第17話真面目なんて似合わない

職員室を出た僕は、伊勢を探しに怪我により物理的に重い足を引きずって居る当てもない校内を探し回った。


……なんて展開にはならなかった。

 何故なら伊勢は、いつものように小さいくせに、堂々と、仁王立ちで、一年生の下足箱で僕を待ち構えていた。

「まぁ、私を探すなら、まず校内にまだいるか下足箱でも確認するわよね」

 伊勢とは思わしくない知的な発言に、僕はたじろぐ。

「もう無視はやめたのか?」

「考えをまとめるための小休止よ」

 物は言いようだな。

 もう、彼女からは昨日までの僕を避けるための余所余所しさは感じない。何かを吹っ切ったのかもしれない。

「一応、なんであんなことをしたのか聞こうか」

 ここまで来て、遠回しに聞く必要なんてないよな。

 伊勢は、ふっと中傷するかのように笑う。

「わかんないの?」

「わかるかよ」

 もう、こっちは頭の中がぐちゃぐちゃだよ。

「…………あんたさ、今イライラしてんの?」

 何だ? その質問。て言うか質問を質問で返すなよ。

「お前の回答次第かもな」

「あんたさ、気付いてないなら言ってあげるけど、とってもイライラして見える」

「だから、それがどうしたんだよ。急にあんなことされたら別に不思議でもないだろ」

 俺は今、自分でも自分がどんな風になってるかわかんないから第三者から見てイライラして見えるのならそうなのかもしれない。だけれども、それも今日ここまで受けた僕の仕打ちを考えたら有り得ない感情じゃない。

「じゃあ、あんたは何にイライラしてるの?」

「っつ、そんなの………」

 そんなの、……そんなの何だ? 僕は何にイライラしているんだ? 

勝手にソフトボールにエントリーしたことが起因しているとしても、その中のどの部分にだ?

僕の意見を、聞かなかったことか? 


足の怪我を知っていながらエントリーしたことか? 


僕のことをなんでも知っているかのように、振舞われていることか? 


諦めた野球に、もう一度関わらせようとしたことか?   


もしくは、変更を受理してくれない鈴原先生にか? 


それとも、もう野球がしたくてもできない歯がゆさにか?


どれだ? 全部か?


誰にだ? 伊勢? 鈴原先生? 自分? 全員か?

なんで、自分のことが全然わからないんだろう? 今、僕はどんな顔をしているんだ。どんな気持ちなんだ。伊勢や鈴原先生には、僕の何が見えているんだ。

「…………………………そんなの、わかんねぇよ」

 足元が急になくなって、大きな穴の中に落ちていく感覚。

去年の夏に怪我の症状を聞かされた時にも味わったあの感覚。

自分のアイデンティティーが失われていくような、手元に何が残っていて、何がなくなったのかが、はっきりと分かっているはずなのに自分の目線は手元にはなく、ひたすら遠くに行ってしまった失なくなったもの穴の中から見上げている。

僕は、その場に崩れ落ちた。僕の心情と重なるかのように、床の冷たい感触が膝に広がっていく。

伊勢が一歩、また一歩、こちらに近寄って来る。

やめてくれよ。

今の俺に一体どんな言葉をかけるつもりだよ。まともな神経してる奴なら、今の俺にかける言葉なんてないのはわかるはずだろ。

まともな神経をしていない伊勢が、僕の真横まで来て立ち止まる。

いつもは小さく見下ろしていた彼女が、今度は僕を見下ろす。


「倒れるまで思いっきりやって来な、倒れた時は支えてやんよ」


 若干、キメ顔なのが腹の立つポイントだろう。

お前みたいなチビに支え切れるほど僕は軽くない。青春ドラマの見すぎだな。

「ハッ、馬鹿じゃねえのか。俺はそんな雰囲気に流されないぞ。青春ドラマとか大っ嫌いなんだよ」

「元野球部の癖に〜」

 伊勢が茶化した口調になる。

シリアスパート終了の合図だ。

僕の体がふっと軽くなる。さっきまで縫い付けられていたんじゃないかと思っていた地面から、僕は立ち上がる。

そして僕は伊勢のもとを逃げるように去っていく。

「…………考えとくよ」

 伊勢には、感謝している。

別に、今回が初めてって言うんじゃない。高校に入ってからだって、今回ほどじゃないにしろ、探り探り僕の背中を押してくれることはあった。この前の栄華部の部室での件とかもそうだ。

 だけど、背中を押してもらえば貰うほど意固地になって、ボロボロの足で突っ張って、前に進みたがらない僕が出てくる。

「………………なんで怪我しちゃうかな」

 僕は、伊勢が完全に見えなくなるまで距離をとった後、誰に言うでもなく、そう呟いた。

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