第1話 スパイと名探偵
その日、アンリエッタ・シャーリーは午後のお茶の為にカフェを訪れていた。
しかし今日は珍しく込み合っており、開いている席はどこにもなかった。
「本日はたいへん込み合っておりますので、相席になってしまいますがよろしいでしょうか?」
「構わないわ。案内して頂戴」
店員に案内されたのは、店の外にある席で、片方の椅子に一人の男がテーブルに新聞を広げて読んでいた。
「悪いけどテーブルを開けてもらえるかしら?」
アンリエッタに言われて顔を上げたのは、東洋人の男だった。黒髪に赤目をし、詰襟の黒い軍服のような服を着ている。年はアンリエッタと同じくらいだろうか。
東洋人を見るのはこれが初めてだった。もしかして言葉が通じないのではとアンリエッタは一瞬思ったが、男はすぐに新聞を片付けて椅子を勧めた。
アンリエッタがお茶を楽しんでいる間にも、男は顔を上げずに新聞を凝視していた。知らない人間なので気にする必要もないが、近くに女性が来ているのに気にも留めずに何をそんなに夢中に読んでいるのかアンリエッタは気になった。
覗き込んでみると、昨日の夜にあった宝石泥棒の記事だった。記事にはところどころ赤い線が引かれていたり、メモ書きが張り付けてあったりと賑やかなことになっていた。
「その事件、ここの近くの店であったみたいね」
アンリエッタがそう言うと、男はようやく彼女の方を向いた。
「今月だけで17件。盗むのは決まって宝石。派手なやり口でありながら解決の糸口すらつかめず。警察も面目丸つぶれね」
「犯人は何が目的で宝石を盗んでいくんだろう」
男は良く通る声で言った。
「売ってお金にするか装飾品に変えるか……」
「確かな情報筋から聞いた話ではロンドン市警が正規から裏ルートまで虱潰しに調べ上げたらしいが、大量の宝石が持ち込まれたという情報は無い。かなり大量の宝石が盗まれているにも関わらずだ。それにこんな大掛かりな強盗が行えるほどの金があるならその金で宝石だの装飾品を買えば済むこと。わざわざ自分の手を汚す必要はない。ならばこうも考えられる」
犯人は普通じゃないことの為に宝石を欲している、男はそう言って机に肩肘を立ててよりかかった。
「貴方探偵ごっこでもしてるの?」
「ただの好奇心。ロンドン中の宝石店を震え上がらせ、犯罪者も腰を抜かすほどの奴の正体を暴いてみたいのさ」
「ご立派だけど過剰な好奇心は身を亡ぼすわよ」
「その前に俺が正体を暴いているさ」
男は自信ありげに答えた。彼の赤い瞳は彼の自信の表れを示すかのように赤く、鈍い光を放っていた。
「そこまで言うなら止めないけど、取り返しのつかないことにならないように……名探偵さん」
それだけ言うと、アンリエッタは席を立った。
二人がいたテーブルを片付けていた喫茶店の店員は、一つの違和感に気が付いた。
男が座っていた椅子の下に置いてあったコップの中の水が、不自然に傾いているのだった。
それは男が店に来た時に頼んだもので、口を付けたような痕跡はなかった。
店員は不思議に思いつつも、テーブルの片づけを優先しあまり気に留めなかった。
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