S.G.A.L.3 軍機クルクス乙号資材 Das Militärische Geheimnisse Material  CRUX

小松多聞

プロローグ

「……さん」

「あ、はい?」

 石動いするぎ麗奈れいなは二度目にやっと、自分の名前を呼ばれているのに気づいて、立ち上がった、

「どうした。緊張しているのか」

「い、いえ……失礼しました!」

「行くぞ、アイドルさん」

 パイロットにしてはやや長身の男は、笑いながらそう言った。

「は、はい」

 他の男がそんなことを言えば、石動麗奈は表情を険しくしたろう。しかしこの教官に言われても、嫌な気分はしない。かえって少しうれしくなる。

 センスのいい私服を着て街を歩いていると、タレントか元アイドルと間違えられても仕方ない。とても武官には見えない。だが彼女は航空自衛隊ではじめて、第一線戦闘機の女性パイロットを目指していた。

 この特別臨時教官は、石動より十歳ほど年上の硬骨漢だった。質実剛健、不言実行の極みのような男だったが、人前で怒ったことはほぼない。石動は生まれてはじめて、異性にあこがれた。

 石動は政治的配慮で特別に小松基地配属となり、「TR訓練」と言う実地訓練に励んでいた。

 その日の訓練は小松を出て新潟方面へむかい、仮想敵を攻撃して戻るというものだった。

 川崎T4練習機は、経路混雑を避け一万六千フィートで新潟を目指した。

 石動の後にはハンサムな教官が乗っていた。航空自衛隊内では有名人で、航空雑誌の表紙を飾ったこともある。おおらかで豪放なパイロットで、部下の信頼もあつい。若いが冷静な石動は、少しこころがときめいていた。

 アルプス山塊が日本海へ迫った、イトイ・ポイントという場所がある。気流が悪く常に雲が多い難所である。練習機がそのあたりにさしかかったとき、突然無線が通じなくなった。

 教官は後ろから、故障にしてはおかしいと語る。やがて機の上空に、光り輝くその物体が出現した。直系は数十メートル。形状はまぶしくてよく判らない。

 そのときはレーダーにはなにも映っていなかった。そしてその物体は、高度二万フィートほどの上空で、静止していたのである。

 そう言うものを目撃するかもしれない。石動は別の教官からそれとなく注意されていた。それは言わば船乗りが伝える船幽霊、海魔伝説のようなもので、無視すればいいらしい。こちらが手出しをしなければ、むこうは何もしない。特に危険はない。

 それを目撃したら近づかず、可能なら記録をとれ。そして上官にだけそっと報告し、あとは一切を忘れろ。それが空のしきたりだ、などと。

 教官はその原則、掟を忘れていたのか、おそらくは敢えて破った。ぐんぐん高度を上げ、光り輝く物体に接近したのだ。教官は少なからず興奮していた。

「前にも見たことがある。接近してみる」

 まさか攻撃するつもりはなかったろう。ジェット練習機に積んでいるのは、電子戦訓練装置と放射能集塵装置、バンナー標的装置程度で、武装は一切していない。出来るだけ近づいて写真をとろうとしたのかも知れない。

 石動はとめたかったが、特にどうこうしたいと言う理由もなく、前部操縦席の彼女はベテランに従った。そのあとの記憶はあいまいである。

 なにかが瞬き、機体が揺れた。不吉な衝撃のあと、視界が光で満たされた。熱と風の中で、彼女の意識はしばらく沈黙していた。

 教官がキャノピー破砕装置を作動させたのは確かだ。

「先に脱出しろ!」

 その声に本能的に反応し、レバーをひいていた。気がつくと、自分の肉体は座席ごとコクピットから射出されていた。そのすぐあとはどうなったのか、記憶にない。

 天空の光が、突如はじけたのである。瞼をとじてまぶしかった。そこで記憶は途切れた。気がつくとヘリの寝台の上で、点滴を受けていたのである。


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