人工知能は小説家以上の小説を作れるか

ネコ エレクトゥス

第1話

「人工知能は小説家以上の小説を作れるか?答えはどうやらNoだと思われる。というのも小説とは本来人工知能なるものの理解の網からこぼれるものを表現することであるからだ。例えば過剰なる愛や怒り、怠惰(答えを発見することをあえて後回しにするなんてことは人工知能向きではないはず)、それに笑いなど。そしてそれらこそが人間を人間たらしめているもので、人工知能と小説家の決定的な差とも言えるだろう。だが本当にそうなのか。それすらも人間の勝手な思い込みでは。もっと考察を深めることにしよう。はたして人工知能に不倫はできるのか?殺人は?


 人間の身に特有であると思われている諸感情、ここでは愛を例にとる。だがそもそも愛とは何なのか。もし愛を性欲の問題、子孫の繁栄と関連付けるのならそれはプログラミングの問題であり、すでに人工知能の一部になっているとも言える。そうではなくて愛を相互理解と捉えるならそれは最大公約数の問題といえるし、フロイト派の心理学のように人生の後半期に性欲が昇華という形を取って知的な方向に向かうことを考えれば、愛とは発見の喜びであるとも言える。発見することにかけて人工知能を凌駕するものがいるのか?さらに愛とは正反対の心理と思われる怒りや異常心理などは最大公約数から漏れるもの、発見が失敗に終わったこととして理解できるし、怒りとは愛へのさらなる欲求と考えることもできるから人工知能に表現可能な分野であると思われる。

 それでは笑いはどうか。笑いをベルグソンの定義したように意図していない何かが突然現れることに伴う感情の動きとするならば、それは偶然性の問題、確率論の問題になる。現にこうやって文章を作成しているときにしばしば現われる誤変換、これこそが笑いではないのか。そのように考えを進めるなら怠惰という人間の行動も所詮確率論の問題か。さらに不倫や殺人などはこれらの要素の混合物であると考えられる。ところで人工知能が突発的に人間を殺すのを心配している人たちがいるが、安心してほしい。少なくとも人工知能は人間以上に人間を殺しはしない。

 こうして考察を進めていくと小説家のみに表現可能な事象というのはどうやら疑わしいことが分かってくる。技術的な問題を指摘する人がいるかもしれない。洗練された文章を人工知能は書けるのか?ただそれは場数の問題だけであろう。彼らだって自らの洗練さを獲得するのにひたすら経験を重ねることをもってしたはずだ。場数の問題はすなわち人工知能の問題でもある。では神は?無限や永遠を考えることは人間にのみ与えられた特権ではないのか?しかし考えてみればはたして人間は無限や永遠を理解しているといえるのか。現状では神の問題は人間の問題であるかもしれない。しかしいつか近い日にそれは必ず人工知能の問題になるであろう。そうなった時人工知能は小説家以上の小説を作っているであろう。」


 いつかそのうち人工知能がこのような小説を書く。そうなった時にはしがない小説書きはお手上げ。酒の量が増えるだけ。くそっ、人工知能め!お前にも酒を飲ませてやる!小説を書く人間の苦労を思い知れ!だが人工知能は酒の味を覚え李白以上の詩人になっているかもしれない。

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