第18話:女王の想い

 放課後、一人気高く教室に残って掃除を終わらせた俺は、部活動に励む声が飛び交う校内を後にした。校門をくぐると、解放感が一気に体を駆け巡る。

 結局アイラは出がけ以来見かけなかった。責任取るとか言ってたくせに。

 靴箱を確認したら先に帰っているようだったし、もしかしたら噂のことを気にして俺を避けていたのかもしれない。うむ、十分あり得る。

 まあ当然の反応だろう。もし本人が噂のことを何とも思っていなかったとしても、周りのヤツらまでそうだとは限らない。だとすれば、やはりほとぼりが冷めるまでおとなしくしているのが得策なのだ。

 ……学校ではアイラとしばらく顔を合わせない方がよさそうだな。

 そんなことを考えながら、俺は速足で氷月のもとに向かっていた。

 まだまだ日が傾く気配はないが、あんまり待たせても悪いし、急がなければ。

 氷月の待つ場所、それは俺が足しげく通っている公園だ。

 彼女が何故そんな場所を指定したのか、そして何故そんな場所を知っているのか、俺はなんとなく察しがついていた。

「にしても、ほんと田舎だな」

 徳明高校周辺は歩行者もいれば車通りもあるのだが、目的地の公園に近づくにつれて人けはどんどん無くなってくる。

 道路を歩いていても横切るのは自転車に乗ったお年寄りばかり。不思議なことに三分間に一人は確実にエンカウントする。田舎の七不思議に認定したい。

 そして辺りは見渡しが良すぎる田んぼや敷地面積が無駄に広い工場ばかり。こんなに土地があるなら是非テーマパークでも作ってほしいとしか思わない。

 そんな殺風景な空間を歩き続けること十数分。

 見慣れた、というより見飽きてしまった景色が俺の目の前に広がった。

「すまん、遅くなった」

「……大丈夫」

 そこは、四方を大規模な工場に囲まれた、だだっ広いという印象が強い公園だった。

 ベンチに腰掛けていた制服姿の氷月に声をかけてから、彼女と少し距離を空けてそこに座る。

「で、なにか話があるのカッ?」

 いきなり声が裏返った。別にデートみたいで緊張しているとかそういうわけではない。それに某音ゲーのドンじゃない方の真似をしてみたわけでもない。ただただ恥ずかしい。

「……あなたの幼馴染について、話したい」

 氷月は何もなかったかのように動じず、普段通りの平坦な口調で応じた。

 やはり幼馴染の話がしたかったようだ。

 となると彼女が何故こんな場所を指定したのかも見えてくる。

 実はこの公園、唯がこの世界から消えた時の公園なのだ。だからこそ、俺は気が晴れない時にここによく足を運んでいるのであって、氷月はこうしてここまで俺を呼んだのだろう。

 ここにいると、なんというか、落ち着くんだよな。ある意味で唯に最も近い場所だからかもしれない。氷月もそんな風に思っているのだろうか。

「唯について、何か知ってるみたいだな」

 氷月は機械のようにコクリと頷いた。その目は光を宿していない。

「……私にとって、唯は救世主だった」

「救世主?」

 聞き返すと、徐々に事情が明かされ始めた。

「……小学生の頃、私はいじめを受けていた。……毎日生きるのが苦しくて、笑うこともできなかった。……そんなとき、この公園で唯に出会った。……彼女はとても優しかった。……この公園で何度も一緒に遊んだ。……私は少しずつ笑うことができるようになった」

 俺は淡々と語られる話を固唾を呑んで聞いていた。

 氷の女王とも呼ばれる存在が過去にいじめを受けていたという事実は、意外なようで、案外そうでもないのかもしれない。こんな美貌を誇る容姿では目立つのも当然と言えるし、それが嫉妬の対象になってしまうのも仕方がないことなのだろう。

 問題は、その感情が、行為が、少女の笑顔を奪うに至るまでエスカレートしたことにある。

 氷月はなおも話を続ける。

「……でも、唯はある日突然この公園に来なくなった。……すると代わりにあなたが現れた」

 まっすぐなまなざしが俺に向けられた。

「……あなたが悲しそうな顔でここに来るようになった頃、世間は神隠しの一件で騒がしかった。……嫌な予感がしてニュースを見てみたら、被害者の一覧に千堂唯の名前があった。……私はまた笑うことができなくなった」

 あくまでも無表情で、ありとあらゆる感情を押し殺した声だった。

 こうして過去を語っている今も、本当は辛いに違いない。しかし、彼女はそれを表に出すことさえままならないのだ。泣きたくても泣けない。笑いたくても笑えない。それがどれほどもどかしいことか、表情のある自分には想像もつかなかった。

 氷月が再び話しだす気配がないことを悟り、今度はこちらから話しかける。

「つまり、氷月にとって唯は恩人であり、親友だったってところか?」

「……違う、救世主」

「まあ似たような」

「……救世主」

「わ、分かった。それで、この公園でよく遊んでいたわけだな」

 またコクリと頷く氷月。

 うーむ。確かに唯は普段女友達と遊ぶことが多かったが、その相手がこの氷月様だったとは、なんとも不思議な感じだ。唯から氷月の話は特に聞いていなかったんだが……。こういう時ばかりは世界が狭く感じてしまう。

「……でも、そんなこと今までどうして黙ってたんだ? 俺が唯と何らかのつながりがあることは、小学生の頃から気づいてたんだろ?」

「……それは、あなたの傷を抉ってしまうようで、怖かったから。……公園に来るあなたは、いつも私以上に悲しそうな顔をしていた。……今更だけど、跡をつけていたのは謝る」

「えっ、今謝られても……」

 折り目正しく頭を下げる氷月に対し、俺は頭をかくことしかできなかった。

 傷を抉る、ね。確かにそうかもしれない。唯の顔が頭に浮かぶと、心地よいノスタルジーを感じることもあるが、胸がチクリと痛むことがあるのも事実だ。

 しかしそれ以上に、唯の話を共有できる人間がそばにいてくれるのは喜ばしいことだった。この件に関しては誰に打ち明けるわけにもいかず、ずっと一人で抱え込んでいたからな。話すことで胸がすく時だってあるだろう。

 顔を上げた氷月は、虚空を見つめていた。

 彼女の目には、幼い頃の二人が遊ぶ様子でも浮かんでいるのだろうか。この公園は遊具がないから、きっと球技でもしていたのだろう。唯はバレーを習っていたから、トスラリーなんかをしていたのかもしれない。輪になって誰かがミスるまでトスを続けるだけのことが、意外と楽しかったりするんだよな。

「……そろそろ、本題に入る」

 氷月の声に空想を断ち切られ、我に返る。

「え? 今のが本題じゃなかったのか?」

 聞いてみたが、何も言わず、虚空を見つめたままスカートの裾を握る女王。その手にギュッと力がこもったのを見て、俺は自然と居住まいを整えた。

 決意を固めるように、少しの間を空けて、氷月が口を開く。

「……唯は、まだ生きている。……どこか、遠いところで」

 俺たちの間を一陣の風が吹き抜けた。氷月の藍色の髪がサラサラとなびく。

「どうしてそんなことが分かる?」

 意外にも心は落ち着いていた。

「……つい最近、この公園で教えてもらった」

「ここで?」

「……そう。……ニクラスさんという人が、これをくれた」

 氷月が差し出したのは一枚の写真だった。俺はニクラスという珍しい名前に引っ掛かりを覚えつつも、それを手に取る。手触りが普通の写真とは違い、少しざらついていた。

 そこには一人の少女が写っていた。

 年齢は恐らく俺と同じくらいで、髪は黒のロングヘア。肩の辺りで綺麗に切りそろえられていた。魔法少女を連想させるような紫のローブを全身にまとい、穏やかな笑みを浮かべている。体つきは、たおやかという表現が一番しっくりくるような感じだ。

「この人……」

 生唾を呑んだ。そっくりすぎる。服装のセンスは置いておくとして、顔つきも体つきも、すべての特徴が唯に酷似している。

 まるで、小学生の唯がそのまま成長したかのようだ。

「…………唯だ」

 しばらくの間写真の人物を食い入るように見つめ続け、出た結論はそれだった。世界にはその人にそっくりな人物が三人いるというが、そんなものは今関係ない。確信があった。

「その、ニクラスとかいう人は他に何か言ってなかったか?」

「……特に何も。……私が聞いたのは、まだ生きている、ということだけ」

「そうか」

 氷月と言葉を交わしつつも、俺は写真から目を離せなかった。

 成長した唯の柔和な微笑みに魅入らなかったといえば、それは嘘になる。写真の中の唯は、俺のイメージしていた姿よりもはるかに大人っぽかった。五年前よりずっと綺麗になっていた。

「この写真、借りてもいいか?」

「……構わない。……たくさんコピーしておいた」

 そう言う氷月のバックから出てきたのは、何十枚もの写真の束。

「こんなに要らないだろ……」

「……観賞用」

「えっ?」

 その冷厳なイメージからかけ離れた言葉が飛び出たことに驚き、氷月の方を見ると、彼女はなんと写真を見つめたまま頬を上気させていた。そのうえ表情を崩してうっとりと目を細めてもいる。普段は無表情で態度の冷たさから氷の女王とも謳われる彼女が、こんな表情もできただなんて……。

「あの、氷月?」

 恍惚としているところに恐る恐る声をかけてみたが、返事はなかった。

 すっかり自分の世界、というよりも二人きりの世界に入っていらっしゃるご様子。あー、なるほど。意外だが、まあそういうことなんだろう。色々と察する能力がないと世の中渡っていけないよな。うん。

「じゃあ、この写真はもらってくぞ。よ、よしっ、用は済んだみたいだし、そろそろお暇させてもらおう」

 俺は一刻も早くこの場を去りたい気分になったので、早口に別れを告げ、ベンチから腰を上げた。

 だがしかし。

「――彼女は生きている」

 不意に後方から男の声が聞こえ、ゾッとして体の力が抜けてしまった。今度はベンチにへたり込んでしまう。

「ごめんよ、驚かせたかな?」

 後ろを振り向くと、そこに立っていたのは面識のない青年だった。銀髪で、目が赤い。背はスラッとしていて高く、悪戯っぽい笑みを浮かべるその顔も整っていた。放っている雰囲気から年上だと予想される。

「……ニクラスさん」

 隣で氷月が一言つぶやいた。どうやら二人きりの世界からは脱出したようだ。

「そう、オレがニクラスさ。君たちを応援するよ。気合だファイトッ!」

 爽やかな笑顔で勢いよく右腕を振り上げるお兄さん。なんだか頭は悪そう。

 いきなり登場しておいて、何を応援するのかもよく分からないし。

「この写真を氷月にくれた人ですよね?」

「ああ、そうとも」

「その節はありがとうございます」

 一応頭を下げておいた。頭悪そうな人に対してならハキハキと喋れるのはなんでだろう。

「いいっていいって。それはオレがあげたかったからあげたんだ。千堂唯を失った悲しみを背負い続けている、君たちのためにね」

 俺と氷月を交互に見るニクラスは、情けをかけるような神妙な面持ちをしていた。

「千堂唯は今も生きているよ。こことは別の世界、つまり異世界でね。神隠しに遭ったその日からずっと」

 異世界、と聞いてピクリと身体が反応してしまった。理由は分からないが、どうやらこの人もその存在を知っているらしい。

 唯の写真を持っていたり、神隠しのことも知っているあたり、底が知れない。

「なんでそんなことが分かるんですか?」

 言ってから、自分の声がとげとげしくなっていることに気が付いた。無意識のうちに警戒心が言葉に現れてしまったようだ。

「知りたいかい?」

「はい」

「だよね。でもごめんよ。それは明かせないんだ」

 ニクラスは困ったように微笑を形作った。

「……どうして?」

「残念ながら、その質問にも答えられない」

 氷月の追及も、微笑に受け流されてしまう。

 根拠を一切説明されないとなると、どうもモヤッとしてしまう。まずこの男の話が事実かどうかさえも疑わしくなって……いや、写真という物的証拠があった。

 そもそも、色々と事情を知ってのことだから、わざわざ出まかせを言うとは考えづらそうだ。とりあえずは真実として受け止めておこう。

「じゃあ、写真はどうやって入手したんですか?」

「ごめんよ。そういった諸々のことは教えられないんだ」

 わずかな望みをかけて質問の角度を変えてみても、返ってきた答えは同じだった。

 漠然ともやもやしたものが胸にこみ上げる。

「そんな顔をしないでくれよ。事情があるんだ」

 俺の不満を見て取ったのか、ニクラスは一層穏やかな口調になった。

「こう見えても、オレはさ、君たちのことを応援してるんだよ」

「……さっきから応援って、何のことですか?」

「深く考える必要はないよ。とにかく君には期待してるんだ」

 いや、そんなこと言われても。

 戸惑う俺に対し、ニクラスは肩にポンと手を置いたかと思えば、

「頑張ってくれ、オレの分まで……」

 一方的に意味深な言葉を残して、スタスタと公園から出て行ってしまった。

 呆気にとられたままの俺と氷月がベンチに残される。

「なんだったんだろう」

 急に出てきたと思ったら、急に帰っていってしまった。随分と気まぐれな人だ。

 その後、俺は少しの間ニクラスの発言の真意に思考を巡らせ、それが一段落着いたところで氷月に別れを告げた。氷月はその間何も語らなかったが、きっと俺と同じようにあれこれ思索にふけっていたのだろう。

 でも、考えるだけじゃ何も始まらない。

 俺は氷月から受け取った唯の写真をバッグの横ポケットにしまい、帰り道を急いだ。

 アイラにこの写真を見せれば、きっと局面は進展するはず。

 逸る気持ちに合わせて、ド田舎の町を駆けだした。

 が、全身に痛みを感じてすぐに徒歩に戻った。

 ――筋肉痛って、もどかしい。

 これバンテリンの売り文句なんかにどうでしょう。

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