第6話:氷の女王

 二―Dは担任の先生の方針で、日直当番がくじで決められる。帰りのホームルーム中に担任がくじを引き、明日の日直二人が選定される決まりだ。

 俺は昨日アンラッキーなことに自分の出席番号を引かれてしまったので、今日は当番だ。朝から仕事があったのだが、すっかり忘れていた。

そしてさらにアンラッキーなことに、もう一人の日直は〝氷の女王〟こと、氷月葵ひつきあおいだった。彼女は、氷の女王というあだ名の通り、無表情で愛想がない女である。

 誰が話しかけてもくだらないことであればほとんど無視されるし、あんまりしつこいと凍てつく目線という一撃必殺技が待っている。凍てつく目線というのは、一日中冷凍庫に入っててもあんな冷たい目にはならないだろうと恐れられる技で、まともに喰らったやつはみんなしばらく彼女に近づけなくなるらしい。まさに「いちげきひっさつ!」というわけだ。

 そんな技の存在もあって氷月はクラス内で孤立しているのだが、人一倍垢抜けている彼女にとって、それは女王のような気高さを演出する一要素に過ぎない。

 氷月は相当な美人なのだ。もしミス・スクールなんてのがあれば、絶対一位になる。これは客観的に考えても間違いない。実際、一撃必殺技の存在を知っておきながら、それでもなお彼女とお近づきになりたい思っている男子どもは少なくない。他クラスではファンクラブ的なものが形成されているぐらいだ。

 ――とか長々と語ってみたけど、実はまだ一度も話したことがありません。コミュ障バンザイ!

「あの……すいません」

 当の女王様は、教室の隅の自席に座り、当番日誌を書いている最中だった。

 青みがかった長髪が窓の隙間から入り込んだそよ風になびいて、どことなく甘い香りが漂っている。氷月の態度はどこか凛としていて、かわいいというより美しいという言葉がしっくりくる。年相応の女性らしい体つき、きめの細かい肌、整った顔立ち。すべてがうまく調和していて、緻密な造形物のようだ。

「あのー?」

「………………」

 俺の声に気づいていないのか、それとも意図的なのか、氷月はピクリとも反応を示さない。表情は全く読めないが、当番として遅刻してきた俺に対して多少なりともお怒りなのだろうか。不意打ちの凍てつく視線を喰らいそうで怖いんだが。

 恐る恐る彼女の綴っている日誌をのぞき見ると、日直の欄にはすでに俺の名前も書かれていた。フルネームで名前を覚えられていたなんて、光栄すぎる。

「あ、あの」

 俺さっきから「あの」って言いすぎじゃね? と思いつつも声をかける。

「……何?」

 おっ、反応してくれた。

「うぉくれちゃって、どうもすんません」

 せっかく反応してくれたのに、色々ミスった。

「……気にしてない」

「や、やさいっすね」

 違う違う、やさしいっすね! 

 緊張して心にもない言葉が出てしまった。どうでもいいけど氷月は野菜にしたらたぶんピーマンだな。ヒィ、苦そう!

「………………」

 まずい、氷月のシャーペンの動きが止まってしまった。緊急事態だ。

 氷月は当番日誌から顔を上げ、無言のまま俺を見据えた。

 これはもしや。

(うわああああああっ、凍てつく目線だ! ……あれ?)

 俺は即座に身構えたが、彼女の視線は絶対零度に達しているわけではなかった。だからといって温もりを感じるというわけでもないが、無機質なその深青色の瞳の奥には、見る者を吸い込んでしまうような不思議な力が宿っていた。

 まあ、要するにバッチリ目が合ってしまった。なんだよこれ超恥ずかしいよ。

「……敬語、いらない」

「了解いたしました」

「………………」

「すまん」

 氷月の表情は全く変わらない。故に何を考えているのか見当もつかない。ただ、今のは間違いなくイラつかせてしまっただろう。会話初心者だからご容赦ください。

「……日直の仕事は、私がやっておく」

「え? いや、俺もやるよ」

「……やらなくていい。……あなたは、疲れてる。休んだ方がいい」

 氷月は淡々とそんなことを告げる。

(これは、俺に気を遣ってくれてるってことだよな?)

 表情一つ変えないのはやはり不気味だが、俺は氷月のことを勘違いしていたようだ。誰だよ、氷の女王とか言い出したヤツ。全然冷たくないじゃないか。

 気を遣われるような覚えはないが、好意は素直に受け取っておこう。

「ありがとう」

「……疲れてる理由も、知ってる」

 氷月は手元の日誌をパタンと閉じた。

「……私も同じだから」

「同じ? 何のことだ?」

 俺が困惑したような顔を見せると、氷月は返事をするでもなく、ゆっくりと立ち上がった。

「……今から少し突飛なことを言うけれど、驚かないでほしい」

 どこまでも深いブルーの瞳が、まっすぐに俺の目をとらえた。図らずも心拍数が上昇する。

「お、おう」

 再びそよ風が吹き込み、氷月の長い髪が揺れた。

「……あなたの……おさな、なじみは――」

 俺は見逃さなかった。

 ここまでずっと無表情を貫いていた氷月が、『幼馴染』という言葉を連ねるほんの一瞬だけ、苦しそうに顔をゆがめたのを。

「……ごめんなさい。……やっぱり、なんでもない」

 氷月は謝ると同時に、平素の無表情を取り戻した。

「……今のは、忘れてほしい」

「そ、そう言われても……」

 気になる。忘れろと言われればなおのこと気になってしまう。俺は幼馴染と言うワードにめっぽう弱いらしかった。

「……また今度、言うかもしれない」

 氷月は一方的にそう言い残し、席を離れようとする。反射的に俺の手が氷月を引き留めそうになったが、何とか抑え込んだ。ここで無理やり引き留めたところで、あまり意味はない。氷月の言葉通りなら、また話を聞くチャンスはあるのだ。

 氷月が教室から出て行ってしまうと、俺は彼女が言いかけた言葉を反芻し始めた。

(幼馴染……か)

 今日はアイツのことを思い返す機会が続いている。きっとただの偶然なんだろうが、こうも連続するとなると精神衛生上よろしくない。感傷に浸りっぱなしになってしまう。

 それにしても……氷月のあんな表情は、初めて見たな。

 俺の幼馴染と、何かつながりがあったのだろうか。

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