第24話 最後の一撃

 再びコートの中央に戻って仕切り直し。時間は刻々と過ぎていく。


 残り時間16秒。


 秀一が田中丸の構えを取る。井伊にとって引き分けは負けと同じだ。すぐさま攻めかかる。一旦引くと見せかけて秀一の竹刀を立てさせ、再び小手を狙った。


 角度が浅い。秀一は小手返しではなく、その竹刀を打ち払いにいく。


 パンッ!


 井伊の右手がつかから離れた。


 小手、面という連続攻撃を考えていたのだろう。竹刀を振り上げようとしたときに強く打ち払われると、柄から右手を離してしまうことがある。しかし、


(違う)

 と咲は思った。


 井伊は左手一本で竹刀を振り上げ、秀一の面を打とうしている。片手面だ。


 こんな体勢からの片手面は現代剣道のセオリーにない。しかし、井伊は苦しまぎれにこの技を出したのではなかった。


 秀一が狙った小手打ち落とし面は、相手の竹刀を打った反動を利用する。井伊は右手を離すことで、その力を受け流し、面への移行を阻止した。そのまま左手一本で竹刀を抜き上げ、打つのと同時に引こうとしている、片手引き面。古い剣道ではよく使われていたというこの技を、井伊は恩師・徳田家重から習ったことがあった。


 試合時間は残り5秒。これが最後の攻防になるだろう。


(よし、討ち取ったぞ!)


 と井伊は思った。


 ***


 天王寺口の戦いの終局、真田幸村は、やすてんじんという社で傷ついた体を休めているとき、敵兵に見つかり、討ち取られた。その直前、こう言ったと伝えられている。


「我が首を手柄とせよ」


 誇らしい顔をしていただろう。


 真田のせがれと侮られていた男は「日本一の兵」と呼ばれるほどに恐れられ、けいされる将となり、持てる力を出し切って死んだ。満足だったに違いない。


 真田幸村、戦死。


 それと前後して真田本隊も壊滅している。四方から敵を受けた毛利隊も崩れ、徳川勢が大坂城になだれ込んだ。豊臣秀吉の嫡子・秀頼は自害。城が落ちた。


 戦国時代が終わったのである。


 ***


 試合前、井伊は秀一に勝つことにまったく価値を感じていなかった。しかし、今は違う。強い副将として認め、必死で戦い、勝つことを誇りに思っている。


(君は僕の力を引き出してくれた。感謝するよ。だが……)


 モーションの小さい、しかし、鋭い片手面を振り下ろす。


(僕の、三河台の勝ちだぁ!)


 バシンッ!


 時間が止まる。観客たちがかたを呑んで見守る。


 井伊の片手面が入っている。

 しかし、彼は「しまった」という顔をしている。


 最初に気づいたのは咲だ。


(小手が同時)


 秀一の竹刀が井伊の右小手を斬っている。


 片手引き面は想定外の攻撃だった。しかし、秀一はあきらめない。井伊の右小手が宙に浮いているのを見逃さず、踏み込みつつ竹刀を返し、最後の一撃を見舞った。


(剣道で隙ができやすいのは『自分が勝った』と思ったときだ。残心を怠るな)


 最後に秀一を動かしたのは、南条の声だった。


 面と小手の相打ちは、片手面においてのみ起こり得るレアなケースだ。判断が難しい。しかし、秀一の一撃は井伊の残心の甘さを指摘することにもなったのだろう。


 審判が「双方無効!」を宣告する。


 残り時間がゼロになった。


 試合終了。


 桜坂と三河台の副将戦は、ともに一本ずつを取り、時間切れ引き分けに終わった。


 ***


 井伊が下唇を噛みしめ、三河台の陣に引き揚げてくる。

 その肩にポンと手を置いて、徳田が言った。


「よく戦ったね。2人とも立派でした」


 井伊の目から悔し涙がこぼれる。


 その傍らで拳を握りしめ、桜坂高校の陣を睨み付けていたのは本多湊だ。


 秀一も集中力が切れたのだろう。倒れ込むように桜坂の陣に帰ってきた。

 その体を右腕で抱き留めて、涼介が言う。


「よくやった。後は俺に任せろ!」


 桜坂高校剣道部大将、伊吹涼介が戦場コートに足を踏み入れた。

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