第15話:居候は異世界人
ようやく足の痛みが癒え、俺が広くも狭くもない我が家のリビングになだれ込んだ頃には、二人はすっかり打ち解け合っているようだった。二人とは、もちろん柚葉とアイラのことである。テーブルをはさんで対面し、談笑に興じていた。
思わず柚葉と俺の血が本当につながっているのか疑いたくなる。ああ神様、どうして兄妹間でコミュニケーション能力にこうも差があるのでしょうか。
「あ、お兄ちゃんお帰りー。外で何してたの?」
「……特に何も」
足つったから一人でふくらはぎを伸ばすストレッチやってました、とは言いにくい。
「嘘はよくないわよ。悲鳴みたいなのが聞こえたし、足でもつったんでしょ?」
「そう思ったなら助けに来いっ!」
思いっきりツッコむと、二人はおかしそうに肩をゆすった。こいつら、やっぱり組んでやがったんだな。
「まあいい。俺はもう疲れたから、一足先に風呂に入らせてもらうぞ」
投げやりにそれだけ言い残して、風呂場へ向かう。しかし、アイラに「ストップ」と一言命令され、再びリビングに体を向けざるを得なくなった。
「なんだ?」
「その前に、ちょっとだけ真面目な話がしたいの」
落ち着いたトーンで話すアイラ。
「……手短に頼む」
真面目な話ならしかたあるまい。耳を貸そう。
俺は自らの疲弊しきった身体に鞭を打ち、テーブルの近くに据え置かれているソファーに腰をかけると、楽な姿勢をとった。
咳ばらいを一つしてから、アイラが話し出す。
「まず、ユズハに色々と事情を説明したことを伝えておくわ」
「色々って、ええと、あっちの世界のことも含めてか?」
当然、といった様子でアイラが頷く。
「そうしないと話が伝わらないじゃない。ユズハは信頼出来そうだったから、別に話してもいいかなって思ったのよ」
二人とも、俺がいない間にどれだけ親しくなってるんだよ。酒でも酌み交わしたのか? 未成年だからないと思うけど。
俺は奢っても信頼されないっていうのに……。
「それともう一つ。お金が貯まるまでここにお邪魔させてもらうことになったから」
よろしく、とアイラが会釈する。一応最低限のマナーは守るらしい。コイツがしばらく我が家の居候になる流れは読めていたので、特に驚きはしなかった。
「じゃああれか、バイトでもするのか?」
我らが高校は許可さえ取ればバイトをしてもいい決まりだし、高校生で金を稼ぐ手段といったらそれくらいしかないだろう、と見込んでの質問だったが、アイラはかぶりを振った。
「違うわよ。ギルドに魔石を換金してもらうの」
「え、ギルドってそんなこともできるのか?」
確か、武器屋や防具屋はあると言っていたが。
「そうよ。冒険者たちは基本的にそうやってお金を稼いでいるの。魔物を倒すとレベルが上がるだけじゃなくて、うまくいけばお金稼ぎにもなるんだから、まさに一石二鳥ね」
うーむ、ほんとにネトゲを具現化したような世界だな。一度はそんな世界に行ってみたいと思ったこともあったが、こうも現実味を帯びてくると気後れしてしまう。
「ふむふむ」
ビデオデッキの側に座る柚葉はというと、一連の会話をしきりにうなずきながら、夢中で聞いているようだった。
「そう言えば、柚葉もギルドとかの話は聞いたのか?」
「全部話したわよ。どうやって説明したらいいか分からなかったから、ケイタに話したのと同じように説明したわ」
俺としては柚葉に話しかけたつもりだったのだが、答えたのはアイラだった。
まあそんなことはどうでもよくて。
「柚葉がよく信じたな。こんなインチキ臭い話」
私の運命は私が決める、とか言って占いすら信じないような今どき珍しい女子高生が、そんな話を簡単に信じるとは思えないのだが。
「いやー、私も最初は信じられなかったよ? でもさ、あんなの見せられちゃったら信じるしかないよ」
そう言って柚葉が示したのはリビングの隅、普段は何も置かれていないスペースだった。
しかし、今は置かれていた。やたらと大きなバックが。
修学旅行かよ、とツッコみたくなるこの感覚、間違いなくアイラのバックだ。
「なんかぽわぽわーんって音がしたかと思ったら、ぎゅぴーって穴が開いて、ずどんってそのバックが出てきたんだよ!」
柚葉が目にした出来事を必死に語ろうとしているが、効果音が適当すぎて伝わりにくいことこの上ない。ぽわぽわーんとか、かわいいなおい。
「要するに、ワームホールを目の当たりにして信じざるを得なくなった、と」
「そうそう」
それが言いたかったとばかりに頷く妹。これでも俺より勉強ができるわけだから、この世はまだまだ謎に満ちていると思う。
あのバックについては、ダンジョンの一角に隠しておいたものを寄留予定のここへ転移させたということだろう。ほんと便利だな。クロネコとかヤマトとかもう涙目。
「で、ほかに話はあるか?」
「うーん、大事な話は特にないわね」
「そうか、じゃあ俺は風呂に――」
立ち上がろうとしたところで、唐突に柚葉が手を上げた。
「はいはーい、質問があります。お兄ちゃん先生」
「……なんだ? 早く風呂に入りたいんだが」
あと、お兄ちゃんは先生じゃありません。
「えっと、なんでアイラさんは日本語話せるんですかー?」
「………………」
「異世界の人なんでしょ? だったら不思議じゃない?」
「………………」
俺にだって……分からないことぐらい……ある……。
当たり前のように溶け込んでいて、完全に盲点だった。灯台下暗し、とはこのことか。
そのことを鋭く指摘する妹は……さすがだな。やはりこの辺りが頭の良し悪しを決めているのだろうか。そう考えると無性に悲しくなる。
当然といえば当然だが、質問の答えは本人が一番よく知っていた。
「それはね、バイタシーというアビリティーのおかげよ」
言いながらアイラは自分のバックからごそごそと何かの本を取り出した。
「そして、これがバイタシーの教本」
辞書のように分厚く、そして歴史書のように古めかしい本が、俺に手渡される。
「教本……?」
ちんぷんかんぷんな俺の内心を察したのか、アイラが腕組みをして説明し始める。
「うーんと、まず、バイタシーっていうのは、どんな言語でもある程度話したり書いたり聞いたりできるようになるアビリティーなの。ここまでいいわね?」
「お、おう」
そんな汎用性の高そうなアビリティーが存在するのか。完全にほんやくこんにゃんたらの上位互換じゃないか。
きっと、習得すれば英語なんかもペラペラになるということだろう。欲しい。
「そして、それを習得するためのアイテムが、その教本」
アイラが顎で示すのは、俺の手元にある一冊の本。
「教本を読むことで習得できる、下級のアビリティーも存在するってことよ」
「ほう。つまり、これを読めばバイタシーとやらを習得できると?」
「いずれはね。でも、一年間読み続けても発現しなかった事例だってあるわ」
あまり期待しすぎないことね、と苦笑するアイラ。
「結局は運かよ」
英語の成績アップにつながるかも、とよこしまな考えを抱きかけたが、それなら真面目に勉強した方がよさそうだな。
「こんなものを俺がもらっちゃっていいのか? いかにも貴重そうだが」
「いいわよ。だって、今のままだとアンタはこっちの世界の人と会話できないのよ? 相手がバイタシーを習得してたら話は別だけど」
ああそうか。英語のことばかり考えていて、異世界の言語を意識していなかった。
いったん益体もない考えを捨て、脳みそをクリーンな状態にすると、俺はあることに気が付いた。
「なら、俺たちが戦った盗賊は全員バイタシーを習得したうえで日本語を使用していた、ということだな?」
「そうなるわね」
あっさりと頷くアイラ。
「意外だな。教養なさそうだったのに」
「盗賊がバイタシーを習得しているのは全然珍しいことじゃないわ。むしろそれが普通よ。情報収集はヤツらにとって何よりも重要なことだもの」
「ああ、言われてみればそうか――ん?」
怒気のこもった視線を受けているような気がして柚葉の方を向く。
「………………」
案の定我が妹は口を固く結んでこちらを睨んでいた。
俺、何か悪いことしたっけ?
「お兄ちゃん……!」
目線が合うと、立ち上がりバタバタと近づいてきた。怒りの表情はそのまま。
「なっ、なん――」
「盗賊と戦ったってどういうこと⁉」
両手をむんずと掴まれ、さらにカッと開かれた目で顔を覗き込まれる。
「い、いや、言葉そのままの意味だ。アイラと協力して、盗賊たちを倒したんだ」
「……お兄ちゃんは……」
柚葉は何かを言いかけて、言葉を詰まらせた。唇をかむそのしぐさは、言いたいことを我慢したように見える。柚葉にしては珍しい光景だった。
少しの間をおいて、言葉が紡がれる。
「異世界に行くのはいいけどさ、無茶だけはしないでよ?」
「う、うぃっす」
一時の迫力に怯みつつも返事をすると、手の拘束が解除され、安堵。
今度は妹の表情が急速に柔らかいものに変わる。
「じゃあ、お風呂一緒に入ろ?」
「なんでそうなる⁉」
「えー、いつも一緒に入ってるじゃん」
「どこの世界の話だよ」
そんなのはとっくの昔に卒業しただろうが。
「う、うそ、アンタたちって……」
見ると、でたらめを信じてしまったらしいアイラが全身をわなわなと震わせていた。
「違う違う。これは柚葉の――」
「まぎれもない事実なのだ!」
元気よく遮られた。なんだこの妹。あとその両手を交差させるかっこいいポーズは何?
柚葉がアイラの前でも俺と接する時のような言動をとるということは、あの短時間でよっぽど心を許したということだろうか。ここが自分の家だからとか、アイラはからかいがいがあるからとか、他にも理由はありそうだが、まあ素の自分を出せているのはいいことだと思う。扱いに困らないといえば真っ赤な嘘になるが。
「好きにしてくれ」
面倒になってきたので、手をひらひらさせてその場を離れた。
その後、妹を振り払った俺は、湯船につかって全身をもみほぐしながら、今しがたの会話の内容を思い返した。内容を頭で整理するのは造作もなかったが、柚葉が何を言いかけたのか、それだけ少しばかり気にかかった。
入れ代わり立ち代わりに全員が風呂に入り終わり、それぞれ夕食(俺とアイラは時間的に軽食)をとり終えると、自室に戻っていく。とはいってもアイラの部屋はないので、柚葉と相部屋で寝泊まりするとのことだった。
ちなみに、何故かダボダボだったアイラの制服は柚葉が縫ってサイズを調整してあげることになったそうだ。今も隣の部屋から二人の話し声が壁越しに伝わってくる。内容は聞き取れないが、縫物教室ごっこでもやってるんじゃないだろうか。……やってないか。
俺はというと、まだ日が暮れたばかりではあるが、ベッドに全身をうずめていた。体が悲鳴を上げているんだからしょうがない。
それにしても、今日は革命的な一日だった。
異世界の存在を知り、異世界の人間と交わり、さらにはそこで初めての戦闘も行った。
そして何より、唯が生きている可能性を見つけられた。それが最大の革命だ。
――アインス。アイラは唯に似通っているという人物をそう呼んだ。
その人が本当に唯だったとして、俺は彼女に再会することができるのだろうか。
再会を果たせたとして、俺はなんと声をかければいいのだろうか。
そんなことは分からない。だが、会いたいという気持ちは確かなものだった。
彼女に会えば、俺は変われるような気がするのだ。
「………………そうだ」
教本。
睡魔によって朦朧としだした意識の中で、その存在が浮かび上がってくる。
重い体を起こし、受け取ったものの自室の机上に置きっぱなしになっていたそれを手に取ると、ベッドに戻って再び寝転んだ。
バイタシー、とか言っていたな。あらゆる言語を扱えるようになるらしいが、教本の中身はどんな風になっているんだろうか。
姿勢を整え、早速ページをめくってみる。
「なんだこれ」
一ページ目には、わけのわからない記号がびっしりと羅列していた。
読もうにも読めず、さらにページをめくってみる。また記号ばかりだった。さらにめくる。また記号。めくる。記号。――延々とそれが続いているようだ。
……果たしてこれは読んでいると言えるのだろうか。
どちらかと言うと眺めているだけのような気がする。
嘆息まじりにそんな退屈極まりない作業を繰り返すうちに、意識はあっけなく闇に飲まれてしまった。
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