第16話 赤備えの勇士

 剣道の団体戦では、両チームの出場選手が「○○高校 先鋒」などと所属名とポジションを刺繍した赤か白のタスキを背中の胴ひもに結びつけて戦う。


 準々決勝は、桜坂高校が赤、三河台高校が白のタスキだ。


 副将のタスキは一つ前の中堅の選手が結びつけることが多い。

 しかし、秀一にとって初の団体戦である今回は涼介が結びつけた。


 そのときに、ふと思い出していたことがある。


 秀一から真田幸村の最期について聞いたときのことだ。


 ***


 幸村は、正しい名前を「真田 もんのすけのぶしげ」という。


 戦国末期に彗星の如く現れた彼が、徳川勢に対して取った戦術は、天才的と言っていいものだ。

 大坂冬の陣では、大坂城の南方に「さなまる」と呼ばれる要塞を築き、徳川勢を一手に引き受けて撃退した。大坂夏の陣「道明寺の戦い」は大坂方の惜敗に終わったが、このとき幸村は殿しんがりを務め、全軍を無事撤収させている。そして「天王寺口の戦い」では、徳川本陣に決死の突撃を仕掛け、家康に死を覚悟させるのである。


 大坂冬の陣、夏の陣の間、徳川勢はほとんど真田幸村一人に翻弄され続けた。


 しかし、大きな歴史の中でそれを眺めるとき、ある疑問が浮かび上がる。


 幸村の戦いは一体「何のため」だったのだろう?


 慶長二〇年というのは西暦1615年。関ヶ原の戦いから15年が経過している。男たちがてんを夢見てを競っていた時代はすでに終わっているのだ。


 家康は将軍の座をちゃく・秀忠に譲り、徳川家の天下を永続させる基盤を固めようとしている。幸村一人がいくら頑張っても、それを覆すのは不可能だろう。


 そして幸村には、豊臣家とともに滅びなければならないほどの義理はない。


 大坂城に入った時点では、幸村にとっての「実利」があった。


 関ヶ原の戦いのとき、上杉 かげかつに味方し、父・昌幸とともに徳川秀忠の進軍を阻んだ幸村は罪人として高野山の麓にあるやまに配流されている。


 そこで父・昌幸が死去した。


「俺はこのままここで朽ちていくのか」

 と思っただろう。


 そこへ乱が起こる。


 幸村が人生の逆転を賭けるには、負けを承知で大坂方につくしかなかった。


 そして、大坂冬の陣「真田丸の戦い」で幸村は孤軍奮闘の働きを見せる。


 その幸村に、家康は真田家の縁者を遣わし、何度も寝返りを誘った。その条件の中には「信州に10万石の領地を授ける」という話もあったと言われている。


「なぜ、このときに」

 と涼介は秀一に聞いたのだ。


「幸村は寝返らなかったんだ?」


 家康の出した条件は話半分だとしても、罪人として島流しにされていた幸村が大名になる。実利としては十分だろう。幸村は人生を賭けて戦い、勝った。このまま大坂方に残っていても、待っているのは豊臣家とともに滅亡する未来しかない。


 それでも幸村が寝返らなかった理由について、秀一は迷わず、こう答えた。


「実利より大切なものがあったからじゃないでしょうか」


 ***


 関ヶ原の戦い以前、真田幸村にはこれといった武功がない。

 父・昌幸が、幸村より兄・信幸を重用し続けたためだ。


「信州の真田」と言えば、徳川の軍勢を二度も撃退した父・昌幸か、家康の養女で、  へいはちろうただかつを実父に持つ「稲(小松姫)」をめとった兄・信之(信幸から改名)のことであり、幸村は「真田のせがれ」と軽視される存在でしかなかった。


 その幸村が「真田丸の戦い」で武功ができたのを良いことに、徳川方からの誘いに乗り、寝返っていたら、家康は内心、彼をこう評価しただろう。


「真田の小倅、所詮はその程度の男であった」


 だから、と秀一は言うのだ。


 幸村は大坂方に残って、死ぬまで家康と戦い続けたのではないでしょうか、と。


 秀一の説が正しいのかは分からない。しかし、その話を聞いたときに涼介は、この温和な優等生の中には、真田幸村というバカな男の血が流れているのだと思った。


 大名になるという実利を捨てて、勝ち目のない戦に挑むのは愚かな意地だ。

 しかし、その意地のために命を張るのが武士おとこという生き物だ。


 秀一が何のために高校から剣道を始め、強豪剣道部に入るという暴挙を犯し、今日まで稽古を続けてきたのか、その理由を涼介は詳しくは知らない。しかし、それが合理性では説明できない、バカげた思考と感情の積み重ねであることは分かる。


 そして、涼介は、そういう秀一が好きだ。


 ***


 中堅戦が終わり、本多に敗れた赤石が帰ってきた。


「副将戦、桜坂高校・真田秀一君、三河台高校・井伊直哉君」


 と係員がコールする。


 すでに面をかぶり、小手をつけている秀一が「はい」と返事をして立ち上がった。

 赤いタスキがふわりと揺れる。その背中に涼介は、


「田中ッ」


 と改めて呼びかけた。


 振り向いたその顔には緊張と、それ以上の覚悟がみなぎっている。決戦に赴くつわものの顔だ。入部してきたときとは比べものにならないほど、秀一はたくましくなった。


 策は授けてある。あとは背中を押してやればいい。


「武運を祈る!」


「はい!」


 桜坂高校と三河台高校の副将戦が始まった。

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