第三章

第16話:両手に花

 翌朝。目覚まし時計がまたも鳴らず、代わりに俺は鳥のさえずりに目を覚まされた。

「……寝落ちしたのか」

 寝ぼけ眼をこすりつつ、ベッドの下に落ちていた教本を拾い上げると、徐々に昨夜の記憶がよみがえってくる。

 しかし、だからと言ってそれにかまっている余裕もなく、俺はいつものように学校に行くための身支度を始めた。

 また一日が始まる。昨日の出来事がまるで夢のようだ……とはとても思えない。起床後すぐに教本を目にしてしまっただけでなく、まだ全身に筋肉痛のような痛みが残っているのだ。ただ、幸いにもいくらかマシにはなっているので、一日の学校生活に支障は出そうにない。

「……それにしても」

 朝から家が騒がしい。柚葉の声にアイラの声。二人ともすでに一階にいるようだ。

 柚葉が朝からテンション高いのはいつものことだから置いておくとして、どうしてアイラまでテンション高めなんだろう。これじゃあ二倍うるさい。

 一階に下りた俺は、声を頼りにこっそりと洗面台の方を窺ってみる。

 姿見の前で服装チェック中のアイラを発見。妹の女子力によりサイズにぴったり合った夏仕様のセーラー服を着て、さながら修学旅行の前日のようにそわそわしている。ちなみに、だからと言って例の巨大なバックを背負っているわけではない。恐らく妹が中学時代に使っていたと思われる手提げバックを肩に提げていた。

「ジロジロ見ないで、変態」

「すっ、すまん」

 気づかれたか。

 どうやらアイラは学校が楽しみでテンションが上がっているらしい。まだ登校二日目の彼女にしてみれば、通学そのものがきっと新鮮な体験なのだろう。

 しかし、俺はアイラが呑気に学校を楽しもうとしていることに違和感があった。さらに言えば、アイラが学校に行くということ自体に違和感があった。

 見慣れないからという理由で片付くような感覚ではない、確かな違和感。

 俺はその原因を探りながらも、色々と準備を済ませ、バックを片手に外へ出る。

「あっつ……」

 一面真っ青に染まった空が視界を占領し、蝉の声が耳朶を叩いた。部屋に差し込む日光の量から予想はついていたが、今日も暑い。連日の真夏日はまだまだ続くようだ。

「日本の夏って、ちょーちょー暑いのね……」

「やっぱアイラさんもそう思うよねー。ほんとにまだ七月なのかな……」

 背後から二人の影。

 玄関口に全員が出そろったことを確認すると、俺は確認を入れた。

「なあ……アイラは学校に行くんだよな?」

 途端に女子二人がきょとんとした表情になる。

「いまさら何言ってるのよ。この格好を見れば分かるじゃない」

 スカートの裾を引っ張って見せるアイラ。

「言い方を変える。本当に行っていいのか?」

 なおさらよく分からない、という風に首をかしげる二人。

 俺は突き止めた違和感の正体を語りだす。

「だって、アイラの父親はこうしている間にも魔族に重労働を強いられてるんだろ? きっと苦しんでるだろうし、学校よりもそっちのことを優先すべきなんじゃないか? レベル上げとか。もともとアイラが学校に来たのは俺に近づくためだったんだろうし、そもそもお前は異世界の人間なんだから、たいして学校に行く意味なんてないだろ」

 内容を整理しておいたおかげで言葉がすらすらと出てきた。立て板に水とはまさにこのこと。これがコミュ障の本気だぜ。

 少し間を空けて、確かにそうかも、と柚葉がこぼした。

「アイラさんのお父さんは、アイラさんにとってただの父親ってだけじゃなくて、自分を拾ってくれた命の恩人でもあるんだよね? 早く助けなきゃ!」

 事情を聞いていたらしい妹はせかすようにそう伝える。

 しかし、アイラは頷かなかった。

「焦っても意味はないわ」

 あっさりとそう言い切る。

「このままアタシとケイタで魔族に立ち向かおうとしたって、それは無理な話なのよ。だからパーティーに入ってくれる仲間を集める方が優先だと思うわ」

「もしかして、学校でその人物を探すってことか?」

「そういうこと。あっちの世界では二日かけても仲間になってくれる人は現れなかったんだから、こっちで探した方がきっと早いのよ」

 アイラの考えは筋が通っていた。急がば回れという言葉の通り、焦って準備を怠ってしまったら逆に目的の達成は遅れてしまうことが多い。一見すると近道のように見えても、実は遠回りだった、なんてことは日常生活においてよくあることだ。

 柚葉も得心がいったようで、今度は、それもそうかも、とつぶやいた。

「大体、転校生として徳明高校の生徒になった以上、学校には行くべきでしょ? それに、もとから日本の学校には興味もあったの。ほら、生徒たちからエネルギーを感じるっていうのかしら」

 エネルギーなんてないって。俺を見てみ?

「あとは……ほら、約束したじゃない」

 目配せをされたが、はて、何のことだろうか。全く思い出せない。

「もう忘れたのね。呆れた。アタシが責任取ってあげるって言ったでしょ?」

「……ああ、選択教室の時か」

 ワームホールに飛び込む寸前、午後の授業に参加できないことに気が付いて、そんなことを言っていたような。

「でも、どうやって責任なんか取るんだよ。反省文を二回通りでも書くつもりか?」

「……何にも考えてなかったわ」

 まあなんとかなるでしょアハハハ、と笑い飛ばして道路へ歩みだすアイラ。

 肝心なところを笑い飛ばすなよ。しかもそっち学校に行く道じゃないし。

「ねえお兄ちゃん、責任って何? もしかして……」

 妹よ、お願いだから俺に犯罪者を見るようなまなざしを向けないでおくれ。全然そういうのじゃないから。それに俺は責任取ってもらう側だから。

 弁明ののち、どこか遠いところへ行こうとしているアイラを引き留め、俺たちはごたごたしながらも学校に向けて出発したのであった。

 通りがかった人からすれば両手に花に見えるだろうが、とんでもない。片方妹だし、もう片方はこの世界の人間ですらないのだ。ぎゃーぎゃーうるさいし、両手にラフレシアである。

 あ、それ花か。

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