第28話:決戦①

 魔族というやつらは、本当に恐ろしい外見を誇っていた。

 人型の二足歩行で、全身が煤にまみれたみたいに黒色に染まっている。それは上半身になるほど薄くなっていくのだが、眼だけは例外的に真っ黒だ。手の先には鳥獣を彷彿とさせるかぎづめが備わっており、背面にはいかにも強靭そうな翼を背負っていた。まるでカラスの最終進化形みたい。サングラスはかけないんですね。

「あれが魔族か……」

「やっぱりグロテスクな見た目ね……」

 俺の背後で嘆息するアイラ。

 今回ばかりはアイラの意見に全面同意だ。戦う前から戦意喪失しそう。

 運よく一度も魔物に遭遇することなくダンジョンから抜けた一行は、監獄の様子を見渡すことのできる茂みに息をひそめていた。監獄の周りは基本的に野原が広がっているため見晴らしがいいのだが、少し離れた位置に草木が生い茂っている場所があり、隠れるにはうってつけだったのだ。

 それにしても、立派な監獄だ。もはや城、あるいは要塞と呼ぶべきなのかもしれない。とにかく規模が壮大だった。魔族は無限の魔力を求めて日々魔道具などの研究を重ねているらしいのだが、その技術は建築にも応用が可能な模様。曇天の灰色をバックに屹立していた。

 要塞の前には見張りと思われる魔族が二匹いるが、これに関しては昴の言っていた通りだし、予想の範疇だ。大して気にする必要はないだろう。

「みんな、作戦の準備はいいね?」

 昴の問いかけに対し、それぞれが思い思いに返事をする。

「いいわよ」「いいぞ」「オッケーだぜ」「大丈夫だよ」「……私も大丈夫」どれもが肯定だった。それもそうだろう。今更引くに引けないのだ。

 ――ふと。

 それでは昔と変わらないのではないか、と脳内で誰かが俺に訴えかけた。

 唯を救いたい。そのためなら他の全てを失ってもいい。唯だけでいいから救いたい。

 確かにそれではダメだ。昔の俺と何も変わらない。

 けれど今は違う。

 唯を救うだけでなく、自分を含めた全員に無事でいてほしい。何も失いたくない。

 二兎を追うもの一兎を得ず、なんて言葉があるが、二兎を追わなければ二兎を得ることは絶対にできないのもまた事実だ。

 過去の俺は、すべて手に入れることを諦めて醜い執着をしていたにすぎなかったのだ。

 だから、今度は全部を求める。

 そのためにできることはやってきた。作戦も最良を尽くしたつもりだ。

「よし、じゃあ葵さん、魔力を僕にくれるかな」

「……了解」

 昴の指示に従い、氷月が手にしていた杖をそっと手前に差し伸べた。それをぐいと昴がつかみとると、氷月から昴へ魔力の譲与が始まる。

 氷月の天職は『ウィザード』。魔法を扱える中でも器用な天職で、他人に自分の持っている魔力を渡すこともできる。とアイラが言っていた。

 一方、昴の天職は『ウォーロック』。消費魔力の大きい魔法が得意で、その代わりに魔力を切らしてしまいがち。一発屋だと本人は自嘲していた。

 二人の長所を最大限に生かすには。

「……全部、与えきった」

 残る魔力がゼロとなり役目を終えた氷月が、貧血でも起こしたかのようにへなへなとその場にしゃがみ込んだ。それを確認した昴が杖を放す。

「よし、ありがとう。……それじゃ、やるよ」 

 耳ふさいどいてね、と忠告を入れてから、昴がもう片手に持っていた自身の古めかしい杖を高々と掲げた。その姿はまるで、レース前に旗を掲げるスターターのようだった。

 二人の長所を最大限に生かすには。

 氷月にはすべての魔力を託してもらい、昴には一発屋になってもらえばいい。

「――爆裂魔法、バースト・エクスプロージョンッ!」

 詠唱とともに杖が輝きを放ちだし、その光は先端で球となって勢いよく打ち出された。

 まばゆい光を纏った摩訶不思議な弾丸は、轟音とともに空を切り裂いて、鮮やかに監視の頭上を越えていき――

 監獄のど真ん中にぶち当たった。

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ。

 魔族の進んだ技術をもって建てられた巨大な要塞もこれには耐えきれず、爆発が巻き起こった部分を中心にゆっくりと瓦解が始まる。

 すると必然、悲鳴や絶叫にまみれて中から魔族と人間がごちゃごちゃ飛び出してくるわけで。

「よしっ! 第一関門突破だ! ニクラスさんは昴と氷月をお願いします!」

「わかった! あとは任せたよ!」

 魔力を使い切ってぐったりしてしまった昴と氷月をニクラスが両肩に背負い、三人がワームホールの中に消えていった。安全な場所へ移動してもらったのだ。二人とも体重が軽くてほんとよかった。

 これでこの場に残っているのは俺とアイラと琥太郎の三人となった。

「啓太っ! 俺は一足先に攻撃を始めてるぜぇ!」

「ああ、頼む。アイラも頼んだぞ」

「当然よ。アンタの方こそ、へましないようにせいぜい頑張ることねっ!」

「うぉっ」

 アイラに背中を強く押され、俺はこけそうになりながらも茂みから抜け出した。だから力強いって何回言えばいいんだよ――そんな軽口をたたく余裕はもうない。

 ただいまから俺は、アイラの補助魔法と琥太郎の弓術による援護を受けつつ、何とかして唯を探し出さなければならないのだ。

 唯……絶対に見つけてやる!

 あたり一面を見回す。

 多くの魔族は翼をはばたかせて中空から状況の把握に努めているようだが、残る二三割は地上付近ですでに逃げ出す人間たちをとらえにかかっていた。低空飛行でぐんぐんと加速し、その両腕に次々と人間を回収していく。

 ――地面を蹴った。

 あの魔族の手に捕まったらその時点で即ゲームオーバーだ。そのことを肝に銘じ、安全そうなルートを見極めては無心で走っていった。打ち合わせていた通り、背後には二人もついてくる。俺と同様に不確定要素だらけのステージを駆け抜けた。

 魔族の奇怪な叫び声が耳を通過して脳まで響いてくる。魔族の腕に抱かれて喚き散らす人々の顔が視界の端に映り込む。血のにおいがする。吐しゃ物のにおいがする。漆黒の羽がひらひらと目の前で舞った。

 ……今は考えちゃだめだ。

 余計なことを考えたら恐怖で体がすくんでしまう。

 ひたすら無心で走った。

 集団で向かってくる魔族に対してはアイラが『スタン・サークル』や『ケージ・エイル』を唱えることで動きを止める。単独で飛び込んでくる魔族に対しては琥太郎が弓矢で正確に射ることで息の根を断つ。

 途中何度か走馬燈が浮かびかけたが、二人の強力な援護に加えて俺の身体能力が高まっていることもあり、俺たちはなんとか波を切り抜けることができた。

 そして目の前には、固まって逃げる人間の一集団。運よく魔族の手をかわして遠くまで逃げることに成功している集団だ。

 その中に唯らしき人物がいるのを、俺は遠目に目撃していた。

「唯っ! おい唯だろっ⁉」

 大移動する集団の中の一人に、必死で駆け寄った。

 肩をつかんで、こちらに引き寄せる。驚くほどに抵抗がなかった。彼女がこちらに振り向いて、互いの視線がぶつかり合う。

「唯……?」

 自然と呼びかける声が小さくなった。

 その顔を直視して人違いを疑ったわけではない。確信はある。根本から放たれる雰囲気は間違いなく唯のものだ。

 ただ、ひどく憔悴しきっていることに動揺を隠しきれなかった。

 昴によれば着用を義務付けられているという黒づくめの服がボロボロになっているのはもちろんのこと、その隙間からのぞく身体は度が過ぎるほどに色白くやせ細っていて、コントラストに目がちかちかした。げっそりとした顔は生気が抜かれたようにうつろな表情を浮かべている。

 そして彼女は。

「……誰、ですか?」

 消え入りそうなか細い声で、そんなことを言ったのだ。

「お、俺のこと、憶えてないのか……?」

 尋ねてみても、彼女は小首をかしげるのみ。表情が薄く、本当に思い出そうとしているのかもよく分からなかった。

 あてもなく死に物狂いで監獄から逃げる集団が、三々五々に散っていく。足を止めた俺たちはいつの間にか野原に取り残されていた。

 風が吹いて、唯の髪が弱弱しくなびく。

 彼女は……監獄に閉じ込められてから、どれだけつらい目に合ってきたのだろうか。現実を知り、そんな疑問を抱くことさえもバカらしくなってしまった。考えるまでもなく、考えたところで理解できない領域に達しているのは明らかだ。

「俺のことは憶えていなくたっていいんだ。……俺は憶えてる。ずっと、お前の分まで、きっといつまでも、憶えてる……」

 熱くなった上半身が熱を吹き出すようにして言葉があふれた。その意味は自分でもよく分からない。言葉に追随して涙までもあふれだしそうになる。

「ちょっと、辛いのは分かるけど泣いてる暇なんてないわよ。早くワームホールに入って」

 早口なアイラの言葉に、ハッと我に返った。

 そうだ。今はまず何よりも先に、唯を連れて元の世界に返らなければ。

 身体を反転させて後ろを振り返ってみると、なぜか号泣している琥太郎がちょうどワームホールに入っていくところだった。

「さっ、アンタも早く」

 手招きをしたアイラが先にその中へと足を踏み入れた。アタシに続け、ということか。

 唯の手を取って俺もあとに続いた。

 ――そうなるはずだった。

 しかし、最後の最後で作戦は予定を逸脱した。

 ワームホールの手前で何か黒いものが視界に映り込んだかと思えば、次の瞬間には俺の身体は地面を転がっていたのだ。

 回転回転回転。

 地面と空の間に挟まれた俺は何の抵抗もできないまま無様に踊る。

 視界の回転がひとしきり続き、それがおさまった後には全身を鈍痛が蝕み始めた。

 痛い痛い痛い痛い痛い。

 蹴られた腹部はもちろん、身体中がとにかく痛い。息をするのが苦しい。

 どうにかならないかと悶えるが、どうにもならない。

 思考が痛みに浸食されていく。視界が真っ黒に塗りつぶされていく。

 ああ、俺はこんなところで死ぬのか。何も果たせないまま死ぬのか。

 浸食はあっという間に進んでいき、すでに意識を失いかけたころだった。

 ――どこからともなく声が聞こえてきたのだ。とても甘く、優しい声だった。



 私ね、全部思い出したよ。

 けいちゃんのことも、公園でけいちゃんとお別れしたときのことも。

 今だから言えるけど、実はね、あのとき私には、けいちゃんにどうしても伝えたいことがあったんです。

 それはね……うーんと……やっぱりまだ言えません。

 とにかく伝えたいことがあったの。とっても大事なこと。

 でも、あのときはそれを伝える前に離れ離れになっちゃった。

 だから、ずっと後悔してた。心のどこかで、また会えたらって、ずっと思ってた。

 そしたらね、今こうして本当に会えた。願いがかなったんだよ。

 神様って、ほんとに気まぐれやさんだね。

 ……ねえ、けいちゃん。もう一つだけお願い事してもいいかな?



「立って……けいちゃん、がんばって……生きて……!」

 最後の一言が、確かな響きをもって俺の耳に届いた。

 すぅーっと、全身の痛みがひいていく。

 目を開いた。

「願い事……一つじゃないのかよ……」

「けいちゃん!」

 無理やり振り絞った声に、唯が喜びとも興奮とも取れる反応をみせた。俺の真横にあるその顔は、記憶とともに生気まで取り戻しているようだった。

 体つきとのギャップがもどかしいのはさておき、とりあえず元気になってくれたようでよかった。

「さっきの魔族は……?」

「私がやっつけたよ」

「え? どうやって?」

「えへへ、いつでも隠し持ってるの」

 唯が服の袖から取り出したのは、小さな木の棒だった。先端にこれまた小ぶりな石が取り付けられている。これは……魔石か。つまり、この木の棒は魔道具らしい。

「訓練してたから、魔族一匹ぐらいなら倒せるんだよ。それに、回復魔法も久しぶりに使っちゃった」 

「回復魔法って、俺に……?」

「そういうこと。でもね、久しぶりに使ったから調整ができなくて……」

 一瞬ふらっとしてその場にしゃがみ込んでしまった唯。

 俺が窮地から回復した理由が分かった。同時に、今の唯は無理をして元気にふるまっていることも分かってしまった。

「お、おい。大丈夫か?」

「うん。でも、歩くのは大変かも」

「なら俺が運ぶさ。なに、ワームホールまで運ぶだけの簡単なお仕事……あれ?」 

 周囲に目を配らせてみたが、どこにもワームホールらしきものが見当たらない。

 なぜだ……?

 混乱する俺の様子を見て心内を察したのか、座り込んだままの唯がこちらを見上げて推測を述べる。 

「えーっと、ワームホールだったら、きっともうすぐ出てくると思うよ」

「どういうことだ……?」

「たぶん、ワームホールの中に魔族が入ると厄介なことになっちゃうから、一度閉じたってことじゃないかなぁ」

「……それはありえるな」

 だとするなら、俺たちはもう少しの間ここで待機しなくてはならないということか。

 唯が俺の手を握ってきた。見れば、彼女はどこか寂しそうな、辛そうな表情を浮かべている。俺はできるだけ優しくその細い手を握り返した。

 急いでくれ、アイラ……!

 しかし、俺の願いもむなしく。

 ワームホールが現れるよりも前に、ぽつぽつと黒い点が中空に現れ始めた。魔族が集団でこちらへ向かってきているのだ。その数、四五体。

「くそ……!」

 せっかく助かると思ったのに、また大ピンチに逆戻りかよ。

 噛みしめた奥歯がぎりぎりと音を立てる。

「逃げて……」

「え?」

 斜め下から届いた声に、俺は反射的に言葉を返していた。

「私は動けなくなっちゃったけど、けいちゃんはまだ動けるんだよね? なら、けいちゃんだけでも逃げて。……私はもう、大丈夫だよ」

 大丈夫? いったい何が大丈夫なんだ?

 今にも泣きだしそうな顔で、なんでそんな主張ができる?

 大丈夫なわけがない。唯も、それに俺も。

 ここで唯を置き去りにしたら、あの時と同じになってしまう。

 公園で襲われる唯をただ見ていることしかできなかった、あの時と。

 同じ轍は踏みたくない。

 もう、大切な人は失いたくない。

 これ以上逃げ続けるわけにはいかないんだ。

 だから、俺は剣を抜いた。

「けいちゃんっ! だめだよ! 逃げてっ!」

 必死に説得するような感情的な口調で、唯が声を荒げる。

 確かに無謀かもしれない。

 でも、誰にだって、たまにはやらなきゃいけない時がある。

 俺にとって、今がその時だ。

 覚悟を決めて、剣を構えた。

 ――その時だった。


 ピローン。

《勇者》レベル20になりました。

 スキル『ラスト・ブレイブ』を習得しました。


 一連の電子音が、俺の脳内で反響した。

 宙に浮かぶ黒い点が、少しずつ大きくなっていく。

 しかし恐怖はない。あるのは突如あふれんばかりに湧き出した対抗心だけ。

 一時的にデメリットなしで何倍もの身体能力を引き出すことができる、アイラが勇者の切り札だと言っていたスキル。その名は『ラスト・ブレイブ』。

 ロングソードの柄を、強く握り返した。

 不思議なくらい、今なら何でもできる気がする。

 ――神様は、本当に気まぐれだ。

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