近づく二人(5)
すると、目の前に今しもエレベーターに乗ろうとしてた男と鉢合わせて、避けようとしたが避けきれず、肩と肩が大きくぶつかってしまった。
「おっと、すみませんね。」
その男が申し訳なさそうに笑うと、頭を下げた。
はるとも「いえ、こちらこそすみませんでした。」と軽く会釈を済ませると、お互いが其々向かう方に歩み出した。
「ん?これは…」
エレベーターに乗り込んだ男がそう言うと、腰を曲げ床に手を伸ばす。
「あ、ちょっと。これ、落ちてましたが、貴方のでは?」
その男ははるとに駆け寄ると問いかけて、手にした物をはるとに差し出した。
先程使ったルーペだった。
はるとはハッとして、ポケットに手を伸ばす。
入れたはずのルーペがない。
「そうです。ありがとうございました。」
感謝の言葉を告げたはるとは、念の為、割れてはないかとルーペを取り出すと確認をした。
どうやら、ひびも無く欠けてもいない様だった。
良かった…
小型のルーペは割れにくくなっているのだが、はるとにとっては大事だ親の形見なのだ。
無事を確認すると、失くさずに済んだことも合わせてホッとして、安堵感を含んだ吐息を吐いた。
「へー、それは宝石とか見る用の物ですか?」
はるとの様子を見ていた男が尋ねると、はるとはその男に「ええ。」と一つ返事をして、もう一度頭を下げた。
「大事なものだったので助かりました。ありがとうございました。」
「そうでしたか。それは良かった。」
男が目じりにいくつかの皺を作り、笑って何度も頷くと、片手をあげ「それじゃ」と言って踵を返した。
はるともルーペを手にポケットに手を突っ込むと、夜の繁華街を歩いて行った。
「いらっしゃいませ。」
先程はるととぶつかったその男が、はるとがさっきまで居た小野の店に入った行った。
その男がシートに座ると、暫くしてホステスがやってきた。
そのホステスもまた、小野だった。
「いらっしゃいませ…。あ。」
機嫌良さそうに笑顔を作った小野が、その男を見ると、一瞬にしてその笑顔を消した。
「こんばん。今日は客として来てるから。」
そう言って男が軽く挙げた手で会釈をした。
小野が暫くの間、なんとも言えない顔をする。
だが、機嫌を直すと「………ま、なら、いっか。」と、笑ってその男の隣に腰かけた。
「じゃあ、沢山飲んでって下さいね~!さっき居たお客はビールしか飲んでってくれなかったので。何を飲むんですか、刑事さんは?」
小野が機嫌良さそうに手を上げてボーイを呼んだ。
「じゃあ、ウイスキーの水割りを。なんか、えらい機嫌がいいみたいだね。その客の売り上げが良くなかったわりには。」
「え?ああ、うん。ちょっと好みの客だったんで。」
破顔一笑した小野に男は笑って「そうか、そうか。」と頷くと、「ところで。」と言って話題を変えた。
「最近、水城とは連絡とりましたか、ぷりんさん。」
小野がそう尋ねてくるその男を見て失笑すると、「あ、ごめんなさい」と謝り、態度を改めた。
「勿論、康太とは連絡とってない。だって知らないんだもん。連絡先。」
そして、もう一度笑った。
「てか、その名前を恥ずかし気もなく呼んでくれるのって、刑事さんくらいだわ。その顔でその名前が出ると、うける。」
小野が堪えきれずに肩を揺らしながら笑った。
「ははは、そうかな?あ、呼び方はそこ、『江崎』にしてくれると助かるな。ぷりんさん。」
男が目尻に皺を寄せて笑うと、小野もまた笑って、「オッケーでーす。じゃあ、水割り作りまーす。」と言いながら、グラスに氷を入れ始めた。
カランカランと、玲瓏な音がなる。
そんな機嫌のいい小野を見て、今日なら山田から脅された理由も聞けるかもしれないなと、その男は思考を巡らせた。
窓の外では、霧の様な雨が降っていた。
さすがに五月になると、夜でも風が暖かい。
だが、ここ数日部屋に篭って今も眠る沙羽に、そんな風の様子なんて知る由も無かった。
薄暗い部屋に、テレビから漏れる光だけが、場面ごとにコントラストを変えて辺りを照らし出す。
ジャンクフードの空や空になったペットボトル、そして脱ぎ散らかした服が、床一面に広がり散らかったその部屋で、ソファーで眠りこけている沙羽のスマートフォンが鳴ったのは、ゴールデンウィーク三日目の深夜だった。
陽が沈む前に眠ってしまったのか、カーテンも閉まっておらず、電気も点いていない。
その暗闇の中で、光っては音が鳴るそのスマートフォンに手を伸ばすと、寝ぼけながら通話ボタンをスワイプさせた。
「あと、チーズ、トッピングで…あー、うん。」
すると、掛けてきた相手から「は?」と、呆れた声が返ってきて、その瞬間、沙羽は目と鼻を大きく広げ、その声の主を脳内でヒットさせた。
沙羽は声にならない声をあげ、興奮して飛び起きた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます