第2話:逃亡する勇者(?)②

「やったじゃない! あっさり倒したわね!」 

 俺の心境など知りもしない少女が、ありったけの笑顔で近寄ってくる。呑気なやつめ。

 でも、初めて見せた笑顔は、いい感じにえくぼができてて、なんか……意外とかわいいな。

「っておい、制服」

「あっ……」

 はだけ具合がだいぶ強まってるぞ。

 少女はほんの少しだけ顔を赤くしながら、慌てて制服の乱れを整えた。その後俺を一瞥して、一言。

「アンタ、変態ね」

「なんでそうなる⁉」

「自然の摂理よ」

 ……知ったばかりの言葉を使いたいだけだろ。

 そういえば、なんで少女は高校の制服を着ているのだろうか。

 彼女の着る制服だけがこの世界に馴染めないまま、行き場を見失っているような。そんな気がする。

 もちろん俺が着ている制服もこの世界には全く溶け込めていないのだが、それはある意味当然のことだ。俺はこの世界の人間ではないのだから。

 でも、少女は違う。

 初めのうちはここが異世界だなんて思ってもみなかったので、少女は俺と同じく徳明高校の生徒なのだと思い込んでいた。しかし、ここが異世界であると分かった今、少女がこの世界に詳しいことを考慮に入れると、彼女はきっとこの世界の人間なのだろう。

 それならなぜ俺の知る世界の、それも徳明高校の制服を着ているのだろうか。

 ふとそんな疑問が浮かび、口に出しかけたが。

 無性に恐ろしい答えが返ってくる予感がしたので、結局口をもごもごするだけにとどまった。俺、コミュ障ですから。

「でも、ガルバリを一撃で仕留めるなんて、アンタ意外と筋が良いのね」

 少女は制服を軽く手で押さえつつ、何事もなかったかのようにころっと話題を変えた。

「ん、ガルバリ? あぁ、ハイエナオオカミのことか」

 あんな見た目のくせして、オノマトペ調で妙にかわいらしい名前じゃないか。こう言ってはなんだが、いかにも雑魚敵っぽい。

「ハイエナオオカミ? 何それ?」

 少女の首が地軸ぐらい傾いた。

「あー、俺がガルバリってやつのことを脳内でそう呼んでたってだけ」

「えっ……ププッ……ネーミングセンスひどすぎ」

 あろうことか少女は腹を抱えて笑い出した。

 俺がネーミングセンス無いのは百も承知だっつーの。馬鹿にしてるお前こそひどすぎ。

「アハハハハハハ、ハハハハハッ、ハハ……クッ……ククッ……」

 ……笑いすぎ。

 にしても、やっぱりこの少女の笑顔は、常人のソレよりあどけない愛嬌を秘めている気がする。眺めているだけで周りに幸せなムードが伝播しそうだ。

 この笑顔がもし百円だったら、毎日買いに行ってやる。

――とでも言うと思ったか? ハンバーガー買った方が得に決まってるだろ。

「アタシの顔、なんかついてる?」

 上目遣いで尋ねられた。顔をガン見されて恥ずかしかったのか、頬が少し赤みを帯びている。ドキッとする女性らしい仕草だ。

 普段こういう経験のない俺の胸が高鳴る。なんかいいムードじゃないか?

 一旦、落ち着こう。

 深呼吸。

 脳内で空気に馴染む言葉を慎重に選出し、それを口腔まで丁寧に送り込む。

「ンブッ……ホ…ヴ……ゲホッゴホッ…グヘ……」

「…………」

 普通にしゃべろうとしただけなのにひどくせきこんでしまったんだが。

 緊張のせいなのか、はたまた百円があったらハンバーガーを買うだとか余計なことを考えたせいなのか。どちらにせよ、今度から買うならチキンクリスプにしよう。

「んんっ……すまん、もう大丈夫」

「それ、どっちの意味? 最初の質問の答えか、アンタの喉のことか」

 少女の顔に笑みはない。

「えーと、その……」

「それとも……アンタの頭のこと?」

 キッ、と。少女の目じりがつり上がった。

 怖い怖い怖い。

 なんだよこの女。今までとは打って変わって凄まじい威圧オーラを放っていやがる。ちょっとせきこんだだけなのに。いや、つば飛んだのは謝るけどさ。

 手に持ってる白い棒が、金棒に見えてきたぞ?

 世にも奇妙な幻覚に怯みながらも、声を絞り出す。

「ト、トリプルミーニングっす」

 空気が凍った。

 先ほどまでの少女の屈託のない笑みが、あっという間に引きつった笑みに大変化。俺天才。天才すぎて涙が出そう。

 ……やっぱり異世界でも俺はコミュ障のままか。そうかそうか。

 ステータスとかがあるならコミュニケーション能力に全振りしてやりたいぜ。まったく。

 少女は俺の目じりにたまった涙に気づくこともなく、ガルバリが討伐された辺りをじっと見つめていた。何かに目を凝らしているようだ。

「あっ、ドロップしてるじゃない」

「……ドロップ? ん、なんだこれ」

 平坦な土の赤銅色をバックにして、透き通るような瑠璃色の石が輝いていた。異世界にのみ存在するパターンの鉱石だろうか。

 いや待て、それよりドロップって。

 この世界では、魔物を倒した時に何かしらのアイテムが落ちるということか。さすが異世界。本当にゲームの世界みたいだ。

 ってか、この感じだと、未知の法則であふれかえっていそうだな、ここ。

 少女との間には精神的な距離を感じないでもないが、色々と聞いてみなければ。

「なあ」

「――危ないっ!」

 唐突に飛びつかれた。バランスが崩れ、必然的に押し倒された形になる。

 腰を強打したが、例のリングのおかげか大した痛みはなかった。

「危ないって、お前の行動の方が……」

 言いかけて、言葉を飲み込んだ。

 俺たちのすぐ横を、刃物らしきものが一直線に通過していったのだ。

 命の危険がすぐ近くまで迫っていたことを知り、身体が硬直する。

 次から次へと……どうなってるんだ。

「がっはっは。お嬢ちゃん、さすがだねェ」

 声のした方へ目を向けると、ガラの悪い盗賊風の男が腹を抱えて高笑いしていた。

 がたいがよく、かなりの大男だ。頭に真っ青なバンダナを巻いているのが印象的だった。

「……またアンタ? いい加減にしてくれる?」

 立ち上がった少女は、鋭い剣幕で男をにらみつけた。

『また』ってことは、これが初めてじゃないんだな。

「お嬢ちゃんを殺す気はさらさらねェ。おとなしくこっちに来てくれりゃあそれでいいん

だ。分かるなァ?」

え、ナイフみたいなの投げたじゃん。殺す気満々だったじゃん。

男の優しく説得するような口調からは必死さが伝わってくるが、その言葉には卑しさが滲んでいた。

「嫌よ、絶対に嫌。そうするくらいなら死んだ方がまだマシよ」

 少女は語気を強め、さらに毒を吐く。

「それと、アタシはアンタみたいな小汚いおっさんにお嬢ちゃんなんて呼ばれたくないわ」

 おいおい、小汚いおっさんって……もうちょっとオブラートに包んだ言い方ができないもんかね。

 俺は少々引いてしまったが、当の本人は全然気にしていないようだった。むしろ、まんざらでもないような顔してないか?

「……へェ、言ってくれるじゃねえか。ますます興味がわいてきたぞぉ。がっはっは!」

「きもっ」

 うん、超共感するわ。

「さぁ、勇者。あの変態をぶちのめしなさい!」

 おう、やってやれ!

 ……は?

 少女は怒涛の勢いで男の方を指さしたが、目は見るからに無気力な俺に向けられている。

 恐らく、今俺に向けられているこれは、キラキラ輝く眼差しってやつなんだろう。コイツ、ドSかよ。

 ……いまさらか。

「どういう理由でこんなことになってるのかは知らんが、俺を修羅場に巻き込まないでくれるか?」

「うるさいっ! 命の恩人に逆らうわけっ?」

 顔を真っ赤にして怒鳴られてしまった。なんて無慈悲なんだろう。

「はぁ、仕方ない」

 俺は重い腰を上げ、勢いよく地面を蹴って走り出した。

「よしよし、それでこそ勇者よ」

「逃げるか」

「へっ⁉ ちょ、ちょっと、どこ行くのよ⁉」

 どこへ行くのかって? 決まってるだろ。


 愛しのマイホームだよ!


 俺はこんな面倒なことに関わってやれるほど人間出来てないんだ。俺に頼んだのが運の尽きだったってことさ。

 大体、お前と出会ってなけりゃ、あんな危ない目になんて合わなかったんだ。命の恩人だと? 全く恩着せがましいやつだ。逃げられて当然と思え。

 ……ん、ちょっと待った。

ここ、異世界じゃん! 俺の家ないじゃん!

 盗賊男の一悶着で、俺はどうやらパニックに陥っていたらしい。

たまらず逃げ出してしまったが、ここに来る前の記憶が曖昧で、自宅はおろか元の世界に帰れるのかすら疑わしい。

「ちょっと、止まりなさい! そこの勇者っ! 止まらないと死刑に処すわよ!」

 しかし、だからと言って名も知らぬ少女の厄介事に関わるのはまっぴらごめんだ。そもそも俺は勇者じゃない。きっと人違いだろう。

 ならば、残った道は一つ。

「どうにかして思い出すしかない……」

 ここに至るルートさえ思い出すことが出来れば、元の世界に戻れて、万事解決のはずだ。行く道あれば、帰る道あり。すべての道は元の世界に通ず。まあ、そういうことだ。格言風に言ってみただけだけど。

 俺はな、もう決めたんだ。何が何でも帰宅してやるってな……!

 というわけで、俺は謎のリングにより強化された身体で少女から逃げつつ、ぽっかりと空いてしまった記憶の穴を埋めようと試みることにした。

 何のことはない。少女の期待を裏切ることにはなるが、それがどうした。

 意気地がないとか男が廃るとかそういう話じゃない。ただ、少女の事情にうっかり侵入してしまわないよう、おとなしく手を引いただけのことだ。

 知ってるか? こういうのを、対岸の火事って言うんだよ。

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