第7話 咲のレッスン

 素振りはランニングの後に行うようにしていた。

 朝稽古に来ていた部員たちが、一人で竹刀を振る秀一に目を留める。


 うち一人は浅村咲だ。


 秀一は剣道界の情報には詳しくない。しかし、天才的な美少女剣士として一般誌やネットでも取り上げられることがある同学年の咲のことは知っている。


「浅村咲さんですよね? おはようございます!」


 と深々と頭を下げた。

 ほとんど直角に腰を曲げている。


(な、なんだこの子は……)


 と咲はびっくりした。


 入学して間もない1年生である咲に後輩などいるはずがない。その自分にこれほど丁寧にお辞儀をする少年に、咲は初対面ながら興味が湧いた。


 そういう言葉では自覚していなかったが、可愛い、と思ったのだ。


「君は剣道の初心者か?」

 と聞いた。


「はい。入部する前に1ヶ月間、素振りを毎日500本するように言われました」


「そうか。……でも、竹刀の握り方が良くない」


「え、そうですか? 本や動画で勉強はしたんですが……」


 咲は自分から積極的に人と関わろうとするタイプではない。しかし、秀一に対しては、自然と「教えてあげたい」という気持ちになっている。


「傘を差すつもりで、竹刀を立てて持ってみて」


「えーと、こうですか?」


「うん。そのとき、右手は横からつかを握ってるんじゃなくて、正面に近い角度から軽く添えてるだろ。竹刀の持ち方もそれでいい。両手でしっかり握ってしまうとかえって速く振れないし、肘を痛めやすいんだ。左手で振って、添えている右手で操り、勢いを加える。それを意識して、もう一回、素振りしてみて」


 はい、と答えて、秀一は咲から教わった通りに振ってみた。


 ビュンッ、ビュンッ、ビュンッ、ビュンッ


 音のキレが今までより良くなった。しかも、軽い力で振れているのが分かる。


「わぁ、何だか、すごく振りやすくなりました」


「うん。それでいい。次は……」

 と言って、咲は秀一の左拳を手に取り、右拳とつけさせた。


 さらりとした女の子の手の感触、甘い香り。

 咲の白い肌、大人びた美貌が目の前にある。


 秀一は少し胸がドキドキした。


「聞いてる?」

「あ、はい!」


「左右の拳をつけた状態で振ると、手首のスナップを使う感覚が分かりやすい」


 振ってごらん、と促されて、秀一はまた素振りをしてみた。

 確かにそうだ。普通に握っていたときより、手首を返す動きを実感しやすい。


「両拳を離して普通に握るときも、その感覚を忘れないように」


 さらに咲は、自分の荷物を地面に置いて竹刀を取り出し、左右打ちの基本や前後にステップしながら振る早素振りのやり方なども手本を見せた。


 ***


(浅村さんて良い人だなぁ。噂通りの美人だし)


 秀一は少し調子に乗った。剣道部員、それも有名人である咲に受け容れられたことが嬉しかったのだ。指導へのお礼を丁寧に述べた後、余計なことを口走った。


「ところで、浅村さん」


「ん?」


 この頃、咲は首にコルセットをしている。入部する前に3年の天童豪太に真剣勝負を挑み、もろめんの一撃で失神させられたとき、頸椎を捻挫したためだ。


 咲のプライドの高さと豪太に向けた並々ならぬ敵意を知っている部員たちは、そのことには触れないようにしているのだが……。秀一は触れてしまった。


「首、怪我されたんですか? 早く治るといいですね」


 優しかった咲の表情が一変した。


「次そのことに触れたら、殺す!」


「えええええ……」


 秀一の孤軍奮闘はゴールデンウィーク明けまで続いた。


 しかし、その間にも、何人かの剣道部員には認められる存在になっていた。

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