リインハートの勇者

白羽スギ

プロローグ

第1話:逃亡する勇者(?)①

 ダンジョンの地下一階。

 上下左右を土で囲まれていて光は届かないにも関わらず、うすぼんやりと明るい摩訶不思議な空間。多種多様な小型の魔物が現れると言われるそこで、少女は憂鬱な表情を浮かべていた。

「……はぁ」

 つい先ほど、少女がこの世界に連れてきた男が気絶してしまったのだ。原因は、少女にも分からない。

 いくつかのため息の後、少女は念のため男の情報を再確認しておこうと手を伸ばした。対象者の身体に触れることでステータスを把握出来るのだ。

(名前は、朝霧啓太あさぎりけいた。やっぱり、勇者……のはずなんだけど……)

 男は勇者らしからぬ形相で壁に寄りかかり、手をだらんと垂れている。

(だらしのない顔。せっかく連れてきたのに、ほんとにこんなのが勇者なのかしら。にやにやしてて気持ち悪いし)

 少女は心中で一通り毒づくと、ふと、こちらへ不規則な足音が近づいてきていることに気が付いた。

 魔物がこちらへ向かって来ている……?

「もうっ、そろそろ目を覚ましなさい! このポンコツ勇者っ!」

 少女が声を張り上げると、男はようやく目を開いた。


               ◇◆◇


 ……なんだか、眩しい。

 重い瞼が、徐々に開けてきた。

「……ん?」

 視界が定まると、目の前で見覚えのない女子が仁王立ちしているのが分かった。俺の通う徳明高校の制服を着て(サイズが合っていないのか、ややはだけている)、片手に用途不明の白い棒を手にしている。

(ん、何処だここ。洞窟? 鍾乳洞? もしや、チャンピオンロード?)

 地面についた手のひらから、かすかな温もりも感じられない土の感触が伝わってくる。

 眼前の少女は制服のリボンが緑色であることからして、俺と同じ二年生らしい。がしかし、見覚えのない顔だ。

 彼女は艶やかなオレンジ色の長髪を、左右二ヶ所で縛っていた。俗に言うツインテールってやつだ。碧眼であることも相まってエキゾチックな雰囲気を醸し出している。

 どうやら俺は、『目が覚めたらそこは洞窟で、目の前に同学年の見知らぬ美少女が突っ立っている』という、非日常的なシチュエーションに見舞われてしまったらしい。

 ため息をつく間もなく。

少女は俺と目が合うやいなや、焦った様子で話しかけてきた。

「やっと目を覚ましたわね、勇者。ここはダンジョンよ。さっそくで悪いけど、魔物を駆除してもらえる?」

「――は?」

 ちょっと待て。タイムタイム。

 ツッコミどころが多すぎる。まず、どうして俺が勇者?

 小学生の頃土足で教室に踏み入れた前科があるから、まあ、そうかもしれないが……なんだかそういう意味じゃなさそうな言い方だ。

 目をこすりながら、とりあえず立ち上がる。

(んん、なんか動きにくいな……)

 そう思って自分の服装をチェックすると、俺も少女と同じく徳明高校の制服を着ていると分かった。不幸中の幸いとも言うべきか、夏仕様の制服だったので冬仕様のものよりはマシだが、これじゃあ突っ張ってしまって動きにくいのも当然だろう。

 しかし、どうも動きにくい原因はそれだけではなさそうだった。

 身体を起こした時から、何かがまとわりついているような違和感があるのだ。なんだろうな、この感じ。

「ほら、武器は特別に貸してあげるから。ちゃっちゃとやっつけちゃいなさい」

 少女は俺の困惑をよそに、長さ五十センチメートル程度の短剣を差し出してきた。 いやいや、受け取るわけないじゃん。

「あの……まず俺勇者じゃないし、さっきまで確か……」

 あれ? 何してたっけ?

 記憶が曖昧でいまいち思い出せない。

 思い出そうとすると、その記憶を取り巻く周辺に靄がかかる。もどかしいな。

 今朝は遅刻ギリギリの時刻に家を出た、ってことぐらいは覚えているんだが……。

「もう、いまさら何言ってるの?」

 少女は「やれやれ」という感じに目を細めた。

 っておい、ちょっと待て。

「いまさら(・・・・)ってどういう意味だよ」

 湧き上がってきた疑問をぶつけると、少女は何故だか見るからにムッとした表情になった。

 ――が、それも束の間。

「あっ! こっち来るわっ」

「へっ?」

 猛々しい獣(魔物って言ってたっけ?)が狂ったようにこちらへ駆けていることを、いち早く少女が察知した。

 魔物とやらの大きさは大型犬とほぼ同程度で、見た目はハイエナと狼を足して二で割った感じだ。

「ほらっ、この剣で戦うのよ」

 少女が再び短剣を差し出してきた。

 事態が事態なので仕方なしに手に取って見てみると、家にある果物ナイフとよく似ているなあ、という感想が浮かんだ。サイズは多少こちらの方が大きいようだが、要するに安っぽい造形だった。

「よく分からんけど、倒せばいいんだろ」

 聞きたいことは山ほどあったが、どうやら悠長に質問をしている暇はなさそうだ。

 気持ちを切り替え、こちらへ駆けてくる魔物に意識を集中する。

(とりあえず、アイツを斬る……!)

 決意を固めると、短剣を握る手に力が篭った。同時に、じんわりと汗が滲み出す。近づいて来たら一発かましてやろうと、体勢を整えた。

 足音が徐々に大きくなっていく。洞窟の小さなフロアに、魔物の健脚が地面を蹴る音が響き渡る。その巨体を思わせぬしなやかな疾駆――

 ……マズい。

 ヤツは、想像以上に速かった。

 俺がその動きに見入っているうちに、ヤツはいつの間にか俺から数メートルの圏内に入っているではないか。

 そして、タンッと。

 軽やかに、強かに、飛びつかれた。

「ぅぐはっ」

 真正面からの頭突きだ。

 そう理解した時には、身体は宙を舞っていた。衝撃で吹っ飛んでしまったらしい。そのまま地面に叩きつけられ、背中に痛みが走る。

「ちょっと、何やられてるのよ」

 一連の残念な様子を見て、碧眼の少女はその目に哀れみの色を灯した。「ざっこ(嘲笑)」って感じの目だ。そんな目で見るなよ。傷つくから。

 だってしょうがないだろ。さっきから身体には妙な違和感があるし、そもそも俺は運動が苦手なんだよ。ドッジボールで女子からのパスを受けきれず骨折した人なんて、俺ぐらいしかいないんじゃないか? 

 ……言っておくが、ワンバウンドでも小指とかポッキリいくんだぞ。

 とにかく俺は昔から運動が苦手で、その上身体も他人より脆い。だから、今のように豪快なタックルを喰らえばどこかしら負傷、というか全身複雑骨折ぐらいしていそうなものだが、それほど痛みは感じなかった。

 というのも、何かの膜に護られたような、奇妙な感覚があったのだ。

「アタシのおかげよ」

「は?」

「身体、痛くなかったでしょ?」

「あぁ……まあ、思ったよりは」

「それ、アタシの加護魔法のおかげなのよ」

「……魔法?」

「ええ、そう。魔法よ。このスティックはれっきとした魔道具なの」

 少女は手に持っていた白い棒を片手でくるくると回して見せた。ドヤ顔で。

 魔法? 魔道具? ここはゲームの世界かよ。

 少女の言葉が全く理解できず、思わず眉根にしわが寄る。

「なーんにも分かってないみたいね……」

 少女はわざとらしくため息をつくと、ポーチから何やらリングのようなものを取り出し、「はいっ、これ。ちょっと着けてみなさい」

 とてとてと近づいてきて、俺の腕にそれをはめた。

 腕が細いわりに握力が強くてビビったが、それは黙っておこう。保身のために。

「これは?」

 前腕にガッチリとはまったリングは、薄闇の中でも鮮明に銀色の輝きを放っていた。明らかにタダモノではない雰囲気が漂っている。

「それは『ブレイブリング』っていう魔道具よ。あ、また攻めてくるわっ」

 少女の視線を辿ると、姿勢を立て直したハイエナオオカミ(仮)が先ほどよりも勢いを増してこちらに突進して来ていた。まさに猪突猛進と言ったところか。

「畜生っ! またかよっ……」

「大丈夫、避けられるわ!」

 何を言ってる、さっき無理だっただろ、と返してやりたかったがすでにそんな余裕はない。

 俺の反射神経なんかじゃ避けられるわけが……


 ザサッ


 ――避けられた。実にあっさり。

「グルルッ……」

 急停止して砂塵を撒き散らしたハイエナオオカミが、心なしか悔しそうに唸っている。

「ほらね、言ったでしょ」

 少女が得意げに呟いた。

 避けられたのは嬉しいけど、少女の言う通りになったのはなんだか悔しい。

「なんで俺が反射神経抜群の脳筋に成り下がってるんだ?」

「一時的に身体能力が上昇しただけで、脳筋にはなってないから安心しなさい。アンタの身体は、ブレイブリングによって強化されてるのよ」

 少女はあくまで冷静だ。しかし言っていることの意味は分からない。

「安心出来るわけないだろ。このリング、ヤバい物質でも染み込ませてるのか? ドーピング的な感じなのか?」

「……さあ、早く片付けちゃって。今のアンタなら、あんな雑魚イチコロよ」

 華麗にスルーされた。悲しい。

 でもまあ、確かに今の俺ならやれる気がする。いや、必ずやってやる。これが何かの試練だとするなら、乗り越えなければならないだろう。俺にだって、一応帰るべき場所くらいはあるんだ。

 何が何でも愛しのマイホームに帰宅してやる!

「うおおおおおおおおおお!」

 標的に向かって全速力で駆ける。さっきまで動かしにくかった身体が、嘘みたいに軽くなっていた。今なら掛け値なしに百メートル走で軽く九秒台を叩き出せそうだ。

「グルゥ……」

 どうやらハイエナオオカミはこっちのスピードに驚いたようで、足元がよろついている。これを好機と呼ばずして、何が好機と呼べようか!

「お前の命、この俺が頂戴したあああぁぁ!」

 完全に調子づいている俺は、どこかで聞いたことがあるようなセリフを叫びながら、勢いよく短剣を振るった。

「グァッ」

 決まった。

 力はほとんど必要なかった。短剣の切れ味はそれなりに良いようで、一度刺さると肉の合間をするすると滑った。そのまましっぽまで斬りつけ、振り抜いた。

 たちまち、抉れたハイエナオオカミの背部から大量の血飛沫が飛ぶ。おかげで血のシャワーを全身でもろに浴びてしまった。

 制服が汚された……。

 小さな代償を負うことにはなったが、どうやら致命傷を負わせることに成功したらしい。ハイエナオオカミは左右にふらつき、その目に宿っていた光がみるみるうちに薄くなっていく。

 ややもすると、ヤツは呻き声をあげてゆっくりとその場に崩れ落ちた。

 ――ところまでは良かったのだが、

「…………えっ」

 その後、信じられないことに、ハイエナオオカミは傷口から流れる鮮血もろともその場から『消えた』。

 決して誇張しているわけではない。倒れたヤツの身体から煌々とした粒子が次々と飛び出し、それに伴って本体は透明に近づいていき――遂には綺麗さっぱりなくなってしまったのだ。気づけば、返り血を浴びたはずの俺の制服もすっかり綺麗になっていた。

(どうなってるんだこれ。ミイラもびっくりってか)

 思わず目が丸くなる。

 とっさに少女の様子を窺ったが、特に驚くような素振りは見受けられなかった。それどころか魔物が消えて喜んでいる。

 ちょっと待てよ……。

 ここに至るまでの経緯に思考を巡らせる。

 俺は目覚めると同時に『勇者』と呼ばれて、俺をそう呼んだ当人である少女は、やれ魔法だのやれ魔道具だのとほざきだしたんだったな。うむ。ここまでなら、ただ中二病の少女に付き合わされているだけ、と解釈しても無理はないと言える。

 しかし。しかしだ。

 少女から受け取ったリングを装着した途端に俺の身体能力は飛躍的に上昇し、しかも倒した動物(少女曰く魔物)は死体ごと跡形もなく消え去ってしまった……となると?

 もう、安易に浮かんでくる可能性は一つしかない。

 ここが、俺の知る世界とは全く別の世界、つまり『異世界』であるという可能性だ。

 身体に何かまとわりついているように感じるのも、元の世界との空気の違いによるものだと考えれば、一応は筋が通る。

 もしかしたら夢オチって可能性も……と思ったが、それはないな。それにしては五感がはっきりしすぎている。頬を引っ張ってみるまでもない。

 まさか、ドッキリ?……いや、それもないな。俺はこんな豪勢なドッキリを仕掛けられるような存在じゃないし、そろそろ出てきてもいいはずの『ドッキリ大成功』の看板も見当たらない。

 見当たらない……よな?

 気になって辺りを見回してみたが、やはり怪しい動きは感じられなかった。

 くそっ、面倒なことになってきたぞ。

 俺は異世界になんて行きたくない。確かに本や漫画のテーマにはもってこいかもしれないが、実際に行くとなると面倒なだけだ。家族にも迷惑をかけることになるし、いいことなどただの一つもない。

 異世界で奮闘するなら、俺よりも適役がいくらでもいるだろ。

 なんで俺なんだよ。

「はぁ……」

 一人嘆いていると、少女の明るい声が聞こえた。

「やったじゃない!」

 よくねーよ。

 内心で毒づく俺であった。

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