白詰草の忘れ物
双月
第一話 出会う
それは静かな夜だった。
暗くなった夜道に人の影はない。まぁ、昼間もさほど人気はさほどないのだが。そんな道をうすぼんやりとした明かりがかろうじて照らしている。あたりに光を放つものは、空にある月と、きれかかった電灯と、遠くの民家の窓くらいのもので、ずいぶんと心もとない。地面はかろうじてアスファルトで覆われているものの、その凹凸は平面とは言えず、塗りなおしたであろう箇所の色が薄暗い中でも電灯に照らされ目立っていた。アスファルト以外には田んぼが広がっており、青々とした色彩を持っているが、この暗闇では見ることは難しい。田んぼのその先は山しかない。ただ、少し太めの道路の先には、人の営みを感じる明かりが複数灯っていた。町というには小さく、集落といったほうが適切に思える。高い建物はほぼ存在せず、学校の建物が頭を出している程度だ。建物も近代的というより古めかしい作りのものである。集落の近くには川が流れていて、それに沿うような形で並んでいる。
そんな集落のある方向へアスファルトの道を走る、1人の少女がいた。
「はぁっはぁっ…」
その息は荒く、胸を抑えながら走る姿はひどく苦しげだ。少女以外誰もいない道を必死になって走っている。何をそこまで急ぐのか、少女の手足は細く、スポーツをしているようにも見えないし、バス停もないような道で、何かに間に合わないと走っているのも考えづらかった。まるで追われているかのように彼女は後ろを定期的に振り返りながら走っていた。少女は後ろを振り向くたびにより顔を青ざめさせる。
「やだっ、やだやだっ!!…来ないでっ!!!」
悲鳴に近い声を上げる。誰かに言うというよりは感情の吐露、期待はしないが誰か聞こえているのなら助けてくれという叫びのようなものだった。ひどく怯えた、息も絶え絶えな叫び。一体後ろに何がいるというのか。目を凝らして見てみれば、そこには黒い靄のようなもの。少女の後ろを追うように移動していた。靄?…違うあれは、子供だ。靄のようなものに覆われている。だが何故かその姿はハッキリと視認できた。アスファルトを蹴る足は小さく、裸足だ。それだけでも異常さを感じるというのに、それは何本も生えていた。十や二十の騒ぎではなく、数えるのすらおっくうになるような量の足。その足たちが素足とコンクリートが触れ合う独特の音を複数重ねて鳴らしながら少女を追いかけていた。だがその足とは相反し上半身は一つだ。あらぬところから関節が生えていて、それが数多の足を繋げている。腕は三本。骨がところどころ剥けたように出ていて、黒い汁が流れ出ていた。一つの首には頭が二つ生えており、短い髪と長い髪を振り乱しながら走る。
『ネエ゙エ゙エ゙エ゙エ゙エ゙エ゙!!!!!!オネ゙エ゙チャ゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ン!!!! ア゙ゾボヴヨ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙』
不快な声が片方の頭から放たれる。その声と同時に隣の頭が大量の臓物らしきものを吐き出す。びちゃびちゃと粘性のある音が声を追いかけた。少女はそれを聞き、小さく息を吸い込む。本当は大きく吸い込みたいのだろうが、切れた息と、恐怖で動かない体がそれを許さない。
「やだやだやだっ!!いや!!!!来ないで!!来ないでってば!!!!!いやだぁっ!!!」
絶叫に近い声をだしながら少女は走る。少女と子供の距離は近づくことはなかったが、離れることも無かった。懸命にその足を動かすが時折もつれ今にも転びそうだ。大きな目にはこぼれ落ちないのが不思議なほど涙が溜まっている。
『ア゙ゾボヴヨ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙!!!!!!!!! ネエ゙エ゙エ゙エ゙エ゙エ゙エ゙エ゙エ゙エ゙エ゙エ゙エ゙エ゙!!!!!!!!!!!!』
「ひっ…!」
びちゃびちゃぼた、びちゃぽたた。声を追いかける音。声も音も不快感を寄せ集めたような、あまりにもおぞましいものだった。少女は耐えきれず耳を塞ごうと手をやった。だが、それがいけなかった。
手を耳に伸ばした途端、大きくバランスを崩した。体は前のめりになり、真っ直ぐ前に倒れそうになる。少女は驚いたように一瞬表情が固まったが、バランスを取り直そうと足を前に出した。上半身が下半身に乗り、持ち直した、かに思えた。前に出た足は何度かアスファルトを蹴ると、塗り替えた場所の段差でつまづいた。鈍い音がして少女が地面に倒れる。確認をせずとも確実に怪我をしているそんな音だった。だか、少女はそれすら気に止める余裕はなかった。後ろを振り返る。そこには子供がいた。
「や、やだっ…」
『ア、ソ、ボォ?』
「だから!やだってばぁ!!!」
少女はへたりこんだまま手足をつかって後ろに下がる。逃げると言うにはあまりにも遅く、けれどもそれを諦めていないようだった。子供の手が1本、少女に伸びる。少女は必死に後ろへ下がる。
『タノ、シィヨォ…ネェ?アソボォ?』
その手がゆるゆると伸びていく。幾つもの足が徐々に彼女へ近づく。少女の目には涙が溜まったままだ。少女はまた1歩、また1歩と後ろへ下がる。けれど、あっという間に追いつかれてしまうほどのものだった。手が少女の目の前まで伸びる。少女はそれでもなお、後ろへと歩を進めた。
「入りました」
「そうか、行くぞ」
目の前には子供。首が180℃ねじれ、二つの首が驚いたように眼球を飛び出させながらこちらを向いた。少女へと伸ばされた手は寸前で止まっている。腰に付けた刀を握り、引き抜く。月明かりに照らされ、ちかりと光った。
『ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙!!!!!!!!』
絶叫をあげ、子供がこちらへと走ってくる。その頭はそのままこちらを見ながら、首も捻れたまま、足だけを先ほどとは逆方向に無理やりねじ曲げて。
刀を構え、ぐっと足へ力をいれる。自身の体と子供がぶつかる、その瞬間、刀だけを子供の首元に残しながら体を横へと少しずらす。刀から独特の、だがしかし慣れ親しんだ感触が伝わる。
『ァ…ァァ?…ゥ…ウ…ガァ…』
どちゃりと首が落ちる音が二つした。刀を振るい、血を落とす。黒い血が弧を描いて地面に落ちた。空気の抜けるような音が背後からし、続いて崩れ落ちるような音がした。そして、絶叫。辺りに響き渡るその声が止まったころ、代わりに軽く3回手を叩く音が響いた。
「おみごと」
「流石です、
凪と伊吹の声が静かな夜に静かに響く。その声にふぅとため息をつき、目を閉じて刀を鞘に収める。かちと音をたて、刀は収まった。そうして目を開けば、そこには呆然と座り込む少女の姿。その驚きに溢れた目と自身の視線が合う。少女は動けないのか、動かないのか、座り込んだままピクリともしない。
「私が視えているのか?」
そう言うと彼女の体が上へと飛び上がる。そうしてから、上半身だけが後ろへと若干下がった。これはきっと、肯定であろう。口がはくはくと動くだけで声にはなっていなかったが、しっかりとあった視線と跳ね上がった体の反応がそれを示していた。
「もう、大丈夫だ。助けるのが遅くなってすまないな。
そう、出来るだけ声色を優しくして問いかける。気をつけてはいるつもりだが、いつも伊吹に無愛想だと言われてしまう。それに相手は少女である。一等怖がらせないように最大限の注意を払った。それでも口から出る声は平坦で、自分で聞いていても優しさは感じられない。若干の焦燥のようなものを感じつつ、少女の反応を待った。
少女の小さな口から小さく音が漏れる。だがそれはまだ音であり、声とは言えなかった。なおも震える口はそれを声にしようともがくようだった。漏れる音を聞き逃さぬよう、耳をすます。
「…ふ」
「ふ?」
少女は大きく息を吸いこんだ。そうして。
「ふ……ふっ…不審者だあああああああああああああああ!!!!!!!!」
遠くの山にまで響くような声を出して、なおも悲鳴を上げながら、集落の方へと走っていってしまった。悲鳴は徐々に小さくなり、悲鳴が止まったのか、それとも聞こえなくなったのかわからない。声もでず、咄嗟に動くことも出来ず、唖然としながらそれを見届けてしまう。彼女の姿が豆粒ほど遠くに見えるようになった頃、ぽんと肩を叩かれた。そちらを見やれば口を真一文字にきゅっと結び耐えるような表情の伊吹がいた。その表情だけで言いたいことは分かってしまった。伊吹から目線をそらし、少女の言葉を自分の口で呟き、反芻する。
「…ふしん、しゃ」
「そういうことも、ありますって…気を落とさないでください…」
置かれた手は微かに震えており、その言葉も何かを噛み殺しながら、絞り出したようなだった。凪は伊吹の隣で、その台詞を聞いて息を吹き出した後、それを抑えるように手を口にやり下を向きながら肩を震わせていた。
「…何がいけなかったのだろうか」
口の中で呟いたそれは闇夜に響くことなく、消えていった。
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