第19話:千堂唯について
俺は自宅に着くなり、気持ちだけものすごい勢いでアイラに写真を突き付けた。
物理的な勢いはないので結果的には顔面に力がこもっているだけなのだが。
リビングで一人なぜかあたふたしていたアイラだったが、軽く事情を説明するとすぐに真剣な顔つきになり、写真を受け取ってくれた。
「間違いないわ。この人はアインスよ」
数秒足らず。即答だった。
アイラに渡したのは言うまでもなく唯の写真だ。
ということはつまり、『唯=アインス』が成立したということであり、これで十中八九唯が生きていることが証明されたようなものだ。
例のニクラスお兄さんのせいで蓄積したモヤモヤとしたものが晴れていく。あの人は存在も言動も胡乱だったけど、アイラならば信頼を寄せても問題なかろう。
「よかった……」
唯はやっぱり生きているんだ。こことは別の世界で。
そして、アイラがいれば俺はその世界に行くことができる。
唯にまた会えるんだ。
もしかしたら、こっちの世界に連れ帰ることだってできるかもしれない。
そうしたら、また昔と同じような日常を送れるかもしれない。
また一緒に楽しく食卓を囲めるかもしれない。
過去の呪縛から解放された俺は、様々な出来事に対して気力を取り戻すことができるかもしれない。
もちろん、すべてたらればの話だ。そうそううまくいくばかりではない。
それを承知のうえで、それでも俺は実現させたい。
そのために、早速一歩を踏み出すことにする。
「ちょ、ちょっと、何してるのよ⁉」
頭上から、アイラの慌てた声が覆いかぶさった。額に着けた床から小刻みに振動が伝わる。
そう、ジャパニーズ平身低頭スタイルナンバーワン、土下座である。
とはいっても何かを謝罪するわけではない。今回は懇願の真心を示したいのだ。
「唯の、アインスの居場所を教えてくれっ!」
真っ暗な床に向かって叫んだ。
アイラは昨日、ファミレスで『ケイタはまだ信頼できないから、居場所を教えるわけにはいかない』という旨のことを話していた。
確かに俺たちはまだ知り合って間もないし、そのうえ俺は幼馴染のことになると理性よりも感情が先行しがちだ。それでも――
「お前の父親を助ける手伝いだってちゃんとする。約束は絶対に守る。だからお願いだ。俺は一刻も早く唯と会いたい。会って話がしたい。また一緒に過ごしたいんだ」
顔だけ上げて目を見て話すと、本心が淀みなくあふれ出てきた。高ぶった感情を制限するので手いっぱいで、気恥ずかしさのようなものは無かった。が、言い終えると無性に恥ずかしくなってきた。いや、恥ずかしすぎでしょこれ。何言ってるの俺。
面食らった様子で聞いていたアイラも、心なし照れくさそうに相好を崩した。
「アンタ、すごい執念ね」
「そりゃどうも」
「褒めてないわよ。まったく、ユズハから話は聞いてたけど、想像以上ね。なんだかこっちまで恥ずかしくなっちゃったじゃない」
おい、妹。どんな話をしてくれやがった。
一瞬アイラは顔を背け、しかし、またこちらに向き直った。
「でも、アンタ今良い表情してるわよ」
「なんだよそれ」
「今のは褒めたんだけど……」
渋い顔をされた。どうも意思疎通がうまくいっていないらしい。
「で、どうなんだ? 教えてくれるのか?」
俺が話の筋をただすと、アイラは「むーっ」と唸って顎に人差し指を当てた。話すべきか否か逡巡しているのが見て取れる。
「アンタにとって、悪い報告になるのは確かよ。それでもいいのね?」
真実がどうあろうが、俺の答えはもう決まっているというもの。
「……かまわない」
「そう。じゃあ教えてあげるわ」
依然として手をついた状態のままの俺に向けて、残忍な言葉が告げられる。
「アインス、つまりユイは、アタシの父上と同じで魔族に捕まっている」
耳を疑った。
悪い夢でも見ているような気分になってしばらくアイラを凝視し続けていたが、嘘だと言ってくれるわけでもなく、現実だと思い至る。
瞬間、宙に浮いていた言葉が鉛のように重く背中にのしかかってきた。
その重みにやられて、力なくうなだれる。
「………………」
言葉が出なかった。
そんな想像はしていなかった。
「……待てよ」
想像していなかったというより、想像できなかったと言う方が正しいかもしれない。
顔を上げる。
妙な点がいくつかあるのだ。
「もし唯が囚われの身だとするなら、写真の中でこんなに元気そうなのはおかしいだろ。見た目からして最近撮影されたもののように感じるぞ」
アイラの思い違いであることに一縷の望みをかけて主張する。
しかし、アイラはいつもの自信ありげな表情を崩さない。
「よく気が付いたわね。でも、アインスが魔族に捕らえられたのはだいたい五ヵ月前よ。その直前にその写真が撮られたものだとしたら、何もおかしくないわ」
「……まあ、そうだな」
撮影したのが五ヵ月前、というのなら納得できる。
そこで、俺はもう一つ引っかかる点の言及に切り替えた。
「じゃあ、なんでこの間ファミレスで教えてくれなかったんだよ。アイラの目的は魔族を倒して父親を助けることだろ。それなら俺だって似たようなものじゃないか。魔族を倒すっていう目的が一致してるんなら話してくれたってよかっただろ」
「それは……もしもアンタが唯に会うことにしか興味がなくて、そのためには魔族を倒さなくちゃいけないって知ったら――あっけなく諦めちゃいそうだったからよ」
「えぇ?」
あまりにも予想からずれた返答だったので、間の抜けた声が漏れてしまった。
……やっぱり俺って露ほども信用されてないな。
「言っておくが、俺はそんな簡単に諦めたりしないぞ? だいたい、まだ会ったこともない魔族相手にビビるはずが……あるな」
思わず認めてしまった。
「ほら、やっぱり」
「ち、違うんだ。今のは言葉の綾ってやつな。俺が言いたかったのは、唯を救うためだったらどんな奴が相手でも死なない程度に頑張るつもりだってことなんだよ」
「……ホントかしら」
訝しげな視線が投げかけられる。
「ほんとのほんと!」
知っているバンドの曲名を口にして発言の信憑性を高めた。つもりだったけど逆に下がったように感じるのは何故だろう。小学生みたいとか言わないで。
「ふうん。ま、協力してくれるんならそれでいいわ。目的は違っても、やるべきことは同じだものね」
「ああ、そうだな」
頷き合った。今度は意思疎通がうまくいったみたいだ。
やるべきことは、魔族の討伐、か。
正直なところ、考えただけで恐ろしい。その状態を想像することは難しいが、ただ漠然と恐怖を覚える。
原因は、相手の正体が不明瞭であることだろう。未知への恐怖、とでもいうべきか。
昨晩そんなことを思ってアイラに魔族について尋ねてみたのだが、「とにかく強いのよ。身体が黒くて、目はもっと真っ黒よ」ぐらいのことしか教えてもらえなかった。なんでも異世界でさえ魔族の存在は謎に包まれている部分が多いんだとか。
まあ、それについてはこれから地道に調べていけばいいだろう。まだ異世界の存在を知ってから一日も経っていないのだから、焦ることはない。
それよりまず、足が痺れてきたから立とう。喋りにくいし。
「でも、なんだかおかしいわね」
見れば、アイラは視線を落として考え込むような仕草をしている。
「実はね、アタシがアインスを知ってる理由っていうのは、彼女がアタシの家に魔族討伐の志願兵としてやって来たからなのよ」
「……ん? アイラの家って志願兵を募ってたのか?」
前提らしき条件が初耳だった。
「そうよ。一回だけ、魔族の監獄に突っ込む気概のある兵士たちを、それはもう街中から集めたことがあるわ」
「なかなか権力あるな」
「でしょ? リインハート家は魔法の名家として名が知れてるの。アタシの魔法だって凡人からすればかなり質が高い方なのよ」
ふふん、と一気にご機嫌になるアイラ。ちょっともてはやしてやっただけですぐこれか。ほんと、他人に何かを自慢するときが一番生き生きしてるよな。
「まあそれは分かったが、その志願兵とやらの中になんで唯がいるんだよ。唯は争い事とか好きじゃないし、魔族の討伐なんて志願するわけないと思うぞ?」
「やっぱりそうよね。ユズハも同じようなことを言ってたんだけど、それがおかしいのよ」
うーん、と唸るアイラに合わせて俺も唸る。悩めるハーモニーが生まれた。
「それに、アタシの目には、彼女が好戦的に見えた気がするのよね……」
「あの唯が? 冗談だろ」
小学校の頃、自己紹介シートにあった将来の夢の欄に『せかいへいわ』って書いてたぐらい平和の申し子なんだぞ。食べ物に関すること以外は。
ちなみに俺の夢は『うるとらまん』だった。それでもって好きなものの欄には『げーむきゅうぶ』。すでに記憶にはないが、恐らく当時の俺は『三分間だけ働いて帰ったらゲーム』という生活スタイルを理想としていたのだろう。現実見ろって。
「冗談なんかじゃないわ。彼女を含めた志願兵はみんな、鍛錬を重ねて幾度となく魔族に立ち向かっていったの。戦闘狂ってほどではないけど、ホントに熱心だったわよ。まあ、それで魔族に捕まっちゃたんだけどね……」
「――何だと⁉」
聞き捨てならない、とばかりに俺は声を荒げた。
「捕まったって、連れ去られたってわけじゃなかったのか?」
「そうよ。志願兵の人たちは返り討ちに遭って捕まっちゃったの。最初は十人位いたんだけど、五ヵ月前にはだーれもいなくなっちゃったわ。奴隷解放作戦は失敗に終わったってわけ」
「マジかよ……」
「まあ、父上の場合は連れ去られちゃったんだけどね。魔族ってちょーちょー最悪だわ」
ため息がシンクロした。悩めるハーモニー再び。
しかし、唯が自ら進んで魔族に立ち向かうなんて、想像もつかない。琥太郎とかだったら何にでもひょいひょい飛び込んでいきそうだし、まだあり得るが、よりによってあの唯が? そんなの唯じゃない。
「…………」
もしかしたら本当に唯じゃないのかもしれない。
ワームホールを通過した際にショックで人格が変わってしまった、あるいは記憶を失って右も左も分からないうちに周りのヤツらに毒されてしまった、とか。
もちろんそれでも唯であることに変わりはない。
ただ、俺の知る千堂唯でないことは確かだ。
「これ以上悩んでても堂々巡りになりそうね。……うーー。ほら、アンタも準備しなさい」
「準備? おいっ、ちょっと待て」
大きく伸びをしてから階段の方へ行こうとする、小さな背中を呼び止める。
「なんの準備だ」
「決まってるでしょ。異世界に行く準備よ。アンタもなんかあるでしょ?」
言われて考えてみる。が、何も思い浮かばなかった。
武器や防具は異世界のギルドとやらでアイラにせがんで新調してもらう予定だし、他に必要なものは特にないはずだ。
というわけでリビングに残り手持無沙汰に準備が整うのを待っていると、やがて巨大なバックを背負ったツインテールさんが下りてきた。さっきより服装が豪華になっている。
紺色のとんがり帽子を頭にちょんと乗せて、同じく紺色のベストの下からは純白のフリルがのぞいている。オレンジ色のツインテールが届く腰辺りには、それとほぼ同色のスカート、その下にはこれまた紺のハイソックス。
まさに魔法使い、といった装いだった。
背中に担いだ修学旅行バックを除けば。
「……惜しい」
「え? 何のこと?」
「いや、こっちの話だ。準備は出来たみたいだな」
「ええ。ケイタもオーケー?」
「イエスイエス」
「イエスは一回」
「……イエス」
かくして、俺は人生で三度目の世界移動を行った。
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