第9話:異世界へ②
「ざーんねん、嘘じゃないの。もう信じるしかないわよ」
絶句する俺を前に、アイラは「ふふーん」と自慢げに鼻を鳴らした。今まで中二病と馬鹿にされていた分、見返してったような気分を味わっているのだろう。
その一方で俺は、強烈な既視感ならぬ既聴感(きちょうかん)に襲われていた。
ポワーンというあの音――
今日何度目かのフラッシュバックが発生し、疑念が確信へと変わっていく。
同じだ。あの時の音と。
頭がカーッと熱くなっていく。
「ふんふふーん。さて、行くわよ」
「……待て」
やけにご機嫌な様子のアイラを、手をつかんで引き留めた。
「な、なによ……えっ、ちょっ! ……っ!」
気が付けば、俺は彼女の胸ぐらをつかみ、宙に持ち上げていた。
「この先に、唯がいるのかっ!」
自分でも驚くほど、大きな声が出た。
「……ゆ、ユイ? 誰よ、それ」
「俺の幼馴染だ。……四年前にこの世から消えた」
「消えた?」
「そうだ、突然消えた」
「そう言われても……っ。ねえ、そろそろ離して」
アイラの顔が一瞬、苦しそうに歪み――
それを見て我に返った俺は、すぐさまアイラを解放した。
「す、すまん」
体温が急激に下がっていく。それに伴って、自らの行為が脳に認識されていく。
女子相手に、一体何をしてるんだ、俺。
「……もう、何よ。急に熱くなっちゃって」
アイラも俺の行動に戸惑いを隠せないようで、ぷいっとそっぽを向いてしまった。
「あの、その、すまん」
ああくそっ、全然この場に見合った謝罪の言葉が見つからない。
……言葉が出てこないのなら、行動で示すしかないな。
覚悟を決めた俺が床に膝を付けると、
「ちょ、ちょっと、そんなに怒ってないわよ」
アイラが慌てて妨げた。
「取り乱すことは誰にだってあるし……それに、アンタにとって、きっと大切な人だったんでしょ? その、ユイって人」
さっきから一向に目は合わせてくれないが、まるで俺を落ち着けるかのように、アイラは気の利いた言葉をかけてくれた。
もしかして、いや、もしかしなくとも、人徳者なんだな。アイラは。
「そうだな。唯は家族と同じくらい大切だったよ」
大切だった分、失ってしまった代償も大きかった。
「そう……」
アイラにも感傷的なムードが伝染し、一時的に場が重苦しくなる。
ややあって、その場を取りなすように、彼女から画期的な提案がなされた。
「もう、仕方ないわね。どうせ知らないと思うけど、特徴とかがあったら言ってみなさい。一応言っとくけど、かわいいとかは無しよ」
さすがにそんなこと言わないって……。
「うーむ……。おしとやかで、おひとよし。当時は黒髪で、セミロングだったな。身長は、およそ平均程度。こんなところだが……どうだ?」
パッと思いつく限りのことを並べてみた。もう少し考えればまだ出そうだったが、あんまり出しすぎても引かれそうだったのでとりあえずはやめておく。
「そうね……何とも言えないけど、その条件ならかなり絞れるわ。黒髪って、あっちでは珍しいもの」
「おおっ!」
思わぬところで幸運が舞い降りたぞ。
「一人に絞るまではいかないか?」
「どうかしら。一番近い人っていうなら、いないこともないわ」
顎に手を当てて、アイラは終始記憶を手繰り寄せている。
「アインスって人だけど……」
「あれ? 名前は唯じゃないのか?」
幼馴染の名前は、
「ユイなんて名前の人、あっちにはいないと思うわよ。でも、落ち込むことはないわ。もしかしたら、不自然でないように偽名を使っているだけかもしれないし」
「……確かに」
可能性は決してゼロではないということだ。
「で、どうなのよ。そろそろ向こうへ行く踏ん切りはついた?」
アイラが顎で示す先には、円形の非日常空間が広がっている。直径一メートルは下らないと思われるその巨大な穴は、濃い青緑色に染まっていた。
この先に、唯が待っているのかもしれない。そう思うと、今すぐにでもこの輪の中に飛び込んでしまいたくなる。
しかし、ここでやすやすとあちらへ行くようでは成長がない。
この感情は、幼い頃、俺が神隠しを望んでいた時の心境に近い。当時は家族や身の回りの心配をしていなかったからそんな風に望んでいただけで、今は違う。自分がいなくなったら困る人だって少なからず存在することを、今の俺は知っているのだ。柚葉なんか、俺がいなくなったらどうなってしまうか分かったものではない。ストレスのはけ口がなくなる的な意味で。
「すまんが、この世界に戻ってこれないなら、やはり行くのは……」
「ああ、そのことなら大丈夫よ。帰ろうと思えばいつでも帰ってこれるわ」
えっ……。
予想外の展開に、拍子抜けしてしまった。
「ふふっ、驚いた? アタシのワームホールをなめてもらっちゃ困るわ」
アイラ様は腰に手を当てて、ご機嫌顔でそうのたまった。
いや、そうじゃなくて、大事なことは先に言ってほしい。琥太郎と同レベルだぞ?「な、なによ。なんか文句あるわけ?」
冷たい視線を感じ取ったのか、アイラがとってつけたように虚勢を張った。が、相手をするのも面倒だったので、俺はそれを無視してワームホールに向き直った。
青緑色の何かが、無限に広がるように波打っている。
「……行くよ」
自分自身に言い聞かせるようにつぶやく。すると、
「よかった、抵抗されたらどうしようって思ってたのよ」
すぐ隣で、アイラがほっとした様子で胸をなでおろした。
「さ、そうと決まれば、あとは飛び込むだけよ!」
「ちょっと待った」
「なに?」
「午後の授業はどうするんだ?」
風向きが変わったように、気の抜けた沈黙が室内を覆った。
「……サボタージュ不可避よ」
どうやらアイラもそこまで考えが至らなかったらしい。
「ま、なんとかなるか」
突然姿を消したと騒がれるかもしれないが、その可能性は極めて低い。俺は影が極めて薄いし、唯一その事実に気が付きそうな琥太郎も、発言権が極めて少ないというかむしろないから大丈夫だろう。たぶん、恐らく、きっと……。
「……だめだ。やっぱりなんともならない」
実際そんなに都合よく事が運ぶわけがない。だが、いまさら引くに引けないというのが事実だ。
アイラの場合、転校初日に連絡もなしに早退ということになるが、本当に大丈夫なんだろうか……?
「ア、アタシが責任を持って対処してあげるから安心しなさい」
俺と同じ心配をしたらしいアイラの声は、珍しく震え気味だった。
まあ、明日の風はどこ吹く風、とでも思っておくとしよう。
「じゃ、アンタが先ね」
「……分かった」
俺は、意を決して。
眼前に佇む、非日常へとつながる大穴に身を投げた。
――そして、そこで記憶は途切れた。
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