第二動

 夜明け前が一番暗いといわれる。その頃、ざわめく黒い森の上空を低騒音輸送ヘリが旋回している。夢見は確かにこの下に意思を感じている。

 通信連絡はない。通信機が壊れたのか。やがて森の中からひとつ、照明弾が打ちあがった。来島はヘリパイロットに命じる。

「間違いない。地上部隊に連絡を」

「あの……たぶんもう近くに来ています」と夢見は答えた。軍令本部長特別監察官山際二佐と竹中一尉のものらしい意思とは別のそれに、夢見は驚いた。その意思に覚えがあったからだ。

 ほどなく地上の臨時山岳救助部隊が二人とパイロットを救助したとの連絡を受けた。副操縦士はけがをして意識を失っていた。

 来島は自分の役目を終えたことを、統監部に報告した。

「このまま帰還しますか」

 市ヶ谷からの指示は、近くの臨時策源に着陸して次の指示を待てという。こんなところに大型ヘリの着陸できるところがあるのも意外だった。

 東京からの指示により、ダブルローターヘリ「あまこま改」は山の中をすすむ。

 やがて木々を払ってヘリポートのようにした部分が見えた。夜明け前、四隅の誘導灯がまばゆく輝いている。ほかの機体や天幕も見えた。夢見たちの旧式ヘリは誘導されて着陸した。

 一仕事終えると夢見は疲れていた。PSNを使うとかなり疲労する。先に着ていた設営部隊が暖かい飲み物をくれると、夢見はねむくなってしまった。


「夢見、おきて」

 夜明けだった。夢見はヘリの中で眠っていた。外では見知らぬ兵士たちが活動している。

「まだ人見知りの癖が治ってないね。早く挨拶して」

 小夜にせかされて外へ出た。森はかなり明るくなっている。

 ふと懐かしい感じがしてふりかえると、女にしては大柄なするどい眼差しの下士官が少し照れくさそうに近づいてくる。往年のハリウッド肉体派女優もたじろぎそうな肉体を、迷彩戦闘服で包んだまま敬礼した。

「おひさしぶりです。正式に三等曹長に任官し、現役復帰前訓練中でした」

 遊部あそべ真由良はうれしそうだ。その思いは夢見にもよく理解できた。

「いつぞやは本当にご迷惑をおかけしました」

真由良まゆら! よかった。

 復帰したときいてうれしいわ。あの、いつスガルに戻るの」

「まだうかがっておりません。訓練中、救出部隊参加を求められました。

 でも山の中、遭難者の心をキャッチするのはなかなか難しくて。闇の中だと、どうしても恐怖心がわきおこって」

「そう……それが普通よ。わたしは都会のほうが恐怖心が強くなるけど。いろんなひとの敵意や悪意、悲しい思いがウズになつて侵入しようとする。その、森とかのほうがいいわ」

 真由良はあの不敵な笑みを見せた。悪意は全く感じられなかった。

 「アソベ三曹」と呼ばれ、真由良は近づいてきた来島に、最敬礼した。

「復帰おめでとう。それにしてもいきなり厄介な事件に巻き込まれたな」

「一切見たことを話すなと厳命されています。捜査相手が誰かも聞いてはいけないとか」

「それで監察……遭難者は見つかったのか」

「救援本隊が、エアロ・トライクで搬送中です」

 エアロ・トライクは三角形に配置したビア樽のような小型ダクテッドファンで浮き上がる、湖沼地帯や森林での偵察装置である。一応二人乗りだが燃費が悪く、一回の給油で三十キロほどしか進めない。

 そのエアロ・トライク二台が、二人の遭難者を乗せてこの臨時策源へと到着したのは、夜があけきった頃だった。深い森のなか、朝日は見えない。

 わずかな水で顔を洗った夢見は、朝食としてスープと圧縮パンをもらっていた。小夜はこのカンパンもどきが好きではなかったが、腹が減っていた。

「おえらいさんが見つかってよかったわ。でもせっかくの休みがだいなし」

「あの…一曹、ここなんなんです。その、こんな山の中に都合よくヘリポートがあるなんて」

「あれかな、術科学校時代に聞いたことがある。前世紀、東西冷戦ってのがあったでしょう」

「あ、その……ならいました。世界がもっと秩序のあった頃ですよね」

「半世紀も前ね。当時の自衛隊は、ソ連の本土侵攻に対処すべく苦労していたの。まだ環太平洋条約なんてのもなくて、頼れるのは米軍だけ。

 でもいざ本土決戦のときのために、各地に極秘地下施設や物資集積所、こんな緊急ヘリポートを作ってたって話よ」

「へえ。それは知らなかった。全土を要塞化するんですか」

「日本人が一人でも多く脱出する時間を稼ぐため。米軍の反撃をサポートするため。全島要塞化戦略持久のヤハラ作戦計画とか言うらしい。

 その名残かもよ、ここ」

 やがて来島がやってきた。鉄の女は徹夜でもねむそうにすらしていない。

「来たまえ。監察官からお話がある」


 竹中法務一尉と二人のパイロットは医療ヘリで先に運ばれていた。

 比較的元気な軍令本部長特別監察官山際二佐は、厳しい表情で見回す。スガル部隊の三人と臨時捜索班の遊部は、直立不動でこの「雲上人」のに敬礼した。

「ごくろう。そして礼を言う。きみ達が例の、情報統監部の極秘情報部隊か」

 来島は驚いたが、少しうれしかった。真由良は敬礼した。

「自分は違います。夜間再訓練中に緊急呼集を受け、山岳救助部隊に編入されました」

「そうか。ともかくありがとう。朝まで救助隊を待たずにすんだ」

 苦労人らしい中背の人物は、来島に一歩近づいた。

「命令されているとは思うが。ここで見たこと聞いたことは一切秘密だ。凡て忘れて欲しい」

「……心得ております」

「本当ならメシでもおごりたい気分だ。こんなベッピンたちに救われたと自慢したいがなあ」

 二佐は敬礼し、むかえにきたダクテッドファン機「あまこまⅡ型改」で、南へむかって去って行ったのである。

「あの……これで総て、おわりましたね」

 夢見はあくびをかみ殺して言った。

 真由良は少し残念そうだった。日本人離れした顔が、やや曇る。

「来島隊長、ただいまの時刻をもって、緊急救出任務を解き、教導団の指揮下から離れよとの命令が、コミュニケーターにはいってきています」

 真由良が見せた薄い手帳大の情報端末に、命令書が映し出されている。

「待て、わたしのにもなにか命令が届いている」

 来島は左腕にはめたユニ・コムの薄いモニター画面を見つめた。

「遊部三曹は一端訓練宿営地へ帰還。荷物をまとめ、現地指令に従って市ヶ谷へ出頭したまえ」

「情報統監部でしょうか」

「まだ判らない。ともかく市ヶ谷で会おう」


 三人は眠ったまま、頑丈で信頼性ある国産低音ダブルローターヘリで厚木へと運ばれた。旧式あまこま改を待っていたのは、赤い腕章もいかめしい警務隊の特別班である。

 警務隊はただちにヘリの飛行記録やデータを押収し、なぜかベテラン輸送パイロットを飛行場の司令室まで護送していった。

 スガル部隊は、あたかもその場にいないかのように無視した。

 やっとパンツァーヘムトなどを脱いで身軽になるやいなや、夢見たちは軽偵察車に乗せられてそのまま市ヶ谷へ戻されたのである。

 待っていたのは元木課長と情報統監部長の石動いするぎ将帥だった。栗毛を短く刈った、精悍で冷徹そうな女性将官である。かつて自衛隊時代は「広報アイドル」的な存在だったと言う。

 戦闘服のまま、スガル部隊の三人は中央棟地下の情報第十一課へ出頭した。

「本当にご苦労だった。しかし今回の出動は極秘だし、記録にも残らない。

 きみ達は一度官舎へ戻り休養したまえ。午後の業務はヒト・五マルマル時開始とする」

 新課長は、そっけなく言った。夢見は寝なおしが出来るとうれしそうだった。

「あの、いつも特別待遇されてんだし、仕方ないですよ」

 確かに曹長の身分で市ヶ谷台の将校宿舎で寝泊りし、将校食堂の使用が許されているのは、全統統合自衛部隊十七万余のうちでもこの二人だけだった。

「ここ以外に行く場所もないし、その…あまりヒトとつきあわなくていいので感謝しています」

 夢見は常にそんなことを言っている。両親は紀州南端のサナトリウムで、静かな年金生活をおくっている。兄弟姉妹はいない。

 子供の頃から他人の心がなんとなく読め、そのことで軽い対人恐怖に陥っていた。自らの心を閉ざし、人と打ち解けない彼女は統統合自衛部隊ジャストを住処と考えている。

 外の一般世界「地方」そのものが、なにやら恐ろしい。スタイルがよく美しい彼女は、男性の好色な目にさらされることにはなんとかなれたが、いまだに「知らない他人」が苦手だ。

 そんな彼女を庇い、そして幾分けしからぬ思いで見守るのは小夜だった。

 斑鳩小夜はもともと宇宙飛行士だった母親の影響を受けて、パイロット志望で統合幼年学校を選んだ。二号生徒になると学校が適正を見て判断する。

 一応パイロットのコースには入れたが、志願者のうちともかく飛行士になれるものは二十分の一、戦闘機乗りは実に七十分の一と言う倍率である。卒業と同時に航空学校の試験を受けたが落ち、腐っていたところを田巻にスカウトされ、この世界でも唯一であろう特殊超常能力部隊スガルに入った。

 この日の午後、スガルの三人は石動情報統監部長に呼び出され、救助活動を賞賛された。

 そしてあの地域にはいったことは他言無用と改めて言い渡された。

 あの特別監察官がなにもので、あんな深山幽谷でなにをしようとしていたか。それは重大な国家過密に属するらしい。

 石動は遥かむかしの自衛隊時代に、美人パイロットなどとしてマスコミにもてはやされていた。

 しかし訓練中の事故で右足を負傷した。時の臨時教官は航空自衛隊きってのエースパイロットだったが、脱出が遅れて殉職したという。

 その後石動は情報畑を歩き、事故については一切を語らなかった。元々当時の防衛大学校を歴史的な成績で卒業した彼女は、初代国防大臣の上田に気に入られ、再入隊後順調な昇進を重ねた。数人いる女性将官の中では最年少である。

「そうそう、大切なことがもうひとつ。夕方楽しみにしていなさい。十時に元木課長の元へ一般勤務服に略綬をつけて集合。理由はお楽しみにしましょう」

と胸のあたりに視線を注いだ。


「情報統監直率武装機動特務挺進隊、来島二尉以下三名出頭しました」

 ドアの前で来島二尉は仰々しく申告した。

 ドアがスライドする。中へ入ると、元木二等佐官執務机の前にいた遊部真由良が、ふりかえってさっそうと敬礼した。つづいてはいってきた小夜と夢見も、うれしそうに答礼する。

「紹介するるまでもなく、彼女についてはきみたちのほうが詳しそうだな。本日付けで、来島くんの部下になる。

 関係書類のファイルはこれだ。基本データは君の端末に転送してある」

 来島はファイルを受け取り、必要な書類にサインをして筆で花押をしるした。

「当面は軍令本部教務部で基礎教育の仕上げをしつつ、君のところでシゴいて欲しい」

 こうして遊部真由良三等曹長は、正式に隊員としてSGALに配属されたのである。

「あらためて、よろしくお願いします」

 顔立ちも肉体も日本人離れした負けず嫌いは、うれしそうに目を光らせた。


「特殊超常能力、PSNか」

 元木定は、薄い眼鏡をあげた。向かいに座る田巻も、今時珍しく度の強そうなめがねをかけている。コーヒーの湯気で少しくもっていた。

 ここ永久要塞中央棟にある将校用カフェテラスで、二人は名物の苦いコーヒーを飲んでいる。

「こう言うところで、その名は出さないほうがよろしゅおすな」

「こんな時間、ほかに誰もいない。このあいだの訓練と資料でおおよそのことは判った。

 しかし大丈夫なのかね。その、いまだ解明されていない超常の力なんて」

「自衛隊時代から三十年以上。今も特別機関での研究が続いてます。

 なんでも第五の力や、能動量子やといろいろといわれてるけど、あの力の秘密解明はまだまだです」

「………その気になれば、人も殺せるんだろう」

 田巻は厚いレンズの底から、細く陰険そうな目で元木をにらんだ。

「脳の毛細血管一本に穴あけるだけで、人ぐらい殺せます。ほんまやったら僕なんか何回殺されてるか判らん。まぁ、うらまれてますから。

 でも銃やらなんやら持った兵士が私怨で同僚殺したりせんように、彼女らかて理性と強い自制心が能力の暴走をとめてます。そうやと信じたい。なんせ僕がスカウトして作り上げた世界随一の特殊部隊や」

 元木二佐はコーヒーを飲み干すと、小さくため息をついた。

「それは富野くんも言うておったよ。しかしどうも信じられんな。

 公式記録では君の名前はあまり出てこない。第一管理と訓練はわたしの第十一課のはずだが、今回の出動でもわたしに対しては事後報告で終わっている」

「それは……最初にご説明しましたように、直接命令権は」

「石動統監部長にある。しかし統監命令は同時に君のところにも届くことになってる。前任者の小林一佐時代からの慣習とは言え、少しおかしくはないかね。

 きみは第十一課所属ではない。統監部情報参謀、まだ三佐待遇先任一尉の身分のはずだ。

 スガル部隊は統監直率ながら、訓練と管理は我が情報第十一課エルフィンが行う。今回の出動も、統監部長からの命令と同時にわたしに知らせて欲しかった。 形式的にわたしの認可の元出動するか、統監部がわたしに出動要請するような形にしてもらわないと、困るね」

 田巻の細い目の底で、敵意が輝きだした。

「それは確かにそうすべきかも知れまへんな。将帥がどない言わはるかはわからヘんけど……」


 ひと騒動が終わって、「あやかしの森」に静寂が戻っている。

 特殊ベトン製のトーチカか、ロケット試験場管制センターのような破棄資材暫定集積所本部棟も、深い緑に沈むようにして日常を取り戻しつつあった。

 山の夜は早い。すっかりと暗くなっていた。殺風景な研究室に似た本部の指揮所では、所長の浦木理男が平面モニターの前にすわり、その痩せて青白い顔をかすかに強張らせていた。五十をかぞえても凛々しさと美しさを失わない石動の顔だちとは、対照的だった。

「では監察官搭乗機を撃墜したのは、なにものかが外からコントロールしたと言うのですか。しかしフラックトゥルムについては、『たけみかづち』の厳重な制御のもと……」

「その統合防衛電子脳と同じアクセスコードで、外部から侵入したとしか思えないそうよ。

 そのための誘導装置もみつかったが自爆した。つまり監察官搭乗機撃墜は、そちらにあの二人を近づけさせたくない何者かの謀略なのよ」

「……クルクス乙号資材が目的ですか」

「特に異常はないとの報告だったわね」

「ええ。監査官派遣の理由もこちらでは当惑していますし」

「定期的、でもないが軍機特種乙号資材の状況を確認しておきたかった。最近妙な動きに関する情報が入ってきてね。場合によっては警備体制の強化も必要ね。

 今度のことではっきりしたわ。やはり何者かがクルクス乙号を狙っている」

「そんな、ここのことは超極秘、アルカーナ・マーキシマ級の国家機密です」

「それを何者かが知り、利用しようとしているのかも知れない」

「何者って、誰です。首相すら知らないと言うのに」

「……あの二十数年前の事件は当時から極秘中の極秘だった。しかし墜落機の回収や宝辺一尉の処置にかかわった人間は何十人もいたわ。

 物故者もいるけど、まだ生きている人も多い。わたしみたいにね。自衛隊を辞めた者も、大地震で消息不明の人もいるでしょう」

「……警備強化はこちらにとっても大歓迎です」

「事件の処理もまだ手付かずだけど、いそいで警備強化を要請します。

 数日間はそちらの警備要員だけでおねがいするわ」

 浦木は通信を終えてもしばらく固まって椅子から立ち上がろうとしなかった。


 ホテル・グロリアインターナショナル東京が汐留にうつって二十年にはなる。 田巻は旧館の豪壮な雰囲気が好きだった。この奇妙な男は、現代的な建築様式を評価していない。

「突然わたしだけを呼び出して、口説くつもりかとおびえたけど」

 美しく聡明だが、どこか高級娼婦または高等淫売の雰囲気を漂わせる不破久美は、シックなブランドものに身をつつんで窓際のカウンターで待っていた。

 若くして上田国防大臣の私設秘書を務め、四ヶ国語に堪能である。決して上田の趣味ではなかったが、後援会の某企業人の隠し子との噂があった。田巻はグレーのネルーカラー・スーツだった。

「お忍びで会いたい」などと妖艶秘書を呼び出したのだ。広いラウンジのすみ、人目につかない柱の陰の窓際カウンターに座り、濃いジンライムを飲んでいる。

「でも上田先生への情報提供は感謝してるわ。

 その見返りも、当然大きいでしょうけど」

「例の政友党大崎派の動き、確かやったやろ」

「ヤシマ重工が極秘献金しているのは知ってたけど、マグレヴ新幹線九州延伸にらんでのこととは知らなかったわ。情報源はどこかしら」

「まあそれはナイショに。ヤシマのリニアモーターの技術はそのまま航空母艦のカタパルトに応用されてますから。実験潜水空母天津風もそうでしたな」

「ああ、そう言うこと。それで……今回はなに」

「新任の元木課長。優秀やけど女グセとかでなにかと評判のよくない。スガルとは何の関係もないあんなんが、なんで第十一課の課長なんかになっとるんか不思議で。なんか僕を外そうとしてると言うか、スガル部隊のコントロールを奪いたいみたいや。怖いもの知らずにも」

「ま、世界最強の特殊部隊。危険なおもちゃをいじってみたいのは当然ね。なんでも美人ぞろいなんですってね、その極秘部隊。

 そんなのに関係できて、毎日楽しいでしょうね」

「……ハラペコで死にそうな時に、目の前にご馳走ならべられる。でもご馳走にはみんな、毒がはいってる。または一口食べたら殺される。

 この状態は拷問って言いまへんか」

「ふふふ、なるほど。元木って人は噂程度にしか知らないけど、実力派ではあるようね。法務関係に詳しくて、人脈も広いとか。

 でも上田先生とは関係ない。人事についてはおたくの人事局に聞いたらいいじゃないの、お得意の情報網で。でも人事局は多分、十一課のことをよく知らないかもね。少なくともこんな公の場所で、最高機密に近い特殊部隊のことをベラベラ話すあなたよりは頼もしいわ」

「えらいすんまへんな。酔うとますます口が軽くなるな、僕」

「しなとべ、だったっけ。そんな顔しないの。先生から聞いたわよ。あらたな極秘計画」

 田巻己士郎は、細い目を見開く。不破秘書はふりかえってあたりを見回した。

「次から次へと新しい極秘計画を計画。それで出世したいのかしら」

「……計画は頓挫するものも多い。けどなんかやってるうちは予算もつくし、別のところへ移動させられることもないやろ。

 民間出身の僕でも、身は守りたいよって」

「やっぱり美しき魔女たちにご執心ね。どうしても手放したくない、か」

「あたりまえや。小夜リンもユメミンも僕がスカウトして、ややこしい手続き経て市ヶ谷の地下に連れてきたんや。

 僕の手ぇであの神秘的な力、解明したる。それがお国の為や。けど一般私大出身、しばらく民間で働いていた僕はご存じのようにいろいろと不利でね。

 僕から魔女達を奪おうとする輩も、少なくない。危険や言うて」

「そのために後見人の上田先生の力を最大限利用。影の総理、微笑みの寝業師先生には勝ち続けて欲しいわけか。

 そうそう、新日本機械工業の新社長が、後援会に入りたいって。上田後援会ってたしか、あなたのお父様が作ったのよね。大学の先生してらした」

「家にはほぼよりつかなかった親父やったけど、上田大臣は今でも感謝してくれてはりますわ。親子二代、お仕えしとんのやし」

「それであなたは、先生の力を使って元木二佐を追い出したいのかしら」

「ひときぎの悪い。けど………はずれてもいないな。優秀かなんか知らんが杓子定規で官僚的。形式に拘ってうるさい。我々情報部はそう言う形式とか慣例、前例とは別の世界で生きてる。初代の小林一佐の方が、まだよかったわ。

 まあそんなOSSのドノヴァン的荒武者な情報部、わけても極秘組織である十一課の暴走とめようと、上のほうが考えたんかも知れへんけどなあ。ほぼ門外漢に十一課勤まるかいな」

「あまりウチの忙しい先生を、危ないことに巻き込まないでね。でも人事総監と先生は親しいから、彼の背後とか十一課に来た事情はおいおい探ってあげる」

「約束の僕の佐官昇進が遅れてる理由も、出来ればお願いしますわ」

「あなたが派手に動いて敵作るからじゃないかしら。または魔女独占への嫉妬かもね。もう昇進申請は、ハンコ一つのところまで来ているわ」

 不破久美はストレートのアイリッシュウイスキーを飲み干した。


 その日一日は課業も訓練も免除された。免業日である。ただ来島隊長はやこしい書類の処理に追われていた。

 真由良も、市ヶ谷の将校用官舎に特例で個室が与えられた。引っ越しを少し手伝った夢見は、勝気で負けず嫌いの彼女の趣味が、まるで昭和の時代の乙女のようであることに驚いた。

 私物であるフリルのついたドレスやたくさんのぬいぐるみなど、彼女の日ごろの態度からは想像ではない。さらにそのやや退廃的で危険な肉体とは、全くミスマッチだった。

 そして真由良は手伝ってもらったことを恐縮しつつ、特に恥ずかしそうにはしていない。小さな熊のぬいぐるみを、自慢したりしていた。真由良の少女趣味的な部屋にくらべ、夢見の部屋はいささか殺風景で整いすぎていた。

 夕食は官舎一階の将校クラブで小夜とともにとった。いささか浮かない顔をしている夢見を、小夜が心配した。

「どうしたの。また『持病』の人嫌いがぶりかえしたの?」

「いえ。あの……あのときの妙な殺意が」

 小夜は周囲を見回し、声を潜めた。

「あのときのことは全部忘れるのよ。さもないとわたし達でも危ない」

「ええ。でも……確かにあの意思は、誰かを殺せ、殺してくれって懇願していたんです。あんな奇妙ではっきりした意思は珍しい」

「そんな強い殺意を持った相手が、あの時あの下にいたなんて」

「あの……殺意と言うか、懇願に近いような。たぶんあの、禁断の施設から」

「…あの施設はいったい何かしら。いけない。この話はこれまでにしましょう」

 小夜は立ち上がって、御飯のお代わりをもらいに行った。佐官以上の幹部なら従卒が給仕をしてくれるが、二人は特別待遇の下士官である。丼に御飯を山盛りにして、小夜は戻ってきた。

 ふと視線を感じる。それはこの将校クラブ食堂にいる誰かのものだが、敵意や警戒心でないことは判っていた。

 女性将校や下士官は少なくないが、夢見たちはどうしても目立ってしまう。

「そうそう、あの過激な努力家、しおらしくなったわねえ」

「その……でもあいかわらず闘志まんまん。心に痛いほど響いてきますよ」

「お互い人の心が読めるってのも、不便なものね」

「あの……それもこんなところではタブーですよ」

「あなたより年下ね。でも正式に三曹長任官で成人資格獲得、晴れてオトナの仲間入りね。選挙権はまだだけど、捕まっても少年法は適応されない」

 この時代、成人資格は個人的に差があった。通常は満二十歳だが、社会人となり簡単な認定試験を受けると十八歳前後でも成人に為れる。これを法定成人認定と呼ぶ。

また特別職などの公務などにつけば、例外的に十七でも特別成人認定が受けられる。ただ選挙権は十八歳までなかった。被選挙資格は一律二十五歳で、簡単な国家試験を必要とする。

「昨日は大変だったけど、おかげで今日一日骨休めできたわ。

 どう、久しぶりに軽く呑みに行く?」

「あの……軽くなら、まあ。でも酔ってもヘンなことしないでくださいよ」


 情報統監部情報参謀田巻己士郎は、市ヶ谷近くの借り上げ官舎に早々と戻っていた。親戚や家族は関西におり、こちらでは友達も少ない。

 夜間業務のないときは将校クラブか近くの安酒場でいっぱいひっかけ、早々と寝てしまう。俸給の七割は関西に送る。

 この夕方は国防大臣私設秘書との「情報交換会」をして、タクシーで自室に戻っていた。

 三等佐官昇進を早くから約束されていたが、遅れていて最近機嫌が悪い。

 彼はモデルルームのように片付いた小さな部屋に戻ると、すぐにパジャマに着替える。そして地下一階にある温泉浴場から戻ったとたん、電話が鳴った。

 卓上のテレビ電話のモニターを見て、多少驚いた。酔いがさめた。

 自らを鍛え、女武人たらんとすることに命をかけている女「古武士」は、秋田角館の出身である。先祖代々の武士で、祖父は古武道の師範でもあった。その祖父の影響がかなり強い。

「なんや、驚いた。来島君が僕に頼みごとなんて珍しい」

 来島も小夜たち同様、田巻を警戒も軽蔑もしていたが、一応頼りにはしている。来島は書類を片付けたあと一人で体を鍛え、官舎に戻って連絡していた。

「実はお聞きしたいことがあって」

 田巻も今朝までの経緯は知っているが、現場でなにがあったかについては聞くことも許されていない。ただ実験中のフラックトゥルムのまさかの事故で、犠牲者がでかけた。それを隠蔽するならば、田巻の出番だった。

「君らもせっかくの保養所での一泊、台無しにされてもて、気の毒やったな。

 しかし無事遭難者助けたとは、さすがや」

「これは絶対口外するなと口止めされています。ただひとつ教えてください。

信州北部の山の中にある、妙な施設です」

「破棄資材暫定集積所? ……なんか聞いたことあったな。研究開発本部所管の実験に使った部品とか、あとでバレないよう念入りに解体する施設ちがうか」

「そんな施設が、何故人跡稀な山の中にあるんですか。そして厳重過ぎる警備」

 田巻はあらためて電話のスクランブラーを確認した。

 情報統監部員は他人の通話を傍受、盗聴することはあっても、自分たちが盗聴されないように注意している。

「エラいやばそうな話やな。そもそも君らが助けたんは、特別監察官やそうやな。どこを検閲しようとしてたんやろ」

「位置的に見て、二人の監察官は破棄資材暫定集積所を目指していたとしか思えません。あの一帯は通称『あやかしの森』と言って、古くから人の立ち入ってはならない森林地帯。そして防衛省時代からほとんどが国有林でした」

「……忘れ去られた資材集積所の査察か。なんか実験機材の横流しとかが発覚したか、あとが判らんようキッチリ丁寧に分解してるか確かめたかったのかな。

 そこへフラックトゥルムの事故……いや事件がかかわったかな」

「統合防衛可動堡塁の一件は、統合国防電子脳の判定ミスってことになっています。監察官搭乗機は許可も得ないまま特殊なルートを飛んでいたので、敵と誤認したとか」

「ああ。マスコミには人為的なミス、犠牲者はなく被害も軽微とか発表しとる。

 第二課がブレスリリースつくってはったわ。おかげで『たてなみ』計画の発表、多少はやめないかん。『甲号しなとべ』計画さえ護れたら、僕はええけど」

「なに計画です?」

「いやいい、口がすべった。それで君らは監察官たちが遭難したことも、救助したことも絶対他言無用か。

 その禁を破っとんのか、杓子定規で忠誠心あつい君が」

「一応統監部長には報告しましたし、統監部情報参謀殿ならその」

「罪は軽いか。まあええ感謝するわ。僕も今回の緘口令はちと異常やと思てた。

 はじめは実験中のフラックトゥルムがあやまって、あろうことか監察官の特別輸送機撃墜したことを恥じての隠蔽やとおもた。

 しかしフラックトゥルムの件は事故やない、言う情報も入ってきてるし、だいたい監察官がなんでそんなところ飛んでたのかも判らん。

 こりゃその資材集積所が鍵やな」

 田巻は軽い受話器を左肩に挟んで、小テーブルの一部になっているキーボードを叩き始めた。

 情報統監部のホストコンピューターは、箱根双子山地下にある国家脳「ブラフマン三世」と、統合国防中央電子脳「たけみかづち」双方にアクセスできる。

「研究開発本部……妙やな、組織図に破棄資材暫定集積所なんて載ってへんえ。ちょっとまち。総合検索で……僕のパスワードで深度検索かけて見てるが。

 あった……なんやこれ? ……君らの第十一課と同じや。国家最高機密レベルAM級やて。所属は統合軍令本部。

 詳細閲覧は情報統監部の許可がいる。このコードは………えらいこっちゃ」

「どうしたんです」

「僕がアクセスした記憶を抹殺しとこ。周囲に誰もおらへんな。

 破棄資材暫定集積所は公式には存在しないことになってる。第十課や十一課と同じくな。それで統括司令官はたぶん、情報統監部長石動麗奈将帥や」

「え? うちのボスですか」

「これで深夜に君らを出動させた理由もわかった。監察官を派遣したのも石動はんやろ。目的は自分の指揮下にある集積所のなにかを調べたかったんや。

 定期的なもんかも知れんし、なんか事故があったんかも知れへん」

 田巻はなんとか自分が検索した痕跡を消して、安心した。

「もう電話きるぞ。なんか怖なってきた。

 ひょっとしたらフラックトゥルムの件は、なに者かがその査察か検閲かを妨害しようとしたんかも知れん。

 だとしたらあの超極秘になってる施設に、なにがあるんやろ」

「……ありがとうございました。またお会いしたときに」

「身辺気ぃつけや。ま、君と可愛い魔女たちに手ぇだすんは警務隊でも国家憲兵隊でも無理やけどな。統合自衛部隊全部集めても、勝てへんかも知れへんなあ」

 電話をきったあと、薄暗い自室で来島は一人考え込んでいた。


 あわただしい一日が早く終わり、古来人を拒み続けた「あやかしの森」は神聖な静寂の中に眠っている。浄暗の森の奥深くに隠れるベトンの低層施設の周囲にのみ、人工的な灯りが周囲をはばかりつつ点りつづけている。

その様子をやや小高くなったあたりから暗視電子双眼鏡で見つめ続ける、黒い戦闘服の陰があった。かたわらの長身の影が、その小柄な人物にささやく。

「内部からも報告。異常なし。警備強化は手続きの関係で明日以降です」

「お役所仕事が我々に有利になったわ。予定より遅れたけどいよいよ決行する」

 凛とした若い女性の声だった。女は腰から小さな軍用無線機を取り出した。

「こちら突入班。星と七夕。星と七夕」


 神戸市は大和州第三の都市である。京阪和丘陵に建設中の新州都、大和新市よりも大きい。最近ではモダンな建物は減り、昭和前期を彷彿とさせるレトロな建物がブームである。

 その海上空港に近い埋立地に、わが国を代表する精密機器メーカー大輪田精機が本社研究所を移転させたのは、五年前だった。

 本社営業本部第二営業部副部長の宝辺たからべは残業を終え、車で市内の自宅に戻っていた。家族はすでに寝ている。

 車を降りてガレージをあけ、掌大のコントローラーを「自動車庫入れ」にする。無人の半ロボットカーは、後ろ向きにガレージに入っていった。

 指紋認証キーをあけてドアノブをつかんだとき、ふとなにかの意思を感じた。宝辺はおもわず振り返った。住宅街の深夜、誰もいない。

 誰かに見つめられているように感じたのだ。しかし恐ろしくはなかった。奇妙な懐かしさを覚えた。そして立ち尽くしている宝辺副部長の目からは、なぜか涙が零れ落ちた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る