【こぼれ話】異世界へダイブした先で私を待っていたのは還暦を迎えた王子様だった件【番外編】

星彼方

雨乞いの舞、打ち上げ会 前編

 雨乞いの舞は大成功だった。


 そう、舞が終わると同時に雨が降り出したのだ。確かに昔々は真面目に雨乞いをしていたのかもしれないが、今では形式上のものとなっており、精霊と対話できるという本物の巫女なる者もいない。それに、の賢者バヤーシュ・ナートラヤルガの伝えた技術により、地下深くの水脈から水を得ることもできるようになり、また運河もあることから近年では水不足に悩まされたことはなかった。

 しかし偶然が重なって降った雨であっても、何か神聖なものを感じてしまうのはその雨が晴れた空から降り始めたからだろうか。華子の国では狐の嫁入りと呼ばれる晴れ雨に、王都中が盛り上がった。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇




 ーーーーそして夜、


「それでは雨乞いの舞の成功を祝してーーーー」

「「「「サルーーーー!!!」」」」


 お酒の入ったグラスを高らかに掲げ、乾杯をする面々に華子もグラスを掲げる。

 王都東地区にある、食事とお酒の店アミーゴス・デル・エストマゴは本日は貸し切りになっており、いつもは仕事帰りの男衆で賑わう店内も、今日ばかりは女性しかいない。毎年この日は雨乞いの舞に参加した騎士や侍女たちで打ち上げを催しており、同じく雨乞いの舞に参加した華子も誘われての参加であった。この店は騎士や警務隊士たちが多く利用する優良店で、安くてボリュームのある食事と豊富な種類のお酒を取り扱っているらしい。

 久しぶりの飲み会の雰囲気に、リカルドといるために普段はお酒を控えている華子も、エールから始まり果実酒、蒸留酒などといった様々なお酒に喉を鳴らした。


「ハナコ様、いける口でしたのね!! 」

「仕事の後の唯一の贅沢だったんです。んーっ、こっちのビールも美味しい! 」


 乾杯のエールを飲み干した華子にドロテアが拍手を送る。身体を動かした後の適度に冷えたエールは最高である。ドイツビールのように生温くもなく、かといってキンキンに冷えてもいないエールはすんなりと喉を通り、生き返った心地になった。


「もう一杯いかれますか? 」


 エールが苦手なのか果実酒を嗜んでいたイネスがおかわりを聞いてくるが、今はお腹も空いているので美味しそうな料理も食べたいところだ。


「少しお腹に入れてからにします」


 宮殿の料理人には申し訳ないが、リカルドとの初デートならぬ初シータの日に食べた下町料理の方が華子の口には合っている。卓上で湯気をあげるモツ煮込みや、アヒージョと呼ばれるニンニク風味のオイルで煮込んだ肉や魚の匂いが食欲をそそり、華子は取り皿に取った大きな肉の塊をパクりと口に入れた。柔らかい肉は豚肉に近い感じでニンニク風味のオイルと良く合う。


「こちらも美味しいですわよ」

「あら、この豆の煮込みも美味しいのよ」

「ハナコ様、プルポたこのサラダもお食べくださいな」


 雨乞いの舞の練習の時に仲良くなった侍女たちが次々に料理を勧めてくる。


「胃袋が一つしかないのが悔しいです! さあさあハナコ様、今日は心行くまで飲み明かしますわよっ!! 」


 ラウラを見れば既にボトルを手元に置いており、臨戦態勢になっていた。


「ラウラさん、だ、大丈夫ですか?! 」

「普段節制してますから大丈夫ですわ」


 そんなものでもないだろうと思うが、周りも皆同じような状態だ。宮殿仕えで溜まった鬱憤を晴らすかのような侍女組の気迫に思わず騎士組のテーブルを見ると、そちらは既にグダグダになっていた。


「ハナコー、飲んでる? 」


 華子の背後からずいっと手が伸びて、そのままサラミを掴んだ手がまた背後に戻っていく。振り返ると大ジョッキサイズの陶器のグラスを片手にイェルダとマグダレナが立っていた。


「あら、ハナコ様のグラスが空じゃないのー、お酒苦手ですか? 」


 同じくジョッキを持ち豪快に飲み干しながら、マグダレナが給仕から奪い取ったグラスを華子に差し出してくる。


「いただきます。おお真っ平に飲む機会なんてそうそうありませんから」


 受け取ったグラスに口を付けると、柑橘系の爽やかな甘さが口に広がった。


「美味しいっ! 」

「そうでしょ? これイェルダお姉様のお勧めなんですよー。原料のナランハオレンジはオルトナの特産品で、果物としても美味しいんですが果実酒に最適なんですー」

 

 マグダレナの頬が赤くなっていることから、ほろ酔い気分なのだろう。普段はきびきびとした竜騎士然とした口調が若干砕けているが、それはそれで微笑ましい。小さなグラスだったのですぐに飲み干してしまった華子は、物足りなさから給仕にもう一杯頼むことにした。


「これならお酒の弱い人でも大丈夫そうですね。あ、もう一杯お願いします」

「そうですよね?! そう思いますよね! なのにミロスレイったらお酒が一滴も飲めないんですよ? どう思いますか? 呑んだくれみたいな顔をして下戸ですよ。酔って可愛くなった姿とか見たいのにっ! 」

「あの隊長さんは無理だよ、何たって消毒薬の臭いでクラクラしてたからさ」

「イェルダお姉様。客観視しても無理なんですね。よし、ヤケだ、飲もう!! 」


 何処かから引っ張ってきた椅子に座り直したマグダレナがジョッキを煽る姿は男らしい。ミロスレイ本人の言うとおり下戸だったのかと驚いたが、確かにマグダレナの言う事も一理あるなと華子は思う。

 リカルドはお酒を嗜むが、酔うことはない。食事の際に一、二杯程度果実酒を飲むだけで深酒はしないのだろうか。宮殿では飲まないだけかもしれない。


「そうですよね……可愛く酔った姿とか、見てみたいですよね」


 華子のこぼした一言にイェルダとイネスが食いついた。


「あの殿下が可愛いのかい? そりゃあ知らなかった! 」

「恋する乙女なら、好きな殿方のいつもと違う姿とか見たいですわよねっ! 」

「リカルド様って弱音とか見せない方ですから、甘えられたりなんかしたらもう、たまりません」


 いつの間にか華子の周りにギャラリーが増えているが、気分が高揚している今はさほど気にならない。


「で、殿下が甘えられたりされるのですか?! 」


 イネスが皆を代表したかのように質問する。


「甘えるといいますか、不意打ちとかで困り顔とかされると何かきゅんってします」

「きゅん? 」

「心臓のあたりがきゅーって締め付けられるような感じで、こう、きゅんって」


 華子が自分の胸のあたりをぎゅっと握ると、皆も一様に己の胸のあたりをぎゅっと握る。


「あー、それ、わかります。わかりますわ、ハナコ様」


 先ほどからひたすら飲み食いしていたラウラが声をあげた。


「私もニコラオの意外な一面を見るとほっこりしますもの。外務官なのにそれでいいのかというくらいに無愛想で甘えるなんてありえない男ですけど、たまにはにかむ顔とか見ると抱き締めたくなりますわ」


 ラウラ言葉に侍女たちから黄色い声があがる。外務官をしている婚約者が筆不精なのは知っていたが、無愛想とはまた難儀な男性だ。出向中でまだしばらくは帰ってこない婚約者を待つラウラも、あまり甘えたりはしない性格なので似たもの同士なのかもしれない。


「やはり恋人がいる方が羨ましいですわ。侍女なんて思っているほど出会いはありませんもの」

「そうよねー、侍従なんて口うるさいだけだし、職場恋愛はあまり好きじゃないし」

「あなたのところはいいじゃない。うちなんて干からびたじいさんばかりよ」

「騎士なんて筋肉女は願い下げだって言われて最悪よ? 身につくのは武だけって花嫁修業にもならないわよ」

「私らの仕事を理解してくれる人じゃないとねー。やっぱり同業者かしら」


 恋人のいない侍女、騎士たちが口々に不満を漏らすがつい先日まで干物女だった華子にもその気持ちはよく理解できた。

 古今東西出会いのない女性のなんと多いことか。しかし、こんなぼやきを華子は何処かで聞いていた。何処だったか、さらにエールを煽るマグダレナを見てから唐突に思い出す。


「そういえば警務隊士の皆さんも同じようなことを言われてましたけど……知り合いの方に侍女を紹介してくれとかなんとか」


 ブルックスが軽くあしらっていたが、警務隊士は男所帯といっても過言ではないくらいに男性の比率が高い職場である。警務隊士と侍女、警務隊士と騎士のカップルとか有りではないだろうか。


「そうだよロレナ! あんたの彼って警務隊士じゃないの。何人か独身男を紹介してくれないかい? 」


 イェルダからロレナと呼ばれた女性は数少ない近衛騎士である。その彼女が警務隊士と付き合っていたとは驚きであるが、その相手があのとき警務隊東支所に居た人物の一人だと知ってさらに驚いた。


「コンラードの知り合いなら東地区の人ばかりですけど、なんなら東地区隊長に直訴した方がいいんじゃないですか? 」


 華子が話した若者もコンラードという名前だった。もしあの若者がロレナの彼であるならば何と世界は狭いことか。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇




「よし、コンラード君。君が先に行きたまえ」


 警務隊東地区隊長のミロスレイが部下に隊長めかしくもったいぶった命令を下す。しかし部下であるコンラードにしてみればいつもの粗野なミロスレイの口調に慣れており、妙に丁寧な言い方をされると背筋がゾクゾクするような気持ち悪さを覚えた。


「……ミリィ先生が先だっていいじゃないですか」

「特攻は若い者の特権だぞ? つべこべ言わずに早く行け! 」

「嫌ですよあんな魔窟! みんなで一緒に突入して奪還しましょうよ」

「おやおや、皆さんお揃いで。どうしたんだい、中に入らないのかい? 」


 他の警務隊士に背中を押されつつコンラードが情けなくも尻込みしていると、横から天の助けのような声がした。


「サルディじゃなかった、エメ先輩! それに殿……フリオ先輩まで! 」


 コンラードの視線の先にはエメ先輩こと近衛騎士団長のエメディオとフリオ先輩こと第九王子のリカルドがのんびりと歩いてくるではないか。何故エメ先輩とフリオ先輩なのかというと、このアミーゴス・デル・エストマゴにおいては普通の人でありたい、という二人のたっての希望であるからだ。役職や身分に囚われず、自由に楽しく飲み食いしたいと、ここでの二人はただの『エメ』と『フリオ』なのである。ちなみにミロスレイは『ミリィ先生』である。先生という敬称がついているのは彼が長寿の種族で百三十歳という年齢だからであり、リカルドが茶化して先生と呼んだことに由来している。


「ミリィ先生も来ているということは、いつものように無法地帯になってるのかな」


 エメディオが閉じられた店の扉の向こう側をやれやれといったように見やると、コンラード他数名の警務隊士がさっと道を開けた。いつもの呼び出しとは違い、見慣れない顔があるのは侍女たちも参加している所為なのか。『ルナの会』と呼ばれる女性騎士で構成された会合が月一で開催されるとき、二回に一回の割合いで騎士を妻に持つエメディオや、騎士が恋人のミロスレイとコンラードが呼び出しを食らうのだ。

 まあ、酒に酔ってぐでんぐでんになった彼女たちを無事に家に送り届ける役目を担っているのであるが、今日は宮殿の侍女たちも一緒である。エメディオの見たことのない顔ぶれの者たちは侍女の恋人なのだろう。

 見たことのない顔ぶれと言えばリカルドもそうだ。本日は特別に華子が参加しており、イェルダから送られてきた一斉伝令がリカルドの元にも届いたようで、リカルドから連絡を受けたエメディオが説明がてらに一緒に店までやってきたところであった。


「エメ坊、いつもの無法地帯じゃないぜ? 今日は俺ですら踏み込むのをためらうくらいの状態だ」


 ミロスレイが苦い顔つきになり、その後ろではコンラードがうんうんと頷いている。


「フリオ先輩も覚悟を決めた方がよろしいかと。彼女たち、待ち構えてますから」

「あっら、まあ、それは嫌な感じだね」

「そういうこった。一歩踏み入れたら最後、骨の髄までやられちまうぜ、あの雰囲気」


 華子がいることで随分と盛り上がり……というか盛り上がりすぎたことが容易に想像でき、無言のリカルドが眉間を押さえる。恋話に盛り上がり、恋人のいる者は全員お相手呼び出しだー!! となったのだろう。竜騎士の飲み会でも若い者を中心にそんな雰囲気になるので手に取るようによくわかる。最近竜騎士のマグダレナと婚約したばかりのミロスレイと華子のアルマであるリカルドは最大の標的になるはずだ。もう既に、華子との関係は非公式が意味を成していないような気がする。

 女性たちの団結力は強い。日頃は聞けないことも酒の力を借りて質問してくるに違いない。コンラードでなくとも尻込みしたくなる状況で、リカルドも先陣を切っては行きたくなかった。


「さっさと入ってさっさと帰るわけにはいかないのか? 」


 リカルドがエメディオを見るが、エメディオは首を横に振る。


「無理ですね。最大の恋愛劇が間近で見られるんですから、彼女たちがそう簡単に解放してくれるとは思えません」

「そうかっ! そうだよな、巷で噂の大物が揃うんだしな。よしよし決まりだ。フリオ君、君が先に行きたまえ。その隙に我々は退避しよう! 」


 針のむしろ寸前で回避方法に気がついたミロスレイが、嬉々としてリカルドの腕を引っ張って前に出すが、そこに達観したような声でコンラードが告げる。


「ミリィ先生、甘いですよ。ロレナがそんな美味しい話を聞き逃す訳がないじゃないですか。ミリィ先生の婚約者さんやエメ先輩の奥さんだってロレナと同じです。結局僕らには逃げ場所なんてないんです」

「……コンラード、お前大丈夫か? 」


 ミロスレイが本気で心配そうに声をかけるが、コンラードは聞いていないのかふらふらと扉の前に立つ。


「これ以上待たせたらもっと酷いことになりますから、覚悟、決めてくださいね」


 そう告げて深呼吸をしたコンラードが扉に手をかけた瞬間、中から物凄い勢いで開き、その衝撃でコンラードが吹き飛ばされた。慌てて助け起こしたミロスレイとリカルドに、中から現れた女性が剣呑な目付きで死の宣告を下す。


「なにを、ごちゃごちゃと、やってんのよ。せきはとってあるから、はやくいらっしゃい。あ、ごきげんよう、だんちょー。さあさあ、みなさまもどうぞ?」

「あ、ああ。ごきげんようマグダレナ……すっかり出来上がってるみたいだな」


 リカルドの部下でありミロスレイの婚約者である竜騎士のマグダレナが、艶やかな笑みで立てた親指をくいっと背後に向けると、そこには椅子の上に立って何かを熱心に演説する華子がいた。

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