山田真琴

「課長。奴が山田真琴と同じ牙翠組員で、山田と金銭トラブルで揉めてたって言う、金本秀二です。」

沙羽の父、江崎聡と同じ事件捜査班である警部の木下徹が、小声で聡に伝えてきた。

二人が息を潜めて見つめるその先には、如何にも柄の悪そうな男が、気怠そうに駐車した車から出てくる姿があった。

「行きますか?」

木下が再び聡に告げた。

しかし聡は「いや。」と、それだけ言うと、手を上げて木下を制止した。

まだだ。

聡はそう思うと、金本秀二を睨むように見つめて時を待った。

この時、警察の捜査では、山奥で見つかった男の遺体が山田真琴と言う、指定暴力団組員の牙翠組員の一員である、38歳の男だと言う事が既に分かっていて、組員同士の可能性も考えて捜査を進めていた警察が、今正に、その組員の一人であり、被害者の山田真琴と揉めていたと言われている、金本秀二を張って、任意で事情聴取を求めようとしているところだった。

しかし、任意と言っても、組員で唯一可能性の濃い金本だ。もし、万が一にでも、金本が白だとしても、捜査は大きく進展する。

どちらにしても、無理にでも事情聴取をしたいと言った所が本音であった。

金本はその目の前のアパートの一階に住んでいた。

早くに勘付かれれば、容易に逃げられてしまう可能性だってある。

確実に金本を押さえたい聡は、金本が家に入るのを待つと、木下に頷き、聡達から少し離れた所に潜んでいた別の二人に合図を送った。

「よし、行くぞ。」

聡がインターフォンのボタンを押すと、ドアの向こう側から不機嫌そうな男の声がして、ガチャリと鍵を開ける音がした。

すると、間もなくしてドアノブが回されると、ドアが開いて、眠そうに顔を顰めた、先程の金本が顔を出してきた。

「警察です。山田真琴さんが殺害された件でお話を伺いたいのですが、宜しいでしょうか。」

木下は、警察手帳を金本に見せた。

「………あぁ、あいつの事ね。あぁ、まぁ、それだったら別に構わないけど…。」

金本は一瞬だけ顔を歪ませると、直ぐに表情を緩めて、指で耳を弄りながら答えた。

「これ、見て下さい。これと同じ自転車を、確か貴方も持っていましたよね。」

木下が写真を見せると、「はぁ?自転車?」と言って写真を見た金本は、再び顔を顰めた。

「……確かに持ってたけど…」

「けど?」

今度は聡が金本に詰め寄った。

「今はねーよ。盗まれて無くなったんだ。一ヶ月くらい前だよ。嘘じゃねえ。」

「その話し、詳しく署の方で聞かせて頂けますか?」

少し怯んだ様子を見せた金本に、木下はそう言いながら身を乗り出そうとした。

しかし、それを慌てて止めようとした金本が、

「あ、ちょっと待ってくれ!着替え!着替えさせてくれ!昨日から着替えてなくて気持ち悪りぃんだ。あと、便所!用も足させてくれ!少しで済むから!な!?」

と、近付きながら木下を後退させると、勢いよくドアを閉めてしまった。


「しまった!」

そう声にした木下がドアを開けようとしたが、鍵を閉められた様でドアが開かない。

聡が「さっきの鍵!」と木下に言うと、木下は前もって管理人に借りていた鍵を使って鍵を開け、二人は中に入って行った。

すると、丁度、金本がバッグを持って、ベランダの柵を乗り越えようとしていたその姿が、直ぐさま二人の目に入って来た。

「あ!こら、待て!」

「金本!」

二人は叫ぶと、金本のいる方に駆け出した。

その頃、このアパートの裏手から、ベランダのある方へ回り込んでいた別の警察が、柵を乗り越えようとしていた金本の方へ駆け付けていた。

外と一階のベランダの高低差は、今しがた金本に駆け寄っている身長180センチほどの警察官の肩ぐらいで、部屋の方から追い掛けて来る、聡と木下に気を取られていた金本が、外の警察官に気付いた頃にはもう、既に、金本のその足を、二人の警察官が押さえようとしていた時だった。

「なんなんだよ!ざけんな!離せよ!俺は何にもしてねーよ!」

金本が取られた足を振り払うと、下にいる警察に足を振り回して「どけよ!こら!」と更に怒鳴り散らしていた。

隣のベランダからは、住人が驚いた顔をして壁から顔を覗かしている。

「金本!」

聡が、凄い剣幕をして金本に向かって大声で怒鳴ると、胸倉を掴んで、更に目付きを鋭くさせた。

「だったら、大人しくしろ!」

そう言って聡は、胸倉を掴んだ手に力を込めると、金本を力一杯前後に揺さ振った。

その声は先程と違って大きな声ではなかったが、いつも以上に非常に低く、地響きを彷彿させる様な、どすの利いた声で、そんな聡に振り立てられた金本は、今まで以上に顔を歪ませるとその場から動けなくなってしまった。

警察に因って取り押さえられた金本は、煮え返る様な苛立ちを胸に、相変わらず顔を顰めさせていたが、打って変わって黙り込み、何かを考えている様にも見えた。

そして、近くに止めてあった聡達の乗って来た車に、今しも乗せられようとしている金本が、「クソが。あと少しで…」と小さく呟き、舌打ちをすると、車に押し込まれた。

その様子を見ていた近所の住人達は、一体何が起きたんだと互いに目を合わせると、聡達を乗せて去っていく車を見送った。




「とにかく、俺は山田の事は関係ねぇ!あのチャリも、盗まれてからは俺の知るところでもねーし!もう俺はこれ以上はしゃべんねーからな!何にも知らねー!黙秘権、黙秘権!」

「お前なー!」

署に着いてから、取り調べを初めて一時間が経とうとしていた。

しかし、金本は、山田真琴の殺害容疑を認める事もなく、更には、逃げ出したその理由も話そうとしなかった。

痺れを切らした木下が、背もたれに深く体を預けて椅子に座り、悪態をつく金本の側に立つと、詰め寄った。

「これじゃ、いつまでたっても終わらないだろう!お前もいつまでたっても容疑をかけられたまんまなんだぞ!分かってんのか!?」

「………」

それでも、一向に喋ろうとしない金本に、木下は、デスクに両腕をついて項垂れる。

すると、取調室のドアをノックする音が響いた。

ドアからは、先程、聡と一緒に金本を押さえた、同じ捜査班で長身の方の警察官、木庭が入って来た。

木庭が「江崎課長。わかりました。」と言って、金本の迎え側に座る聡に耳打ちをし、小声で何かを伝えると、聡は「ごんべん…やはりそうか…」と微かに眉を寄せた。

「その事務所は割れたのか?」

「今、洗ってます。」

聡が改めて金本に目を向けると、溜息を吐いた。

「お前、あの金、詐欺やってたのか?事務所はどこだ。」

「し、知らねーよ!黙秘権!」

金本は更に顔を顰めると、聡から目を逸らし俯いた。

先程、金本が逃げようとした時に持っていたバッグの中に、数百万円の現金と、預金口座の通帳、そして何台かのスマートフォンが入っていて、押収されていたのだ。

そんな金本の態度に、我慢できなくなった聡は、身を乗り出すように机に両肘を突くと、目を一際細めて金本に詰め寄った。

「じゃあ、山田が死んだ時のお前のアリバイも、成立しないままだな。これじゃあ、殺人容疑で逮捕となってもしょうがない…よな?」

聡の言葉を聞いていた金本が、俯いたまま目を見開いて視線を左右に走らせる。

聡は続けた。

「俺らが追ってるヤマは詐欺の方じゃないんだ。山田殺しの方だ。お前はあの日、山田と会ってて、目撃されてる。金銭トラブルもあった。事件現場の近くで、お前の自転車まで目撃されてて、アリバイもない。どういう事か分かるか?」

そこまで聡が言うと、金本は顔色を蒼白く変えて顔を上げた。

「お、俺じゃないんだ!本当だ!」

そう言って椅子に居直った金本。

聡は机から身を引いた。

「本当だって!誰かが俺を嵌めようとしてやがるんだよ!そうだ!間違いねー!誰かが…俺を…誰が…」

すると金本が、何かを思い付いたようにして机に身を乗り出した。

「もしかしたら、和也かも!嫌、町田のおっさん!嫌々、マキかもしんねーし、あ、待てよ!あの女って事も十分あり得る!」

金本は取り乱し、記憶を辿る為なのか、縦横無尽に視線と口を動かして落ち着くと、聡の顔を伺った。

「和也?町田のおっさん?」

木下が顔を歪ませた。

暫く沈黙が続いて、どこからともなく溜息が漏れると、聡が口を開けた。

「金本、お前なー。自分のアリバイも証明できない、警察の質問には答えられない、白かも、黒かも分からないそんな奴が、ああだこうだと言った所で、信用されるとでも思ってんのか?」

金本は、そう言われて言葉を失い、固まった。

どんなに大声で喚いてみても、顔色一つ変えない、冷静沈着で隙がなく、反論すら出来ない聡に、打つ手を失った金本が怖気付いたのか、神妙な表情に変わると溜息をついた。

「わかったよ。喋るよ。」

金本はそう言って、供述を始めた。






「ハァーーー。まさかの、山田殺しでは白。ハァーーー。」

署内の自動販売機の前で、木下が大きな溜息をついて泣き言を漏らした。

「だけど、進展したじゃないか。溜息をつくな。」

聡は缶コーヒーの缶を開けると口にして、近くにある椅子に座ると手帳を取り出した。

聡は、木下に悟られないよう、小さく溜息をついた。

金本のアリバイが成立してしまったのである。

殺害されたとされてるその日に、間違いなく金本は山田と会って揉めていて、そして、殺害現場の近くに金本の自転車まであり、それらを目撃した証人もいる。

にも関わらず、金本の山田真琴殺害の容疑が晴れてしまったのだ。

山田真琴の死亡推定時刻は、解剖結果で、あの大雨が降り出した4月10日火曜日、午後7時10分頃だと言う事がはっきりしていた。

山田には生活反応があった。そして、その時間の金本にはアリバイがあり、先程それも証明されてしまった。

生活反応…。つまり肺に泥水が入っていて、考えただけでも悍ましい事だが、山田は生きた状態であの場所に埋められていた事が分かったのだ。

その翌日から、山田の周囲では、山田と連絡を取れた人間もいない。

下足痕らしき物を見つけるが、あの大雨のせいなのか、靴底の後も分からなくなってるし、その下足痕の形からしても、そもそもそれが一般的な靴だったのかも疑わしい。

聡は顔を上げると目を細めて虚空を見つめた。

きっと犯人は、万が一にでも靴跡が残らないように、靴の上から何らかの策を取っていたに違いない。直ぐにでも足の付きそうな、特殊な履き物を使う事は考えられないからだ。

なぜなら、ホシはきっと、頭の切れる人物に違いないのだ。

被害者の山田とトラブルのある金本を選び、その金本に目を向けさせるために、金本の自転車まで使った。

計画的で、この周到さ。

山田を恨んでいる人間。単独犯で…男。

そこまで思い至った聡は、更に目を細めた。

「しかし、なんで犯人はあんなやり方をしたんでしょうね。本当、理解に苦しみますよ。」

木下が聡の隣に腰を下ろすと、呟くように言った。

「そうだな。理解出来なくて当然だ。ホシの目星も付いてないし、そのホシがどんな人間かも分からないんだ。だけど、間違いなく言える事は、犯人は、俺らと何ら変わりなく暮らす人間だ。何処かの胡散臭い奴らの言う、霊的な何かでも、悪魔や得体の知れない怪物でも、況してや地球外生命体とかの類いの仕業でもなければ、『人間』なんだ。きっと、その犯人なりの理由があって、そんな行動に出たんだろう。簡単には理解は出来ないが、理解しようとする努力は必要だ。そうしなければ、根本的な所で解決しない。だから見ろ、こんな事件は減るどころか、増えるばかりじゃないか。ま、理解できた所で、決して許される事ではないが、誰だって、生まれたばかりの赤ん坊の時から、悪意や殺意を持った者はいないんだ。だから、俺ら人間は、どうしてその人間が、そうなってしまったのかを考えて、予防策を講じきる必要があると思うぞ。世の中全体がな。」

「愉快犯みたいな、訳の分からない奴にもですか?あぁ言ったホシには、ほとんど理由らしい理由なんかないじゃないですか。」

木下が不服そうに声を上げる。

「理由はあるじゃないか。うちの署ではそう言った事件は少ないけど、お前だって二、三回は取り調べの経験あるだろ?ニュースやワイドショーでも、犯人の犯行理由も公表してるじゃないか。」

「えー。ムシャクシャしてたからやったとか、ムカついたから~とか、刺しといて、でも殺すつもりは無かった~とかそう言うのもですか?」

「そうだ、本人にとったらそれが理由なんだよ。だから、そう云った人間を育てない為にも、理解する必要があるんだ。どうしてムシャクシャしたのか。どうしてムカついたってだけで行動に移してしまったのか。理性は何故、働かなかったのか。刺したらどうなるのかが、どうして分からなかったのか…。とかな。」

木下は聡の言葉に面を喰らっていた。

「それって、教育の話ですよね。俺らはどうしようもないじゃないですか。」

「そうか?」

「そうですよ!それは、もう、警察の仕事の領域を超えちゃってるじゃないですか!」

木下は、「それに、俺、そんなに子供産めないし、育てきれないです。」と冗談を足して笑った。

そんな冗談を言う木下に、聡は笑って続けた。

「そうだな。俺も無理だ。こんな甲斐性無しじゃ、娘一人で精一杯だ。」

それを聞いた沙羽の事を知る木下が、更に、声を上げて笑う。

「だけどな、こんな俺らでも、教育の現場に、こんな事件を起こしてしまう人間のこの現況を伝える事は出来る。俺ら警察だけじゃない。法曹界の人間もだ。今だってそう云った活動をしている人はいるが、まだ少ない。それに、学校だけじゃなく、地域に家庭にも訴えていく必要がある。それもネットとかの、snsを使ってじゃなく、直接にだ。この伝える側の深刻さは肌で感じて貰って、もっとしっかりと危機感を持って貰わないと、人は新しい情報に埋もれてしまって、すぐ忘れてしまうからな。」

聡は徐ろに深く息をつくと、その目に、その目の前に広がるありのままの空間を、真っ直ぐに捉えて見据えていた。

その聡の横顔を見つめる木下は、聡の思慮深さに驚いて、改めて、尊敬の念を深く抱いた。

「そう、ですね…。こんな事件ばかりじゃ、本当、安心して住めないですもんね。世の中が一緒になって改善していくしかないって事ですね。」

木下は炭酸飲料の缶を見つめて再び、溜息を漏らす。

「あぁ。そう言う事だ、俺はそう思ってる。で、だ。ホシは何かしらの訳あって、あんな殺し方をしてるんだ。きっと手がかりもあるに違いない。それに、金本の供述で気になる話もあった。」

「あぁ!そうですね!」

「もう一度、金本に話を聞いて、また出かけるぞ。」

「はい。」

二人は飲み干した空き缶をゴミ箱に入れると、慌ただしく騒めく廊下を歩き出した。


「てか、課長は甲斐性無しなんかじゃないと思いますよ。課長が甲斐性無しだったら俺はどうなるんですか!それに真面目過ぎます!だいたい、江崎課長が部長になってもおかしくなかったのに、そんなんだから、あの安東さんに持って行かれるんですよ!もっと悪賢くていいんですよ!課長は………」

木下がぼやき声を上げる。

それじゃ、まるで真面目な事が恰も良くないみたいな言い方になってるぞ…と、聡は言おうとしたが、木下の可愛い説教は今に始まった事でもなければ、聡のそれも、つい先週、木下に言ったばかりだったので今日の所は止めとくことにした。

「はいはい。分かってますよ。ご高説ありがとな。」

そんな二人の後ろ姿が、署内の人混みに埋もれて行った。





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