第21話:アホの襲来

 翌日。土曜日。

 早朝に柚葉から目覚ましビンタを喰らい、その柚葉をテニスの試合に送り出してからというもの、俺は朝遅くに起きてきたアイラとともにリビングでボーっとしていた。

 そう、ボーっとしていたのである。

 昨日と話が違う、という意見に俺は激しく同意だ。でも、この体は同意してくれない。『今は休憩が必要。異論は認めない』などとほざいている。

 疲労の色が滲んだ横顔を見る限り、きっとアイラもそんな感じなんだろうな。

 かれこれ時計は十時を回っていた。

「……父様は無事なのかしら」

 唐突に、そんなつぶやきが耳に入る。

 アイラは定期的にこんな感じでつぶやいたりする。本人は無意識なのかもしれない。

 休日の午前にのんびりしてるっていう、現在の状況と全く噛み合ってないし。

「父親が心配なのは分かるが、お前の家族だってお前を心配してるんじゃないか?」

「そうかもしれないわね。カンカンに怒ってたりして」

 クスクスと笑みがこぼれた。おいおい、笑ってる場合かよ。

 まあ、笑えないよりはマシか。こういう場合、親が厳しいヤツだと、笑おうとしても頬の筋肉がヒクヒク痙攣しだして何にも笑えないからな。どこの琥太郎だよ。

「実はね、アタシには兄様がいるんだけど、兄様も昔に家を飛び出てきり、帰って来ていないの」

「えっ、じゃあ兄妹そろって家出中ってことか?」

「そういうことよ」

 それって親御さんにしてみればかなりきついんじゃないか? 大丈夫かな……。

 俺の不安などお構いなしに、アイラは話を続ける。

「でも、兄様はなんで出て行ったのか分からないのよね。確かに兄様はできそこないって父上に怒られてばっかりだったけど、あんまり気にしてないみたいだったし」

「いや、それは案外気にしてるってパターンだと思うぞ」

「そうかしら……」

「じゃなきゃ家出なんてしないだろ」

「そうね……」

 それきり、アイラは沈思黙考モードに突入した。兄の行動を思い起こしているのだろうか。

 と思ったらなんだか首がカクつき出した。見れば目がうつろになっている。

 上半身が魂が抜けたかのごとく脱力して前傾。机に頭をぶつけてしまい、そこで意識を取り戻したように目を瞬かせて体を起こしたかと思えば、まただんだん前のめりになっていって――この繰り返し。

 要するにコクリコクリと舟を漕いでいるのであった。

「うぉい――げふっ。おい、寝るなよ。仲間を探さないといけないんだから」

 アイラの可愛らしい寝顔は極力見ないようにして、至極冷静に今やるべきことを告げる。若干どぎまぎして噛んじゃったけど。

「……うー、むぅ。……メリハリ……大事なのよ」

 とぎれとぎれにありがちな言い訳が聞き取れた。これは起きる気なさそうだな。

 なんだかつられて俺まで眠くなってきてしまった。ふあーあ、とあくびを一つ。

 その時、まさにそれが引き金になったかのようにして。

 ピンポーン。

 自宅のベルが鳴った。

「こんちゃーす」

 聞こえてきたのは、琥太郎の声。

 マズい! ヤバい! 

 なぜこんな時間に尋ねてきたのかは不明だが、とにかくアイラと同居しているのがばれたら面倒なことになるのはもう間違いない。

「おいっ、起きろ」

「んー、なによ……」

 ウィスパーボイスと高速つっつきでとりあえずアイラを目覚めさせることに成功。

 まずはコイツに状況を説明するとしよう。琥太郎の対処はそれからでいい。

「お? 鍵かかってないじゃん。入るぞー」

 っておいいいいぃぃぃっ! 鍵閉めるの忘れてたあああああぁぁぁっ!

 どうする。どうする俺。

 アイラはいまだに寝ぼけ眼でポカンとしている。こいつをどこかに隠すことさえできれば。

 咄嗟に辺りを見回した俺の視界に写ったのは、人ひとり収めることなど造作もないようなビッグサイズの押し入れ。

 ――あそこしかない。

「……ちょっ、ちょっとなにしもごもごもご」

 いきなり担がれてパニックを起こすアイラの口を手で封じ、そのまま押し入れの中へ封印。軽かったので案外楽に運べた。

 締めに「静かにしててくれよ」とだけ告げておいて、準備完了。あとは客人を適当にごまかしてお帰りになっていただくだけだ。

「啓太ー? そっちかー?」

「……おい、勝手に人の家上がるな。お引き取り願おう」

 押し入れを離れ、何事もなかった風を装って琥太郎と対面する。様子を見る限り、現時点でアイラの存在がばれていることはなさそうだった。少し肩の力が抜ける。

「えー、ちょっとぐらい遊ぼうぜ。スペラチューンやらせてくれるんだろ?」

「持ってねえよ。帰れ!」

 補足すると、スペラチューンとは巷で旋風を巻き起こしている人気アクションシューティングゲームのこと。イカが大活躍する。俺がそれを持ってないというのは本当だ。

「うぇ? この間買ったって言ってたじゃん?」

「言ってねえよ。帰れ!」

「あれー、っかしーな。じゃああれは夢だったってことか。なんだぁ」

 疑問を自己完結させていく琥太郎。その過程で俺に戦慄が走った。

「……まさかお前、夢と現実の区別がついてないのか?」

「うーん。あー、つーかたまにミスるって感じ?」

 精神年齢いくつだよ。

 でもよかった。これで何とかお引き取り願えそうだ。あとひと押しといったところか。

「とにかく、今日は幼児があって遊べないんだ。悪いな」

「むーん、しょうがねー。そんじゃあ今日は帰るかな。また今度遊ぼうや」

「おう、じゃあな」

 軽く手を上げると、琥太郎はこちらへ手を上げ返し、そのままくるりと踵を返した。

 よし、うまくいった。完全無欠のシナリオだ。首尾よく帰る流れが完成したぞ。

 なんて思った矢先――

「へ、へくしっ!」

 押し入れのKYことアイラ様の生理現象が発生した。

 その甲高い音波はどうやら琥太郎の耳元まで届いてしまったようで。

「ん? なんか今かわいらしいくしゃみが」

「夢だ」

「え、いや確かに」

「夢だ」

「……バカにしてるのかー?」

 ジトーっとした目で睨まれてしまった。さすがにこの嘘は無理があったか。

 ならば!

「あー、柚葉のくしゃみだと思うぞ」

「そりゃねえな。女テニは今日学校で試合あるし」

 お前、何故それを知っている……?

 ここで柚葉を引き合いに出すのは我ながら妙案だと思ったのだが、これほど呆気なくばれてしまうとは。うーむ、他にうまくごまかせる方法はないものか。

 脳みそをフル回転させてあれこれその場しのぎの方便を探し求めるが、なかなか「これだ!」という案が出てこない。脳みそ足りない。

 もう真実を打ち明ける選択肢しか残っていないのだろうか。

 ……ええい、この際致し方あるまい!

 追い詰められた俺は、琥太郎相手に腹を割って話す英断を下した。

「実はな――」


 異世界のことやアイラのことをすべてを話し終えても、琥太郎は特に驚くような素振りを見せなかった。まるでそれが真実であると信じて疑わないといった様子で、キラキラと目を輝かせるのみ。こういうやつがエイプリルフールに痛い目を見るんだろうな、なんて漠然と思ってしまった。

「うおー、異世界か! なんかゲームみたいで楽しそうだなっ!」

「そんなに楽しいことばっかりじゃないぞ。実際に魔物と対峙した俺が言うんだから、まず間違いない」

「嘘つけやい、楽しかったくせに。俺も連れてってくれよー」

 やっぱりそうなるのか……。

 どうしたものかな、と俺が頭を掻きむしっているうちに、押し入れからアイラがひょっこりと顔をのぞかせた。

「話は聞いてたわ。そういうことならアタシに案があるわよ」

 言いながら、ふすまを押し開けて腕組み高飛車ポーズを決めるアイラ。

「ど、どうもはじめまして、篠田琥太郎と、申すものだぜっ!」

 すかさず琥太郎が自己紹介を挟んだ。が、テンションが不安定すぎて初対面の印象は文句なしに最悪だろう。別に琥太郎にコミュニケーション能力が全くないわけではないのだが、相手が相手なだけあって緊張してしまったらしい。

「アタシはアイラ・リインハート。よろしく」

 しかしアイラは平然と挨拶を返してみせた。コミュニケーション障害を患っている俺と二日間関わっただけあって、こういう場の対応にはだいぶ慣れてきてるみたいだな。つまり、俺のおかげ、と。……違うね、はい。

「おう、よろしくな。アイラっち」

「……アイラっち?」

 思わず顔をしかめてしまった。いきなりそのなれなれしい呼び方はいかがなものだろう。

「いきなり名前で呼ぶのはなんとなく抵抗があっけど、あだ名ならいいだろ?」

「お前の判断基準は相変わらず分からん……」

「まあまあ、いいじゃない。コタロウがそうしたいなら」

 そう言うアイラはいきなり名前で呼ぶのかよ。まあいいけどさ。

「それじゃ話を戻しましょう。アタシにいい案があるの」

 アイラが手を鳴らし、話の軌道に修正を入れる。

「いい案って?」

 やはりドヤ顔でアイラはこう言い放った。

「コタロウが異世界に行きたいなら、コタロウの天職を調べてみればいいのよ」

 ああ、なるほど。

「それでもし戦闘向きの天職だったら、一緒に戦えばいいってことだな?」

「ザッツライト。ちょうどパーティーの人手不足解消にもなるし、一石二鳥だと思うわ。それに、実はすでにコタロウのことを眼解析したんだけど、けっこういい感じなのよね」

「お! つまり俺も戦えるっつーことか⁉」

「それはまだ明確には分からないわ。体解析をしてみないと――」

 アイラの差し出した手が、そのまま琥太郎の手をがっしりつかんだ。

そういえば、眼解析とは違い、体解析は明確なステータスが把握可能だとか言ってたっけな。

「うわっ、ちょ、何してんすかアイラっちさんッ⁉」

「……ふむふむ。これはなかなかね」

 琥太郎のうざったいリアクションを右から左へ華麗に受け流し、アイラは彼女にしか見えないステータス画面に目を凝らし始めた。どうでもいいけど、傍から見たらただ寄り目してるだけのようにしか見えなくて笑える。

 やがて。

「どうやら、琥太郎は『アーチャー』のようね」

 解析の結果が告げられ、毎度お馴染みのオーバーリアクションが披露される。

「ぅおおおぉぉーっ! なんか強そうじゃん?」

 同意を求める視線を向けられ、アイラはコクリと頷いた。

「実際に優秀な天職よ。弓の扱いに長けていて、弓に関するスキルならピンからキリまで習得するわ。まさに『弓の名手』みたいなポジションかしらね」

「ほほーん。いやぁー、モ○ハンで弓使っててよかったぁ」

「それは関係ないだろ……」

 その理論に従うなら、俺は今頃戦場で高らかに笛吹くマンになっているはずだ。あの笛、吹くだけで移動速度が速まったりスタミナが減らなくなったりするから、体育科の教員はみんな装備するべきだと思う。

「で、琥太郎は手を貸してくれるのか? 一応言っておくが、命の保証はできないぞ?」

「そんなの全然オッケーっしょ。へへっ、死ぬときは一緒だぜ」

「………………」

 見た目は子供、頭脳は大人の名探偵風に言われたところで、なにも笑えない。そのセリフ、なんとなく死亡フラグが立ちそうで怖い。

 でもまあ、これで一応パーティーが三人になったってことか。

 もちろん、それ自体は喜ばしいことではある。

 ただ、加わったのが琥太郎(バカ)なのは残念でならない。指示が理解できずに足を引っ張るなんてことがなければいいが……。ドSのアイラが本気で脅せば何とかなると信じたい。

「三人……うーん、三人ね……」

 現在の穏やかなアイラはというと、パーティーの仲間が増えたというのに、どこか浮かない表情で『三人』というワードを繰り返していた。

「三人だとマズいことでもあるのか?」

「いや……そういうわけじゃないんだけど、ただ、パーティーって四人構成が基本なのよね。だから、三人だとまだ違和感があるというかなんというか、ビミョーなのよ」

 言葉通り微妙な顔をするアイラ。

「ほう。じゃあ四人になればいいんだな?」

「えっ? まあそうだけど……何かあてでもあるの?」

 訝しげな目を向けられて、俺はふっと笑みをこぼした。

 パーティーに入ってくれそうな人なら、心当たりがある。



「アオイの天職は『ウィザード』ね」

 アイラがそう結論を出したのは、あばら家までわざわざ足を運んでくださった氷月に事の顛末を話し終えてからだった。

「ウィザードは魔法使いの中でも比較的器用な職業に分類されるわ。仲間に魔力を分け与えたりすることもできるのよ」

「おおー」

 琥太郎がぱちぱちと拍手を送った。その対象はいまいちはっきりしない。

 天から授かった職業を知らされた氷月は、それでも表情一つ変えず、おずおずと口を開く。

「……私も、戦える?」

「ええ。むしろ戦ってもらわないと困るわ。四人で協力すれば、いずれは魔族にも対抗できるはずだから」

 一緒に戦いましょう。そんなアイラの勧誘に対して、氷月は小さく頷いた。

 俺の読み通り、氷月は異世界を探索することに乗り気だ。

「でも、本当に大丈夫か? 色々と危険な目に遭うかもしれんぞ」

「……平気。……背に腹は代えられない」

 表情にさざ波の一つも立てないのは相変わらずだが、氷月の声には普段感じ取ることのできない強い意志が含まれていた。

 もしかしたら。

 彼女の覚悟は、唯が不可解な消失をした時にすでに決まっていたのかもしれない。それゆえ、氷月はずっと笑えないままなのかもしれない。

 そんな考えが頭をもたげて、気づけばこぶしを握り締めていた。

 俺だってそうだった。覚悟は決まってたんだ。もう他のものは何にもいらないから、唯のもとに連れてってくださいって、神に祈ってた。危険を恐れず、考えつく限りいろんなことを試してみたりもした。

 でも、そんなのは現実味がないし、家族にも迷惑をかけることになるからって、結局諦めた。きれいさっぱり諦めた。

 そのつもりだった。

 開き直ろうとしても、どうしても無理だったんだ。やっぱり諦めきれてなかった。そのことを理解していながら、でもどうすればいいのかさっぱり分からなくて、ずるずると堕落して。

 ――そこへアイラが現れた。

 こんなチャンス、逃すわけにはいかない。俺も、氷月も。

 大切なものを取り返す。

 これは対岸の火事なんかじゃない。今目の前で上がってる猛火なんだ。


「それじゃあ氷月っち、これからよろしくな!」

 お前はその「○○っち」から離れような。

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