第19話 引き込め!

「さすが井伊……強ぇ」

「やっぱり初心者じゃ相手にならないよなぁ」


 と囁く声が観客席から起こる。

 初心者である秀一が上級者・井伊に滅多打ちにされたように見えたのだ。


 それは事実でもある。


 しかし、今の連続攻撃に違和感を受けた者が会場内に数人いた。


 一人は三河台高校の本多湊だ。


 コート外で中堅の位置に正座している彼は今、こう思っている。


(直哉らしくない)


 どこか「過剰な感じ」がしたのだ。


 普段の井伊なら、小手、面、胴の三段攻撃で決めている。出ばな小手、そして、裏を意識させた上での表からの面という流れは、相手の攻撃をやり返して見せたのだろう。それはおそらく、自分がこの初心者より圧倒的に強い、と見せつけるためだ。


 そこに余計な意識を感じる。


(直哉、冷静になれ)


 相手から熱くなるように仕向けられた、とも本多は感じている。


 ***


 この見方はおおむね正しかった。


 一本目に関して、秀一は涼介からこういう指示を受けている。


「どんな形でもいいから一本を取りにいけ。逆に取られてもかまわない」


 もちろん、実際に一本を取ることができれば理想的だが、おそらく今の秀一には難しいだろう。しかし、相手が秀一の実力を見誤っている序盤には、惜しい攻撃が何本かあるかも知れない。観戦者には秀一が押しているように見えるだろう。


 苦戦している、とは思われたくない井伊の意識が攻撃に傾く。


 それが策士・涼介の狙いだ。


 涼介は秋季大会からの4ヶ月間、秀一に防御重視の構えから敵を返り討ちにする剣道を身につけさせてきた。しかし、最初からそれをやると、相手は慎重になる。防御重視の構えになど攻めかからず、自分に有利な距離で戦おうとするだろう。


 だから、先に井伊の冷静さを損なわせ、攻め気を引き出しておく必要があった。


 ***


 この戦術は、大坂冬の陣のとき、真田幸村が採った戦術に似ている。


 大坂城の南方に築かれた「真田丸」を見た徳川勢は、当初、これに慎重に対処しようとした。要塞にはくへいせんを挑むのではなく、真田丸を砲撃できる砲台を築こうとしたのだ。

 ところが、その現場に真田隊がやってきて、工事を請け負っている加賀の前田隊に銃撃を浴びせていく。業を煮やした前田隊は、銃撃の陣地となっている「ささやま」という高台に奇襲をかけた。しかし、そこはもぬけの殻。真田隊は撤収した後だった。


「そんな小山に押しかけて兎狩りでござるか。皆の者、笑うてやれ!」


 攻撃が空振りに終わった前田隊を真田隊がさらに挑発する。一部始終を他の徳川勢に見られていた前田隊は、もう引き下がれない。真田丸に白兵突撃を敢行した。そして、それに釣られて攻め込んだ諸隊とともに大敗北を喫するのである。


 つまり、涼介が秀一に与えた作戦はこうだ。

 

 一本目の狙いは、挑発。


 すべては敵を「田中丸」に引き込むために!

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