雨乞いの舞、打ち上げ会 後編
「ですがしかし、こちらが標的を絞っている状況であればお酒は最高の武器になります。ほんのりと上気した頬、気怠げな表情、いつもは息を潜めている『あと少しの勇気』を、お酒が与えてくれるのです。そうなれば後は押して押して押しまくるだけです。ズルいやり方ですが、男性の下心を利用するのもひとつの手です」
「大胆だわ……流石は異世界」
「でも、何となく想いが通じてるのにもどかしいときには使える手じゃありません? 」
「女性から仲を深めるのもありですわね! 」
女性たちに囲まれた椅子の上の華子は、リカルドたちが店に入ってきたことに気付いていなかった。
「でも、お酒が入ると……男の方ってなんだか開放的になるっていうか、嫌なことに巻き込まれそうですわ」
「そうですね。男女の親睦を図る為の席でのお誘いは先ほど言った通りです。しかし、それ以外のお酒の席では隙を見せてはいけません。ただの同僚や上司などの男性からの不用意な接触には警戒すべきです」
椅子の上の華子はリカルドに背を向けており顔が見えないが、穏やかに、しかし少々芝居がかったはっきりとした口調で告げる。周りを取り囲む女性陣はほろ酔い、もしくは完酔いなのか皆一様に赤ら顔だが、真剣だった。
「師匠、ではお酒は飲まない方がよいのでしょうか? 」
何処かで見た顔の若い女性、多分侍女のイネスが挙手をして華子に質問する。華子のことを師匠と呼んでいる経緯が知りたいところであるが、呼ばれた華子は気にしていないようだ。
「異性の前では嗜む程度であればいいかと。お酒に強ければよいのですが……前後不覚になる方は最初の一杯程度でやめておくべきですね。酔いにかこつけて『あわよくば』と考えている人も居るからもしれませんので」
華子の説明に何やら若い女性たちが熱心に頷いている。一体何の講義かと思いそのまま話を聞いていると、どうやら華子による酒の席講座のようであった。
「あのっ、そ、それをどうやって回避したらよろしいのですかっ?! わたくし、耐えきれなくて……でも雰囲気から断れなくて」
「私もです。ベタベタと触られるのが嫌で嫌で、でもどこに相談すればいいのか困ってます」
二人の侍女が心底困ったように眉を寄せて身震いすると、周りの侍女たちからもそういえばと口々に訴え始める。それとは何なのかはっきりとはわからなかったが、話の感じからしてして酒の席で酔っ払いに絡まれた場合を言っているのであろう。
「私たち騎士ならそんな親父には鉄拳をお見舞いするけどねー」
「騎士様のようにはいきませんもの。でもやられっぱなしは悔しいですわ」
「嫌なことは嫌だと言いたいけれど、何かとしがらみがあるから難しいです」
「おさわり防御の術式でも開発しようかしら」
鉄拳をお見舞いすると言っている女性騎士を、多分侍女である女性たちが羨ましいそうに見ていた。武闘派な騎士とは違う侍女たちには難しい芸当なのだろう。魔法術による回避とはいささか大袈裟ではないか、と思ったリカルドであったが、立場を置き換えて考えてみると身震いするほど嫌な想像にしかならなかったので黙認することにした。乳兄妹で侍女長のフリーデの友人だとかいうご婦人方に囲まれ、しかもねちねちとやられるなど嫌すぎる。おさわりなど、言語道断だ。
「師匠はどの様な対策を取られていたのですか? 」
「私の国でもそれが問題視され始めたのはごく最近ですね。今では職場ぐるみで対策しているところも多いですが、以前は年長者に協力してもらったりだとか、女性で固まって席取りするだとか、涙ぐましい努力を積み重ねていました」
「そうかい、それだったら私みたいな年増の仕事だね。じいさんたちの相手なんてお手の物さ」
あれやこれやと意見を交わす女性たちの中に入りづらい男性陣は、所在無げに隅っこのテーブルにつく。給仕が注文を取りにくるが、適当にあしらったミロスレイが深々と溜め息を吐いた。
「いるよな、酒が入ると若い女に絡む奴」
「いますよね、親睦を深めるとかいう言い分で隣に女性をはべらす奴とか」
コンラードも顔をしかめてうんざりとしたようにミロスレイに同意する。リカルドも部下の竜騎士たちと酒の席につくこともあるが、女性のことは女性に任せているので竜騎士団での実態はわからなかった。
マグダレナやベルナルダといった女性竜騎士はそこらへんの男性よりも数倍は強い。彼女たちに逆らうとどういう目に合うのか知っている男竜騎士たちが、酒を理由にしてまでちょっかいを出すことはない。これは竜騎士団の文官たちにも言えることであり、酒の席での問題はないと思っていた。
しかしこの分では、自分の目の届かないところでは嫌な思いをしている女性がいるのかもしれないと思い直す。明後日にでもそのへんの事情を聞いてみるかと考えたリカルドは、女性たちのキャーという黄色い声に思わずはっと顔を上げた。
「ロレナさんの彼ってあそこの方? やだ、可愛いじゃない! 」
「警務隊士でしたわよね、どうやってお知り合いになられましたの? 」
「ふふふ、秘密よ? コンラード、遅かったわね」
「やっぱり警務隊士……いいですわ」
「あら、横に居られる方は東地区隊長様でなくって? この際お願いしてみませんこと? 」
「ディー、何故そのような隅っこに? こちらにいらしてくださいな」
「やっと来たのかい、エメディオ。いつものことじゃないか。ほらほら、遠慮することないんだよ」
幾つもの視線で身体中に穴が空きそうないたたまれない空気の中、コンラードを始めとする名前を呼ばれた面々が重い腰を上げる。リカルドはどうしたものかとためらったが、椅子から降りた華子とふと目の合い、あちらがにこりと笑って手招きをしたので覚悟を決めることにした。
仕方がない、ここではただの『フリオ』なのだから、文句を言える立場にはない。
「今日は無礼講と言う事で、よろしくお願いしますよ、フリオ先輩にミリィ先生」
したり顔のイェルダがエメディオに寄りかかりながら片目をつむる。ミロスレイの隣には饒舌になったマグダレナがおり、飲めないミロスレイのために腹に溜まりそうな料理を追加注文していた。
「ふふふ、ここではフリオ様という名前なのですね。いらっしゃいませフリオ様」
「楽しんでいるところに邪魔をして申し訳ない」
「いえいえ、わざわざ来ていただきありがとうございます。さあ、こちらにどうぞ? ご相伴いたします」
手を引かれたリカルドが華子の隣に座ると、華子がイェルダのように横に座りピタリと身体を寄せてくる。いつもにはない状況にやはり華子も酔っているのかと思ったが、華子の体温は普通であるし顔も目も赤くはない。新たに用意された酒の肴を取り皿に取った華子がリカルドの前に差し出してくるその手元もしっかりしている、が、その表情はいつもとは違い、何かこう……積極的だ。
「ハナコ、大丈夫なのですか? 」
「大丈夫、とは? 」
「い、いや、いつもと違い随分と飲まれているようですが、体調は大丈夫なのかと……」
「いただいたのはナランハのお酒ですから、なんともありませんよ」
ナランハの酒は甘く飲みやすいが、決して弱い酒ではない。付き合いということで給仕から受け取ったエールを一口飲んだリカルドに、やはりいつもと調子の違う華子がフォークにサラミを刺して、こちらに向かって差し出してきた。
なんだ、これは。
遠い昔、やんちゃしていた頃にどうでもよい女たちが執拗にしてきたことだが、華子はどうでもよい女ではない。
「フリオ様? 」
「いや、気を使われなくとも……あ、いえいえ、嫌な訳ではありませんぞ! 」
断られそうな雰囲気を察してか華子がみるみる悲しそうな顔になる。ミロスレイとエメディオを見るとにやにや笑いを隠そうともしておらず、マグダレナとイェルダからは、行けっいう無言の圧力をひしひしと感じる。助けを求めるようにリカルドはもう一度華子を見て、妖しい目つきになっていることに冷や汗をかいた。
「あ、では、いただきます」
リカルドが観念すると、華子がいそいそと嬉しそうにフォークを差し出し、サラミが口に入ると可愛いです、とまで感想を述べた。そしてすかさず周りの女性たちからは黄色い歓声と悩ましげな溜め息が一斉にもれる。なんでこの年になってこんな恥ずかしいことをしなければならないのか、と思ったが、華子が喜んでいるので甘んじてこの苦行を受け入れようと腹をくくる。
「フリオ様、美味しいですか? 」
「ええ、美味しいですな……ではハナコ、お返しですぞ? 」
半ばやけになったリカルドがハナコに付け合わせのトマトゥルという赤い実を差し出すと、華子はためらいなくその実をリカルドの手から食べた。その時、微かに唇が指をかすめていったが華子は特に気にしていないようで美味しい、と感想を述べるとリカルドにますますすり寄ってくる。
「やあん、たまりませんわっ! 」
「ちょっとイネスったら、危ないわよ」
「ああーん、私も素敵な恋人が欲しいわーっ! 」
外野の盛り上がりが最高潮になり、リカルドと華子の一連の様子を見ていた他の恋人たちもそこはかとなく甘い雰囲気を醸し出している。
「ハナコったらフリオ先輩にベタ惚れだねー。どうやって落としたのさ……というか落とされたの?」
無礼講を告げたイェルダがここぞとばかりに聞いてくるが、リカルドは完全無視を決め込む。しかし華子は違った。
「フリオ様に落とされました。紳士的なフリオ様も攻撃型のフリオ様も、どちらも優しいのです……ふふっ、その他は私とリコ様の内緒ですっ! 」
「うわーっ、いいこと聞いちゃった、エメ君も聞いたよね? 」
「うん、聞いた聞いた!! 」
「ハナコっ!そこの新婚夫婦、煽るな! 」
思わず大きな声を出してしまったが、華子は向かい側のイェルダときゃーきゃー騒いでいるのでリカルドの焦りに気付いていないようだ。
「あたふたするだんちょーとかはじめてみたかも」
「そうだなぁ、いいネタありがとよ」
ミロスレイの長い髪で遊んでいたマグダレナがまじまじとこちらを見ており、ミロスレイがマグダレナを膝の上に横抱きにしながら悪そうな顔になる。
「こちらはお姫様だっこですわーっ! 羨ましい、素敵っ!! 」
「イネスさん、イネスさんっ、鼻っ、鼻が大変なことに! 」
イネスの叫びにマグダレナがわたわたとしだすが、ミロスレイは何食わぬ顔でマグダレナを抱きしめ、その背中を撫でた。確かミロスレイの国ではその膝の上に座る権利を有するのは愛する妻と子供たちだけだと聞いていたが、どうやら本当らしい。他人の恋愛が大好きなイネスにとっては、楽園のような状況だ。お酒と興奮の所為で真っ赤になった後は、鼻を布で抑えて身悶えていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
それから約一
あれからマグダレナはミロスレイに抱き抱えられるようにして姿を消し、コンラードと呼ばれていた若い警務隊士はロレナ嬢に連れられて別の店へ、イェルダとエメディオはお迎えのない侍女と騎士をひとまとめにしてから馬車に詰め込んだ後、リカルドたちと同じように徒歩で自宅へと戻っていった。
二人は無言で、しかも少し離れて歩いている。明日が祭りの最終日ともあって、夜だというのに人通りも多く皆が浮かれ騒いでいるが、リカルドの心中はそれどころではない。店内ではリカルドに寄り添っていた華子が何故か距離を置いているのだ。店とは違い夏の暑さの所為で汗ばむが、それは理由にならない気がする。
「ハナコ? 」
やはり、何処か心に距離がある。
「明日、は、大丈夫なのですか? 」
リカルドの言葉に華子の足がピタリと止まる。こちらに顔を向けず、返事もないがリカルドの声は聞こえているようだ。
「伝言返しを送らなかったことに怒っておられるのですか? 」
雨乞いの舞の直前に華子から受けた伝言の返事をしていない。急用が入ったこともあって、後で直接返事をしに行こうと考えていたリカルドの読みが外れ、華子はそのまま打ち上げに出かけてしまったのだ。宙ぶらりんになった華子からのシータの誘いの返事をしようとして、あの騒ぎに巻き込まれてしまったので延び延びになっしまったが、リカルドが華子の誘いを否と答えるはずがない。しかし、言い訳をしても非はリカルドにある。
「ハナコからのお誘い、喜んでお受けしたいのです。明日、一緒にと街を歩きましょう」
華子の顔を覗き込もうとしたリカルドは、華子の目を見てはっとする。
「……でした」
小さく告げられた声にリカルドが思わず華子の手を握ると、華子がリカルドの腕をぎゅっと抱きしめてくる。
「不安、でした。断られるかと思って、不安でした」
「直接伝えたかったのです。申し訳ありません、ハナコ」
「リカルド様、何も言ってくれなかったから。ベールの事も、か、からかわれたんだって」
「そんなことはありませんっ! ハナコ、こちらを向いてくだされ」
リカルドの言葉に華子がのろのろと顔をあげると、リカルドは逃げられないように両手を握る。
「実は、明日、私からお誘いしようと思っておりました。ベールの事も、その時に」
「……そう、だったんですか」
「はい、だからハナコからのお誘いがとても嬉しくて。返事が遅くなって申し訳ありません」
「リカルド様、ありがとう、ございます」
華子が少しはにかむと、リカルドは両手を離し、今度はその腰を引き寄せる。すると華子が照れたように辺りを見回し、恥ずかしそうにしているではないか。
「先ほどの大胆さが嘘のようですな」
「あれは、その、拗ねていただけです! 」
拗ねて、リカルドを見せしめにしたということだろうか。そうであれば何と可愛いことか。
「酔った風には見えなかったのはその所為なのですな。ハナコはお酒に強いのですか? 」
「あれくらいでは酔いません。だから、全部覚えています」
「ではあの、お酒の席での防衛論は、実体験だということですかな」
この世界に来る前の華子の生活の中で、リカルドの知らない男たちから絡まれ、嫌な思いをしてきたのだろうか。もしそうだとしたら、その男たちを直接罰したい。不埒なことをしたであろうその手を、斬り飛ばしてやりたい。怒りの所為でリカルドの身体から橙色の魔力が立ち昇る。
「まあ、若い頃はそんなこともありました……リカルド様、魔力が漏れてますよ? 」
「ハナコ、私が居るからには、ここではそのようなことは絶対にさせませぬ」
「大丈夫です、忘れました! もうどこの誰に何をされたか、すっかり忘れてしまいましたから、大丈夫です! 」
「そうですか」
「はいっ、もう微塵も覚えていません! 」
「では、これも?」
そう言うと、リカルドは道のど真ん中にもかかわらず華子を抱き寄せて、その唇を己の唇で塞いだ。微かにナランハの香りと酒の香りがして、甘い。はじめは身体を硬くしていた華子も、リカルドの唇の熱さに惚けたように身体を預ける。どこの誰に対する嫉妬から、ひとしきり口付けを堪能したところで唇を外せば、華子の眼がまだ、と告げていた。
「どうですか、ハナコ? 」
「……覚えています、リコ様」
夜はまだまだ始まったばかりであり、恋人たちの夜もこれからだった。
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