第二章
第10話:VS盗賊①
――そうか。
すべてを思い出した。
俺はワームホールを通って、異世界に来たんだ。
そして、この世界には――唯がいるかもしれないんだ。
逃げ続けていた足が、自然と止まった。
「はあっ、はあっ、……やっと、追いついたわ」
疲労困憊状態の少女が、苦しそうに肩で息をしている。
流れを汲むと、この少女はアイラってことだよな。オレンジ色の髪で、ツインテール。うん、この目立つ外見からして間違いないだろう。
アイラがなぜ徳明高校の制服を着ているのかも、今なら分かる。彼女は俺に接近するため、転校生という立場を利用したのだ。制服がなぜダボダボなのかは分からないが。
どうやら俺は、ワームホールを通過した際のショックで軽い記憶喪失を引き起こしていたらしい。
「そうと分かれば……」
これ以上逃げ回っても意味はないな。
いくら足を動かそうが、元の世界への帰路はアイラの手の中にしかないのだ。
そして、懇願して元の世界に帰してもらうわけにもいかない。
俺がここへ来た目的は唯との邂逅であり、その唯の情報(正確には唯に似ている人の情報)はアイラのみが握っている。したがって、彼女の機嫌を損ねるわけにはいかないのだ。下手をすると、一生元の世界に戻らせてもらえなくなるかもしれないし。それにキレると怖いし。
結論。俺はアイラの言いなりになるしかない。
「ようやく戦う気になったようね。……勇者のくせに臆病すぎるわ」
汗ばんだ額をぬぐいつつ、アイラはムッとした表情で俺を睨んだ。
マズいな。どうやらこのお嬢様は俺の逃亡劇に対して腹を立てているご様子。なんとかご機嫌を取らないと。
でも、どうする。「記憶失ってましたー」と言って、信じてもらえるだろうか。話がぶっ飛びすぎていて、逆撫でになる恐れもある。もしかしたら、中二臭いと笑われるかも……いや、アイラに限ってそれはないか。
「すまん、記憶が飛んでたんだ」
正直にそう告げると、アイラは素っ頓狂な声を上げ、やがて納得したような表情になった。
「ちょっと様子がおかしいとは思ってたけど、そういうことだったのね」
よかった、信じてもらえた……。
安堵する俺の横で、アイラはそれどころではないという風にツインテールをなびかせた。
「それはさておき、あの腐れ盗賊をどうにかしてもらえるかしら?」
俺は身体を反転させ、鬼のような形相でこちらへ駆けてくる盗賊を遠目に見た。
そうだ、俺はアイツから逃げ出したんだったな。
「アタシも魔法でサポートするから、さっ、行くのよ!」
「ぅおっ!?」
背中を強く押され、コケそうになりながらも前に出る。薄々感じていたことではあるが、アイラは女子のくせに力が強いな。
「ゼェ、ゼェ、ゼェ」
ようやく俺たちのもとにたどり着いた盗賊は、膝に手をつき、かなり苦しそうに呼吸を整えている。がたいがいいため、走るのも一苦労なのだろう。
「ゼェ、ゼェ、ゼェ、ゼェ、ゼェ」
……だ、大丈夫?
駅伝で区間を走り切った選手ばりにお疲れのようだ。
俺はブレイブリングのおかげで何ともないのだが、普段だったらこんな感じになると思う。持久走なんかで走り終わった後は、一時間ぐらいずっと疲れたままだし。
でもああいう時って、上位のやつらに限って即座に回復して談笑しだすから不思議だよな。あいつらは仙豆でも隠し持っているんだろうか。
「ゼェ、ゼェ……疲れたァ」
お疲れ様です。
「ちょっと勇者、なにボケっとしてるのよ! チャンスなんだから攻撃してっ!」
背後から叱咤の声が飛んできた。
「んなこと言ったって……」
俺は自らの右手に握られた短剣をまじまじと見つめた。
他人を剣で攻撃するなんて、そんな恐ろしいことが簡単に出来るはずもない。
確かに、相手がガルバリだった時は大してためらいもなく攻撃を仕掛けられたが、魔物と人間では全くわけが違うのだ。分かりやすく例えると、モ○ハンとグ○セフぐらい違う。
俺の葛藤を見とったのか、アイラは聞こえよがしにため息をついた。
「勇者なのに臆病風に吹かれるなんて……。仕方ないわね、アレを使おうかしら」
アレ……?
気になった俺は、首だけひねって後ろを振り向く。そこには、例の白い棒を高々と掲げるアイラの姿があった。
「お、おい。一体何を――」
「『エンカ・リッヂ』ッ!」
俺が言い終わるよりも早く、アイラは謎の言葉を口にした。
察するに、今のは魔法の詠唱だろう。さて、何が起こるんだ?
……………………
……………
……何も起こらないんだけど。
「なあ、よく分からんが、大事な時に失敗するなよ」
「失礼ね、失敗なんてしてないわよ」
アイラはそう言うが、俺は小首をかしげることしかできない。
失敗じゃないなら、何が変わったっていうんだ……?
「おい、坊主。そっちが来ねえんならこっちから行くぞぅ?」
いつの間にか完全復活していた盗賊が、重みのある野太い声で俺を威嚇した。
くそ、どうする。こっちから仕掛けるしかないのか?
「…………」
そうだ、それしかない。
「…………」
むしろ、仕掛けたい。
「……あれ?」
なんだこれ、急にやる気と勇気で身体中が満ち満ちてきたぞ。
「ふふっ、効果が出てきたみたいね」
「どういうことだ?」
「さっきのは対象者の気持ちを高ぶらせる魔法なの。あんまり使い道がなかったんだけど、臆病なアンタにはぴったりね」
ニヤニヤ顔のアイラの説明を聞き、若干イラついたが腑に落ちた。俺は一時的に鋼鉄のメンタルを得ているということだろう。
しかしまあ、精神に作用する魔法があるなんて恐ろしいな。
「時間切れだ。行くぞっ」
しまった。余計なことを考えている場合じゃなかった。
盗賊がスタートダッシュを切り、その巨体が加速を始めた。右手には、やや湾曲気味の刀身を持つサーベルが握られている。俺との距離はおおよそ十数メートルほど。すぐに詰められる距離だ。
「おーら、喰らえィ!」
至近距離まで詰め寄った盗賊は、大げさなモーションから垂直に刀身を振り下ろしてきた。
「……よっ」
俺はそれをあえてぎりぎりまで引きつけ、サイドステップで回避した。わずかでも隙を作り、反撃するためだ。メンタルと身体能力の双方が向上している今だからこそできる芸当である。
俺は自分自身の動きに感心しつつ、右手の短剣を振りかぶり――
「はあっ!」
隙だらけのでかい背中に向け、精一杯の力を込めて振るった。がしかし、
ガキイイィィン!
それは
体勢を崩された俺は、一旦バックステップで距離を取った。
くそ、何に弾かれたんだ……?
落ち着いてから盗賊の全身を見やると、その答えはすぐに見つかった。
なんと、ヤツはサーベルに加え、ショートソードを隠し持っていたのだ。
あんなものいつの間に……?
その疑問に対する答えもまた、あっけなく発見できた。
盗賊の腰元に、革製の小さな鞘がいくつも備え付けられていたのだ。そのうちのいくつかからはすでに刃物が抜き取られていた。
なるほどなるほど。ヤツの戦闘スタイルが見えてきたぞ。
憶測に過ぎないが、あの大男は片手にサーベル、もう片手にはショートソードを装備し、遠距離攻撃の必要に応じてショートソードを使い捨てで投擲するという独特なスタイルなのだろう。そうだとすれば、ヤツが出会いがしらに俺たちに刃物を投げつけてきたことにも説明がつく。
「がっはっは。坊主ぅ、なかなかやるなァ」
盗賊はサーベルをどっかりと肩に担ぎ、豪快に口を開いて笑った。命がけだというのに、まるで戦闘を楽しんでいるかのようだ。その笑みには余裕さえ窺える。
「いまさらだが、俺は坊主じゃない!」
なんとなく気になったので否定しておいた。
「そんなのどうでもいいじゃない……」
どこからともなく嘆声が聞こえたが、気にしない、気にしない。
命がけなのに余裕なのは俺も同じなのかもしれない。鋼鉄メンタルってすごい。
「さて、魔力もたまってきたし、次の魔法いくわよっ! 勇者はちょっと下がりなさい!」
指示に従い、俺は今一度盗賊との距離をとった。
「なーにをする気だァ?」
ダンジョンのフロアの真ん中に盗賊がぽつんと残される形になり、その当人は訝しげに首をかしげている。しかし俺を追ってくることはしない。俺たちがどんな手を打って出るのか様子を見るつもりなのだろうか。
「痺れなさいっ!『スタン・サークル』ッ!」
アイラの甲高い声が反響し――。
次の瞬間には、その声に共鳴したかのように、ダンジョンのフロアの中央――つまり盗賊の足元に煌々と輝く金色の円が出現した。
「なっ、なんだこれはァ?」
盗賊は自らの足元を見まわし、切迫した掠れ声を上げた。かと思えば、
「……ぐむぅ!」
今度はどこか遠くを見つめるような恰好のままピタッと静止してしまった。その表情はどこか苦しげだ。
まさかこれは……。
「相手の行動を」
「――抑止するタイプの魔法よ」
食い気味に言葉を紡がれた。
「とはいっても、効き目は数分程度なんだけどね」
自嘲気味に笑ってみせるアイラ。
いや、それにしてもこの魔法、超強力だと思うのは俺だけだろうか。だってこんなの、戦闘時に限って言えば、時を止めたのも同然じゃないか。
「ってか、もう俺たちの勝ちじゃないか?」
盗賊の頬がピクッと引きつった。
「そうね。奥の手としてずっと隠してきた魔法だっただけに、役に立ったみたいだわ」
盗賊の顔から脂汗がしたたり落ちた。
「よし、とどめを刺すとしよう」
盗賊が何かを訴えかけるかのように、口をもごもごさせた。
なになに……『おまえらはやくこい』だって? そうかそうか。よし、今行って息の根を止めてやる――って、ちょっと待て。おかしい。ここで敵に早く来てくれと頼む必要があるか? それもとどめを刺そうっていう時に。
そういうのは普通、味方に向けて……。
…………味方?
「おかしらああああああああああ!」
岩陰の背後から、青年が泣き叫ぶような金切り声を上げて飛び出してきた。
「あれは……」
「腐れ盗賊の味方かしら」
「おかしらああああああああああ!」
「「はっ⁉」」
同じような奴が同じように金切り声を上げてもう一人出てきた。
奴らは二人揃って、盗賊の方へ一目散に駆け寄っていく。
彼らが盗賊の仲間であることは歴然としていた。お頭と呼んでいたのもそうだが、盗賊とおそろいの青いバンダナを頭部に巻いているのが何よりもの証拠だろう。
「おかしらっ、大丈夫っすか!」
「おかしらっ、呼ばれるまで出てくるなって言っておいて、いつまでも呼んでくれないなんてひどいでやんす!」
「………………」
まだスタンなんちゃらの効果が持続しているため、盗賊の頭は子分たちに対応することができないようだ。遠くを見たまま石像のように動かない。
「おかしらが、変な魔法のせいで……!」
「うんともすんとも言わなくなっちゃったでやんす……!」
二人の怨嗟がこもりにこもった視線が、矢のごとく俺たちに突き刺さった。
「お、おい。さっきよりヤバい状況になってないか?」
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