第23話 熱い男と冷静な男
両者がともに1本ずつを取り合っての3本目。
チームの勝敗が1勝2敗であるために、まだ桜坂の方が不利であるように見える。しかし、この状況で追い詰められたのは井伊直哉であり、三河台の方だ。
このまま井伊が秀一と引き分けて大将戦を迎えてしまうと、桜坂には関東大会ベスト4の伊吹涼介が控えている。それに対して、三河台の大将は捨て駒の1年生だ。とても勝ち目はない。2勝2敗1引き分けになっての代表戦も伊吹だろう。
井伊の負けはもちろん、引き分けもチームの敗退に直結する。
一方、秀一は時間切れ引き分けでいい。
井伊はそれが要塞だと分かっていても、攻めかからざるを得なくなった。
(引き分けにしてたまるか!)
ドンッと踏み込んで面を狙う、胴を狙う。
しかし、安易な打突は秀一に冷静に捌かれ、技を返された。
(クソッ)
一旦、退却しようと間合いを取る。
その瞬間にハッとした。
秀一は引き分けなど狙っていない。井伊に追撃をかけてきた。竹刀をパンッと強く払い、表からと見せかけて裏、裏と見せかけて表から、小手、面と打ち込んでくる。
表裏比興!
「上手い」
という声が観客から漏れる。
「あいつ、本当に初心者かよ」
「普通に強くねーか?」
立体的なフェイントで攻め、田中丸で守る。
隙である部分が井伊には罠に見えている。
(何だこれは……この剣道は!)
秀一は思考の選択肢を増やし、敵を混乱に陥れた。
そうしている間にも時間は刻々と過ぎていく。
焦れば焦るほど、本来、クールで理知的である井伊の剣道は崩れていった。
***
今、観客席では先に試合を終えた桜坂高校女子剣道部の部員たちも観戦している。
無敵の先鋒・浅村咲、強気の次鋒・相馬香苗、新チームの大将となった藤堂有里。マネージャーの大園美羽もそこに合流して、咲の隣で試合を見守っている。
その彼女たちに比べると、桜坂高校の男子剣道部はそこまで強くない、と言われている。大将に3年の天童豪太、先鋒に1年の涼介がいた去年の方が怖かった、とも。
しかし、今、コート外で正座しながら秀一を見つめる涼介は思っていた。
(その溝を埋めるのは、こいつかも知れねぇ)
剣道歴わずか8ヶ月、桜坂高校剣道部のスペシャル・サブ。
秀一を応援する部員たちの心の声が広がっていく。
田中
田中くん
田中
秀ちゃん 秀一
メガネのやつ
あいつの苗字なんだっけ?
***
(真田ぁ!)
と井伊は心の中で叫んだ。
(認めよう。君は強い。だが、僕は負けるわけにはいかない!)
東京都の高校剣道界は、各地の強い選手を集める私立全盛の時代だ。関東大会やインターハイ予選である都大会などで公立校が上位に勝ち上がるのは極めて難しい。
ましてや、進学校である三河台高校の部員たちは、3年生になれば、受験勉強の比重が大きくならざるを得ない。ライバル校の剣士たちとの差は開いていくだろう。
そんな中、名将・徳田家重が重要な目標として掲げたのが1月の新人戦だった。
(この子たちに勝つ経験を)
その三河台のチームを引っ張ってきたのが、井伊と本多湊だ。
強豪校にいる秀一は、日頃からいろいろなタイプの強い剣士と稽古することができている。しかし、三河台ではそうはいかない。井伊と互角稽古が務まるのは本多だけだ。
そうした、あらゆる不利を乗り越え、井伊は本多とともにライバル校の剣士たちを倒してきた。そして今、自分が勝ちさえすれば、チームのベスト4進出が決まる。都立の進学校に、こんなチャンスはそう簡単には訪れないだろう。
ここまで共に戦ってきた本多のために、チームのみんなのために、
(僕は負けるわけにはいかないんだ!)
***
井伊は強引に突っ込んだ。
飛び込み面の勢いのまま距離を詰めて、
ギギ、ギギギ……と竹刀がきしむ。
秀一の顔が目の前にあった。メガネの奥の瞳が冷静に自分を見据えている。
(こいつ!)
ここが戦場であったなら、井伊は秀一の首に食らいつき、頸動脈を噛み切ろうとしただろう。そのくらいプライドをかなぐり捨て、必死になっている。
(フム。やはり)
と徳田は顎に手を当てて思っていた。
(動の本多君と静の井伊君と言うけれど、本当に熱いのは井伊君の方だね)
鍔迫り合いは本来、
「あの野郎、汚ねぇ!」
と陽平が拳を固める。
反則でもおかしくない、ラフなプレイだ。
しかし、秀一は倒れながらも、首を傾けて井伊の面打ちをかわした。
何事もなかったようにスッと立ち上がる。
「秀ちゃん……すごい」
と美羽がつぶやく。
涼介がかつて、秀一を評してこう言っていたのを思い出していた。
「あいつの本当の武器は頭の良さじゃない。ここ一番での集中力だ」
面が入っていても一本は認められなかっただろう。しかし、想定外のラフプレイにあれほど冷静に対処することは、よほど集中していなければできない。
***
観客席では相馬香苗が両手で顔を覆っていた。
「カナ、どうしたの?」
と隣で観戦している有里が聞く。
「ううん、何でもない。ただ……」
目から涙があふれる。
自分が意地悪で言った毎日8キロのランニングと500本の素振りを黙々とこなしていた秀一の姿を思い出していた。
強豪剣道部に混じっているただ一人の初心者。それがどれだけ心細くて、辛くて、大変なことか、中学時代に同じ経験した香苗はよく分かっている。
(なんて強い子だろう)
と思った。
体格が良いわけではない。運動神経に恵まれているわけではない。素質と言えば、先輩たちの教えを素直に聞く耳を持っていることくらいだろう。それでも……。
(高校で剣道を始めてからの8ヶ月間、日本一成長したのは、きっとあの子だ)
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