第11話 表裏比興の者

 8月、夏合宿中に行われた部員同士の練習試合で、秀一は初めての勝利を収めた。


 しかも、二本勝ち。相手は同じ1年の「なんじょう」という部員だった。


 秀一と南条は身長165センチと167センチ。体格が似ている。

 お互いが中段に構えると、剣先が自然と重なる。


 剣道には「表」と「裏」という概念がある。

 自分から見て相手の竹刀より右側の空間が表、左側の空間が裏だ。


 試合開始早々、秀一は相手の竹刀を右斜め上からグッと抑え、さらに強めにパンッと弾いた。南条の竹刀が左に流れる。「表」の空間が空いた。


 その隙を突いて秀一が竹刀を右斜め上に振り上げる。


(表からの面だ)

 と南条は判断して、竹刀で応じようとした。


(注:南条から見ると逆ですが、説明が複雑になるのでこうします。)


 ところが、次の瞬間。


 秀一はその竹刀をまたぐように竹刀を返して「裏」から南条の面を打った。


 バシンッ!


 これが見事に決まった。


「面あり一本!」


 と審判を務める涼介が宣告すると、観戦していた部員たちから、

「おお」

 という歓声が起こった。


 二本目は逆だ。


 開始早々、秀一がまた竹刀を右斜め上からグッと抑える。表から面を打つための予備動作のように思えるが、さっきは裏から打ってきた。南条が一瞬、混乱する。


 その隙を突いて、秀一は剣先を下げ、南条の竹刀の下をくぐらせた。上を意識させて下、というフェイントだ。目では相手の右小手(向かって左側)を見ている。


(裏からの小手、もしくは小手面)


 と判断した南条が、それを竹刀でしのごうとする。


 しかし、秀一は最初から小手を狙っていない。南条が竹刀を(秀一から見て)時計回りに回転させた結果大きく空いた「表」の空間に竹刀を振り上げ、面を打つ。


 バシンッ!


 これも決まった。


 トトッと後退し、小手すり上げ面を狙ったであろう南条へのざんしんを取る。


 裏からと見せかけての表からの攻撃。その表裏のフェイントに下(小手)を意識させて上(面)という上下のフェイントが加わっている。


 二重に意表を突かれた南条は、完全に居着いた状態で打たれてしまった。


 ***


 この立体的なフェイント技を秀一に教えたのは1年のあかいしげんだ。


 赤石は高校に入学した時点で身長183センチ、体重96キロ。豪太以来の巨漢である上、多彩な技を持っている、桜坂高校剣道部の次代を期待されている剣士だ。


 それでいて、性格はぼくとつとしていて、きつおん症でもある。

 歴史好きな彼は、信州・真田家の末裔である秀一をそれだけで尊敬していた。


「さ、真田君」


 秀一をそう呼ぶ唯一の部員でもある。


「き、君に使ってほしい技があるんだ」


 夏合宿が始まって間もない頃、赤石はそう言って、秀一に例の技を教えた。


「お、表からの攻撃を意識させて、裏から打つ! 名付けて『ひょうきょう』なんてどうかな? さ、真田と言えば『表裏比興の者』だろう?」


 表裏比興の者というのは、真田幸村の父であるまさゆきの異名だ。味方になると見せかけて敵方につく。ぼくを持ちかけつつ戦闘準備を進める。正攻法を意識させてゲリラ戦を展開する。ゲリラ戦を恐れさせて、正面から攻める。……そうした真田家の謀略と戦術の巧みさを恐れた徳川家康がそう呼んだ、と言われている。


「そ、それにこの技は、あ、頭の良い、君向きの技だと思うんだ」


 確かにそうかも知れない。秀一は、


「わぁ、ありがとうございます。大切に使わせていただきます!」


 と深々と頭を下げて、合宿の間、暇を見つけてはこの技を特訓していた。そして、合宿の終盤に行われた練習試合、その「表裏比興」で初勝利を挙げたのだ。


 対戦相手の南条は、最近、練習をサボりがちだったとは言え、剣道歴3年半。

 その南条を相手に、二本合わせても1分以内という快勝だった。


「面あり。勝負あり!」


 と涼介が秀一の二本勝ちを宣告すると、


「うおおお、田中が勝った!」

「田中、おめでとう!」


 と部員たちは我がことのように喜んだ。




———————————————


 作者より


 残心とは、自分の打ち終わり、あるいは打っている最中にも、相手の反撃への備えを怠らない姿勢です。剣道では、これが十分でないと一本とは認められません。

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