第二話 経緯

「ほんと、まじでっ…ごほっ…最悪っ…!」


 荒れた呼吸の中呟いた言葉は、夜の闇へと吸い込まれる。別に誰かの返事を期待しているわけじゃない。あまりにも最悪が重なりすぎて八つ当たりのように、独り言でも言わなければやっていられないだけだ。今にも絶えそうな呼吸を何度も繰り返した。

 何なんだ、あのコスプレ集団。人が必死こいて逃げてるって言うのに、ふざけてるのか。なんだよ、あの羽と着物…見た感じカラス天狗みたいだったけど。怖くて目をつぶってたら、絶叫が聞こえて。で、目を開けたらコスプレ集団。こんな田舎の深夜に、撮影かなんか?コスプレイヤーとかいう人達だったのかもしれない。でもこんなバスもないようなド田舎選ぶとか意味わかんないし、なんであんなタイミングで目の前に出てくるの。あぁもう、足も痛いし、最悪っ!

 そんなふうに思考をぐるぐると回しながら、呼吸を整えようと必死に肺を膨らましては縮ませた。乾いた喉が引っかかり咳き込んでしまう。じんわりと血の味が喉から口の中へと広がった。

 喉まで痛い。あぁ、本当に最悪だ。私が何をしたっていうんだ。教えて、神様。いや、神様なんていないな。いるとしたらそんなやつ邪神だ、邪神。こんな仕打ち酷すぎるじゃん。

 両親が海外行って、そのせいで親戚の家にお世話になることになって、転校になって、駅についたらバスが廃止になってて、クソほど長い道のり歩いて、タチの悪い悪霊に見つかって追いかけ回されて、そのせいで転ぶし、極めつけには黒い羽を生やしたコスプレ集団と鉢合わせになるとかぁ!

 随分と近づいた家の明かりが、涙で歪む。ぐっと我慢して、声を絞り出す。


「本当に…何したってんのよぉ…」


 全ての始まりはたぶん、1ヶ月前。



 *******************



 その日は空がよく晴れてて、朝、空を見た時なんかいいことありそうだなぁと根拠もなく思うくらい、清々しかったことをよく、覚えている。

 いつも通り部屋から出て、階段を降りる。降りた先には、リビング。おはようと寝ぼけた声で言えば、お母さんの返事が帰ってきた。

 いつも通りの朝。目の前にはお母さんの作った料理が並んだ机。相変わらず目玉焼きの目玉が大きく破けていて、トーストは焦げかけ。でもサラダだけは無駄に凝っていて、トマトが薔薇の形に整えられている。その隣には手作りのフレンチドレッシングが並べてあった。これもいつも通り。

 お父さんは椅子に座って、既にご飯を食べている。これは、ちょっと珍しい光景。いつもは出張やら何やらで同じ県にいることすらほぼ無いような人だ。でもまぁ、そんな事でいちいち感激するほどの純粋さは、どこかに置いてきてしまったので、特に反応もせず自分の席へつく。お父さんがいてもいなくても私の朝は大きくは変わらない。

 お父さんは新聞を興味津々といったように見ていて、恐らく私の挨拶は聞こえてないのだろう。朝食を食べ始めてはいるものの、トーストに伸びた手は空中で止まっていて掴む様子はない。ちなみに、ちゃんと私の挨拶を聞いていてくれたお母さんは、今台所でコーヒーを入れている。凄く、いい香り。ちなみにコーヒーを入れるのは上手なので、悪しからず。

 テレビからはニュースが流れていて、小中高生の学力が低下してるとかなんとか言ってた。平和なものだ。

 私はいただきますと言ってそのトーストに齧り付く。うーん…若干炭の味。ジャムを塗って誤魔化そう。これもいつも通り。

 お父さんは何やら感嘆の声を漏らし、新聞をたたみ始めた。と、同時におはようと挨拶をしてくる。ほら、やっぱり聞こえてない。トーストで口の中をもごもごとさせながら挨拶に答えると、お父さんからのお小言が飛んできた。こら、食べながら喋らない。それを言うなら食事中に新聞を読まないでよ。まったく、説得力のない。

 小言を聞き流しながらジャムを追加でトーストに乗せる。このイチゴジャムは私のお気に入りだ。おいしくてついかけすぎてしまうので、注意が必要。女の子だからね。

 お父さんは食べかけの食事を再開した。そしてしばらくしてから、はっと思い出したように、短い声を上げた。そんな父親に特に関心もなく娘はニュースを眺める。あ、この人優勝したんだ。へー、おめでとうございます。

 お父さんが、トーストをモグモグと食べながら言った。


「そうだ、結依。パパ、海外に長期出張になったから」


「へー…」


 さっき娘に注意した事すら、出来てないじゃんか。まったくこの父親は。テレビから目を離さず、とりあえずの返事をする。しかし…そうか、海外かぁ。日本の北の末端から南の末端まで飛んでいったことはあったけど、海外は初めてじゃなかったっけ。お父さん1人で海外…大丈夫か…?スリとか合いそう。まぁ、でも環境に適応することだけは一流だから、大丈夫だろう。


「ママも出張についてくことになったんだぁ」


「…は?」


 その言葉に思わず間の抜けた返答をしてしまう。テレビに向いていた顔をお父さんの方にに向ける。お父さんはいつの間にか運ばれていたコーヒーを美味しそうに飲んでいた。

 …待て待て待て。この流れは不味い。非常に不味い。これ、私も海外ついてくとかそういうこと言わないよね?私が英語壊滅的だってお父さん知ってるよね?日常会話と言われるものですら発音出来ない私の英語は万年赤点。長文どころか5W1Hすらよく分かっていない。自信を持って言える。私は、英語が、出来ないと。お願いだから、それだけは止めてくれ。

 口を開く父を死刑宣告を待つ心地で、見つめた。


「だから、お前を親戚の羽間はざまさんに預かって貰うことにしたから」


「…え、」


 はざま、ハザマ…羽間さん。うん、知ってる。名前だけだけど。確かお父さんの従兄弟の人。本当に名前だけで顔もどんな人かも知らないけど。預かって貰う?確か羽間さんって今は麻野に住んでるんじゃ、なかったっけ。おばあちゃんがまだ生きてた時、家族で住んでた場所。今はもう無いけど、お父さんの実家があった所だ。すごーく田舎で駅まで歩くとなると、凄い田舎道を1時間ほど歩かないと行けないらしい。私は小さい頃に一時期住んでたくらいで覚えてないのだけど。羽間さんは、私たちと入れ替わるように向こうに引っ越したって、いつだったかお父さんから聞いたことがある。

 ってことは、もしかして…


「転校…?」


「うん、来月にな」


 私が作った会話の大きな間の間に、お母さんは私の前にコーヒーを起き、自身も席へとついていた。そして、両親二人して呑気にコーヒーを飲み始める。私はそれをぽかんと見つめていた。

 転校…人生で2度目の体験だ。一回目は小学校1年の終わりごろ。祖母が亡くなったのを期に、麻野からここに引っ越してきたのだ。今度は逆にこっちから麻野へ引っ越す訳で。でも家族で、じゃなくて、私ひとりでで。親戚の羽間さんのお宅にお世話になる、顔も知らない人の家で暮らすってことで…。


「ねぇ、お父さん…」


「んー?」


 トーストを片手に、間の抜けたお気楽な調子の声で返事をするお父さん。私はそれを見て、お腹から湧き上がるような感情を飲み込んだ。出来るだけ落ち着いた調子で、言葉を続けた。


「私、高校一年生なの」


「そうだな、よく知ってるぞぉ。制服がすっごく似合ってるな」


 いつも通りお父さんの、どこか的外れた返答。感情に任せてここで声を荒らげてはいけない。お父さんのそんな返答を流すスキルは、今まで家族としてやっていくためにしっかりと身につけてきた。


「うん、ありがとう。でさ、入学式からどれ位たったと思う?」


「………明日で丁度、1ヶ月だな!」


 お父さんはトーストを皿に置き、指を何度か折ってから、答えた。私の手が震える。ジャムと炭の味を微かに感じる。甘さが絡まって、舌がうまく回らない。


「そう、そうなの。…で、本当に転校?」


「大丈夫!向こうの制服も可愛いぞ!」


 口にジャムを付けた父親がにっこりと笑う。…そういう事じゃねぇ。私は何のために、高校受験したの?受験のために苦手な英語をどれだけ勉強したと思ってるんだ。受かったのだって奇跡みたいなものなのに。この父親は、こんな顔で悪びれもなく、なんてことを。

 思わず頭を抱える。うつ向けば見えるのは制服。ここら辺でも特に可愛いと評判のブレザー。シンプルなデザインの上着に白いシャツ、赤いリボンが可愛らしい。丁寧に扱ってきたからまだ新品同様の制服。まだ1ヶ月しか着ていない制服。私の、制服。


「転校手続きもほぼ終わってるから、結依は心配しなくていいぞー。引越しも楽チンパックを頼んでおいたから、気にしなくていい!」


「結依は向こうに行くのに必要なものだけ持って電車に乗ればいいだけだから、すごーく簡単よー」


 相変わらず的外れた返答と、のほほんと続くお母さんの言葉に、押さえ込んだ感情が爆発した。


「そういう問題じゃなあああああああああああああああい!!!!!!!!」


 私の叫びは窓から青空へと突き抜け、戻ってくることはなかった。



 *



 流れに流され、私は今、電車に揺られている。

 電車に乗り込む頃には、仕方ないとはいえ理不尽極まりないこの状況に、だいぶ諦めがついた。覚悟もそれなりに出来ていて、高校生活の再スタートに燃えていた。

 もう、なるようにしかならないんだ。頑張って友達をつくって、勉強して、転校して良かったと思えるぐらい、高校生活を謳歌してやる。復讐に駆られるような、そんな荒れた心持ちで電車に乗っていた。

 乗ったことはおそらくない路線に乗り換え、終点まで向かう。朝から電車に乗っているというのに、窓からの景色はもう日暮れ間近だ。赤くなりかけの太陽が眩しく、じんわりと暑い。古びた電車が吐き出す冷気は、陽の光を受けると物足りなく感じた。金具が馬鹿になり引っ掛けられないカーテンを睨めば、山や畑の華やかな色彩が見えた。緑色ばかりが窓に流れてくる。普段見慣れた住宅街が懐かしくなってきてしまうほどに、その緑は鮮やかだった。

 麻野はこんな辺境の地だったのかぁ。改めて目の当たりにする現実。恐らく今まで身近にあったお店も施設も麻野には無いのだろう。中学時代に思い描いていた花の高校生活が到底叶いそうもない。帰りにオシャレなカフェに寄るとか、友達とデパートとかでお買い物したりとか…したかったなぁ…。

 そっと目をそらすように、瞼を閉じる。私は、古びた電車に揺られながら、幼少期に思いを馳せ始めた。

 あの頃、私は何をして遊んでいたんだろう。山を駆け回っていた記憶は微かにある。母の話によれば、山の中にお気に入りの場所がいくつもあったらしい。母が場所に関して聞くと、私は内緒だと言って教えなかったらしく、一体どこだったのか、今はもう誰にもわからない。

 山かぁ…、私ってけっこう野生児だったのかも。地元の子とも遊んでいたらしいが、ダメだ。記憶に無さすぎる。…あぁ、でも、凄く大きなお屋敷みたいな所に住んでる男の子がいたな…名前、なんだっけ。たしか…しゅーごくん。うん、そう、しゅーごくん。ちょっと気弱で、何かの影に隠れてるような印象が残ってる。たしか、深い緑色の着物の後ろに隠れてた、ような気がする。あと、そうだ、つじちゃん。つやつやした黒髪で、男の子なのにすっごく顔が可愛くて、いつもしゅーごと私を見てあわあわとしてた。よく2人と蔵の近くで遊んでいたなぁ。

 あぁ、なんだ、案外覚えてるものだ。2人とも元気かな。といっても、今会って2人だと分かるかと言われると、自信はないけど。見た時にぱっとわかればいいな。向こうで会えるだろうか。私のこと、覚えているのかな。あ、それと確か、あそこのちかくにはー…

 がくっと電車が揺れる。ブレーキを勢いよくかけたような揺れにあわせ、体が大きく傾く。揺れによってすこし覚醒する意識。と、同時にゴンッと音を立てて、銀色の手すりに頭を打ち付けた。

 …痛い。尋常じゃなく痛い。突然の痛みにに頭を押さえ、呻く。目を開くと、なんとも言い難い倦怠感が体にあった。あー…これ完全に私寝てたな。どこから夢だったのだろうか。私は思い出したはずのあの二人が夢だったのか、過去の記憶だったのか、直ぐに判断出来ないくらいに、寝ぼけていた。

 窓からの日差しが随分と傾いて赤い。ちかちかと目に入る太陽が眩しい。ぼうっと外を眺めていると、少しかすれたスピーカーがじじっと音をたてて、言った。


『終点〜、麻野〜、麻野です』


 その言葉に飛び上がるように立ち上がる。と、その衝撃で膝に乗っけていたリュックが床へと落ちた。ぽしゃんと軽い音をたてて、潰れる。私は慌てて落ちたリュックに手を伸ばした。

 あぁ、恥ずかしい。私今めちゃくちゃ挙動不審じゃない、誰かに見られていたら…。

 そう思い、思わず辺りを見渡せば、私以外の乗客はいつの間にかいなくなっていた。私が寝ている間に皆降りてしまったらしい。少しだけ息を、ふっと吐き出す。が、ドアが閉まる旨を伝えるアナウンスにまた私は慌てて、走り出した。

 外に出た途端、蝉の声が耳につく。いや蝉だけではなく他の虫の鳴き声も混じっていた。それに次いでドアが閉まる音が耳に届いた。電車はじりりと音をだし、今まで走っていた方向とは逆向きに、走って、行ってしまった。そうしてトンネルに吸い込まれ、姿は見えなくなった。

 私はそれを見届け、手に持ったままだったリュックを背負う。最低限必要な物しか入っていないリュックは軽い。もう殆どの私物が羽間さんのお宅に運ばれてしまった。空気の詰まったリュックをしっかりと背負い、私は改札へと足を向けた。

 生まれて初めてのはずの無人駅。改札口は一つだけ。誰かが手入れをしてはいるのだろうが、駅舎はボロボロで、比較的真新しい自動の改札機が浮いて見えるほどだった。

 改札機が動くのかすら不安だったが、切符を食べさせれば聞き慣れた音をたててゲートが開いた。またほっと息をつく。駅舎をでると、そこには奥まで伸びる1本のアスファルトの道、木と土と草、田んぼ、駐車場らしき小さな空間と、壊れた自転車、そして、バス停の看板があった。

 私は迷わずバス停に近づく。両親はバスだけが麻野へ通じる交通手段と言っていた。けれど、インターネットでいくら調べても、バスの発車時間は出てこなかった。まだ、あるだろうか。そう思い時刻表を恐る恐る確認する。

 …あと、5分くらいでバスが来るらしい。よかった、あった。狙った訳ではないけど、ちょうど良い時間に来たものだ。

 ふふんと少し口角を左上に上げる。と、言っても5分は地味に、ちょっとだけ、長い。何か出来るわけでもないしなぁと、時刻表を暇つぶしに観察する。それにしても本数が少ないな。使う人がそれだけいないという事か…って、ん?

 看板の下に小さな紙が貼ってあることに気がついた。しゃがみこみ、それをよく見る。


「…『今年二月を持って、バスの運行は廃止になりました。ご利用ありがとうございました。』…?」


 見慣れたフォントで打たれた、簡素な文章。小さな紙に小さな文字。紙の余白のほうが多く、寂しい印象のするものだった。

 …え。


「もしかして…ばす、ない…?」


 口にした可能性…いや、事実にさぁっと血の気が引く。

 え、うそ、でしょ。そんなはず、無いよね?

 けれど、何度見ても小さな紙は同じ事実を告げてくる。

 遠くで蝉達の鳴き声に混じって鳥の声がした。背中に当たる赤い光は熱を緩やかに伝えてくる。都会より随分と涼しい駅前に私はしゃがみこんでいる。それなりに暑いためか、血の気が引いたからなのか、背中につぅと汗が流れた。思わず、そのままうずくまってしまったのは、仕方が無いと、誰かに言ってほしい。



 *



 バスがないということ、先ほど乗った電車がこの駅の終電であったこと、そして携帯が圏外であると言う事実を、私は随分と日が落ちてから受け入れた。

 なるようにしか、ならない。うん。頑張れ私。

 公共の手段はない、助けは呼べない、となれば選択肢は2つ。駅舎で夜を明かすか、おそらくたぶんきっと1時間でたどり着く道のりを歩くか。

 駅舎を見ると、それはそれはボロボロの木造建築。壊れた自転車がよく映える超絶モダンな駅舎である。待合室のようなエリアにベンチは辛うじてあるものの、これもまた木製。寝たら明日には体がガチゴチに固まっていること間違えなしという代物だ。下に引けるような布類は軽いリュックの中にあるはずも無く、枕がわりになるか怪しい程のサイズのタオルしかない。明かりを放つものは上に吊るされた裸の豆電球。壁にあるスイッチを押せば控えめに明かりが灯る。と、同時に羽を持つ虫が集まってくる。ガラスにぶち当たってはぼとりと落ち、木製のベンチの上で跳ねた。そっとスイッチをもう一度押す。

 振り返ればアスファルトで舗装された1本の道路。ぐっと奥まで真っ直ぐ伸び、山の形にそって右側にカーブしていて、先を見ることは出来ない。道にそって頼りない街灯が等間隔に並んでいる。辺りを見渡してもそれ以外に道はない…、いやあった。山の中へと続く獣道。獣道の定義はよくわかってないけれど、いわゆる踏みしめて出来た道というやつだ。まぁ、一般的に言われる道ではないので考えるまでもなく却下だけど。

 さて、選べるのは一つだけ。どちらの方がマシか。太陽はもうほとんど山に隠れている。羽間さんに連絡を取れればよかったのだが、生憎と携帯はただのかまぼこ板だ。と、いうか今日行くことをあらかじめメールで伝えたのだからバスが無いことくらい教えてくれたっていいのでは…?くそう、やっぱりよく思われていないらしい。今日行く旨のメールにも返事が無いくらいだ。まさか届いてない?いや、いくら田舎とはいえそこまでではないだろう。だって羽間さんがメールで連絡してくれと両親に話したから、ちゃんと届いてるはず。やっぱり、嫌われてるのかなぁ。

 蝉達の声が耳をふさぐほど響く。私は本日何度目かのため息をつくと、アスファルトの道を進むことにした。



 *



 歩くことに決めたのには、二つの理由があった。

 一つ目は結局この道を歩くしかないことだ。駅で過ごしたからと言って、駅から麻野までの道のりをどうするかという問題は残ってしまう。朝起きてから歩くか、電車に乗って電波の届くところへ行って迎えを頼むかの二択になる。

 私はもの凄く小心者なので、羽間さんに嫌われてる可能性がある以上、駅まで迎えに来てくれと頼めそうにない。だって、怖いじゃん、無理無理。これから迷惑しかかけないのに余計な迷惑を増やすなんて私にはとても無理。と、いうかそもそも羽間さんが車を持っているかすら知らないし。迎えが頼めるかすら分かんない。なので結局駅で過ごしても歩くなら、今歩いた方がマシに思えた理由です。

 二つ目の理由は駅に泊まると事件になりかねないから。

 羽間さんの立場で考えれば、親戚の娘が今日行くと連絡をよこしたのに真夜中になっても来ず、電話してもメールをしても連絡が取れないとなったら、事件に巻き込まれたかもしれないと思うかもしれない。いや、嫌われてたらそうはならないかもしれないけどさ。可能性として。

 そしてそのまま警察とか色んな大人が出てきて捜索とかになったら、笑い事じゃすまされない。だから私は早く羽間さんに連絡を取らないといけないのだ。電波のある場所にたどり着くためには、移動は必須だ。それなら歩かないといけない道を行くのが一番効率がいいし、確実に電波の届く場所に向かって歩けるから当てずっぽうで進むより確率高い。うん、私って天才じゃない?こんな状況でも冷静な判断が出来てるんじゃないか?

 に、しても、だ。遠いなぁ…麻野村…。

 道の先に見える灯りは、いくら歩いても距離が縮まったようには思えない。真っ直ぐ村へと続くアスファルトの道。電灯には虫が群がっている。その羽音と共に、田んぼや畑からは何の生き物かわからない鳴き声が聞こえてきていた。カエルの鳴き声かな、あまりそういった生き物は得意じゃないので、考えないことにしよう。意識をそらすように後ろを振り向けば、遠くでアスファルトが左に曲がっている。その風景だけが私がしっかりと前に進んでいる証明だった。

 前ばかり向いて歩いていると方向感覚が狂ってしまう。この麻野の地形は結構、変だ。ぐるっと周りを山で囲まれていて、その山で作られた円の真ん中を通るように川が1本流れている。私から見て右手側の、少し遠くにある。今歩いている道路と平行に川が流れている、らしい。まぁしょせん、衛星写真調べですよ。文明は偉大。こんな暗いなか、近くに灯りもない川の存在を視認できるわけがないでしょ。

 スマホを開く。電子盤は7時半くらいを示している。電波は…ない。深くため息をつくと、もう一度前を見つめる。家明かりがぼんやりと見える。遠くの文明が、眩しい。私の手元には、時計代わりにしかならない電子版かまぼこ板だけだ。あと、しいていうならば、ぽつぽつとある街灯くらいか。

 ひたすら変化の乏しい道を歩くのはなかなかに退屈だった。明るい昼まであれば多少ましだったかもしれないが、こうも暗くては楽しむことも難しい。あまりにも暇で、電灯の数を数え始めている。最初ははっきりと見える星空を楽しんでいたものだが、さすがに見飽きてきたのと、道に転がる石に足を取られそうになったので、見るのをやめた。別に、注意力が散漫になりやすいわけでは断じてない。テンションが上がると周りが見えなくなって痛い目を見るなんてことは、断じてないのだ。

 もう一度振り返り、進んだ距離を確かめる。なんだか振り返っても進んだ気があまりしなくなってきた。ため息をつく。はぁ。私は体力にはまぁまぁ自信はあるほうだ。部活をまじめに取り組んだ成果と言える、と思う。部活の伝統みたいな感じで、走り込みが活発だったから。朝練と部活活動の時間の最初はひたすら走ってたな…。でも、さすがに疲れてきた。朝からずっと移動したのが体に効いている。ちょっと休もうか。いや、でも、なるたけ早くいかないと警察とかの騒動になりかねない…。あぁもう、電波さえあれば全部解決するのに!

 そう思いもう一度画面を睨んでも、スマホは電波を受信しなかった。いらいらとしながら足を交互に前へと動かす。靴底と地面がすれてじゃりじゃりと砂がすれる音がする。静かなこの道に、私の足音だけが響いている。

 あ、れ?

 足を止める。あたりはしん、と静まりかえっている。


 なんで。


 呼吸の音だけが、少しテンポを上げて耳に届く。


 なんの音も、しないの?


 さぁ、と血の気が引く。カエルの声も、虫の音も。なんの音もしない。夜とはいえ、夏にしてはやけに空気が冷たい。背筋が、ぞくりとする。不規則になる呼吸が肺を締め付ける。

 私は、この空気を、知っている。

 静けさの中に、ペタリ、という音が、混じる。心臓が大きく跳ねる。ぺたり、ぺたり、背後で音が増えていく。



』が後ろにいる。



 大きな音を立てて、何度も何度も鼓膜を圧迫するように心音が響く。



それは、



 音は、どんどんその数を増やしていく。

 


それは、



 ひどく、ひどく早く体の中を血が巡る音がするのに、血がさぁっと引く。



それは、



 足元がおぼつかず、スマホを持つ手が震える。わずかなスマホのぬくもりが、自身の手の先の冷たさを自覚させる。



それは、



 気配が、すぐそばまで、来ている。



けれど、



 わたしはゆっくりと、自身の首を、後ろへと、向かせた。



確かに、する。





























『 




       ァ    




                 ソ     




       ボ  


 

            ォ   




                ?            

               

                       』





 








 私の目の前には、あどけなさを残した顔が、二つ、存在した。

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