第三動

 ほぼロボット化された警報システムは、作動しなかった。

 厳重に護られているはずの破棄資材暫定集積所は、かくもやすやすと五人の黒い戦闘集団の侵入を許したのである。職員は少ない。浦木所長と三人の所員、そして警備員は常時四人だった。ロボット化警備装置に頼りすぎている。

 そもそもこんな場所に近づくものもいない。そして近づく道もない。だが一応、夜間も三交替制で警備兵が監視カメラをモニターしている。各種監視カメラの死角を選んで、五人が侵入した。ルートはあらかじめ判っていた。だがモニターの一つにすばやく走る影がとらえられた。

 当直の上級兵卒は、椅子から身を乗り出した。

「なんだあれは」

 ときおり森の動物が紛れ込むことがある。そのときは自動警戒装置が作動し、場合によっては動物を射殺してしまう。若い上級兵卒はそのモニターを解析した。あきらかに人だ。

 あわてて各種警報を鳴らそうとした。しかし全警備システムが切られている。所内の警報はなんとか鳴らすことができた。所員は別棟の宿舎、他の警備兵は同じ建物の中で寝ている。まっさきに警備班長の上原三尉が警備室に駆け込んできた。

「全システム停止だと、だれがそんなことを」

「侵入者は四人ないし五人。武装しています」

「ただちに司令部に緊急通報。全員完全武装で集合」

 警備兵四人は小型ロケット弾発射筒つきの四三式突撃銃にパンツァーヘムト姿で、中央棟に集合した。あわてておきてきた浦木所長も驚き、当惑している。

 小柄で痩せた、神経質そうな学者である。その顔立ちはやや幽鬼じみている。上原は言う。

「侵入者です。しかし施設は閉鎖されている。ここまでは入ってこられません。

 所長はすぐに警備システムを回復させ地下のキャニスターを確認してください」

「侵入者? どうしてこんなところに。まさかクルクス乙号資材が目的か」

「判りません。いま救援を呼んでいます。

 閉じこもってしまえば奴らに手出しは……」

 突然、上原三尉の携帯通信機が叫んだ。裏口を護りに行った兵士の一人からだ。

「通用口のアクセスパスが解除されています。侵入されます!」

「!馬鹿な、どうやってパスを入手した」

 ともかく警備兵四人は裏手の通用口にかけつけた。高さ二メートル半、幅四メートルの防護扉が、ゆっくりと上がりつつある。上原はあわててユニ・コムで上部機関に発砲許可を求めた。

「来るぞ、射撃用意っ!」

 誰も人にむけて実弾を使用したことなどない。自分に敵が撃てるか不安だった。

 防護扉が半分ほど開いたとき、まばゆく光る何かが外の闇から飛び込んできて、壁にあたって爆発した。爆発規模は小さかったが、多量のガスが棟内にひろがった。だがガスマスクなど用意していなかった。「全員下がれ」と左手で大きく合図しつつ、警備班長三尉は意識を失った。


 夜更かしの嫌いな田巻は、一晩中自室の情報端末をいじっていたのであくびばかりしつつ、市ヶ谷永久要塞に来た。適当に談話室にあるマッサージ椅子で仮眠をとろう考えて、地下第一層の情報統監部平時事務室へと入った。

 緊急時は情報指令室ごと第三層に退避することになる。

 気のせいか、みな緊張しているように感じられた。警戒レベルは平常。しかし何人かの将校は顔が強張っているように見えた。

 田巻に個室はなく、統監室となりの参謀詰め所にデスクがある。毎朝のこまごまとした事務をこなすと、統監部長室のドアをノックした。

 石動いするぎはめったにいない。かわりに第七課長兼任の統監補、二等佐官加川美麗がいる。この筋肉質でやや荒っぽい女性、若い頃は精悍な美人だった。しかし喧嘩っ早いとも言われている。

「朝から珍しい。将帥はいまかなり多忙だけど、またなにか謀略?」

「人聞きの悪い。……なんかまたありましたん? あわただしいみたいやけど」

「さあ。本当にどこか緊張感ただよってるし、石動閣下も朝の全予定キャンセル。また……北のほうでなにかあったかな」

 田巻は薄型端末を広げて机の上においた。細かい数次とグラフがあらわれた。

「なにこれ、十一課の特別工作資金の流れ? うちとくらべて随分贅沢ね」

「スガル部隊の維持費。あと研究開発本部に委託している調査研究費が当然大きいですわな。

 それはええとして、ここんところ毎月『特別機密雑費』たら言う名目で、いろんなところから数パーセントづつ抜かれてますな。月々金額ばらばらやけど、合計するとかなりな額ですわ。あと、S計画目的と言う項目が輜重業務のと装備のほうからどっかに流れてて、それも同じ項目になってます」

「……どう言うことよ」

「うちもふくめて色んな部署からかなりの金が抜かれて、ちょっとまってや……なんか最終的にあのなんたら集積所の、維持費用になってるみたいなんです」

「なにかしら、この金の流れ」

「な、気になりまっしゃろ。実は別のこと調べてたんやけど、妙なもんにつきたってしもた」

「謀略大好きなあなた、なにを探ってるのかしら」

「まあ、打ち明けますけど、元木定課長の背後探ろうとしてました」

 統統合自衛部隊は「防衛統合整備新計画」により、陸海空三自衛隊を統合して作られた。基本は四つの機動艦隊であり、高度に航空化した海上兵力と、強力な機械化陸戦部隊から成る。

 通称はJapanese Unified Self-defense Troopsの頭文字「ジャスト」である。

「そう。合わないだろうとは思った。面白いし実力派よ。ただ酒と女でしくじったの」

「僕のスガル部隊を、とりあげようとしてはります」

「あなたの? 統監部のでしょう。起案者は君でも、勘違いしないで。

 ともかく今何かとてつもないことが起こっているかもしれない。あなたの個人的な好き嫌いなんて今はどうでもいい」

「でも不可解な戦費の流れが、もしあの『あやかしの森』に流れ着くとしたら」

 加川統監補は大きな目を見開き、机のむこうからみを乗り出すようにして田巻を見つめる。

「……もしそうなら、いっさい関わらないこと。あなたの身が危ないわ。昇進どころじゃない。あの集積所の管理責任者は研究開発本部中央高等研究所ってことになってるけど、うちの部長が責任者とはびっくりよ。

 だから監察官の事件以降、相当ぴりぴりしてらっしゃるのね」

「なんかまた、信州某重大事件でもおきましたか」

 田巻の軽い冗談に、元陸上自衛隊レンジャー徽章保持者は鋭く反応した。

「だとしたら、謀略参謀補殿はどうするのかしら。失礼、佐官待遇で参謀になったのね。ともかく、今は余計な動きはしないことね。

 あの美しき魔女達、あなたのことを嫌いつつも頼りにはしているから。残念ながらあなたが最大の理解者だし。まだまだあの子たちにはあなたが必要みたい。 居心地のいいこの地下から出たくなければ、日々の業務に精勤しなさい」

「…やっぱり嫌われとんのか。ユメミンはしゃあないとして、サヨリンまで?」

 少ししょげた田巻は、参謀詰め所に戻った。ドアがしまると留守の統監室を預かる加川二佐は椅子に座り込み、大きな目を光らせた。

「信州某重大事件か。いい線いってるかもね」


 スガル部隊が出動することはさほどない。また日ごろの任務も限定されていない。やることは研究への協力と訓練である。その訓練も自主開発の精神修養などが半分を占める。

 首都特別区北郊の小規模駐屯地が主要な訓練場所だった。この朝は射撃訓練と、精神索敵訓練のあと、夢見たちはいつもの特殊座禅に入った。

 暗闇で一切音を遮断して行われる。この種の訓練も自分達で考案していた。

 座禅には小夜と真由良も加わっている。彼女たちはお互いの心理状態がわかった。闇の中に呼吸音が響く。真由良のは少しはやく、乱れがちだった。

 小夜は隣で半跏趺坐を組んでいる夢見の様子が、いつもとは違うことに気付いた。こんな場合い普段なら彼女の精神は落ち着く。眠るでもなく、精神を心の奥底に沈め、一種のトランス状態に陥ることすらある。

 小夜も外界への感覚が鈍くなり、精神が自分の内面へとむきはじめる。すると夢見の考えていることがいつもの漠然とした感覚ではなく、言語に近いよりはっきりとした形で伝わってくる。心が交じり合うこともある。

 この日に限ってそんな状態にならない。静かに呼吸している夢見の心が、乱れている。いつもは二人だけだが、不慣れな新人が加わったことの影響だろうか。

 夢見の不安定さに影響され、小夜も集中できていない。そのようすは外部で橋元医務正が監察していた。言わば部隊専属の精神工学医兼内科医だった。

 半時間の暗中座禅が真由良には多少つらかったようだ。肉体的なトレーニングは得意だが、精神面はまだまだだった。邪念がいろいろとわいてくる。

 しかし小夜たちに敬礼し「ありがとうございました」などと言った。

「自分の精神的な未熟さをあらためて思い知りました。

 ぜひ鍛えなおしてください」

 二人に新入りの闘志がつたわる。この季節でも訓練はカーキ色のツャツ一枚と半パンツで行われる。真由良の見事すぎる肉体に、汗でシャツがはりついていた。童顔小太りな佐官相当橋本医務正の簡単な検査のあと、小夜の発案で練兵場を軽く走ってみることにした。

 命令もされていないのに真由良は五キロの背嚢と突撃銃を荷って先頭を走る。 小夜と夢見は訓練のままの短パンにシャツである。胸が揺れて走りにくい。

「ねえ夢見。今日はどうしたの」

「……迷いと言うか、気になってしかたないんです。

 あの……殺意でもない、懇願かもしれない。誰かが誰かを必死で殺したがっている。自分では出来ないもどかしさが伝わってくる。

 でも憎しみではない。その……恐怖と悲しみ。あんなに強烈な意思はめったに感じない」

「例の絶対極秘の集積所からね」

「ほかには考えられません」

 国防施設局破棄資材暫定集積所は存在自体がタブー化している。単なる実験資材の解体場所でないことは確かだ。

「古兵殿、遅れてますよ」

 先頭の遊部真由良がふりむき、うれしそうに言う。目の輝きは今も鋭すぎるが、笑顔に屈託がない。

 父のことは言わないが、母親は元幹部自衛官で、今は衆議院議員と言う。

「ところで一曹殿、挺進隊長は今どこです」

「市ヶ谷で書類づくり。真由良のわが部隊編入も変則的で強引だったんで、あとからつじつま合わせるのも一苦労なんだ。

 お役所の書類づくりなんて、あの古武士にとっては大の苦手よ。

 でもいざとなったら創作と捏造の得意な、謀略参謀殿に泣きつくって」

「わたしもあの参謀殿に、人生を変えられました。自分は一応感謝しています」

「あの……わたしをこんな世界に引き入れたのは一尉。正直苦手だけど、まあ…感謝もしてる。その、わたしたちみたいな非公然、ある意味非合法な小部隊があるのも、策謀好きな田巻一尉のおかげですから。

 ジロジロ全身見つめられるの、今でも嫌だけど」

「むしろヤツの後見人、上田大臣ね。ともかく嫌なやつだけど利用価値はある」


 その「利用価値のある嫌な奴」も、市ヶ谷地下の参謀詰め所で頭をかかえていた。軍令本部情報統監部の情報参謀は彼を含めて三人。うち一人は常に海外を飛びまわり、一人は統合防衛大学幹部学校教官を兼任している。

 広めの参謀詰め所のデスク上に仮想スクリーンを立ち上げている。濃いコーヒーをすすりつつ、田巻はまた大きくため息をついた。

「なんも判らん。鉄壁の要塞やな。口にだすのもはばかる深山幽谷の謎の施設。そこへかなりの資金が流れとる。

 その施設にうちのボスが深くかかわってる。いや実質的に取り仕切ってる。

 そして今また、なんか起きてる。しかし一切は極秘みたいや。この僕にすらさっぱり判らん。所詮民間出身の『中年大尉さん』やしなあ………」

 田巻は第七課長と会話したときのことを思い出した。加川美麗は元々陸上自衛隊の猛者だったが、一度事件をおこして予備自衛官になっていた。統統合自衛部隊発足時に現役復帰している。

「麗奈はんとはその頃知り合い、いまでもベタベタ。いや、二佐が崇拝しとる。……あの時」

 田巻がなにげなく「信州某重大事件」と言ったときに、加川の顔が強張った。

「やっぱり例の破棄資材暫定集積所で、なにか異変がおきとるな。しかもおおごとが。それで石動閣下はここにおらへんわけやな」

 田巻は立ち上がった。細い目が不気味に輝いていた。


「……あれが、クルクス乙号が奪われたというのかね」

 統合軍令本部総長、すなわち内閣総理大臣を最高司令官に頂く統統合自衛部隊最高位の司令官である服部球磨邦くまくに最高将帥は、その紳士的で温厚な人柄で海外にもファンが多い。

 その服部の顔が青ざめ、ついつい禁断の名を口にしてしまった。この日は朝から永田町の首相官邸で、予定されていた外交国防連絡会議に出ていた。服部は、いつも大きな円形テーブルの出入り口付近でだまって座っている。発言を求められることはさほどない。

 この日はその重要な会議のさなかに、外へ呼び出されたのである。相手は右腕と頼む、情報統監部長石動将帥だった。服部はかたわらの上田国防大臣にあやまってから、議場の外へ出た。

 通路奥の個人通信ボックスからかけなおして欲しいと言う。外に出せない重大事件らしい。

 侵略なら、正式の回線で通告される。軽い受話器で電話をかけたとたん、石動は市ヶ谷地下四階の緊急発令所から報告した。「特殊資材乙号が、謎の黒い武装集団に奪われたらしい」と。

「オオワダの半ロボット化警備システムが、無力化されていました。

 四人の警備兵や職員は強力な麻酔ガスで意識を失い、そのあいだに四五人の武装兵が侵入したようです。

 ……地下第二層の特殊キャニスターはもうありません。浦木所長が警戒システムを回復させ、画像をおくってきました」

 服部の座る目の前に仮想スクリーンが立ち上がった。服部は画像を見つめた。

「こ、これは!」

 地下壕または古いトンネルの工事現場のような映像だった。天井や壁面には各種パイブが走り、さまざまな機械や装置が所狭しとならべられている。

 画像の中心は、大きな台座のようなものだった。その上にはなにものっていない。古風な台座の上面は湾曲しており、円筒形の物体が固定されていたようだ。

「………クルクス乙号のキャニスターが」

「奪った連中もどこへ行ったかも不明です。

 ヘリなどは観測されていませんので、現在臂力搬送か、人力補助機械搬送中でしょう。オートキャリアーもなくなっています。

 現在あやかしの森は封鎖しています。また応援派遣を要請しました」

「な……なんと言うことだ」

「世界的な非常事態です。もしキャニスターが解凍されたら、世界はいったいどうなるか」

「……ほどなく会議は終わる。大臣らと協議します。AM級クリアランスの幹部を呼集しよう」

「おねがいします。まさに今日の午後、マル特戦の兵士を含めた増援警衛部隊を派遣するはずだったのに。わたしのミスです」

「でもいったい誰が、クルクス乙号とあの事件を知るものなど、ほとんどいないのに」

「……二十年以上前です。服部閣下は情報本部員として隠蔽にかかわられた。

 わたしはまだ駆け出しの幹部自衛官。五十倍の難関を突破して、晴れてパイロットになるはずでした」

「そうだ……あれがすべての発端だった。あの事件が」

 服部は二十年以上前、雑誌やホームページを飾った美しい幹部自衛官の姿を思い出していた。


 遊部真由良三等曹長は、はりきっていた。もっぱら元自衛官の母親に育てられた。その母親は今、衆議院議員である。

 まだ新米三等曹長心得の時代は闘志がありすぎて、些か周囲がもてあましていた。そして力が暴走し、事故を起こしていた。その頃に比べると随分しおらしくなったといえる。入院中、少し能力は衰えたが。

「今日もよろしくお願いします」

 小夜や夢見を見るたびにそう言う。闘志はまだまだだ。頭は坊主に近い。日焼けして浅黒く、肉体はアイゼンハワー時代のハリウッド肉体派女優も驚く。

 それでいて来島部隊長以上に男っぽい。夢見は内心、この後輩に奇妙な憧れを抱いていた。そのことが、よからぬ恋心をいだく小夜を焦らせた。

 PSN、特殊超常能力の訓練は奇妙なものである。彼女達自身が考え付いた。 そんな摩訶不思議な力をもつものも少なく、教育総監部も訓練方法に困っている。わが国随一、そして世界有数のPSN保持者である夢見以外に、いい教育訓練方法など思いつくはずもない。

 総ては手探りであり、常に協議して改良される。

 今度の訓練は小さな体育館を真っ暗にして行われる。夢見も真由良も上半身は黒い袖無しシャツ一枚である。下は迷彩ズボンと耐ショック特製編上靴である。

 小さな体育館には先に夢見が待っている。目隠しをしたまま真由良は中に入り、外から戸が閉じられると目隠しをとる。

 そのなかで夢見の意思を探りあて、近づく。そして一メートルの距離をおいて座り、小一時間ほど対峙する。その間、呼吸音以外は聞こえない。

 中には暗視カメラや赤外線観測機器などがしこまれている。遠隔探査で脳波なども測定されている。

 真由良は精神を集中し夢見の「考え」を読み取る。次に読み取った考えをまた、夢見に送りかえしもする。はじめは簡単な単語や図形だが、少しづつ難しくなる。真由良の段階では、明確な言葉としては伝わらない。

 怒っている。来て欲しい。助けを求めていると言った漠然とした感覚ならば理解できる。

 我武者羅に頑張っていた幼年学校生徒時代は、斑鳩小夜よりも能力的に上回っていた。今はなんとかかつての力を取り戻したいと、負けず嫌いな真由良は頑張る。その根性には、夢見もしばし当惑した。

 自分にはない闘志だった。そして自分への憧れも照れくさい。

「ありがとうございました」

 汗だくになりつつ、真由良は頭を下げた。一時間近くたっていた。

「夕方の教練はいいよ。シャワー浴びてゆっくりやすもう。ね、夢見」

 オヴザーバーとして闇の中にいた小夜もぐったりとしていた。三人は衛戍地内の将校クラブでシャワーを借りた。

 彼女たちだけの特権だが、文句を言う将校は皆無だった。男よりも女に興味がある小夜は、魅力的に熟れすぎた真由良の裸体に少し見とれた。

「……あなた、すごいわね」

「……事故のせいで、わたしもだいぶ弱くなりました。

 一曹殿は確か、お母さまのお腹にいる時に大気圏外に出たんですってね」

「パイロットの母さん、妊娠隠して宇宙遊泳。それが能力を開花させたのかどうか、ちょっとわかんないけどね。

 うちは別に、夢見みたいに代々不思議な巫女を産む家系ではなかったし」

「うちはその、アソベ一族でしたから」

「アソベ一族?」

「ええ。亡き人の魂を遊ばせ、黄泉へおくるのが代々の務めでしたから」

「へえ。それっていつ頃のことなの?」

「大和朝廷成立以前から、だいたい平安時代ぐらいまではやっていたようです」

「それって、その……死者の魂を、救うのかしら」

 シャンプーを借りながら、夢見が言った。

「オオミワ二曹! 救うと言うより、現世にとどまる未練を断ち切らせます。

 やっと自分の目を見て、話してくれるようになりましたね」

「……ごめんね。元々自活して対人恐怖症を治すために、ジャストはいったぐらいなの。今でも知らない人やその、はじめての場所って苦手だな」

「世界最高のPSN兵器が、ですか……」

「買いかぶりすぎよ。あなたも田巻一尉殿も」

「最初の訓練では十人近い候補者がいた、と聞いています」

「……その話はこの子の前ではよしてよ」

「すみません」

 夢見は悲しげに微笑むだけだった。


 田巻は将校用の官給昼食ではなく、クラブのやや豪華なランチをよく自費で食べる。そのあとは将校クラブのマッサージ椅子でシエスタをとるのが、無趣味な男の平常時の日課だった。

 しかしこの日は将校食堂で本日のB昼食をかきこむと、急いで常勤執務室である参謀詰め所に戻った。

 彼には多少塩辛いが、食べ物で文句を言うのは恥、と信じている。

 いま信州でなにがおきているのか、それを調べたかった。どうも非公開、軍機密扱いで各種緊急命令がとびかっている。また第七課が中心に、ジャスト内に厳しい情報統制がしかれている。

 通常アクセスできるデータにも、高度な規制がかかっていた。

「元木課長追い出すネタどころやない。僕の知らんところで、いったい何がおこってんのや」

 上田と言う後ろ盾がなければ、非力な小心者である。しかしその嗅覚は鋭い。 小心者特有の用心深さで、情報の裏を探る。地方人から再編成のドサクサで任官した謀略好き。出世の為には、多少危ない橋をわたるしかなかった。そして責任回避と報告書の創作は、お手の物だった。

「なんや、これ?」

 特殊情報工作費の流れまでは、自分のパスワードで開けられた。その中にもこまごまとしたリストなどが入っている。

 そして開封厳禁、特定将官のみと書かれたリストの中に、「エステル作戦計画に対するクルクス案件の影響、及び『石動三尉事件』との関連」との文書を見つけたのだ。

 どうせ自分のパスとクリアランスレベルでは、見ることはできない。しかしそのタイトル下の整理番号だけでも見ようとして、クリックした。

 そのときである。情報端末の薄い平面モニターが真っ赤になった。次の瞬間、突然電源がきれたのである。

 あわてて再起動しようとしたが、情報端末そのものが壊れていた。幸い用心深いこの小心者、必要なデータはバックアップしてあったが。

「こ、これはなんや。あのファイルあけようとしたら、壊れた?」

 田巻は大きくため息をついた。

「まだまだ、この国には大きな秘密があるなあ……。ほんまに近代国家なんか」


 キャニスターと呼ばれているその収納筒は、長さ三メートルたらず。直系は一メートルもない。くすんだ銀色の長細い薬品カプセルのような格好をしている。

 古いものだがよく手入れされていた。表面にはなん筋かのラインと、コードなどを差し込む穴、端子がある。

 そしてカプセルの端には、棺桶ののぞき窓のような四角い透明な窓があった。

 佐伯三尉はショートカットの髪をかきあげ、その窓の中をのぞきこんだ。

 極低温のキャニスターは内側も凍り付いている。しかし銀色のパイロットスーツらしいもの、その上にかけられた上着かなにかは確認できた。それは古い飛行気乗りの上着のようだ。

 するどい目つきと通った鼻筋が特徴的な女性将校は、意外なほど可愛らしい声で、左手首の個人通信機軍用ユニ・コムに話しかけた。

「こちら佐伯です。キャニスターの運搬は完了。電源回復し、機能正常です。

クルクス乙号資材はわれらのものです」

 複雑なスクランブラーを通して首都から届く声は、少しくぐもって聞こえる。 しかし低く冷たい美声はよく聞き取れた。

「よし。二十年以上眠り続けていた人類の至宝だ。大切に扱え」

「解凍するのですか」

「それは政府と交渉する。そんなものを文字通り氷付けにし続けていた石頭どもに、今こそ秘められた力を解き放つよう迫る。

 注意して見ていてくれ。解凍すれば大事かもしれない」

「運搬前に比べ、内部温度が二度ばかりあがっていますが」

「一時的に電源から切り離した結果だろう。そちらには専門かもいるから、大丈夫だろう。丁寧におもりをしていてくれ。ほどなく景山もむかう」

 佐伯は通信を終えると、ため息をついて周囲を見回した。古い防空壕のようなトンネル状の施設だった。薄暗く、墳墓の内部に似た冷気が漂っている。

 長く人の手がはいっていなかったが、元々の造りはしっかりしていた。電気も応急処置すればきちんと使えた。

 ところどころにむきだしの岩や、鉄材が見える。全体的にがらんとした倉庫のようだが、その中央では台車に横たえられたキャニスターが鎮座している。

 黒い兵士たちがとりつけた臨時照明に照らされ、その凍てつい大きなカプセルは鈍く輝きつづけていた。佐伯はそれを見つめ、生唾を飲みこんだ。

「これが人類史を変えるか、それと人類を滅ぼすか」


 破棄資材暫定集積所の責任者、浦木うらき理学博士はまだ顔色が悪く、少し咳が残っていた。

 しかしかけつけた少数の緊急救援部隊おかげで、なんとか通信機能も回復している。軽傷者は出たが死者はいない。

 地上部の司令室から市ヶ谷地下へ報告するあいだも、息が荒い。

「基地機能の七割は回復しました」

 その浦木所長に負けないほど、石動情報統監部長の顔も青ざめていた。沈着冷静をもって知られた女性将官が、地下四階の特別指揮所の大きなモニターを赤い目で見つめている。

「事前に警戒システムに侵入を受け、無力化されていたわけか」

「申しわけありません。統合電子脳に外部接触の痕跡はありますが、どう言った方法を使ったのかはまだわかりません……。ともかく全員がガスで気絶しているあいだにキャニスターは、あの特殊乙号資材は」

「現在集積所を中心に半径十五キロ、あやかしの森全体を封鎖し、ロボット索敵装置などを繰り出している。

 衛星からの観測でも、ヘリその他の移送手段は確認していないわ。

 そちらのカメラ映像の解析では、五人が侵入している。完全武装の黒づくめで。徒歩でその人跡未踏の深い森を越えてきたんだろうか」

「では徒歩であの重いキャニスターを?」

「ほかに考えられないわ。現在捜索部隊を投入している」

「これはやはり、内通者がいるとしか考えられません。この極秘施設と、あのクルクス乙号を知るものがいるとは。

 いえ……もちろんすべての責任はわたくしにあります」

「責任問題はあとよ。今は一刻も早く彼を……キャニスターを発見しなくては」

「しかし、しかしいったい誰が。あれの正体を本当に知っていて、奪取したのでしょうか」

「知っていなかったとしたら大問題だ。知っているなら」

 須藤麗奈は、視線に殺気をこめて言った。

「…………さらに問題よ」


「阿部……美弥ちゃんやね」

 若くして甲種国家公務員試験にうかった美弥の第一希望は、外務省だった。

 しかしその語学力と分析能力をかわれ、国防省に務めることとなった。情報統監部付の文官とはなったが、まさか「旧知の」田巻に会うとはおもわなかった。

 それがこの午後、突然市ヶ谷要塞敷地内の国防省本棟に訪ねてきたのである。 彼女は国防会議議長たる国防大臣の官房にも机を与えられている。小柄で愛らしい美也は、少し迷惑そうに挨拶した。

「お久しぶりです」

 田巻は官房の外の廊下に新人の文官を呼び出して、聞いた。

「いったいなにが……おきとるんや」

「な、なんのことです」

「君は大臣官房と統監部をつなぐリエゾンや。石動統監がどこにいるかは、知ってはるやろ」

「……言うわけにはまいりません。

 ご存知でしょう。現在は第二種極秘警戒令中です」

「第二種極秘だと。そんなん、戦争直前やんかっ!」

 言ってしまった統監秘書が驚いた。

深山みやま郷の破棄資材暫定集積所でまたなにかあったんか。

 おとといも監察官の飛行機が撃墜されたそうやが」

「そのことについては、わたしも詳しく知らないんです」

「クルクス資材ってなんや」

「はい?」

「いや、知ってるほうがおかしいな」

「すみません。わたしはこの春にここにきたばっかりです。

 あなたには近づくなって、閣下にも言われてるし。あなたのお父上が上田国防大臣の知恵袋だったことは知っています。でも、立場をわきまえてください」

「ああ、わきまえとる。こう見えても慎重派や。第二種極秘警戒やったら司令部は地下階やな。君は官房で上田先生との連絡を待ってる。

 でも服部総長はまだ、第二種警戒のことを先生に言うてない。そうやな」

「……わたしもなにがおきているのか、よく判らないんです。本当です。

 官房は副大臣も含め出払っていて、わたしは留守番です」

 田巻は市ヶ谷国家中央永久要塞の中央棟のロビーまで降りると、ユニ・コムで大神夢見を呼び出した。

「あ、ユメミン」

「あの……その呼び方、お願いですからやめてくれませんか」

 あの森の上空で感じた、切実で不可解な「殺せ」と言う意思を忘れようと、いつになく激しい肉体トレーニングに励んだあとシャワーを浴びていた。

「なんやサヨリンもいっしょか。えらい熱心やな」

「はい。午後の会議や講習がキャンセルされましたのでね。サヨリンもやめて下さいよ」

「さよか。エラいことがおこってるからしゃあない」

「エラいことってなんです」

「……サヨリンにもわからんか」

「そう言やぁ、なんだか緊張感がただよってますね。市ヶ谷限定ですけど」

「おたくの女武者はんはおらんのやな」

「市ヶ谷から出るなって命令を受けているみたいです」

「君らもそのうち戻れ、言われるわ」

「すでに命令されているので、真由良の訓練を切り上げて夢見と戻ります」

「で、第二種待機か」

「どうしてご存知なんです」

「なんでやろ。ともかくサヨリンたちも戻っておいで」

「あの……待って下さい、一尉殿」

「殿は余計や、ユメミン。前も言うたやろ」

「その……なにがおきているんです。市ヶ谷方面にみなぎるこの緊張感は。

 もしかしたら……あの、あやかしの森の一件がかかわっているんでしょうか」

「………そう思うんやったら、エラいさんの心にアクセスしたらええ。いくら厳禁されてる言うても、人の悪感情は自然に伝わるんやろ。

 ともかくなにかエラいことがまた起きて、上のほうは静かに大騒ぎやな。たかが佐官成りそこないの古参一尉にすぎない僕には、なんも報せてくれへん」

 田巻も地下第四層以下に緊急時発令所が作られていることは知っていた。しかしそこへ入る権利は、まだなかった。



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