎協会に近いから」

「あの元木二佐が? 女ぐせと酒癖の悪いのは知ってましたが。そんな人物が、なぜ大切な十一課にきたんですか。

 政治手腕と予算管理能力は確かに有名ですけど」

「前の小林一課を田巻君がおいだしたあと、軍政課や人事局ともめてね。いろいろあって政治的駆け引きの結果よ。

 詳細は判らない。軍政面は苦手だわ。でも我々も役人よ。

 そもそも軍政局はスガル部隊の存在も知らないし、十一課の特殊性も理解していない。いえ、教えていない。

 教えられるわけもないわ。ただかなりの予算使うことを怪しんでいる。

 一方でわたしがスガル部隊を抱えこんでいるって、怒っている人たちもいる。牽制かな」

「石動将帥」

 とパイロットが声をかけた。

「服部総長から連絡です。後部の通信ボックスへどうぞ」

 本当に窮屈なボックスにはいって鍵をしめた。やっとすわって古風なインカムをつけると、目の前の平面モニターに温厚な白髪交じりの人物があらわれた。

「服部閣下」

「報告は届いています」

「イチイは……クルクス乙号資材は残念ながらまんまと奪われました。管理者は、内部に手引きした者がいると言っています。

 考えにくいことですが、確かにたいした犠牲も出さずにとてもあざやか。そして行方が全く不明です。衛星でもとらえられていません。

 これは国家、いや世界的緊急事態です。先日の監察官撃墜事件が伏線です。秘密捜査では限界、でも絶対に公表できないし……」

「残念です。しかし後悔している暇はありません。

 包囲線からはでていないはずです」

「しらみ潰しに探していますが、キャニスターが人質にとられた場合は……。

 総長、本当にフロギストン爆裂筒の準備が必要かもしれません」

 温厚で知的な軍令本部総長の顔が、強張った。


 一度近くの借り上げ官舎にもどって仮眠をとった田巻は、日付が変わる頃にまた市ヶ谷へ出頭した。

 情報参謀はたとえ警戒令下でも、比較的自由に行動できる。

 地下一階の情報統監部は、がらんとしていた。元木二佐以下の各課長も大方上番しているが、十一課長自身は仮眠中だと言う。

 元々は主計課出身らしく、数字には明るいとされる。

 いつものように参謀詰め所は田巻ぐらいだった。この姑息で小心な謀略好きにとって、自分あずかり知らないところで何か重大事件が進行していることが、不安で仕方なかった。

 情報端末を下手に操作し、集積所についての情報を「深層検索」しようとすれば、怪しまれる。まずは資金の流れからその正体をさぐりたかった。

 田巻は平面仮想キーではなく、むかしながらのキーボードを好んで使う。二本の指で不器用に入力を続けていく。

「やっぱりな。特殊開発局と、研究開発本部高等研究所から新潟の補給所に資金流れとる。そんな必要なんもあらへん。その先はあの森ん中やな。

 次は情報統監部、特に統監部長関連の機密費やな。出てくるとええけど」

 直接石動将帥が執行できる予算も、かなりの額にのぼった。しかもその半分近くが『非公開特別資金』などとなっている。

 そのことが軍政局監査部を悩ましているのは失っていた。

「あの清廉潔白なお方が個人的に使ったり、政治工作したりするはずない。

 やっぱ、破棄資材暫定集積所に回してんのやろな」

 田巻は石動麗奈に関する「伝説」を聞いていた。まだ航空自衛隊時代、訓練中に大変な事故にあったらしい。二十年ほど前のことだと言う。

 指導教官一名殉職、石動自身は足の骨をおり、パイロットの道はあきらめた。 しばらく資料系の部署にいたがほどなく退官し、政府系の調査会社かなにかに勤めた。当時の情報本部長、服部一佐の庇護下にあったらしい。

 そして統統合自衛部隊発足に際し佐官待遇で復帰、今日にいたっている。

「なんやこの広報宣伝関係特別費って。なんで情報統監部が宣伝せなあかんの?

 うちらこんな秘密業務やってますってか、アホらしい」

 それほど秘密ではないらしく田巻のパスワードでも閲覧ができた。めったに使われていない。

 最近では、四年前に一度「資料作成費」と言う名目で資金がつかわれている。

「国防研究所図書部資料室。航空未解明事例十年分について、か。

 受領責任者、副主任研究員酒井雅彦。誰やこいつ」

 今度は国防省職員録をよびだした。

「サカイ・マサヒコ。えらい歳やな。別にどうってことない……」

 田巻は平面モニターに顔を近づけた。厚いレンズごしに、一点を見つめる。  そこに「旧名、他名称」と言う欄が一番下にあった。

「筆名 大空健一……おおぞら。?あのUFO研究家かいな、インチキな」

 田巻は数年で四十に手が届く年である。統合防衛大学校出身者では、二十代で一等尉官も少なくない。尉官の中では最年長に近い厄介「モサクレ」だった。

 そんな彼は、四半世紀近く前の記憶をたどった。

「大空健一言うたら、当時ようテレビとか出とった、インチキ研究家やないか。

 宇宙人とナチスが月の裏側に基地作ってるとか、アメリカ大統領はエイリアンに操られてるとか、馬鹿げた与太とばしとったけったいなオッサンや。

 まともなUFO研究家から攻撃されとったな。………なんでわが統合自衛部隊ジャストに?」

 田巻はリストの上にある整理番号に注目した。それを特別な検索システムにかけると、酒井雅彦の職歴が判る。

「違う、こいつは統自になって雇いいれたんやない。旧・防衛省時代からや!

 テレビとかでデタラメ吹きまくってる頃から防衛省から金もろてたんやわ!」


 大神夢見は出動待機場所のベンチに座って、眠ってしまっていた。となりでは真由良も小さな寝息をたてている。

 夢見は両親と行った最後の小さな旅行を思い出していた。夢見は両親晩年の一人っ子である。母親は若い頃は、超能力タレントとして一世を風靡した。しかしその特殊な能力を失った頃、マスコミからインチキと叩かれてしまった。今は南紀州の保養所で、国の保護を受けている。夢見は俸給の半分を仕送りしていた。

 夢見は両親に負担をかけたくなく、新制公立中等学校卒業後、江田島の統合幼年学校に入った。中央幼年学校と違って凡て無料である。全寮制で食事も出る。 順当に三号生徒、二号生徒兵卒とすすみ、慣例に従って上級兵卒として一般軍務をしつつ教育を受けた。

 生来の人見知りと内気で、出来れば人と接しないルーティンワークやパイロット、離島での哨戒任務につきたかった。

 そんな彼女を強引にスカウトし、世界初の特殊超常能力戦士による特殊部隊に参加させたのは、一等尉官田巻己士郎だった。

 斑鳩小夜も似たような経緯で、田巻にスカウトされてしまった。他の候補者もいたが、結局残ったのはこの二人と、やや問題ある新入り、真由良だけだった。

 田巻にしてみれば、自分こそがスガル部隊の開発者、プロデューサーとの自負がある。

 しかし情報統監部長の石動以下、奇矯で謀略好き、実は小心で嫉妬深い情報参謀にかの特殊超心理戦力を委ねることを怖れていた。


 翌日朝、当の田巻は半自動偵察車を下士官に運転させ、千葉館山にむかった。 市ヶ谷要塞は極秘裏に第二種警戒態勢で緊張感につつまれていたが、帝都はいつもの賑わいの中にある。

 房総半島も南端はのどかな地方である。目指すのは館山南部、海に面した保養施設だった。事前アポイントメントはとっていない。いることは調べてあった。

 酒井雅彦は朝食を終え、日課である海岸の散歩中だった。彼は三年前に定年延長もおわり引退した。体を悪くし、妻に先立たれたこともあってこの半公営の老人施設に入っている。

 突然あらわれ、た参謀飾緒をつるした士官に驚いた。

「大空健一さんでんな」

 の一言でなにかを悟ったらしい。浜辺のベンチに腰をおろした。

「懐かしい名前だな。あの時は華やかだったが、苦しかった」

「ニセ研究家として、デタラメを吹きまくることがですか」

「……真面目な研究者たちには、確かに気の毒なことをした。しかしとっぴなことを言うほど、テレビにはひっぱりだこだった。そんな時代だったよ」

「あんさんはその頃から情報関係の特別雇員。ただしい情報にあからさまにニセ情報をながし、いっしょくたのゴミにしてまう。

 料理の中に少しでも汚物まじったら、それはもう食われへん。グレイっつう技法ですな」

「………情報統監部か。さすがよくご存知だな。

 ブームが去ったあと、人知れず大空健一はマスコミから消えた。わしは長い髪をきり髭をそり、サングラスを外して酒井雅彦にもどり、大友商事の調査部にやとわれた。知っているだろうな、当時の防衛省関係の特殊商社だ。

 国防研究所にはいったのは、発足後まもなくだ」

「それで時々、石動はんの求めに応じて資料提出してはったんですか。

 たぶん、未確認飛行物体……当時の言葉でUFOの」

「………石動麗奈。あの人も人生をかえられたな。当時のマスコミがもてはやした、美人すぎるパイロットとかなんとか。

 なんせ五十数倍の難関を突破した、女性パイロットだったから」

「航空自衛隊の石動三等空尉はそのあと、事故起こしてはりますな。あんたがテレビで吼えてはる頃や」

「なにがあったかは知らん。本当だ。しかしわしはその頃、ともかくUFOの目撃事件を霍乱しろといわれていた。

 どこかの山でUFOが目撃されると、その山全部がピラミッドで宇宙人の基地だ、なんて尾ひれをつける。すぐにまともな人間は取り合わなくなる」

「もしかしたらその石動はんの事件は、なんかUFOと関係してるんですか」

「………これ以上は命が危ないかも知れん。総てはあの石動三尉事件が発端だ。

 しかしそのことは、国家最高機密の壁の中にある。ワシだって気になって、少しは調べたさ。表の顔はインチキ研究家。しかし裏では熱中していたよ。

 それに一番情報に接しやすいところにいたからな。あの時、イトイ・ポイントといわれる空の一角でなにがおこったのか。殉職した教官と石動さんに、なにがおきたのか。できれば死ぬまでに真相が知りたいな」


 この日の朝から市ヶ谷地下はあわただしかった。

 深山郷からいそぎもどった石動は、一睡もしていない。シャワーをあびて灰色の一般勤務服に着替えると、濃いブラックコーヒーを二杯のんだ。

 今朝は朝食がのどを通らない。コーヒーで胃薬を流しこむと、地上部西棟の最高意思決定会議室に入った。朝日がややまぶしかった。

 最高意思決定会議室では服部最高将帥、軍務総局長の朱川あけかわ将帥補ほかの将星数名とその副官、参謀。そして国防省や内閣府の文官など十数人がそろってた。石動は疲れもみせず、現場の状況を簡単に説明した。

「つまり監察官派遣阻止も、敵の計画の一部だったのです。あの時点で監察官が集積所を検閲すれば、事前のさまざまな工作が発覚したでしょう。

 それを阻止するために、外側からフラックトゥルムを動かしたのです。総ては周到に準備され、実行されました。

 現場の浦木所長は、内通者が手引きしたに違いないと主張しています。わたしも同感です」

 服部は顔に疲労があらわれている。

「エステル計画とならぶ、わが国の二大国家機密のひとつが。あの特殊乙号資材がなにものかに奪取され、まだ発見されていないとは。

 首相には今朝、上田国防大臣が説明される。各国への通達をいつのタイミングで行うかだな」

「あれを、二十年以上守りつづけた秘密をですか」

「しかたあるまい。場合によっては人類史をかえかねない。二十年前に大慌てで凍らせて封印した悪夢が、よみがえるかもしれないのです」

 石動は少しふらついたので、座りなおした。他の関係部署から、言葉すくなに質問が続く。

 中には「キャニスター」についてほとんど知らないものがいた。ある高等文官が尋ねた。クルクスとはどう言う意味か、と。統監部長が答えた。

「ドイツ語で『難物』と言う意味です。正式呼称は軍機特種乙号資材。通称がクルクスです。甲号資材の回収を見越してつけられた名前ですが、結局は欠片すら回収できませんでした」

「石動さん」

 服部はわが国防の総参謀長である。しかし末端の一兵卒にいたるまで、呼び捨てにすることはほとんどなかった。自衛隊時代は情報本部の重鎮であり続け、わが国情報コミュニティーの法王などと呼ばれた。医学博士号を持っている。

 功名心や政治的野心はまったくなく、統統合自衛部隊現役十六万と予備役三万人の最高司令官に推挙されたときは三日間悩み、本気で出家を考えた。

 翻意、受諾させたのは石動である。

「緊急封鎖区域にまだ、クルクス資材はあるとお考えですね」

「それについては自信があります。本土決戦用にあの一帯は地下壕などがいくつか残っているので、そのひとつに隠しているのでしょう。

 今動けば、確実に発覚します。ですから……」

 石動は目をつぶって大きく域をすった。

「最悪の場合、あの森をクルクス乙号ごと処分することも、是非お考えいただきたい」

 いならぶ最高幹部たちは、しずかにどよめいた。しかし反論はなかった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る