第12話 弱さを受け容れる強さ

「田中、まだ起きてる?」


 その夜、合宿先の民宿で布団に入っていた秀一は、そう声をかけられた。


 隣の布団で横になっていた南条だ。


 2人は同じ剣道部員であるだけでなく、同じクラスでもある。入部当初、剣道の基本的なことを教えてくれたのが、中学1年から剣道をしている南条だった。


「はい。起きてます」


 と秀一が応える。

 練習試合とは言え、初勝利が嬉しすぎて、なかなか寝付けなかったのだ。


 民宿は海が近い。

 電気を消した部屋に、ザザーッという波の音が聞こえている。


「俺、剣道部やめるよ」


 と南条は言った。


「えっ」

 

 と驚く秀一に、南条は強がりと分かる口調で続けた。


「言っとくけど、お前に負けたからじゃないぞ。今日はちょっと面食らっただけで、10回勝負すれば、8回は勝つ自信がある。でも……」


 と言って、南条は少しの間、黙った。


 波の音が聞こえている。


「俺が田中に抜かれるのは時間の問題だ。そうしたら、俺、この剣道部でいちばん弱い部員になる。3年半、稽古を続けてきてこれだ。俺がここでレギュラーになるのは無理だよ。そうまでして、俺、剣道をしたいかなって、ずっと考えていて……」


 やめることにした、というのが結論だったのだろう。

 しかし、そうは言わずに、南条は違う言葉を続けた。


「まだ、何かあるかな……俺が田中に教えてやれること」


「何でも教えてください」

 と秀一が応える。


「そうだ、今日の二本目、残心が甘かったぞ。剣道で隙ができやすいのは『自分が勝った』と思ったときだ。思い通りの流れで打てたときこそ、残心を怠るな」


「はい。気をつけます!」


 南条は苦笑した。


「お前は素直だなぁ。そんな風に応えられたら……」


 自分の強がりが浮き立ってしまう。秀一のためになることを教えてやりたい、という気持ちで言ったのは本当だが、敗者から勝者にかける言葉ではないだろう。まだ秀一の先生でいようとしている自分に気づいて、南条は少しの間、また黙った。


 ザザーッ。


 波の音が聞こえている。


「田中」


「はい」


「お前には才能があるよ」


「そんな、僕なんて……」


 全然です、と言おうとした秀一の言葉を遮り、南条が冗談めかして続ける。


「勘違いするな。剣道の才能じゃないぞ。でも、お前には、自分の弱さを受け容れる才能、人から愛される才能がある。だから、田中。お前はきっと強くなるよ」


 ありがとうございます、と言うべき場面だろうか。

 勝者から敗者にかける言葉が、秀一には分からない。だから、黙っていた。


 窓から射し込む月明かりが秀一を照らし、その影が南条の上に落ちている。


「頑張ってくれ。俺の分まで」


 そう言うと、南条は寝返りを打ち、秀一に背を向けた。


 布団が小刻みに震えている。


 その夜、秀一は明け方まで波の音を聞き続けた。


 ***


 南条は退部届を用意して夏合宿に臨んでいたのだろう。

 翌早朝、それを涼介に提出すると、合宿所から去っていった。


 秀一が気づいて、慌てて靴を履き、追いかけようとする。


「バカ、やめろ!」


 と涼介が留めた。


「どうしてですか!?」


「追いかけて何を話すつもりだ。今、お前に同情されたら、あいつはもっと惨めになる。誰にも見られないように去ろうとした、南条の気持ちを察してやれ」


「でも……」


「でも、じゃねぇ。あいつのために何かしてやりたかったら、強くなれ。自分が負けた田中という剣士は、ただの初心者じゃなかったと、いつかあいつに思わせてやれ」


 秀一はうつむき、拳を握りしめて、はい、と答えた。

 夏の朝日が2人の背中を照らしている。


「伊吹先輩……」

 と秀一は付け加えた。


「なんだ?」


「田中じゃなくて真田です」


 少したくましくなった秀一の横顔を、相馬香苗が離れたところから見つめていた。




————————————————————


 作者より


 そんなこともあっての夏合宿編。

 『オバケトンネルの怪』は時系列ではここに入ります。

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054886741332

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