第8話:異世界へ①
昼休みも残り数十分。意識の高い連中はすでに午後の授業の予習に取り掛かっている時間帯なのだが、そんな中で、俺は女子に手を引かれて廊下を歩いていた。前を歩くのは、言うまでもなく例の転校生だ。
細くて白い指が俺の手に絡まり、ひんやりとして心地よい。白魚のような指とは実に言いえて妙だ。あー、なんかサラサラしてる。
って、そんなことを考えてる場合じゃないんだった。
「なあ……どこへ向かう気だ?」
とりあえずもっともな疑問をぶつけてみた。
「それは、ちょっと待ちなさい。その前に、自己紹介を済ませておくわ」
二人分のペタペタという校内用スリッパの音が途切れ、少女が長めのツインテールを翻した。自然、手がほどかれる。断じて悲しくはない。
「アタシの名前はアイラ。アイラ・リインハートよ。様付けでもいいし、気軽にアイラと呼んでくれても構わないわ」
橙色の髪で、しかも碧眼ということから予想はついていたが、やはり外国人のような名前だった。様付けって……王族のご令嬢か何かか? どちらにせよそんな風に呼ぶ気は一切ないが。
「はいはい。じゃあアイラと呼ばせてもらうよ」
あれ、おかしい。俺はいっぱしのコミュ障のはずなのに、初対面の相手に対して言葉がすらすらと出てくる。しかも案外楽に呼び捨てに出来た。こんなの俺じゃない。どうした俺。
原因を探ってみたら、それはすぐに分かった。
俺は、このアイラという少女に対して腹を立てているのだ。なぜなら、琥太郎が気持ち悪い前置きをしてまで打ち明けようとしていた秘密を、聞きそびれてしまったから。それに、俺は基本的に目立つのが嫌いなのだ。あれだけ目立ってしまうと気分が悪くなる。
「アタシが名乗ったんだから、一応アンタも名乗りなさいよ」
「朝霧啓太。覚えてくれなくていい」
怒りというのは、いったん意識してしまうと増幅していくものだ。俺の口調は、意図せずして投げやりなものになっていた。
「なによ、ムスッとしちゃって。もしかして、急に連れ出したことを怒ってるの?」
「まあ……そうだな」
ぶっきらぼうな口ぶりで答えると、大げさなため息が返ってきた。
「そのことについては謝るけど、こっちだってちょーちょー大事な用があってアンタを引っ張り出したの。細かいことで怒んないでよ」
アイラは腰をかがめて、うつむき加減な俺の顔を覗き込んでくる。
……そのしぐさのせいで、ちらりと控えめな胸元が見えてしまった。
ほぼ反射的に顔をそらした俺は、同時にあることに気が付いた。
この女、制服のサイズが華奢な体躯に全く合っておらず、かなりダボついている。これは色々と危険な予感がするな。今のようなことがまた起こりかねないぞ。
俺も男だ。目下の出来事で怒りはあっという間に吹き飛んでしまったし、ここは忠告してしかるべきだろう。
「なに? ジロジロ見て」
「いや、制服のサイズ合ってないなと思って」
「そっ……そ、そーんなことはどうでもいいのよ! それより、アタシが来た目的を教えてあげるわ!」
ちょーちょー分かりやすくお茶を濁された。なぜか動揺しているみたいだが、まあ、俺の知ったことではない。露出狂とでも思っておこう。
アイラが再び歩を進めだしたので、仕方なく俺も後に続く。
「アタシはね、アンタを異世界に連れに来たの」
一瞬で足が止まった。
……何言ってんのコイツ?
「ちょ、ちょっと、何よその目は! 信じられないのは分かるけど、そんな目で見ないで!」
アイラが必死に訴えかけてくる。が、俺はすでに察してしまっていた。
こいつ、中二病だ。
「ね、ねえ、なんで急に黙るのよ? ってちょっと、まだ帰らないで!」
踵を返しさっさと教室に戻ろうとする俺を、アイラが手で制した。
「すまんが、中二病の中二ワールドに付き合っている暇はない」
「違うわよ、そんなのじゃないわ! なんなら第四選択教室まで来るだけでもいいから、お願いっ!」
アイラが必死の形相で力強く両手を握ってきた。
もちろん異世界がどうたらなぞ信じるわけではないが、ここまで強く頼まれると、さすがに拒絶するのは申し訳なくなってくるな。
「……分かった。ただ、用が済んだらすぐに帰るからな」
「ええ。いいわよ」
情に流された優しさあふれる俺は、歩き出したアイラの後に今度こそ続いた。
「で、なぜ第四選択教室なんだ?」
「決まってるでしょ、なるべく人目につかないためよ」
第四選択教室と言えば、準備室が立ち並ぶ北館四階に位置する、徳明高校の最辺境だ。確かに、あそこなら人目につくことはないだろう。だがしかし。
「なぜ人目を阻む必要がある?」
「だって、他人にワームホールを見られたら全国ニュースになっちゃうじゃない」
ああああああ、痛い痛い痛い。やめてくれ、せっかく顔立ちはいいのに台無しすぎてこっちの胸が苦しくなってくる。ワームホールって、あの入るとワープするやつだろ? うわ、痛っ。苦しっ。
確かに、中二病というのは思春期に多くの人が経験するものではあるんだろうが……俺といえど、ここまではひどくなかったぞ。せいぜい、両手を丸めて球を作り、そこに数時間力をこめ続けてかめはめ波とか出ないか試してみたぐらいだ。その結果、出たのは大量の手汗だけだったわけだが、今ではそれも含めてちょっぴり苦き良き思い出になっている。
「アンタにはこっちの世界で一働きしてもらう予定なんだから」
なおも階段をのぼりながら、アイラはさらなる中二ワールドを展開していく。
「一体何をさせる気だよ……」
「そうね。手短に言えば魔族の討伐よ」
「……魔族って?」
「魔族は、人類の敵、みたいな存在かしらね」
「へ、へー」
オリジナルっぽい設定を物憂げな眼で語ってくれるな。反応に困る。
「でも、それならなんで俺なんだ? 屈強そうな男なら他にいくらでもいるだろうに」
身近にも琥太郎とか……と思ったがアイツはダメだな。身体は丈夫だし運動神経もそこそこ良いが、それを無に帰すレベルで頭が悪いし。指示が理解できなくて足を引っ張ること請け合いだ。
「言っておくが、俺は運動全般苦手だからな」
「それは見れば分かるわ。歩き方とか、顔とか」
「…………」
歩き方はまだしも、顔って何にも関係なくない?
「アンタを異世界に連れていく理由はただ一つよ。それは……」
目的地に到着したところでアイラは立ち止まり、くるっとターンしてこちらに向き直った。
「アンタが、勇者だから」
「……は?」
「細かい説明は後っ! さて、着いたわよ」
困惑する俺をよそに、アイラは周りに人がいないことを確認してから「ここで合ってるわよね」とだけつぶやいてそそくさと中に入って行ってしまった。
「俺が勇者って……」
設定狂いすぎ、とぼやきつつ俺も足を踏み入れる。
「にしてもアイラ、お前、転校生のわりに教室の配置とかやけに詳しいな」
教室のプレートは字が薄くなっていて見にくいし、物置のような教室が続いていて初見なら迷いそうなものだが。
「ふふっ、下調べはバッチリなんだから」
「はぁ……」
気合十分すぎるだろ。コイツが俺の名前を知っていたのも、事前に調べてあったということだろうし。もっと有意義なことに気合入れろよ。
「げほげほっ。……この教室、なんだか薄汚いわね」
アイラの言葉につられて教室全体をざっと見まわすと、机や椅子の下など、至る所に塵やほこりが確認できた。この教室は授業で時たま使用されることがあるくらいで、普段生徒とはあまり縁がないわけだが、だからって掃除はサボるな。と、ここの掃除担当の人たちに物申したい。
アイラは教室の扉がきちんと閉じられていることを入念に確認してから、俺のもとに寄ってきた。
「さて、昼休みが終わらないうちにあっちに行かないとね」
彼女は恥ずかしげもなく中二ワードをこぼすと、唐突に両手を前に突き出し、頭を垂れてなにやら集中モードに入った。
「おいおい、何を……」
嘲ろうとしたが、二の句が継げなくなった。
目の前でにわかには信じがたい現象が起こりだしたのだ。
突き出された手の前方の空間が歪んだかと思えば、今度はみるみるうちに空間が縦断されていく。まるで3Dの映像を見せられているかのようだ。
ポワーン。
そしてついに、風変わりな音とともに、円形のいかにもといったワームホールが出現した。
「……………………嘘だろ」
今までの話はすべて事実だったというのか。
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