初デート(2)

余りにも鋭く突き刺さる沙羽の視線に耐えかねたのか、遥貴が沙羽を一瞥する。

「どうかした?」

そう問いかけられて暫く何か考え込んだ沙羽が、口を開くと「ううん、なんでもない…」と答えて前を向いた。

沙羽はこの違和感の正体が一体どこからくるのだろうかと考えた。

そして、思わず触って確かめたい衝動に駆られてしまった。

本当にこの遥貴は、黒谷と同じ人物なのだろうか。

黒谷と一緒にいる時にも感じるのだが、この微かに感じ取れる違和感に、ついつい遥貴が黒谷の精神疾患から生じた人格という事を忘れてしまいそうになるのだ。

沙羽の中の野生に近い女の勘が、乖離性同一性障害なんて嘘だ。別の人間じゃないのか。と遥貴を信じる沙羽に反論する。

なんとなく、匂いが違う気がする…

「…何してんの?」

沙羽は運転中でハンドルを握った遥貴に寄っていくと、鼻を鳴らして匂いを嗅いでいた。

そんな沙羽に顔をを引攣らせて苦笑いをすると、再びじっと睨んでくる沙羽に「ど、どうかした?なんか臭う?」と聞いた。

「なんか…違った、甘くてほろ苦い匂いがする…」

沙羽は、沙羽自身で黒谷から感じ取れた全ての情報を総動員させて遥貴と比べてみるものの、二人が違う人物であるという確証もないので、当然失敗に終わった。

「え?違った?……あ、もしかして、朝食がジャムを塗ったパンとコーヒーだったからかな…」

掴み所のない沙羽に困惑の色を隠せない遥貴は、取り敢えず「鼻、良いんだね。」と、声に出して笑った。

「ううん。そうでもないよ?もっと、動物並みに鼻が利けば良いのになーとは思ったけどね。」

「何をそんなに嗅ぎ分けるつもり?」

「秘密です。」

返事に困った遥貴は声を出して笑って見せると、沙羽から顔を反らし苦虫を噛んだような表情を作った。

そんな遥貴に「そういえば遥貴君って、いくつなんですか?」と沙羽が問う。

「二十八。」

「そうなんだ…」


二人に歳の違いもないんだ…

乖離性同一性障害じゃないとすれば…

まさか、双子?

あり得なくもない…わよね…

双子なんて別に珍しいわけでもないんだし。

だけど…

そうだとすれば、どうして乖離性同一性障害の振りなんかして嘘をつく必要があるのかしら…


思考を巡らせた沙羽は頭を左右に振った。


止めよ止めよ、こんなの考えても何にもならないし、私は遥貴君を信じるの!

疑うなんて!

最低だわ!


そう思った沙羽が、自ら自分の頬を平手打ちをして、車内にパシンと音が響く。

「え?」

遥貴は驚き目を丸くして、どうしたんだ?と視線を前方と沙羽の両方に行き来させた。

「痛い…」

沙羽が目に涙溜めて右の頬を抑える。

「…まさかと思うけど、自分で自分の頬をぶったのか?」

遥貴が尋ねると、「う…うん、痛い…」と呟く沙羽。

そんな沙羽に、益々怪訝そうに眉を顰めると「当たり前…。」と、再び顔を引攣らせて苦苦しく笑った。

市街を出て暫く走ると、窓から見える景色が随分と殺風景になってきて、二人を乗せた車が長いトンネルに入って行った。

トンネルに入った事に気付いた沙羽が「海って、もしかして、他県なの?」と遥貴に問う。

「そう、高速乗っても4時間位は掛かるかな。何?後悔してきた?」

沙羽の質問に答え、鼻で笑って沙羽を一瞥した遥貴は沙羽の返事を待った。

「全然!こんなに遠出するのは久々で、楽しみ!」

沙羽はそう言って目を輝かた。

目を潤ませて此方を見つめ微笑む沙羽を見ると、遥貴が、「あんた…」と言って目を細めて笑った。

「じゃなかった、沙羽さんは…あれに似てる。」

「え?あれって?何?誰?有名人?女優さん?アイドル?」

遥貴の言葉に沙羽が次の言葉に期待を寄せながら目を輝かせていると、遥貴が肩で大きく笑った。

「そうだ…。やっとスッキリした。前から何かに似てるなとは思ってたんだ。だけど、翔平って…」

独り言のように喋ると、今度は声を出して笑う。

「え、ショウヘイ?…って誰!?何なの?笑ってないで、教えて下さいよ!も~~~!」

「小さ頃うちで買っていた猫。翔平は名前。」

「え?ね、猫?動物!?え、でも、それって…」

沙羽は猫に似てると言われて双方の頬に両手を添えると、猫のように可愛いって事かしら。と、顔を赤らめた。

やだ。いま、すっごくキュンってきた!

いやん。

「それがさ…」

笑って遥貴は続けた。

「すっごい憎たらしい顔してるんだよね。ブサ可愛ってやつ?エキゾチックショートヘアって種類でさ。」

「え?憎たらしい顔…?ブサカワ!?」

「そうそう。」

そう言うと、遥貴はまた笑う。

期待してた事と違う事に気付いた沙羽は、不機嫌そうに唇を尖らせると、バッグからスマートフォンを取り出して検索エンジンのアプリを開く。

「飼ってたのっていつぐらいの話になるの?」

そう尋ねながら、"エキゾチックショートヘア"と文字を入れていく。

「9歳位まで生きてた。」


へー9歳ね。凄く細かな生育史なのね…


そう思った時、検索エンジンで出した画像が沢山出てくると、その画面に釘付けになった。

「え~~!これがエキゾチックショートヘア?確かにブサ可愛だけど………」

「でしょ?」

「え~?似てる~~?」

トンネルを抜けて赤信号で車を停車させると、遥貴が沙羽のスマートフォンを覗いて「あー、翔平は、そこに載ってるエキゾチックショートヘアよりもっとブサイク。」と笑った。

「え~!酷い!」

沙羽は顔を真っ赤にして頬を膨らませると、「その顔も似てる。」と遥貴が言う。

沙羽がカッとなって、頬を膨らませるのに溜め込んでた空気を音を立てて一気に抜いた。

力を入れたままの窄めた唇が、無数の皺を作る。

黒谷さんの人格のくせに~~。

沙羽は、(今度黒谷さんにも海の事とか猫の事を確認してみようかしら…)と更に思った。


暫く沙羽は簡単な質問を続けた。

好きな食べ物の話から趣味の話になって、そんな雑談を進めながら走っていると、二人を乗せた車が高速道路に入った。

高速道路のゲートを潜ったのを確認した沙羽が、改めて遥貴に問い質した。

「その海って、遥貴君にとって、どんな思い出がある場所なの?」

微笑を浮かべながら遥貴は前方を見つめて目を細めた。

「なんか、さっきから質問続くね。」

「え、だって、遥貴君のこと全然知らないから。」

「ま、そうだろうけど。だけど、俺の話ばっかりじゃなくてさ、沙羽さんの話も聞かせてよ。」

「え、私!?」

沙羽は自分の?に両手を添えた。

「そう。」

遥貴が沙羽の方へ視線を投げかけて微笑むと、暫く雑談で和んで落ち着いていた沙羽の心臓が、急に跳ね上がった。


私の事を知りたいって事かしら…

やだ。またキュンってきた…


そんな沙羽に遥貴が新たな話題を振った。

「そういえば、ずっと気になってたんどけど、何であの初めて会った日、あんなに俺に運転させたがった訳?運転が苦手とか?」

そう尋ねられて沙羽はあの日の事を思い出して「実はそうなの…」と笑って舌を出す。「運転が苦手と言うか、あの道一車線でしょ。右折専用に車線を増やしてくれれば問題無いんだけど。」

「あーね。右折が苦手だったのか。」

沙羽がへへへと笑ってもう一度舌を出す。

「それでよく乗っていけたな…。」

「あの日、本当は友達と約束があって、友達が運転してくれる筈だったの。だから車を出して会社に乗って行ったんだけど、その友達の職場でトラブルがあったみたいで、急に来れなくなってしまって。それでしかたなく。あ、行きは右折するところが無くて、全然問題なく行けるのよ!」

得意げに「余裕でね。」と付け加えた沙羽に、「行きは良くても帰れなかったら意味ないじゃん。」と遥貴が嘲けた。

「だから最近は乗ってないの。通勤もバス。うちの親が煩く言うから…」

そう言ってまた唇を尖らせると、沙羽は意気消沈してしまった。

そんな沙羽を、横目で一瞥すると目を細めて進行方向を睨んだ。

そしてすぐ表情を緩めると、「ご両親って厳しいの?」と微笑んで沙羽に聞く。

沙羽の脳裏に聡の顔が浮かんで苦笑いをした。

「お母さんは優しい人なんだけど、父が凄く厳しいの。だからと言って、優しくない訳じゃないの。ううん、優しいからこそ厳しくなるんだろうけどね。それぐらいは私だって分かるわよ。でもね…。」

沙羽が暫く口を噤んだ。

「そういえば、沙羽さんのお父さんは刑事って言ってたっけ。」

遥貴は尋ねると、沙羽の答えを待った。

「うん。」

沙羽が徐に溜息を吐く。

「だからかな。堅物なところが磨きに磨かれて、一緒にいるとたまに窮屈で息が詰まりそうになるのよね…。それで、右折できないなら運転するんじゃないって、怒られちゃって。」

沙羽が続けて、「だけどこのままじゃ、ペーパードライバーになっちゃう」と泣き言を言うと、遥貴は声を出して笑った。

「そんなに車で通勤したいんだったら、帰りも左折だけ選んで帰ればいいんじゃないの?」

「え?」

「同じ道で帰るのが困難なら、違う道を帰れば?」

沙羽は口をあんぐりと開け、目を丸くした。

「思いつかなかった!」

「これくらいは誰だって直ぐに思いつくだろ。今まで思いつかなかったって、逆に凄いな。絶対この道でじゃないとダメだってっ思ってたのか?」

唖然となった遥貴は「まるで強迫神経症みたいだな。」と、首を傾けた。

そして、遥貴に強烈な印象を残したあの沙羽のうちの入り口にあったゴミの山と、綺麗に片付けられていた部屋の様子を思い出して、思案顔を作ると呟いた。

「ま、ないだろうけど。」

「強迫神経症?なんか聞いた事ある。」

「俺も詳しくは知らないけど、心配しなくても沙羽さんは違うと思うよ。」

遥貴が苦笑いをすると沙羽は「そうだね。全然気にしてないから大丈夫。」と言って笑った。


「今度車で通勤する時、別の道で帰ってみようかしら。だけど、普段は行く事ないし、慣れてない道を通るのって不安…」

独り言のように呟いた沙羽は、昔何度か行った事があるものの、すっかり記憶から消えようとしているその街並みを思い出してみる。

確か、何年か前までお母さんが働いていたって言う病院がある辺りかしら…

だけど会社からあの場所は、そんなに近くもなかった気がするけど…

沙羽がそんな風に思考を巡らせていると、遥貴が先日、沙羽に運転をせがまれて乗った沙羽の車の様子を思い出して、「ナビがあるから大丈夫なんじゃないの?付けてたよね。」と言って尋ねてきた。

「うん。付けてる…。だけど、壊れちゃってるの。」

「修理出せば?」

「それが…修理に出しても、普段車使う事が以外と少なくて…。」

沙羽がケチだと思ったかしらと思いながら、語尾を濁らせた。

「ま、修理出すも出さないも個人の自由だし、いいんじゃない?」と、遥貴は言った。

遥貴は更に笑って、「左折ばかりしてれば、最悪多少ぐるぐる回っても、そんなに遠くに行って迷う事もないだろうし、そのうち道も覚えていいんじゃない?」と付け加えた。

「え~、なんか凄い他人事~~。」

沙羽が頬を膨らませると、遥貴が「だって他人事だし…。」と、呟き微苦笑を浮かべた。

「それに、最初から何かを当てにするんじゃなく、覚えるつもりでいた方がいいと思うけど。」

「それは、そうだけど…。」

沙羽が唇を尖らせた。

そんな剥れる沙羽を余所に、遥貴はパーキングエリアに向かって車を進めて行った。


車を駐車スペースに止め車から降りると、二人は大型チェーン店の某コーヒーショップに入って行った。

其々がコーヒーを手に席に着くと、沙羽は、何だか本格的なデートみたいだわ。と顔を綻ばせた。

「美味しい。」

そう言ってホイップクリームたっぷりのフラッペをストローでかき混ぜる。

「遥貴君はコーヒーが好きなの?朝も飲んだって言ってたね。」

「まー、好きな方に入るかも。だけどあまり外では飲まない。」

遥貴は沢山の駐車された車や行き交う人々が見える、大きなガラス張りの窓の外に目を向けたまま、沙羽の質問に答えた。

「え、どうして?」

「うちで豆を挽いてから淹れるから。」

「そうなんだ~~。拘りがあるんだね。」

沙羽が笑顔を浮かべて、まじまじと遥貴の顔を見つめた。

「別にこれと言って拘りがあるわけじゃないけど。」

沙羽の視線に気づいた遥貴が、僅かな間視線を沙羽の視線と合わせると、再び窓の外に戻した。

そして「2番目の親がコーヒーが好きだったから…」と、沙羽に聴こえない程度の声で呟いた。

「え?」

「いや、何でも。」

沙羽は一旦首を捻ったが、「うちもね」と言って会話を続けた。

「コーヒーは豆で買ってる。お母さんがそうゆうのが好きで、疲れたお父さんに美味しいお茶を淹れてやって、一緒に飲む時間が好きなんだって。」

幸せを絵に描いたようなそんな沙羽の家族に、遥貴が「へぇ。」と一つ返事をすると何かを思い出してそれに言葉を継いだ。

「そういえば、あの日飲んだほうじ茶も、普段飲んでるのと違った気がして、まー、美味かった気がする…。」

「ほんと!良かった!実はそうなの!毎朝1日分を焙烙って言うので炒ってほうじ茶にしてるの!勿論、焙じたて?って言うのかな、直ぐに淹れた物は凄く美味しいのよ!カフェインも減らせるし、こう見えてもカフェインを摂る時間も、健康のために気を使ってるのよ。」

再び「へぇ。」と一つ返事をした遥貴は、ゴミは捨てきれないようだったけど…。そう思って微苦笑を浮かべて沙羽を一瞥した。

「紅茶もできれば美味しい物を買いたいけど、最近は特にショップ巡りに費やす時間と体力がなくて。それ以外で緑茶かほうじ茶、コーヒーならいつでも遥貴君に淹れてあげる!あ、あとルイボスティーもあるわ。」

遥貴はまた、へぇと一つ呟くと、「意外…。じゃあ、沙羽さんって炊事とかも出来る方なんだ?」と訊いた。

すると、沙羽が「ううん、意外じゃないの。当たり!料理は出来ないの。」と自信満々といった表情を作った。

「は?」

遥貴が目を丸くして眉を顰める。

そんな遥貴に沙羽が質問を投げかけた。

「料理は…。遥貴君はどう?料理、する?」

「え?まー、出来る方だと思うけど。一人暮らしもそこそこ長いし、外食も飽きるから自炊はするよ。人並みに。」

「そうなの!凄いね!」

目を輝かせた沙羽が、やだ。素敵すぎる。かっこいい。惚れ直したかも、と思いながら胸の前で手を合わせた。

「料理が出来る男の人って素敵だよね。ほんと、凄く丁度良い!」

遥貴は苦笑いを浮かべて「…何が?」と聞いた。

「遥貴君が料理をして、私がお茶を淹れるの!あ!ごめん、料理を諦めた訳じゃないの、私だって頑張るわ。勉強する!だけど、台所で夫婦一緒に仲良く並んで料理するのが理想で…。」

遥貴の顔が引き攣って、硬い微苦笑をその顔に貼り付けた。

「…夫婦って…なんの話しをしてるんだ?」

「ごめんなさい!つい、豊かな想像力で想像を膨らませてしまって!だけど、まだ早過ぎたわよね、ごめんなさい。」

「早すぎも何も…。」

そう呟いた遥貴は二の句を継げれないでいた。

そして、自分で豊かな想像力って言うか?と思うとまた、冷笑に近い苦笑いを浮かべた。



その後、コーヒショップを出ると、遥貴はタバコを吸ってから行くと沙羽に告げた。

すると沙羽が「そういえば」と言って言葉を投げかける。

「車では吸わなかったね。車もタバコの匂いもしなかったし。」

「あー、うん。車の中では吸わない。抑、一度辞めてて吸い出したから、そんなに量も吸わないから。」

「そうなんだね。どうしてまた吸い出したの?」

遥貴は目を細めて煙を吐き、暫くして口を開いた。

「極一般的な理由だよ。」

「…ふーん。そっかー。」

「そういえば。会った最初の日、沙羽さんちでもタバコ吸わなかったと思うのに、その次に会った時は吸ってる事知ってた様な事を言ってたけど、何で?タバコの匂いしてた?」

「ううん。雨で濡れて匂いが取れてたからか、全然タバコの匂いはしなかったよ。それに、今はさすがに匂いはわかるけど、今日だって他のタバコを良く吸う人に比べて、そんなに匂いはしてなかった。」

満面の笑みで話す沙羽を、少し離れた喫煙者が一瞥して背を向けた。

その様子を見た遥貴は微苦笑を浮かべて溜め息を吐くと「じゃあ、…何で?」と沙羽に聞いた。

「え、ほら…」

沙羽がそう言って辺りを見渡し、遥貴の耳元に顔を寄せると小声で「口の中の、味…」と顔を赤くして言った。

「あー…ね。」

遥貴は沙羽の言わんとした事が何かを察知して、どうでも良さそうに答えた。

「吸わない人間からしたら、凄く微かな匂いでも分かるんだよね。」

「それは知ってる。」

遥貴が沙羽に言葉を投げ返すと、灰皿にタバコを投げ入れて、沙羽に言うわけでもなく、誰にともなく「行くか」と呟く様に言った。

「うん。」

沙羽が楽しそうに笑顔を浮かべる。

そんな笑顔でついてくる沙羽を見ると、「なんかもう、翔平すぎるんだけど。」と笑った。

二人が車に再び乗り込んで、三時間。

漸く海が見えてきて、沙羽が目を輝かせて窓に張り付いた。

「あ、そっかー、今、潮干狩りのシーズンなんだ!楽しそう!」

そう言って、遥貴の方を向き居直ると「もしかして、これ?」とますます目を輝かせた。

窓の外に見える海岸線の浜辺には、思い思いに潮干狩りをする様々な人達で賑わいを見せていた。

「違うから。潮干狩り行くのに、わざわざこんな遠くまで来ないだろ。」

「う……。そうなの?」

「そうだよ。つまらないって言ったよね、俺。」

「言った。だけど、つまらなくないわよ!全然!今だって凄く楽しい。 」

「…あ、そう。」

素っ気ない態度をとる遥貴に、うんうんと頷く沙羽だったが、再び浜辺に目をやると楽しそうだなと少し羨ましそうに眺めた。

車はその浜辺を少し通り過ぎて行くと、駐車場に入って行った。

口数がより少なくなった遥貴が車を降りると、沙羽もそれに付いて歩いて行く。

二人は、先ほど人で賑わいを見せていた浜辺とは逆の方に歩いて行った。

どこに向かっているのか分からずに、ただ後ろをついて歩く沙羽だったが、何か思案げに進んで行く遥貴の後ろ姿を眺めながら沙羽は首を捻った。


どうして此処に来たかったのかしら…


そう思いながら遥貴のその背中を見つめていると、遥貴はパタリと足を止めた。

沙羽が捻っていた首を今度は逆に捻り返す。

足を止めた遥貴は、暫くの間遠くに見えている小高い丘の方を見つめたまま立ち尽くしていた。

その視線を辿って遥貴がその丘を見ていることに気付いた沙羽は、そこに何があるのかしらと、また首を傾けて沙羽も一緒にその丘を暫く眺めていた。

そして、気が済んだのか遥貴が「そこの店でいい?昼食。」と振り向き沙羽に言うと、海沿いの通りにある店を指差した。

「あ、うん。」

遥貴の様子を不思議に思っていた沙羽だったが、頷くと「お腹すいたね」と笑った。




「そう言えば沙羽さんって、ご両親のどっちに似てんの?」

店に入って注文した魚介類の豊富に使ったパエリアがテーブルに届くと、遥貴が皿に取り分けてくれた。

そして遥貴は思い出した様に沙羽に訪ねた。

「え?私?」

「そう。」

遥貴にそう尋ねられた沙羽は、顔を赤らめた。

これまで質問するのは大抵が沙羽だったが、いくつになっても想いを寄せる相手から自分自身について聞かれると嬉しくないはずがない。

少しでも自分に興味持って貰えてると思うと、嬉しくて沙羽の胸は高鳴った。

「最近はどちらかと言うと、お母さんのほうかな。昔はお父さんにも似てるって言われてたけどね。」

「へえ…。」

少し照れながら話す沙羽に、相槌をうった遥貴が料理を口に運ぶと黙って耳を傾けた。

「遥貴くんは?」

「え?」

質問を返されるとは思ってもいなかったのか、遥貴は目を丸くして顔を上げた。

そして沙羽の顔を見たまま、暫く黙り込んでしまった。


どちらの親に似てるかなんて、もう随分昔から改まって考えたこともなかった…。


そう思った遥貴は、今朝見た鏡に映った自分の顔を思い浮かべた。


「…目元は母親で、他は父親…かな…」

「そうなんだ。遥貴くんのご両親は、どちらも素敵そうだよね!美男美女というか、紳士と淑女というか。」

目を輝かせながら独り言のように喋る沙羽は、向かい側に座る遥貴の頭上に視線を向けると、その虚空に遥貴の両親をあれやこれやと想像力を働かせて思い描いた。

「ご両親の写真とかないの?」

視線を遥貴に戻した沙羽が、再び遥貴に尋ねた。

「……ない。」

「え~、全くないってことはないでしょ?スマホとかで撮ったりしてるのとかあるよね。小さく写っててもいいの!ちょっとだけ!見せて貰えたらな~なんて。」

「…ないから。」

「え~~!絶対あるでしょ!!大丈夫!悪用とかしないし~~!信用して…」

沙羽は燥いで遥貴に詰め寄ると、「ほんとに無いんだよ!」と、口調を強めて沙羽を睨んだ。

沙羽の体が硬直した。

遥貴はため息をつくと一度固く目を瞑り、口調を少し和らげてから「少ししつこいよ。あんた。」と小さい声で吐き捨てるように言った。


「ご、ごめんなさい…」

沙羽の顔からは一変して、先ほどまでの目を輝かした様子は狼狽した様子に、高揚した顔色は蒼白になってしまった。

何故なら、睨んだ遥貴の目は冷たくて、他人を一切寄せ付けないほどの鋭さを兼ねていたからだ。

まるで、氷でできた鋭利なナイフを突きつけられているかのようだった。

それほど迄に遥貴にとってこの話題は、触れられたくない話題だったということは沙羽にも分かった。

しかし、親の話を振ってきたのは遥貴の方だ。


何が悪かったのかしら…


沙羽は沙羽なりに想像できる範囲で原因を思案した。

すると、黙って食事を続けていた遥貴はちらりと沙羽を一瞥すると、再びため息ついて口を開いた。

「悪かった。急に声を荒立てて…」

謝ってきた遥貴に沙羽は顔を上げると、「ううん。私がしつこかったよね。本当にごめんなさい。」と、再び俯いた。

思わず触れられたくない理由について、ご両親とは仲が悪いの?と、尋ねそうになったが、今の遥貴が答えてくれそうにないと判断すると会話の糸口を見失い、沈黙が暫く続いてしまった。



ぎこちないまま食事を済ますと、二人は店を後にした。

海面には五月の午後の日差しが降り注ぐと、その海面の波が眩しく感じるほどの光をあちらこちらに乱反射させている。

遥貴は先程の通った浜辺を駐車場の方へ向かって歩いていて、その後ろに沙羽が、遥貴の後頭部を見つめながら、今いったい何を考えているのかしらと歩く。


あーあ、せっかく楽しかったのに、機嫌を直してもらうことはもう無理なのかしら…


遥貴の機嫌が治る術を沙羽がいくら必死に考えてみたところで、遥貴の事を殆んどと言っていいほど知らない沙羽にこれと言っていい策が思いつく筈がなかった。

知り得た事といえば、コーヒーに拘りがあること、料理が出来ること、昔猫を飼っていたことと、その猫に沙羽が似てると言うことだけなのだ。



遥貴の後をとぼとぼと歩いていると、沙羽は急に立ち止まった遥貴の背中にぶつかった。

驚いて顔を上げ遥貴を見上げると、遥貴は「ここでちょっと待ってて。」と沙羽に告げ、一人で砂浜を後にした。

一人取り残されてしまった沙羽は、呆然と立ち尽くした。


ま、まさかと思うけど、置いて帰られたって事は…ないわよね…



悪い想像をしてしまって、沙羽は「んなわけないじゃない!」と失笑を溢す。

沙羽は近くにある石段に座り込むと、少し離れたところで潮干狩りをしている親子に目を移した。


楽しそう。たくさん採れているのかしら。


そう思いながら今度はキラキラと光る海面に目をやると、次に先程遥貴の見つめていた丘の方に視線を移した。

あの丘に何があるのだろうか。

遥貴の本当に行きたいところは、其処にあるのではないのだろうか。

そう思うと、ますます遥貴にはいろんな生育史が出来上がっている事が想像できた。

そして沙羽はまた思う。

そもそもどうして黒谷は解離性同一障害にならなければならなかったのか。

先程両親の話しで気を悪くした事に、何か関係があるのだろうか。

時に解離性同一障害は、幼少期に受けた親からの虐待から発症することもあるのだと、沙羽が読んだ本にも書かれていた様に、黒谷自身がその様な体験をした事によって遥貴という人格が形成されてしまったのだろうか。

そう思いを巡らせた沙羽は、そうとも知らずに楽しそうに遥貴に向かって自分の両親の事を話していた事を思い出すと、居た堪れない気持ちに襲われた。


遥貴君はどんな気持ちで私の話を聞いてたのかしら…

どうして私の両親の話を聞きたかったのかしら…

家族への思いや、憧れから他所の家庭の話を求めたのだとしたら…


沙羽はバッグの中にある一冊の本を取り出すと、いつくかの付箋されてある所からあるページを開いて目を落とした。

「何があっても、その心に寄り添うことが大切です。」

沙羽は声に出して読むと本を閉じた。

私、浮かれてばかりで遥貴君の事をいまいち考えれてなかったかもしれない。


もっと遥貴君の心に寄り添わないと…

いろんな複雑な辛い気持ちを汲んでやらないと…


本をバッグにしまった沙羽は、遥貴と言う人格が出来た経緯を想像して思わず涙を流した。

「私ったら、無神経にも程が…」

俯き嗚咽を漏らしそうになってハンカチを目に当てると、足音と一緒に人の影が沙羽を覆って顔を上げた。

「………なんでまた泣いてんの?」

午後2時の太陽を背に、バケツを持って怪訝そうな顔をした遥貴が沙羽の前に立っていた。

「あ、遥君、おかえり。ちょっと、考え事してたら泣けちゃって。ごめんね、気にしないで。」

沙羽は、戻って来てくれた事に嬉しく思うと、また涙を流した。

遥貴は涙を流して違う呼び方をする沙羽に困惑しながらも、「ま、いいや。」と手に持つバケツを沙羽に差し出した。

「はい。したかったんでしょ?潮干狩り。」

「え?」

「並んでたら少し時間かかったけど…。やらないの?」

「わざわざ並んでくれたの…?」

「まあ、だってね。わざわざってほどじゃないけど、別に。」

「ありがとう。やりたい!やろ!」

沙羽はそう言って立ち上がると、遥貴に微笑んで遥貴の手を取った。


私が大きな心で遥君を包んでやらなくちゃ!


遥貴は、打って変わった様子で自分の手を引いて笑顔で前を歩く沙羽に呆気に取られて首を捻った。

そして、俺にはこの女を理解できる自信はねーなと思うと、苦笑いを浮かべて沙羽を見つめた。

熊手で土を掻き、出て来た浅蜊を遥貴が沙羽の前に放り投げると、沙羽はそれに飛びついてバケツに入れる。

その一連の動きを続けていた遥貴が「ほら、翔平。手際悪いぞ。」と沙羽に言う。

沙羽はハッと顔を上げると遥貴に「翔平じゃないから!」と不服そうに唇を尖らせた。

「ほら、どんどん入れて。」と、遥貴が何食わぬ顔をして浅蜊を沙羽に放り投げていく。

「ちょ、もう…」

仕方なく沙羽は目の前に放り投げてくる浅蜊をバケツに入れていく。

「だけど遥くん、こんなに採って浅蜊どうするの?」

「さあ、あんた…沙羽さんが採りたがってたんでしょ?」

「……うん。だけど、私料理できないから。」

未だに硬い呼び方をする遥貴に沙羽は不満を抱いたが、そう返事を返すと舌を出して笑った。

「簡単なもの位ならできるでしょ?浅蜊の味噌汁とかボンゴレとか、バター焼きとかそれ位は。」

「…全然!それ、簡単なの?」

一瞬だけ硬直した沙羽が、笑ってそう返すと遥貴は暫く言葉を失った。

「料理出来ないにも程があるだろ。」

眉を寄せて一瞥する遥貴に沙羽は「大丈夫!練習するんだから!きっと上手くなるから!!」と、豪語した。

「その自信はどっからくんの?凄い前向きだね。」

遥貴が嘲笑した表情を浮かべながら熊手で土を掻くと、「自信はないけど、前向きに頑張ろうって決めたの!」と、微笑みながら沙羽が言った。

「へえ。…ま、いいんじゃないの?」

溜息まじりにそう言った俯く遥貴を見つめながら、沙羽は「でしょ?どんな事でも希望を持って前向きで!遥くんもね!」と更に目を細めて微笑んだ。

「は?俺!?」

目を丸くした遥貴が顔を上げて微笑む沙羽を見ると、唖然として「一体何の話しだよ」と眉を寄せた。

「じゃあ今日は早速、遥君と料理の勉強だね。宜しくお願いします。先生。」

「人の話しはスルー?先生って…」

呆れた顔をした遥貴が溜息をつくと、「…別にいいけど、厳しめでいくからね。不味いの食いたくないし。」と言って、露骨に諦念した気持ちを顔に出して首を横に振った。

その一方で沙羽の表情は一段と明るくなると、「ほんとに!?やった。嬉しい」と、喜びを露わにした。

駄目元で言ってみるものなのね。夜も一緒に居られるなんて…

沙羽はそう思いながら俯くとバケツに入った浅蜊を見つめた。

その微笑みながら浅蜊を眺める沙羽を一瞥した遥貴が、ふっと笑みを溢すと首を横に振って自分で土を掻く熊手をぼんやりと眺めた。

















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