第21話 田中丸の戦い2

 井伊はこの構えと対峙したとき、涼介が説明したような趣旨を瞬時に理解して、


(これはかつに攻めかからない方がいい)


 と思った。すでに一本取っているのだ。二本目が時間切れになれば、井伊の一本勝ちが決まる。明らかに防御を重視した構えになど攻めかかる必要はない。


 しかし、欲が出た。


(時間切れを狙っていると思われたら恥だ)

 と思ったのだ。


 井伊には観客たちの心の声が聞こえている。


(あんな初心者相手に時間切れで逃げ切ろうとしてんのか)

(井伊って大したことないのかも知れないな)


 一本目の序盤、押し気味に試合を進められた屈辱もある。

 この構えを崩し、相手を完璧に叩きのめして勝ちたい、と井伊は思った。


 いくつか、小競り合いを仕掛けてみる。

 面を狙うと手元を上げ、胴を狙うと剣先を下げ、秀一は攻撃を的確に捌いた。


(なるほど、よく訓練されている。付け焼き刃というわけじゃなさそうだ)


 しかし、試行錯誤しているうち、この構えには弱点があることに気がついた。


 弱点というより、法則性というべきか。


 この構えは基本的に「待ち」の姿勢だ。接近戦では良いが、遠間になったときまでこの構えをとり続けている意味はない。それに、竹刀を高い位置に構えているために疲れやすい、ということもあるのだろう。井伊が間合いを取ると、秀一は普通の中段の構えに戻すのである。そして、また間合いを詰めると、この構えを取る。


 そのとき、立てたり、また寝かせたりする竹刀は右拳を中心に回転している。


 つまり、構えを変化させる瞬間の……


(右小手がかなめだ)


 しかも、その右小手は通常より高い位置にあるため、打ちやすそうに見える。


 井伊は試行錯誤を繰り返し、秀一が構えを変化させる間合いとタイミングを完璧に把握した上で、一旦引くと見せかけてキュッと止まった。


 秀一が中段の構えに戻すために竹刀を立てようとする。

 一瞬、右小手が無防備になった。


(がら空き!)


 と思うのと同時に、井伊は右足を斜め前に踏み出した。飛び込み面を思わせる高さまで竹刀を振り上げているが、狙いは右小手だ。斜め上から鋭く振り下ろす。


 しかし……。


 完全に飛び込み小手の動作に入ったとき、井伊は背筋が凍った。


(これは罠だ)


 と気づいたからだ。


 ***


 田中丸の構えを伝授したとき、涼介は井伊が辿ったような思考を説明した上で、


「その右小手はえさだ」


 と言った。 


 初心者である秀一には、相手がどこを打ってくるか分からない状態では、おうわざを決めるのは難しい。しかし、相手の狙いが分かっていれば、それは容易になる。


「だから、あえて相手にパターンを学習させ、右小手を狙うように仕向けろ」


 というのが涼介が授けた戦術だ。

 その餌に食いつきやすいように、相手を挑発しておくことも涼介が教えた。


「こんな意地悪な作戦、よく思いつきますね」

「周到だと言え」


 ***


 井伊は今、2人が仕掛けた罠にかかった。


 秀一の右小手めがけ、井伊が竹刀を振り下ろす。秀一は再び竹刀を倒し、右小手を下に向けた。そこはもう打てない。井伊の小手打ちは秀一の竹刀に当たった。


 秀一がそれを跳ね上げ、素早く切り返して井伊の面を狙う。


 パパンッ!


 小手返し面だ。


 井伊は咄嗟に相面を狙ったが、完全にワンテンポ遅れた。


「面あり!」


 と一本を宣告する赤い旗が揚がる。


 田中丸の構えから、秀一が一本を取り返した。

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