第1話
鬱蒼たる樹海が広がっている。七割が山と言われるこの日本でも、有数の密度を誇る森の中である。朝はまだ来ない。
「雨が降らなくてよかった」
闇の中も一人ひざを抱えるようにしゃがみこんでいる少女は、そう呟いた。
いや少女ではない。むかしなら未成年だが、すでに江田島の統合幼年術科学校を卒業し、正式の二等曹長に任官している。法的には参政権が与えられている。
「まだだめだな、一人になるとまた閉じこもっちゃう。せっかく人嫌い治そうと、統合自衛隊ジャストにはいったのに。まあ人の眼を見て話せるようになったのは、進歩よね」
頭の中に明確に「意思」を感じた。
「
この場合「先輩」と言う呼び方は不適切だったが。
「斑鳩一曹がおいつめられてる。来て欲しいのね」
立ち上がりブルパップ式の突撃銃を構えた。ヘルメットのバイザーを下ろす。 薄いが暗視モードである。二等曹長大神夢見は、漆黒の森の中を走り出した。
「
部隊長とも呼ばれる来島は、小夜やこの夢見とはことなり勘がするどい「常民」である。それでもともに訓練を重ねるうちに、夢見の意思をある程度察するまでになっている。またモニターを見つめた。
「動いた。わたしの企図がわかったのね。三人で挟み撃ちしかないわ」
少し長身の二等曹長は、闇の中を恐怖に耐えて走り続ける。
「夢見、来てるのね」
いくぶん太目の一等曹長も、完全武装である。個人用アーマー「パンツァーヘムト」、正式名称新式軽量個人装甲はこの季節でもやや暑い。しかし銃弾や手榴弾を防いでくれる。
斑鳩小夜も立ち上がった。個人装甲で押さえつけていた胸がやや揺れた。
「どこへ向かうと言うの。答えて。わたしに語りかけて」
おっとりした性格で、あまり勇猛ではない。しかし義務感は強く、いざと言うときに落ち着き的確な判断をくだす。そして妙な度胸があった。
そのとき左手首の通信機が発信音をだした。古風なモールス信号で、「A」をあらわす。
「来島挺進隊長! 自分の元へ参集しろですね。ついに敵の正体が判ったのね」
一等曹長も脂肪がちな体と大きな胸を揺らして、走り出した。ほどなく心の中に安心感がひろがっていく。
小夜は立ち止まった。右手の闇の中から確実にその意思が近づいてくる。暗視モードの視界に、息補きらせてやってくる細身長身の姿がうつった。
足が長く、見事なプロポーションだ。実際よりも背が高く見える。
「夢見!」と叫んで小銃を投げ出しそうになったがこらえた。しかし小夜も走り出していた。
「斑鳩一曹!」
小夜は右手で銃を握ったまま、大神夢見に抱きついた。唇にキスしようとしたが、察した夢見が顔をそらせたので、首にキスマークをつけた。
「よかった。隊長の位置は判るよね」
「あの……もう陽動にひっかかりません。隊長はわたしたちを呼んでいます。
その、敵の根拠地を見つけたようです」
「でも変ね。あれだけ正確な射撃。でも夢見は敵意を感じなかったんでしょ」
「……ええ。訓練とは言え、よほど精神修練を積んでいる相手かも」
「例のジルヴェスター精神工学療法で自我滅却しているかも。ともかく急ぎましょう」
「なるほど、無線封止中でも確実に相手を認識しているな」
立体モニターには、衛星画像が暗視モードで映しだされている。
「彼女らに欺騙は無駄ですわ。モニターに偽情報を流しても、たちどころに見抜いてまいます」
そう言ったずんぐりとした男は、今時珍しく度の強い眼鏡をかけている。
薄暗い観測ルームには、壁面いっぱいの二次元通常モニターのほかに、テーブル状の小さな三次元モニターがあった。偶然ではあろうが新任第十一課長も、丸い眼鏡をかけている。
頭髪の少し縮れたこの課長の場合は、一種のファッションであろうか。軍令本部要員を示す青味がかったグレーの勤務服。階級章は二等佐官を示していた。
「これがPSNとやらの力か」
統合軍令本部情報統監部は、情報第九課までが公然機関である。特殊工作専門の第十課は極秘組織だった。さらに特殊心理戦専門の第十一課は、統合自衛隊十六万人のなかでもごく少数の人間にしかその存在は知られていない。
最近その課長に就任した元木二等佐官も、実際にこんな部隊が存在することに驚いている。
噂程度には聞いていたが、自分の隷下になるとは夢にも思わなかった。
「PSN、ポテスタース・スペルナートゥーラーリス。
俗っぽい言い方やと、超能力ですわ。あの背ぇの高めのしゅっとしたペッピン、
統監部情報参謀の田巻先任一等尉官は、誇らしげにそう言って細い目をさらに細めた。
「あの……敵の戦意が伝わって来る。でも……遠いです」
「ともかく隊長の位置をつかんで。モニターのいくつかは偽情報。そして敵が識別コードを流してわたしたちをかく乱しているわ」
「まかせてください。部隊長のあの強固な意志は、間違いませんよ」
激しい人見知りを直すためと自活するために統合自衛隊ジャストにはいった夢見は、このいささか危ない斑鳩小夜といると、こころが安らぐ。
「この先……ですね。部隊長のあの強い意思を感じます。わたしたちを待っています」
二人はバイザーの暗視モードで、森の闇を走る。一昔前の立体映画グラスに似ている。
「夢見、レーダーがわたしたちをとらえている。索敵モードよ」
「近いですね。でも気配を感じない」
やがて大きな古い木が見えてきた。その下で小型双眼鏡をつかっている来島二尉の精悍そうな顔立ちが見え出した。夢見は泣き出しそうになった。
「斑鳩小夜一曹もその力を持つのか」
「けど夢見ほどやおへん。あとアソベ三曹のリハビリが終われば、三人ですな」
田巻己士郎先任一等尉官は、軍令本部の情報参謀補である。すでに佐官昇格の内示を受けている。ただ人事関係の調整と許可に手間取って、遅れていた。
謀略好きで友達のほとんどいない策士が、そもそもこの「PSN戦力化計画」の要であるらしい。
そのあたりが新任の軍事官僚たる元木には、理解しがたかった。
もっともこの二佐、実力はあるが素行とくに女関係にやや問題があり、昇進が遅れている。
「たった三人でも、PSN軍事力としては世界最大です。いや戦力としても。
核ミサイルかて自爆させられそうですわ。まだまだ未知数やけど」
「……このスガル部隊が、わが十一課の隷下に入るのか。事前に説明を受けた時は驚いたな」
「管理と補給だけです。情報統監直率の極秘情報工作特殊部隊ですな。
Special Group of Armed Legionaries。 特殊武装部隊とか言う意味で、初代十一課長だった小林一佐どのの命名です」
元木定は少し嫌な顔をした。むかし言いよって、ひどく振られたのだ。
「小林……あの狂い咲きおミツか。あいつのせいで何人が人生を狂わされたか。
そう言えば田巻君が追い出した、との噂だが」
「たはは、一介の一尉である僕に、そんな力おへんわ」
元木は聞いていた。この目の細いのっぺりとした謀略好きの後見人が、あの長く国防大臣をつとめる上田であることを。
防衛省時台から、防衛族のドンと言われていた。また小林の元でスガル部隊を作ったのも、実質的に彼であることも仄聞していた。
古い巨木の下で、三人の特殊兵士は敵の出現を待っていた。訓練とは言え、高質ゴムの弾丸が飛んでくる。当たるとかなりのダメージを受ける。目にあたれば失明する。
夢見は軽く丈夫なヘルメットをぬいだ。濃い栗毛色の短い髪をかきあげ、澄んだ大きな目で闇を見つめる。東のほうがかすかに明るい。
「おかしいわ。あの、敵意が感じられない。訓練だからと言うんじゃなくてあの……遠いんです」
「隊長、機械音を感知。十時の方向です」
来島挺進隊長は電子双眼鏡を使った。木々のあいだから何かがせまってくる。
「しまった、敵は機械だ!」
低木をへし折って現れたのは、三角キャタピラの足をもつ、巨大なバクテリオ・ファージのような機械だった。
各種センサーのはいる頭部は大きくて平たい。
「ヤシマのフル・オートマティック・セントリーFASだ」
「なんと機械兵士ですか。どうりで夢見が意思を察知できなかったわけだ」
「あの……操っている人たちの意思は遠くに感じます。殺意はないけど、その、敵意は相当ですね。
その……こんな若い女の子相手に、負けてたまるかって」
「ふふ、自分はもう若くないぜ。よし、散開してかん制地形を探して攻撃」
「ヤシマのFASか。大丈夫かね」
「模擬弾より安全な陶製軟弾つこてます。当たっても土煙になって、環境にもやさしい。彼女らは敵の心を読み取りおる。普通の兵士では勝負になりまへんわ」
「……なかなか、デカいな」
「は? ……ああそりゃもう。ジャストの三大なにでして。課長の趣味ですか?
いささかおっちょこちょいやけど、おっとりしててエエ子ですわ。ただ……」
しかし男性にはほとんど興味を示さず、気弱な天女たる夢見を狙っている。
その斑鳩は得意の射撃術で機械兵士の頭部に射撃を加えた。しかし演習用の弾ではたいして効果がない。
「だめよ、状況設定に無理があるわ」
それは来島武装機動特務挺進隊長も感じていた。FASはフルオートで射撃してくる。払暁前の森の中に銃声が響く。弾丸は木の幹にあたって土煙になる。
通常の五十口径弾丸なら、木々をなぎ倒していたろう。夢見は頭を抱えて小さくなった。
「大神二曹、ともかく相手の弱点をさがしだせ。
奴の電子脳の中身を想像しろ。そして電子の流れを逆流させてやれ」
「あのやって見ます。どこかにわたしでも理解できる回路とか、ありそうだし」
訓練「状況」の様子は、遠くはなれた市ヶ谷国家中央永久要塞地下の軍令本部情報統監部情報分析司令室に、逐一送信されている。今回の状況検閲は課長補佐の冨野三佐と、統監部情報参謀の田巻先任一尉、そして新任第十一課長だった。
「こちら、現地訓練指揮所の橋元です」
平面モニターに、やや太めのずんぐりとした女性の童顔が写る。橋元医務正だった。
「大神二曹の脈拍が上がりすぎです」
「かまへんかまへん。例の力つことんのや」
大神夢見は仁王立ちになり、足に力をいれて目を閉じた。両手を固く握り締めると、瞼の裏にフル・オートマティック・セントリーの異様な姿が浮かぶ。
その平たい円形の頭部を想像した。内部の構造はわからない。しかし、小さな電子が無数の電線の中を走り回る様を想像した。
それが止まり、逆流する様子を強く想像する。この超常の力の源泉は、想像力である。そして実際にFASの電子脳の中では、電流が一部逆流しはじめた。
夢見に迫っていたフル・オートマティック・セントリーの頭部から白い煙がうっすらと立ちのぼり、動きがとまった。両側に回った来島と小夜は、平たい円形の頭部にむかって、模擬弾を集中させた。そのうちの一弾がわずかな隙間に飛び込んで、配線にダメージを与えたらしい。
ほどなくヤシマFASは完全に停止しまった。
来島は立ち上がり、左手首の通信機ユニ・コムで連絡した。
「敵制圧完了。マル五マル七時」
「制圧確認。状況終り」と言う命令が三人のヘルメットに響いた。
モニター画面を見つめている元木二佐は、軍政面では相当な実力者ではある。
「……なるほど、これが特殊超常能力か。機械兵士まで無力化するとは驚いた」
「相手が人間やったらゾッとします。PSNの研究はまだまだで、その仕組みはようわかってません。想像力がみなもとやとか言うてるけど。機械だとその中身を想像する。
たとえば電子脳のメインの電源とか、なんか見慣れたものを考えるわけです。まったく見たこともないもんやったらナンやけど、自分の頭ん中にある物体やと、描像が一致するそうですわ。そしたらそんなかの電子の粒とかを想像して。その流れをとめることを念じるそうです」
「電子をとめるのかね」
「本当にとまるんかどうかはまだ判りまへん。でも電子なんて重さあって無きがもの。それに影響与えるのはそれほどむずかしないらしい。
電子の動きを乱すだけで、機械はこわれます。これが人間やったら、たとえば脳の細い血管ひとつに穴あけるだけで、そいつはおしまいや」
「お、恐ろしい力だな」
「だから部隊の存在は秘密。力の使用は厳しく制限されてます。
また二人とも理性つうか自己統制能力が強いので、まあ滅多なことにはならしまへんが」
「……化け物だな。あんな美しく愛らしい乙女たちが」
「化け物らしく醜かったらよろしいんですか。天は不公平、二物も三物も与えはるんですわ。
リハビリ終えて着任予定の遊部三曹を見はったら、そりゃ鼻血出まっせ」
情報統監部特務挺進隊の三人が訓練を終えて参集地点に達した頃、太陽は樹海のむこうに顔をだしていた。古風なヘリ「あまこま」の前に天幕がはってある。
そこでまず水分の補給を行ってから、軍医たる橋元医務正が検査した。小夜を小型にして、太らせたような若い女医だった。
夢見たちのことを誰よりも理解している。
「起き上がり古武士」の異名を持つ来島は、呼吸ひとつ乱れていない。斑鳩はかなり疲れている。夢見はまだ興奮が収まっていなかった。小夜は笑った。
「あなたも場数踏んでるんだから、ちょっとは慣れなさい」
「あの…でもまだ、この力を使ったあとは恐ろしくなります。使ってるときは夢中なんだけど」
「人見知りと人ぎらいは、ほぼ治ったじゃない」
斑鳩小夜が夢見の背中から抱きつき、大きな胸を押し付けてくる。来島は立ちあがった。
「全員異常なければ撤収だ。うまい朝飯が待ってる。半日は保養所でゆっくり出来る」
ダブルローターの低音ヘリ「あまこま改」は輸送には便利で、自衛隊時代から長く愛用されている機種だった。Ⅱ型は高速ティルトローター機だが騒音がややうるさい。暖かいコーヒーを飲みながら、夢見たちは樹海を越えていく。
富士山を見上げる箱根の海近くに、双子山と言うなだらかな山がある。
その岩盤の中にはわが国の国家電子脳「ブラフマン三世」が固くまもられて鎮座している。
その双子山の南麓には東部軍管区衛戍病院があり、中腹には統合防衛共済会の温泉つき保養所がある。将校専用だが、夢見たちは特別扱いだった。
公営の宿泊所程度には広く清潔な保養所の名物は、眺めのいい温泉浴場である。一晩かかった夜間演習のつかれが、湯にしみこんでいく。
夢見はねむくなったが、朝食は食べたかった。そこへ小夜が胸をゆらせて入ってきた。
「ふぅ、雨じゃなくってよかった。夜間行軍と演習って雨のとき最悪。
トイレのときなんか泣きたくなるわ」
「こうして温泉つかれるなんて、夢みたいですね」
「あなたいつ見てもスタイルいいわね。胸はわたしが勝ってるけど。どう、触ってみる?」
「い、いえ遠慮します。いつも断って申し訳ないけどあの……そっちの趣味は。
それよりも隊長は?」
「シャワーすませて朝飯かきこんでた。なんか書類提出だって」
「その……なんかまた始末書ですか」
「新人受け入れ。例のアソベ議員の娘さん」
「!
「なんとかね。負けず嫌いはまだ治ってないみたいだけど。正式に三等曹長として任官と基礎訓練終了。
今は山岳訓練の仕上げだって。眼鏡の一尉殿のまぁお手柄ね。こっちへの配属は少し先だけど、またあたしのPSN順位が下がっちゃうかな。
そのほかいろんな手続きをすませる関係で、市ヶ谷出頭は明日になったわ」
「てことは一日ここでゆっくりですか、やったあ」
「反省会と訓練レポートつきだけどね」
平成の御世までは、南からのアクセスは細い樵道一本だった。この地に人家が絶えて四半世紀以上になる。いまこの武陵桃源地のかなりの部分が、国有林となっている。特に北部は
そんな人跡稀な小盆地に、いつしか統合自衛部隊の施設ができていたことを知るものは、ほとんどいない。このあたり、日は早く沈む。その構造物も宵闇につつまれている。
ベトン製の大きなトーチカのような、台形の無骨な建物である。
周囲は高圧電線とフェンス、自動警戒装置で厳重に守られている。露呈を恐れてかライトなどは少ない。正式名称は「国防省国防施設局破棄資材暫定集積所」と呼ばれる特別地区である。
いま、忘れ去られたようなこの暗い施設目指して、一機の汎用ティルトローター機「あまこまⅡ型」がひろがる黒い森の上を飛んでいた。
乗っているのは操縦士二人と軍令本部長特別監察官、山際二佐および竹中法務一尉。二人ともある調査のために緊急に派遣されている。
かつて山の民に「あやかしの森」と呼ばれていた一帯は、まもなくだった。だがその特別機の接近をレーダーなどで知り、緊張している武装集団が森に潜んでいることなど、知るよしもなかった。
黒い戦闘服に黒いヘルメット。暗視スコープをつけた一行は五人。五人とも四三式突撃銃に連装小型ロケットランチャーをとりつけた夜間特別銃を構えている。一番小柄なリーダー格が、無線をつかった。
「佐伯より東光寺一佐」
ヘルメット内部に冷徹な美声が響く。
「やはり来たか」
「破棄資材暫定集積所へむかっています。通信を傍受ね解読しました。
特殊乙号資材の管理状況検閲についてです。どうします」
「……いま監察官が来るとまずい。仕方ない、作戦は繰り上げる。三尉たちは急いで目的地へむかいキャニスターを確保せよ。処理はこちらにまかせて欲しい」
「どうします?」
と女性にしては低い声で問う。
「実験中のフラックトゥルムを遠隔操作する」
市ヶ谷永久要塞内に警報が鳴り響いた。その夜に上番していた将校や兵士に緊張が走る。
中央指揮所にはいったのは、敵襲情報ではなかった。実証実験中の統合防空可動堡塁、通称フラックトゥルムのひとつが、勝手に作動しだしたのだ。
それは信州の高い山の頂付近、周辺の景観を破壊しないように、岩盤の中に作られた直径二十メートル、高さ四十メートルの巨大な八角形の塔である。
先端はなだらかにとがっている。その巨大な防空塔がゆっくりとせりあがり、山の頂付近に異様な姿をさらした。
内部の職員達にもなにが起こっているか判らない。
頂上は八枚の巨大な台形の防護パネルが集まって形成されている。その一枚がゆっくりと外に開き、レーザー対空砲がせり出した。それは円形の巨大な弾倉を三っつつるしたような、古いマキシム機関銃に似た形態だが、砲身は十メートル近くある。その先端が音もなく光った。
砲手の必死の努力にもかかわらず、強力なコヒーレント光が発射された。
同時に、数十キロ離れて飛んでいた「あまこまⅡ型」の右側ローターのモーターに火花が散り、部品のいくつかが瞬時に蒸発した。右ローターは吹き飛んで黒い森へと落ちていく。
左のローターだけですすむと、当然のように右に不安定に旋回しだした。
「あまこま」内では各種警報が鳴り響き、乗員はパニックに陥りかけている。それでもパイロットはなんとか機体を森へ不時着させようとする。そして当然、本部に緊急事態を知らせた。
完成間近のフラックトゥルムでも、遠く離れた永久要塞でも、大騒ぎとなっている。ただちに救出部隊派遣が、新潟の山岳作戦特別部隊に命じられた。
同時に、防空塔を外から操った相手を大急ぎで探し出さなければならない。
「不時着します。しっかりとつかまって」
操縦桿を握り締めた一等尉官はそう叫ぶしかなかった。次の瞬間、枝の折れる音と金属がぶつかる音、小さな爆発音などが続いた。下から突き上げる衝撃とさらなる爆発音。搭乗者の視界が暗黒につつまれる。だがほどなく、オレンジの光が網膜を刺激した。
軍令本部長特別監察官、山際二佐と竹中法務一尉さらに二人のパイロット搭乗の「あまこまⅡ型」は、通称あやかしの森の手前で墜落したのである。
「はい、大神です」
保養所の二人部屋を一人づつで使っていた。これまた古風な電話が枕元で鳴り、夢見は目をさました。来島部隊長だった。
「残念だが非常呼集だ。完全装備で五分後にロビー集合」
夢見は毛布を跳ね除けた。化粧の必要はなかったが、大急ぎで着替えなくてはならない。
ロビーに下りてきた時に、やっと個人軽量装甲パンツァーヘムトをつけおえていた。小夜はすでに待っている。日ごろおっとりとした人物だが、こう言うときに行動はすばやい。夢見はややもたつく。部隊長が保管していた特殊部隊仕様の突撃銃を渡してくれた。
「最終点検は、輸送機の中で行う」
周囲には民家も少なくない。深夜の出発はなるべく音の静かな、低音ヘリなどを使う。完全武装のスガル挺進部隊は乗り込んだ。カーゴの後方には最新式の個人偵察装置「エアロ・トライク」までおいてある。
まさかこれでヘリから飛び出せというわけでもあるまい。
頑丈な低騒音ヘリは北東へととぶ。ほどなく補助エンジンを使い出したので、音が大きくなった。やっと小夜が尋ねた。
「目的地はどこです」
「いまわたしの通信に文書命令がきた」
と左手首内側の小型モニターを見つめる。
「
その捜査だ」
「あの、遭難者救助ですか。わたしたちがどうやってその………」
「深夜の暗い森の中だ。朝まで待っていれば助かる者も助からない。
大神二曹、きみなら負傷者の意思でも確認できるだろう」
「なるほど、あたしにも少し判るかも。
でも存在自体が超極秘のわたしたちが、遭難者捜査に狩り出されるなんて」
「自分もそれが不思議だ。
遭難した場所も妙だ。たぶん、よほどの大物がなにか秘密性の高い特殊任務についていたのかもしれない。
だからなんとしても探し出すために、自分たちが呼ばれたんだ」
小夜はポケットから、折りたたみ式の電子地図を取り出して広げた。深山郷は、越後長岡出身の彼女も聞いたことがある。むかしはマタギなどが住む、山奥のまた奥だった。
「通称あやかしの森。このあたりですか」
「あの……なにがあるの、ここ。国防施設局破棄資材暫定集積所?」
「……確か実証実験に使ったエンジンや、その他使用を終えた機密資材を保存し、解体していくような施設だったと思う。そんなに重要な場所ではないな」
周囲には無人レーダーサイトや通信塔があるだけである。
ともかく低音が自慢のダブルローターヘリ「あまこま改」は、急ぐためにジェット推進装置の大きな音をたてて目的地へととんでいく。
情報統監付情報参謀補の
この男も昨夜はおそかった。一日七時間寝ないと調子が悪い。非常呼集で要塞地下統監部司令室に出頭してきたが、いるのは富野三佐など数名だった。
雛壇状の椅子にすわって正面の二次元スクリーンを眺めていると、珍しく無口で無骨な富野が、カップにコーヒーを入れてもってきてくれた。田巻はやや気味悪そうに受け取る。
「あの美しき魔女たちが出動したやと? 統監部命令か」
富野はいつものように抑揚の少ない声で、事態を説明した。田巻は一般私大を出たあとに広報会社に暫くつとめていた。冨野よりかなり年上である。
叩き上げたる冨野は、己を鍛えあげることにしか興味はないが、意外と人情家ではあるらしい。民間企業勤務を経て入隊した田巻は「別けあって」昇進が遅れ、やや妬んでいる。
「なんやそりゃ。勝手にフラックトゥルムが。大事やんか」
「だから極秘警戒態勢が二になっている。まだマスコミには漏れていない」
「フラックトゥルム動かしてる『たけみかづち』になにかおきたんか?」
「外部から何者かが操作したらしい」
「そ……そんなん不可能や。きっと内部で手引きしたやつがおる。
それで『あまこま』のっとったんは、どんな人らなん」
「特別監察官と言うだけでよく判らない。現在石動将帥は国防大臣公邸だ」
「上田先生も気の毒な。政友党と改進党もぎくしゃくしだして忙しいのに。
しかし『たけみかづち』に異常があったら、僕のシナトベ計画が狂うがな……」
「しなとべ?」
「あ、いやなんでもない。ともかくスガルの三人は、その特別ナンチャラをなんとしても見つけださなアカンわけか。こんな時間に御苦労なこっちゃ」
「もうすぐ捜索区域に入る。新潟からは先に山岳救助部隊が入ってるはずだ」
いわゆる草木も眠る時間である。山岳地帯は黒く重苦しく横たわっている。下界に灯りはほとんどない。この古来の深い森に爆音を轟かせ、ダブルローターヘリが飛んでくる。
その音がかすかに聞こえるようになった。目的地手前で最後の急速をとっていた五人の黒い戦闘員の、小柄なリーダーが無線を使った。
その声はまだ若い女のものだった。
「佐伯です。捜索機が近づきます。処理しますか」
あの冷静な声が指示する。
「いや、戦闘は避けろ。監察官の捜索だ。時間が稼げる。
クルクスに近づくものだけを排除せよ」
佐伯はヘリの音がひびく夜空を見つめた。
「なに、今の」
改造低音ヘリの小さな窓から夢見は下界をのぞこうとする。長身の彼女の体重を受け、窓際の小夜は迷惑そうだ。
「なに、なにか感じたの」
「その、敵意を」
「遭難者じゃないの」
「いえあの、明らかにこの下にわたし達に対して攻撃したい誰かが」
「熊とか、森の住民かもね」
そのときパイロットの特務曹長が言った。
「限界線です。ここから旋回して、あまこまの失踪地点を通過します」
特務挺進部隊長は尋ねた。
「限界線とはどう言うことだ」
「飛行禁止区域ですよ。破棄資材暫定集積所のある一帯がそうです。侵入は厳禁されてます」
夢見はすわりなおして真正面を見つめる。傍らの小夜も、頭の中になにか不快な思いがこみ上げる。ヘリは大きく旋回していく。
「夢見は感じるわね」
「あの……敵意ではないけど、なにか。その………叫んでる。
こ………殺せ、殺して欲しいって」
「誰を? あたしたちを?」
「………判らない。強烈な殺意……誰かに誰かを殺して欲しいみたいです」
「大神二曹、それはさきほどの敵意と同じ個人の意思か」
「えっとあの……違うと思います。個人……人かどうかも」
低音ヘリは旋回しつつ禁足地帯から遠ざかる。「殺せ」と言う不可解な意思も遠ざかっていく。気がつくと夢見はかなり汗をかいていた。
「あの森には謎が多すぎる。口にするのもはばかられるほどだ。今は監察官の捜査に全力を尽くそう。
Ⅱ型の墜落箇所は衛星で確認したが、脱出位置へは救援隊がむかっている」
遭難したティルトローター機は墜落直前、脱出装置が作動していた。
しばらく黒い森の上を飛ぶ。夢見はやがて、今度こそ助けを求める意思を感じ取った。
「あの…隊長、誰かが救助を求めています。二人、三人かな。三人目は少しはなれていますが」
「四人目も探してくれ」
監察官のものらしい救難信号は、地上の救援部隊も確認していた。
「これは、なんだ」
統合防空可動堡塁「一号フラックトゥルム」の基底部にある主電脳室を調査していた技師の一人が、二メートルほどある黒い墓石状のCPUのパネルの中に、見慣れない器具を見つけた。
それはマッチ箱大の銀色の装置で、丁寧にとりつけられている。それに手を触れたとたん、小さな箱は爆発してしまった。技師は手と顔面に火傷をおった。
マグネシウム金属でできた箱は、まばゆい光とともに燃え尽きたのである。
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